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「ルクリオ卿がお見えになりました」


 予定どおりの時刻だった。客間に案内するように言いつけ、身支度を整えさせる。着替えは必要ないので、髪を少し直す程度でいいだろう。


「殿下、ルーリス様は、お呼びしなくてよろしいのですか」


 ルクリオ到着の報告を持ってきた侍女が、退室する前に尋ねてきた。気を利かせたつもりだろうが、不要だ。しかし気になることはある。


「呼ばなくて良いわ。でもそういえば、ルーリスは今どこにいるのかしら」

「ジュニド卿がお呼びになった講師の方とご一緒に、奥の客間においでです」


 何の講師かは訊くまでもない。ラミドアに滞在しているときから、ルーリスの王宮勤務のための教育係を探すようにとジュニドに連絡していた。教育と言っても、王宮の決まり事や立ち居振る舞いといった基本中の基本だけだ。どちらかと言えば護衛騎士としての教育も受けさせたいのだが、こればかりは難航している。ジュニドからの遠回しな報告によれば、平民の女性に教えたくらいで名誉が落ちると思っているらしい。兄と父の精霊騎士に頼むことも考えたが、それは最後の手段にして欲しいとジュニドから頼み込まれている。こちらは彼のプライドのどこかに抵触するのだろう、たぶん。


「わかったわ。そのまま続けさせて、誰も邪魔しないように」

「かしこまりました」

「待ちなさい。聞き忘れたわ。ルクリオ様はお一人でお見えになったの?」

「はい。お供の方はおりませんでした」


 訪問先が王女宮ということで遠慮させたのだろう。他の諸侯ならともかく、ユトーラ公は先々代の国王の従兄弟に当たる人だ。その嫡男であるルクリオも王家の血を引いているということで、王宮内でも供をつけることが認められている。


「そう。下がって良いわ」


 もしルクリオがコノリゼ騎士団の誰かを供に連れてきているならルーリスを呼ぼうと思ったのだが、その必要性は無くなった。このとき、ルーリスは客間で「何か緊急事態でも起きて呼び出されないかな」と儚い望みを唱えていたのだが、やっぱり儚く終わった。


「お待たせしましたわ、ルクリオ様」


 客間に入ると、ルクリオは跪いた。


「このたびは王位継承者への就任、心よりお喜び申し上げます」

「ありがとうございます。どうぞ楽になさって。堅苦しいのはお互い止めましょう」


 笑いながら言うと、ルクリオは苦笑して立ち上がった。


「確かに今更でしたね。あんな仰々しい式典など行わなくとも、殿下は正しく王位継承者であらせられました」

「ルクリオ様にそう言われると安心しますわ」


 どうぞと椅子を勧めて、自分も腰を下ろす。侍女たちが静かにお茶の支度をする間に、セルマはラミドアの様子を尋ねた。


「相変わらず何もありませんね。もとより王都より離れた田舎ですから、静かなものです。殿下とルーリス殿が出て行かれてしまったので、街にも砦にも華やかさが消えてしまったのが残念なところです」

「ルーリスはともかく、私は公のお住まいの奥深くに隠れておりましたから、何の華も添えられませんでしたわ」


 ルクリオは一瞬、答えに詰まった。王城から落ち延びてきたセルマは、ラミドアではほとんど外に出なかった。伏せっていたということもあるが、父の判断で監視付きで西の館に留めていたという事実もルクリオは知ってる。セルマがこの事実を当てこすっているのかどうか、見定める前にセルマに先を取られた。


