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「婚約、ですか」


 確認するように、ルーリスは呟いた。セルマも年頃の姫だ。そんな話の一つや二つや十や二十、いや、百くらいあってもいいと思う。


「それは……男の人と女の人が結婚を約束するっていう、あの婚約ですよね……?」


 物語でもよく出てくるから、ルーリスだってその意味は知っている。しかし同じ単語をセルマが口にすると、違う意味があるのでは、と疑ってかかりたくなる。


「他にどんな『婚約』があると思っているのかしら」


 もはや呆れることすらせずに、セルマは言い、手を振った。


「と訊いてみたいところだけど、あなたが答えを持っているとは思っていないから、無理に考えなくて良いわ」

「あ、はい……」


 ルーリスは傾げかけた首を元に戻した。つまらないことを訊くなと怒られなかっただけ良しとしよう。とりあえず、単語の意味は合っているようだ。


「ルクリオ様と婚約、ですか……」


 もう一度呟いてみる。何度考えてもピンとこない。二人が並んでいるところを想像してみても、満面の笑みのセルマと、『男性っぽい何か』しか思い浮かばない。


(これはちょっとルクリオ様に失礼だよね……)


 気合いを入れてもう一度考えてみる。ルクリオと直接話した回数が少ないので、見栄えの良い青年だったくらいの記憶しかなかった。そういえば最初に出会ったときの反応も「君が本当に精霊騎士なのか」と、ごく一般的に驚かれただけだったし、城内でも騎士団でも評判は「まあまあ」「よくやってる」だった。ロビナから聞いた話を付け足すと、若い女性からの人気は高いらしいが。


(あとは……隊長の幼馴染みだっけ)


 リームから聞いた話だったが、ルクリオの外見に全く繋がらないどうでも良い情報だった。


(うん、無理だ)


 ルーリスが知るルクリオという人物情報は良くも悪くも、印象が薄い、に尽きてしまった。これは困った。式典の時に真面目に挨拶しておけばよかったと後悔しても始まらないので、無理に思い出すのは止めた。


(でも殿下も、顔も見たこと無いような人と結婚するとかじゃなくてよかったよね)


 昔観たお芝居の姫君は、顔も見たとの無い隣国の王に嫁ぐという話だった。初めて顔を合わせるのが結婚式ってどうなのと、ルーリスはその姫君に心から同情した。しかも嫁いだ国と故郷の国が戦争を始めて、元恋人の騎士と戦場で再会するという凄い物語だった。どうして王妃となった姫が戦場にいたのかは、今でも謎だ。


(……あ、もしかして……お城から逃げてきたとき殿下がラミドアに行くって決めてたのは、やっぱりルクリオ様と婚約する予定だったからとか……?)


 そう考えた途端、想像上のルクリオが輝きだした。城が占拠された知らせを聞いて、セルマを救いに飛び出そうとするルクリオを止めるラグデリクとリーム、なんていうシーンはなかなか絵になるのではなかろうか。焦れる中、セルマからの手紙が届き、その後感動の再会――


(……感動、したかな……?)


 確かあのときは、王女の到着よりも、侍女だと思われていた自分が精霊騎士だったという事実の方が、周囲への衝撃が大きかったような気がする。ルクリオもユトーラ公も、セルマにそんなに熱心に話しかけていなかったかもしれない。


(……あのときは、殿下は仮病使ってたし……!)


 みんなそれで気を使ったに違いない。決して自分が感動の再会を邪魔したわけじゃないんだと、ルーリスは必死に見えない誰かに言い訳した。


「ルーリス? どうしたの、そんな顔して。ルクリオ様との婚約が気に入らないの?」


 セルマに呼ばれて、ルーリスは我に返った。仮想の舞台は消え、セルマとセルマの部屋が戻ってくる。


「え? あ、そんなことないです。婚約おめでとうございます!」

「ありがとう。あなたが反対したらどうしようかと思っていたわ」


 にっこり微笑んで、セルマ。親友に祝福された喜んでいる図、にしか見えないが、その微笑みに裏があることをルーリスは知っている。


「はあ……ちなみにあたしが反対ですって言ったらどうなったんでしょう……」

「賛成してもらえるまで説得するわ」

「じゃないかなと思ってました」


 訊くまでも無かった。だいたい、ルーリスの意見を聞くようなセルマなら、ルーリスは今ここに精霊騎士として存在していないのだ。


「私の精霊騎士は物わかりが良くて嬉しいわ。ああ、でもこの話は、まだユトーラ公との間だけの話だから、あなたもよくわきまえておいてね」

「わきまえる……誰にも言うなってことですよね?」

「それでいいわ。正式に発表するのは、もう少し時期を見てからになるわ」

「わかりました」


 時期――天気が良くなったらとか、収穫が終わったらとか、そういうことだろうか。きっと違うと言われそうなので口には出さなかった。セルマが意味ありげにため息を吐いたのは、偶然だ。


