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第50話 来春の壁の高さ

競売所の予告板に、その告知が貼り出された。


「来春、大市場・北の増設区画、常設店舗権の封印入札を実施する」。文面はそれだけだ。区画の図面と、受付の期日。運営の告知はいつも素っ気ない。


予告板の前には人だかりができていた。読み上げる声、口笛、ため息。秋の入札を知っている顔ぶれは、だいたい同じことを考えている。次は、いくらまで行くのか。


場所を確かめに行った。屋根付き通りの北端、いま資材置き場になっている角。人の流れの結び目としては、アルカの一等地に半歩劣る。半歩劣って、それでも一等地と呼んでいい角だ。


秋に負けた壁の、次の壁。目標がまた、数字で置ける形になって現れた。


向かいに立って、例のとおり30分数えた。1分間に通る人数、立ち止まる率。ただの資材置き場なのに、人の流れの太さはアルカの角の8割ある。増設の屋根がつながれば、流れはもっと寄る。8割の人流が、前回の124万より安く済むはずがない。


観測は割れていた。前回の落札が124万。物価はそこから1.3倍。掲示板の見立ては150万から160万に散らばっている。


コウと帳場で、届く届かないの計算をした。先に口を開いたのはコウだ。


「週の実入りが1万5000。春の受付まで12週として、18万です。今の現金50万と合わせて68万。在庫を全部回して26万。ここまでで94万」


「店舗権が抜けてるな」


「わざと抜きました。この店を売るかどうかは、番頭が決めることじゃないので」


言うようになった。売り急ぎの値で44万。足せば、春の手はおよそ138万。観測の下限150万に、まだ12万足りない。


「埋め方の候補は三つあります」コウが指を折った。「蒼晶の口銭が週2000、12週で2万4000。島の燻製が軌道に乗れば、見立てで週1500。あとは、春までにもう一度、大きい値動きが来るかどうか」


「値動きは当てにしない。当てにしていいのは、毎週入る数字だけだ。二つ足しておよそ4万。残りは店の在庫の回転を上げて作る」


回転を上げる工夫は、コウが三つ持ってきた。売れ筋を朝の棚に寄せる。回転の遅い棚を革と燻製に入れ替える。壁の相場表の横に、その日の売り出しを1行だけ書く。どれも金のかからない工夫だから、全部採用した。


帰り際に、コウが振り向いた。


「あの。売るかどうかの話ですが、この店、売るんですか」


「一等地が取れたら売る。取れなかったら売らない。先に売る博打はしない。順番はそれだけだ」


「……安心しました。聞いた自分も、この店の側の人間なので」


店の側、という言い方に、番頭になってからの月日の重さがあった。


「足りない分は、これから作る商いで埋める。蒼晶の定期供給と、島の新しい荷だ。それと、二等地を売るなら、網の心臓を止めずに移す段取りが要る。冬のうちに図面を引く」


届く計算を先に作ってから走る。届かない計算のまま走るのは、願いであって商いじゃない。秋の入札の前とは、そこが違う。あのときは9週で30万を「作れるか」の勝負だった。今度は、作る道筋がもう見えている。


アルカ側の続報は、掲示板より先に、大市場の店先で見た。


石板が、外されていた。


跡には木の札が掛かっていて、こう書いてあった。「手数料を改めます。石に彫り直すのは、次の値段が十年もつと分かってからにします」。


値上げの詫びとしては、見たことがないほど正直な文面だった。彫った字を消すのは、彫るより勇気が要る。信用の看板を下ろして、信用の中身だけ残す言い方を選んでいる。


店の中を覗くと、棚はさらに高級品に寄っていた。締めるところは締めて、看板の品質は守る。苦しい冬の畳み方として、これ以上ない手本だと思う。


帳場の奥に、アルカ本人らしい姿が見えた。番頭と帳面を挟んで、何かを数えている。声は聞こえない。聞こえなくても、やっていることは分かる。うちと同じだ。冬の締めと、春の算段。入札の台で会うまで、お互いそれをやるだけだ。


掲示板の観測はこうだ。


《アルカ商会、ついに手数料改定か》


《夜間受付も止まったままだし、縮んでる?》


《縮んでるっていうか、身の丈に畳み直してる感じ。あの木の札は好感しかない》


《来春の増設区画、アルカも来るのかな。動けないって説と、本命って説がある》


どちらの説にも根拠がない。金の残りは、向こうにしか分からない。


分かっているのは、124万の重さを冬じゅう背負いながら、品の悪い手を一度も打たなかった相手だということだけだ。強い。もし来春も同じ入札台に立つなら、今度こそ、まともな数字の読み合いになる。それは望むところでもある。


夜、目標を帳面の頭に書き直した。


来春、北の増設区画。見立て150万から160万。うちの春の手、育てて150万超え。


秋は、80万の手で124万の壁に跳んだ。今度は、届く高さまで手を育ててから跳ぶ。順番を入れ替えただけで、同じ挑戦がまるで別の形になる。


帳面を閉じる前に、秋の入札の日の頁を開いた。80万、と書いた字が少し乱れている。負けて台を降りた足のまま書いたからだ。その頁の隣に、今日の目標を書き足した。今度の字は、乱れなかった。


値札板。塩14、串焼き2本で12、宿代66。名目120万。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その50】

・目標は数字で置く。届く計算を先に作り、それから走る。届かない計算のまま走るのは願いであって商いではない。

・彫った字を消すのは、彫るより勇気が要る。正直な値上げは信用を減らさない。

・次の壁は150万の先。春の手をそこまで育てるのが、この冬の残りの仕事。

◇――――――――――

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