「それに、私などがいなくてもエプリシア様とルクリオ様のお二人で十分だと思いますけれど」

「母と……私、ですか?」


 己の容姿にあまり興味が無いルクリオには、通じない話だった。これ以上は続けても意味が無いと知って、セルマは話を切り替えることにした。目線で侍女たちを下がらせる。


「――今日はルクリオ様に折り入ってお話ししたいことがありまして、お呼び立ていたしましたの」

「ソネチアの荒れ地のことでしょうか」


 人払いされたことで、ルクリオも雰囲気が変わっている。遠回しな話は止めて、直接切り込んできた。


「話が早くて助かりますわ。私はあの場でも申しましたように、ソネチアの荒れ地を平定したいと思っています」

「もとより、その話はラミドアにいらした時から伺っておりましたが、殿下、勝算はおありなのですか」


 式典の最後にセルマが放った一矢、いや、岩が落ちてきたに等しい衝撃を放った言葉に驚かなかったのは国王と王太子の他は、ユトーラ公とルクリオだけだった。国王と王太子の方はわからないが、ユトーラ公とルクリオの当時の心境は「あれって本気だったんだ」である。打ち明けられたときには、父と兄の行方も知れない上に居城も奪われて、自棄になって決起するつもりなのかと思っていた。国王が無事に帰還を果たしたので、そんな突拍子もない考えは捨てていると思っていた。普通そう思うよなと、式典終了後に親子でこっそり確認し合った図は、ある意味、微笑ましいものだった。


「もちろんです」


 複雑な親子の心境とは正反対に、セルマの答えは簡潔だ。それ以外、何を答えろというのかと言わんばかりである。


「詳しくお聞かせいただくことは可能ですか」

「あの地の邪精霊を鎮める、それだけです」


 ルクリオは小さく息を吐いた。


「そう、ですね。あの地を平定するにはそれしかない。ではそれが叶ったとして、殿下はソネチアの地をご自身の領地にされると?」


 今度はセルマがため息を吐いた。


「ルクリオ様、知らないふりはおやめください」

「知らないふり、ですか」

「これでも王家の一員です。陛下が治める全ての地においてどのような契約がされているのか、存じ上げているつもりですわ」

「……詳しくお伺いしても?」

「ルクリオ様はとっくにご存じでしょうから、私の話は添削するつもりでお聞きいただければと思いますわ」


 いいでしょうと、ルクリオは頷いて先を促した。


「ソネチアの地には、かつて一つの国が存在しました」


 ルクリオは無言だ。セルマは続けた。


「初代王が建国されるより前にその国はあったようですわね。ネイワーズ王国の建国後は、精霊を信奉する者同士として友誼を結びました。後に初代王の元に、かの国の姫が嫁ぐこととなり、その御子がそれぞれの王位を継承することとなりました。この先は、少し曖昧です」


 断りを入れると、ルクリオは頷いた。


「かの国の記録は邪精霊が現れて以来、ほとんど残っていませんから。仕方のないことです」

「ありがとうございます。気が楽になりましたわ。もうどこにも、誰の記憶にもかの国の名前すら残っておりませんでしたから」


 ソネチアの荒れ地、というのも後からつけられた名前だ。おそらくは邪精霊が現れた国を忌み嫌って、名を呼ばなくなったのだろう。王宮にある史書を漁っても、国の名も、嫁いできた姫の名も消されていた。


「詳しい経緯はわかりませんが、かの国が邪精霊の地となったのは、次代の王位継承者が立った頃のようです。初代王が鎮めに行きましたが、叶わず、後継に託されました。『かの大精霊を鎮め、大精霊の心のままに国を治めよ』と。初代王の御言葉に従うなら、ソネチアの地を鎮める者は、かの地をネイワーズ王国の一領地ではなく、一国として治めることになります」

「よくお調べになりましたね。いえ、よくお気づきになりましたと言うべきでしょうか」


 ルクリオは感嘆した。ソネチアの地はもともとは王家の直轄地だった。ユトーラ公が拝領する際に、併せて所領となっただけである。よって、史書にある初代王の言葉を『国』として捉えず、『領地』と読む者が多い。ルクリオだって、教えられなければ気づかなかった。


