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第16話 鍛冶屋は安い鉄より確かな鉄

「鉄? いらん」


バルガで一番大きい鍛冶工房の主は、こっちを見もせずに言った。


テツジン。生産職ギルド「工匠連盟」のまとめ役で、リアルでも金属加工の町工場をやっているという噂のプレイヤーだ。工房には弟子が4人。壁には打ち上がった剣が等間隔で掛かっていて、床には塵ひとつない。整頓された工房ってのは、それだけで店主の性格の証明書になる。


「見もしないで断るんだ」


「行商の売り込みは週に10件来る。全部『今日は特別に安い』だ。安さの売り込みは、聞くだけ時間の無駄でな」


「うちは安くない。相場22のところ、30で売りに来た」


槌の音が、一拍止まった。


弟子の一人が「相場より高く売りに来る行商とか、新手の詐欺では」と小声で言った。詐欺じゃない。ただ、売ってる物が鉄じゃないだけだ。それを説明するために、俺はここまで荷車を引いてきた。


「相場は22まで下がってる。今買い時のはずだけど」


「買い時、ね」


テツジンは槌を置いて、初めてこっちを向いた。


「あんたら相場の連中はそう言う。じゃあ聞くが、先月、鉄はいくらだった」


「40」


「その前は」


「28」


「そうだ。28が40になって、いま22。うちは武器の納期を月単位で受けてる。材料費が倍になったり半分になったりする世界で、どうやって値決めして受注しろってんだ。相場が安い高いの話じゃねえ。読めねえのが困るんだ」


槌の音が、周りの工房から絶え間なく響いていた。


俺は荷車の鉄をひと山、台の上に置いた。


「なら、こういうのはどうかな。——毎週200個、1個30ゼルで、俺があんたに納める。3か月間、値は変えない。相場が70になっても30。15に落ちても30」


「……あんたが損する週もあるぞ」


「得する週もある。均せば俺には薄い利が残る。あんたは3か月、材料費を固定で計算できる。納期も値決めも読める」


テツジンは腕を組んで、俺の顔と鉄の山を交互に見た。


「相場が15に落ちた週も、あんたから30で買うのは、うちが損だな?」


「その週はね。でも40の週も70の週も30だ。あんたが買ってるのは鉄じゃなくて、『読める』ってことそのものだよ」


「……現実のうちの工場もな」テツジンは急に声を落とした。「材料の値が動くたびに、見積もりを引き直して、客に頭を下げる。この歳になってもだ。ゲームの中でまで同じ苦労はごめんだと思ってたが——ゲームの中でそれを解決しに来る奴がいるとはな」


「解決するのは俺じゃなくて、契約だよ」


「言うねえ」


長い沈黙のあと、テツジンは槌の柄で鉄の山をこつんと叩いた。


「……この100個は言い値の30で買ってやる。3000ゼルだ。それでうちの刃物を1本でも打ってみて、モノが悪けりゃ話は終わり。続けば、週200の契約書を書く」


「決まりだ」


「おい待て、まだ肝心なことを聞いてねえ」テツジンは槌を握り直した。「あんた、週200を3か月、どうやって欠かさず運ぶ気だ。相場が暴れたら、仕入れが飛ぶこともあるだろう」


「仕入先は複数にする。1か所が飛んでも残りで埋める。それでも足りない週は、倉庫の在庫で埋める。在庫でも足りなければ——相場がいくらでも、俺が市場で買って運ぶ。赤字でも納める」


「赤字でも? なんでだ」


「3か月の契約ってのは、90日分の納品って意味じゃない。『あんたが材料の心配を90日間しなくていい』って意味だからだよ。1回でも欠けたら、あんたはまた心配を始める。そしたらこの契約の売り物は死ぬ」


テツジンは俺の顔をじっと見て、ふん、と鼻を鳴らした。


「……面白え。弟子ども、聞いたか。いまのが『商品』ってやつだ。鉄じゃねえぞ」


「契約書には、欠けたときの決めごとも書く。うちが納められなかった週は、あんたが市場で買った差額をうちが払う。口だけの『赤字でも納める』は、信じなくていい」


「……そこまで書くか」


「書かない約束は、苦しくなった週に消える。俺は先月、自分の手帳に書いた約束を3週間で破った。紙に書いても破る人間が、書かずに守れるわけがない」


テツジンは、今度は笑わなかった。代わりに弟子に「契約書式、持ってこい」と言った。


工房を出るとき、テツジンが背中に声を投げた。


「おい、行商人。名前は」


「ソーマ」


「……どっかで聞いたな。まあいい。火曜に来い。連盟の他の連中も、話くらいは聞くだろうよ」


帰りの坂道で、荷車は空だった。空の荷車を引いて歩くのは、いつもなら「罪」だ。でも今日は違う。荷台に載っていた100個の鉄は、3000ゼルと——たぶん、それよりずっと大きい何かの入り口に変わった。


攻城戦の負けで残った100個が、次の商売の名刺になった。損切りのとき「実需の分だけ残す」と決めた自分を、初めて褒めてやりたくなった。負けの残骸まで、使いようなんだな。


講義で習った言葉なら、長期固定契約だ。相場の上下を、どちらか一方が引き受ける代わりに、もう一方は「読める」を手に入れる。テツジンが買ったのは鉄じゃなくて、3か月ぶんの見通しだった。そして俺が売ったのも鉄じゃなくて、相場の上下を引き受ける覚悟だ。覚悟には、値段がつく。薄いが、毎週つく。


【所持金】20240ゼル。数字はまだ、祭りのあとの最高値にすら届いていない。でも、この3000ゼルは今までのどの3000より筋が良かった。

◇――――――――――

【行商人の帳面 その16】

・値段を固定する契約は、相場の上下を片方が引き受け、もう片方が「読める」を買う取引。

・買い手が欲しいのは安い鉄より、来月の値段が分かる鉄。

・「赤字でも納める」は口で言わず、欠けたときの決めごとを紙に書く。

・負けの残骸にも使いようがある。実需の分は残す。

◇――――――――――

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