第28話 偽りの凪と鉄の壁
【東シナ海・南西諸島沖】
鉛色の波を切り裂き、おびただしい数の船影が日本の領海へと突き進んでいた。
中国海警局の大型武装船に護衛された、数百隻に及ぶ「海上民兵」の偽装漁船団である。彼らの目的は、台湾侵攻と並行して日本の南西諸島を実効支配し、米軍の介入を阻むための「人間の盾」とミサイル拠点を構築することだった。
海警局船の艦橋で、中国軍の指揮官は双眼鏡を下ろし、鼻で笑った。
「東京の弱腰政権は、ついに自衛隊を解体した。警察と海保には『絶対非戦・待機命令』が出ているという。我々が上陸しても、奴らは指をくわえて見ていることしかできん」
彼らは確信していた。牙を抜かれ、法と平和主義の呪縛に縛られた日本人は、軍事的な圧力の前にただひれ伏すだけの無力な存在に成り下がったのだと。
「全船団へ通達。一気に港湾部へ接岸し、拠点を制圧せよ。抵抗する者がいれば、躊躇なく威嚇射撃を行え」
【東京・首相官邸 危機管理センター】
「中国の武装船団が、領海を侵犯! このままでは指定の島嶼部に上陸されます!」
悲鳴のような報告が響き渡る中、総理大臣は頭を抱えてうずくまっていた。
「なぜだ……! 我々は軍備を捨て、敵意がないことを示したはずだ! なぜ彼らは来るんだ!」
「落ち着いてください、総理」
親中派の官房長官が、引きつった顔で声を張り上げた。
「ここで反撃すれば、それこそ向こうの思う壺です! 全面戦争になります。海上保安庁と地元警察に対し、いかなる挑発にも乗らず、港から離れて待機するよう再通達を! 決して撃たせるな!」
官邸から現場への、悲痛で無意味な「絶対非戦」の命令が、デジタル信号に乗って南の海へと発信された。
【南西諸島・某島周辺海域】
しかし、中国の武装船団が目的の港湾に接近したとき、彼らの目に飛び込んできたのは、予想だにしない異様な光景だった。
「……なんだ、あれは」
中国軍の指揮官が絶句した。
港へ続く水道を完全に塞ぐように、海上保安庁の大型巡視船が数隻、真横を向いて停泊していた。さらにその隙間を埋め尽くすように、地元漁協の漁船数十隻が、まるで巨大な城壁のように密集してイカリを下ろしていたのだ。
中国船の通信機に、日本語と中国語を交えた無機質なアナウンスが響いた。
『こちら海上保安庁。現在、当海域において当庁の巡視船に重大な操舵システムのエラーが発生し、航行不能状態となっております。また、周囲では地元漁協による【大規模な安全操業訓練】が実施中であり、これ以上の接近は極めて危険です。直ちに転舵してください』
「馬鹿な……通信障害に操舵エラーだと!? そんな言い訳が通じるか!」
指揮官が怒号を上げる。
威嚇のために海警船の機関砲が空に向けて火を噴いた。乾いた銃声が響き渡る。
しかし、海保の巡視船も、小さな漁船団も、微動だにしない。彼らは一発の弾も撃ち返さないが、一歩たりとも道を譲る気はなかった。
「故障中」の船と「訓練中」の民間人に対して直接発砲して撃沈すれば、それは明確な「無差別虐殺」となり、米軍が介入する決定的な大義名分を与えてしまう。中国側にとって、この「非武装の物理的封鎖」は最も厄介な抵抗だった。
【同島・主要港湾施設】
海上の膠着状態の中、少数の中国側工作員を乗せた小型ボートが、網の目をすり抜けて港の埠頭へと強行接岸を果たした。
「上陸したぞ! 直ちに港湾施設を制圧し、後続の受け入れ準備を……」
工作員たちが自動小銃を構えて埠頭に飛び上がった瞬間、彼らは足を止めた。
港のゲートや主要なアクセス道路が、数メートルもの高さに積み上げられた消波ブロック(テトラポッド)と、巨大なコンクリート製の防護壁で完全に封鎖されていたのだ。
その壁の上には、「夜間岸壁補修工事中」という大きな看板が掲げられ、黄色い回転灯が呑気に回っている。
「なんだこの巨大なバリケードは……! 昨日の衛星写真にはこんなものはなかったぞ!」
壁の裏側では、作業服を着た屈強な男たちが、トランシーバーを片手にその様子を冷ややかに見下ろしていた。
彼らは、かつて自衛隊の施設科で陣地構築の訓練を死ぬほど積んできた、今は民間建設会社に籍を置く元自衛官たちである。地元警察や保守派元議員たちの根回しにより、彼らは昨晩のうちに「緊急の港湾工事」と称して、重機を使って一晩で対戦車バリケードに匹敵する防壁を築き上げていたのだ。
「悪いが、今日は一日中『補修工事』だ。立ち入り禁止の看板が見えねぇのか?」
元自衛官の現場監督が、ニヤリと笑いながら呟いた。
すぐ後ろには、ライオットシールド(暴動鎮圧用盾)と特殊警棒を構えた県警の機動隊員たちが、壁を背にして分厚い陣形を組んでいた。彼らもまた「不法入国者に対する治安維持活動」という名目で、中央の待機命令を無視して展開している。
暴動は起きない。クーデターも起きない。
ただ、法の抜け穴と現場の知恵、そして決して国を売り渡さないという日本人の執念だけが、分厚い「鉄の壁」となって侵略者の前に立ち塞がっていた。




