第2話 火の雨
【日本・沖縄(旧嘉手納基地周辺)】
2026年6月20日 01:00
生暖かい南国の夜風が、突然の爆音に切り裂かれた。
かつてアメリカ空軍が駐留していた極東最大の空軍基地、その広大な滑走路と周辺施設は、今や「在日中国軍基地」として運用されている。そこから、赤黒い火柱が次々と夜空へ向かって吹き上がった。
基地のフェンス外に待機していた日本災害救助隊・沖縄支隊の隊員たちは、オレンジ色の制服を夜風にはためかせながら、呆然と空を見上げていた。
彼らに与えられている任務は「不測の事態における県民の避難誘導」のみである。警察権限もなければ、当然ながら武器も持たない。装甲車すら与えられず、乗ってきたのは防弾ガラスさえない非装甲の大型救助車両だった。
「おい……嘘だろ。撃ってるぞ」
若い隊員が、震える指で夜空を指さした。
中国大陸から持ち込まれた地上発射型巡航ミサイルが、沖縄の地から次々と火を噴き、台湾へ向かって飛び立っていく。それだけではない。滑走路からは重爆撃機が重低音を響かせて次々と離陸し、南西の空へと消えていく。
「見ろ、あのミサイルの数……。俺たちの国から、よその国を攻撃してるんだぞ!」
「やめろ、大声を出すな! 聞かれたらどうする!」
小隊長が血相を変えて部下を怒鳴りつけた。
フェンスの向こう側では、自動小銃を構えた中国軍の歩兵たちが、無機質な視線をこちらに向けている。日中安全保障条約により、彼らは「同盟軍」としてこの地に駐留している。日本の国土が、台湾侵攻のための巨大な発射台として完全に機能していた。
憲法第9条を盾に自ら武装を解除した日本は、皮肉にも、隣国を火の海にするための最も安全な攻撃拠点に成り下がっていたのである。
【台湾・新竹県(早期警戒レーダーサイト)】
2026年6月20日 01:15
標高2000メートルを超える山頂に設置された巨大な早期警戒レーダー。台湾の防空の要であるその施設は、サイバー攻撃による混乱からいち早く予備システムを立ち上げ、空の監視を再開していた。
しかし、レーダーサイトの管制室に響いたのは、絶望を告げるアラートだった。
「レーダーに多数の感あり! 弾道ミサイルおよび巡航ミサイル、その数……数百! 第一波、接近中!」
管制官の悲鳴のような報告に、指揮官は血の気が引くのを感じた。
「方角は! 福建省からか!」
「福建、広東からの飛来多数! ……さらに、北東! 日本の沖縄方面からも多数の巡航ミサイルが飛来しています!」
「沖縄からだと……! 日本は完全に場所を貸したというのか!」
防空ミサイル部隊への迎撃命令が出されるが、通信網の寸断と電力喪失によるタイムラグが命取りとなった。各陣地のパトリオットや天弓ミサイルシステムが迎撃態勢を整える前に、空から無数の火球が降り注いだ。
暗闇に沈んでいた台湾の夜空が、一瞬にして真昼のように白く閃光に染まる。
続く轟音が、大地を揺るがした。
山頂の早期警戒レーダーが直撃を受け、巨大な構造物が炎を上げて崩れ落ちる。それを皮切りに、台湾全土の主要な空軍基地、防空陣地、通信中枢に対し、中国大陸と沖縄から放たれた数百発のミサイルが容赦なく着弾した。
滑走路は抉られ、格納庫は戦闘機ごと吹き飛ばされ、兵士たちの肉体が業火に呑まれていく。それはまさに「火の雨」だった。
【台北・総統府地下(衡山指揮所)】
2026年6月20日 01:45
地下深くに位置するバンカーにも、地上の爆発による微かな震動が伝わってきていた。
非常用照明の薄暗い光の中、絶え間なく入る被害報告に、作戦室の空気は鉛のように重くなっていた。
「清泉崗基地、滑走路の大半が破壊されました。花蓮、佳山基地の地下格納庫入り口にも着弾。空軍の即応能力は全体の30パーセント以下に低下」
「防空レーダー網の7割が沈黙。現在、個別の対空陣地が独立して迎撃を行っていますが、統制が取れていません」
国防部長が、血を吐くような思いで総統に状況を伝えた。
「第一波だけで、我々の目と耳、そして盾の半分が消し飛びました。さらに最悪なのは……攻撃の出所です」
国防部長はモニターの一つを指さした。そこには、ミサイルの飛来軌跡が赤い線で示されている。大陸からの無数の線に混じり、北東の沖縄諸島から伸びる太い線がはっきりと描写されていた。
「中国軍は、沖縄の旧米軍基地を攻撃の起点として使用しています」
「……日本は、同盟国としての義務を忠実に果たしているというわけか」
台湾総統は、怒りで拳を白くなるほど握りしめた。
「沖縄の基地を叩かなければ、背後から撃たれ続けることになります。しかし、沖縄へ反撃を行えば……」
「我々は日本の領土を攻撃したことになり、国際社会に対して中国と日本の『自衛行動』を正当化する口実を与えてしまう」
総統の言葉に、国防部長は無念そうに俯いた。
自国を非武装化し、中国の軍事力に身を委ねた日本の選択は、台湾にとって最悪の足枷となっていた。反撃の矢を放てば、非武装の日本国民を巻き込むことになり、台湾が悪役に仕立て上げられる。
「第二波が来ます」
情報将校が叫んだ。
総統は目を閉じ、深く息を吐き出した。
開戦からわずか2時間。世界から見捨てられた孤島で、火の雨はまだ降り始めたばかりだった。




