第23話 敗者の在庫、8掛けで
騒動から4日後、カイエンが定期便の発着場に現れた。
紋章は、外していた。
ユキハが弓に手をかけて、俺は首を振った。決闘を申し込みに来た顔じゃない。あれは、後始末を任された人間の顔だ。俺も先月まで、鏡でよく見た種類の顔だった。
「……クランの倉庫に、在庫が残ってる。鉄鉱石8000個。売るに売れない。板に流せば、また相場を壊す量だ」
「だろうね」
「マスターは出資者への補填で頭がいっぱいだ。倉庫番は逃げた。買い付けの責任者は俺だから、後始末も俺の仕事でね。——あんた、買わないか」
俺は在庫画面の数字を確かめた。8000個。定価販売所の売値は32。
「定価の8掛け。1個26で、8000個全部引き取る。20万8000ゼルだ」
カイエンの眉が動いた。
「……相場は29まで落ちてる。足元を見て20以下を言われると思った」
「20で買い叩いたら、あんたらは板に投げるしかなくなって、相場がまた壊れる。壊れた市場では俺も商売できない。26はあんたらの傷が最小で、俺が実需で捗ける、ぎりぎりの値だよ」
「……8000個、捗けるのか。うちが3週間かけても売れなかった量だぞ」
「あんたらは『高く売ろうとした』から売れなかった。うちは連盟の納入と販売所で、毎週決まった量が出ていく。蛇口の太さが違うんだ。2か月あれば流しきれる」
講義で習った言葉なら、流動性だ。同じ8000個でも、一度に板へ投げれば20を割る。毎週1000個ずつ、決まった買い手に流せば26で捗ける。物の値段は、量だけじゃなくて「どれだけの速さで現金に変えようとするか」で変わる。急いで売るほど安くなり、売り先を持っている人間ほど急がずに済む。
そして8掛けは、まとめ買いの値引きだ。8000個を一度に、一人の買い手が、一つの契約で引き取る。売り手は手間と時間を省ける。その分を値段で払ってもらう。バルク割引は、買い手のわがままじゃなくて、売り手が省ける手間の値段だ。
カイエンは指を折って何かを数えた。買い付けのプロの検算だ。それから、小さく息を吐いた。数字が合ったんだろう。
「即金で?」
「3回の分割払いなら、今日から。即金は無理だ。うちはそこまで大きくない」
カイエンは、初めて聞く音で笑った。短くて、乾いた、でも嫌味のない笑いだった。
「分割、で結構。……なあ、ソーマさん。一つ聞いていいか。あんた、最初から俺たちがこうなると読んでたのか」
「読んでたのは半分だけだ。あんたらが自分の帳簿に殺されるところまでは読めた。でも3週間かかるか3か月かかるかは、分からなかった。だから俺は読みに賭けずに、店を開いて毎日棚を埋めてた。それだけだよ」
「……買い占めの指揮を執ってた俺が言うのも何だが」
カイエンは発着場の馬車を眺めた。
「焦げたよ。派手にね」
「一度焦げた買い手は、次から相場が読めるようになる。俺もそうだった。攻城戦の延期で、ひと月半分の儲けを9日で溶かしたことがある」
「……あんたが?」
「俺が。倉庫の前で3日、指が動かなかった。含み損を抱えた人間の頭の中は、たぶんあんたも先週まで同じだったと思うけど、ろくなもんじゃない」
「……ああ。ろくなもんじゃなかった」
カイエンは初めて、買い付け担当の顔じゃない顔をした。
「クランの連中には言えなかったがな。2週目の半ばには、俺はもう分かってた。売れない在庫の山だって。でも『評価額は3倍です』って報告を、毎晩マスターに上げ続けた。数字を作ってる俺が、数字を一番信じてなかった」
「報告を止められなかったのは?」
「止めたら、俺の2週間が間違いだったことになるからだ。……笑えよ」
笑わなかった。それは俺が倉庫の鍵を握って夜を明かした理由と、一字一句同じだったからだ。
「だから、これで終わりにしない方がいい。あんたの買い付けの腕は本物だ。使う方向だけ、間違えてた」
カイエンは何か言いかけて、やめて、頭を下げた。買い付けのプロが取引相手にする角度の礼だった。
「3回払いの1回目、今夜送る。……いずれ、別の形でまた会うかもな」
「競争相手としてなら歓迎するよ」
カイエンが帰ったあと、ガロが荷台から降りてきた。
「なあ。あの買い付け屋、敵だったんだろ。ずいぶん優しい値をつけたじゃねえか」
「優しくないよ。26は、うちが2か月で確実に利を乗せて捗ける値だ。慈善なら30で買ってる」
「けっ。そういうことにしといてやる」
そういうことなんだって。8掛けは、相手を助ける値段と自分が儲かる値段が、たまたま同じ場所にあっただけだ。商いで一番強い手ってのは、だいたいそういう場所に落ちている。敵を潰す手でも、敵に施す手でもなく、双方の勘定が合う手。
「で? 引き取った8000個、どこに置くんだ。3都市の倉庫、もうパンパンだぞ」
「バルガに第二倉庫を借りる。それと、置き場のことでもう一つ。島の廃坑、坑道の入り口が広かったろ。あそこ、倉庫代わりに借りられないか島の連中に聞いてくれ。渡し船の分だけ盗難の心配も減る」
「廃坑を倉庫に、ね。……あんた、戦利品の置き場まで商売にする気か」
戦利品じゃない。あれは在庫だ。戦利品は飾っておけるが、在庫は流してやらないと、ただの重い石に戻る。攻城戦の600個で、骨身に染みたことだった。
ユキハが、カイエンの去った方向を見ながら言った。
「あの人、次は何をすると思う?」
「分からない。でも、買い付けの腕は本物だ。どこかで網を作るなら、たぶん俺の一番厄介な競争相手になる」
「それ、楽しそうに言うんだ」
「楽しいよ。商売敵は、多いほうが市場は面白い」
「……その台詞、前にも聞く気がする」
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【行商人の帳面 その23】
・同じ量でも、急いで現金に変えようとするほど安くなる。これが流動性。売り先を持つ人間は急がずに済む。
・まとめ買いの値引きは、売り手が省ける手間と時間の値段。
・敵の在庫を買い叩かない。板に投げられたら、自分の市場も壊れる。
・一番強い手は、双方の勘定が合う場所に落ちている。
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