「参考までにお伺いしたいのですが、殿下はいつ、その違いにお気づきになられましたか?」

「詳しくは覚えていないけれど、数年前だったと思いますわ」

「もしかして、それに気づいたから王位継承者に……?」

「それは考えすぎです」


 セルマは笑って否定した。ルクリオは疑うような目をしていたが、嘘は吐いていない。セルマは王位継承者になってから、『国』のことを思い出したのだ。


「失礼しました。殿下がソネチアの荒れ地を平定した後のことも正しくご存じとあれば、私は憂いはございません」


 ルクリオは頭を下げた。その様子に含みは無い。あるのは彼の言葉だ。


「ユトーラ公にはある、と?」


 おそらく、とルクリオは観念したように頷いた。


「ルクリオ様がおっしゃりたいことはわかります。国王陛下が認めても、ユトーラ公が首を縦に振らないだろうということでしょう?」

「はい。父はラミドアが荒れることと、ソネチアの荒れ地に人が踏み入ることを極度に嫌っています」


 そのことは身にしみてわかっている。ユトーラ公がセルマに西の館に移動させたのは、ソネチアの荒れ地について相談した後だ。あのときは未だ、物知らずの姫がこれ以上危険なことをしでかさないように用心されただけだと考えていた。


「幼い頃、ユトーラ公にラミドアはどんなところかと尋ねたことがあります。ユトーラ公はとても詳しくお聞かせくださいました。生まれ育った場所を慈しんでいる方なのだと、このような方が領主であれば皆幸せだろうと感激しましたわ。ですが、ソネチアの荒れ地について調べていくうちにユトーラ公が本当に語りたかったことが抜けているのだとわかりました」

「それも数年前に気づかれたんですか?」

「初代王の頃に比べれば、ごく最近のことでしたから。ユトーラ公に双子の妹君セイミア様がいたことはすぐにわかりました」

「隠すことではありません。叔母上は病死と発表されていますから」

「ええ。隠されていたのは、妹君がいたことでも亡くなったことでもありません。セイミア様が精霊の座に入ったと言うことでした」


 ルクリオは目を伏せた。


「……父の話によれば、あれは事故だったのです」

「……とてもよくわかります」


 なにしろ自分が全く同じ道を辿って精霊の座に入り込んだのだから。

 元々セルマが隠し通路の存在に気づいたのも、セイミアのことを調べていたからだ。


「セイミア様は精霊の座に入りましたが、王位継承者にはならなかった。だから、誰にも気づかれずに済みました。その後、セイミア様は病死とされ、王国からいなくなりました。ユトーラ公はほぼ同時に、コノリゼ騎士団を邪精霊への攻勢から守勢へと組織を変更されました。それまで各地にあった邪精霊討伐の意識が下火になっていくのもこの頃からです。背後でユトーラ公が動いていたと私は思っています」


 調べてみれば、コノリゼ騎士団が役立たずのごろつき集団と評され始めたのは、実は最近のことだった。先代ユトーラ公の時までは、各地にある対邪精霊組織の中心にもなっていたことがあるというのに、この転落ぶりは明らかにおかしい。ユトーラ公がソネチアの邪精霊に魅入られているのではないかと疑いたくなる変貌ぶりだ。


「ルクリオ様、残念ながら私に調べられたのはここまでです。ここから先は、私の推測です。間違っていれば笑い飛ばしてくださって結構ですわ」


 ルクリオは頷いた。セルマは言った。


「セイミア様は、ソネチアの荒れ地に行かれたのですね」


 生死まではわからない。だが、ユトーラ公の態度からして、未だ存命している可能性が高い。そこから導かれる答えは、一つだ。


「ソネチアの荒れ地は、見かけ通りではないと言うことなのですね」

「……私も、詳しくは知らないのです」


 ルクリオは目を伏せて、振り絞るように言った。


「ですが、私も殿下と同じ考えです」


 それだけ聞ければ満足だった。セルマは大きく息を吸った。ここからが本題だ。


「ルクリオ様、私は決して、かの地を踏みにじりたいわけではありません。初代王の遺言に従い、一つの国として蘇らせたい、それだけです」

「殿下……それは私ではなく、父に申し上げた方がよろしいかと」

「ですからその前に、ルクリオ様に確認しようと思いまして」

「私に?」

「ええ。ルクリオ様、私と婚約いたしません?」

お読みくださってありがとうございます。

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