(それよりも)


 ルーリスは無言で静かに立ち上がると、扉に近寄った。気配を殺して、静かに扉を開けた。

 廊下は無人だった。王女宮の侍女はしつけが良いようだ。ルーリスは納得して扉を閉めた。


「誰かいたの?」

「いいえ」

「そう。でもこの程度の話なら、盗み聞きくらい気にしないわ」


 さらりと言われて、ルーリスは固まった。


「え? えーと、『わきまえておく』話なんですよね?」

「ええ、そうよ。この話を聞いた者は全員ね」

「……聞いた人、全員?」


 意味がわかりませんを全身で表すルーリスに、セルマはもう一度椅子に座るように指示する。


「いいこと? 盗み聞きするのは構わないの。他人の秘密を知りたいという欲求は誰にでもあるでしょうから。秘密を知っただけで満足できなくて、吹聴して回ることが問題なのよ。そういう人間は、王女宮にも王宮にも不要よ」

「はあ……あ、そういうことなんですね……」


 ようやくルーリスにも理解できた。これは一種のテストであり、悪く言えば罠なのだ。うっかり引っかかってしまった者は王宮から追い出される羽目になる。


(だからか……)


 厨房の仕事を紹介してくれた人は、城はまとめて人を入れ替えることが多いと言っていた。あれはもしかしたら、こういった『罠』をしかけているからかもしれないと思った。


「そういうことよ。これから気をつけてね」

「はい、引っかからないように気をつけます」

「引っかかる……ああ、そうね」


 怪訝そうだったセルマは、何かを思いついて納得したようだ。とても気になる。


「あの、殿下……?」

「あなたなら聞き出しやすそうだと誘導尋問をしかけられそうだものね」

「そっちですか!」


 ストレートな回答はルーリスを打ちのめした。


「あら、ちがったかしら?」

「いえ、いいです……いいですけど、やっぱりそう見えるんですね……」


 実はジュニドが呼んでくれた講師も似たようなことを言っていたのだ。市井の若い娘がみんなおしゃべり好きだと思われるのは心外だ。少なくとも芝居以外の話ならじっと黙っていられる自信はある。


「親しみやすいというのはいいことではないかしら。少なくともこの話は最後には国民全員が知ることになるのだから、誰かに話しても構わないわ」

「発表するまで話しませんってば。というか……そういう話なら、あのとき一緒に発表したら良かったんじゃないでしょうか」

「あのとき? 承認式典のこと?」

「そうです。王位継承者が婚約しちゃいけないって決まりはないですよね?」


 もしそうなら、グラトー王太子は違反していることになる。


「決まりは無いけど、あのときは発表できなかったわ。婚約を決めたのは式典の後だから」

「あれ、そうなんですか? 子供の頃から決められた婚約者とか、そういうのはないんですか」


 むしろそうあるべきでは、力を込めて言うと、


「あなたほんとに恋愛物が好きなのね」


 冷ややかな目で見つめられてしまった。


「……すみません」


 ルーリスは縮こまった。


「それに発表するにもいろいろ準備が必要なのよ」

「婚約発表会の準備とか、ですか?」


 記憶を掘り返せば、グラトー王太子の時にも婚約発表で街中が騒がしかった気もする。ルーリスはその頃街の中がお祭り騒ぎだったことしか知らないが、きっと城の中はもっと忙しかったのだろう。


「そういうものもあるけど、一番準備しなければならないのはソネチアの荒れ地のことね」

「……もしかして婚約発表はソネチアの荒れ地を鎮めてから、ですか?」

「むしろ、私がソネチアを鎮められなければ成り立たない話とも言えるわ」


 半分冗談で訊いたのに、本気の答えが返ってきた。ルーリスは遠い目をした。


「……結婚の条件としては凄く厳しいですよね……」


 ルーリスの狭い知識の中では、そういった条件というのは、美しい姫を娶るために騎士に課せられる試練だったはずである。例えば、娘が欲しいなら敵の首を取ってこい、みたいな。


(あー、でも荒れ地を鎮めるには邪精霊を倒すとかなのかな……精霊にも首はあるよね……あれ、それってあたしの役目……?)


 一瞬、己の首を押さえて後ずさる銀色の青年の姿がよぎったが、気のせいだ。


「そうね、厳しいわね」


 セルマも頷く。


「でもそれを果たせなければ、ユトーラ公の許しが降りないのよ」

「絶対逆ですよね、殿下とルクリオ様の立場って」


 理想の美姫は、必ずしも理想の結婚をするとは限らないということをこの日、ルーリスは学んだ。

お読みくださってありがとうございます。

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[気になる点] >「絶対逆ですよね、殿下のクリオ様の立場って」 殿下のクリオ様の → 殿下とルクリオ様の
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