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 エプラン城内に立つ西の館は、現在、難を逃れてきた第五王女の仮の住まいとなっている。貴人の女性を迎えるための専用の館だと聞いたときには、ルーリスは心底驚いた。城の中に部屋がたくさんあるのに贅沢すぎるし安全とは言い難いのではと、ルーリスは当初セルマに苦言を呈したが、セルマから返ってきた答えは「何かあったらすぐ閉じ込めておける方が優先されるのよ」という殺伐としたものだった。未だに、高貴な人々の考えが理解できない。


(いろいろ便利だから、いいけど)


 正面から城に入ろうとするなら、手続きが必要だ。入るだけでなく、王族に拝謁を願い出るとなれば一日二日では終わらない。その点、精霊騎士でありコノリゼ騎士団の一員でもあるルーリスは、裏口から当番の兵士に挨拶をするだけで城内に入り、さらに西の館にも使用人用の裏口を利用することで、面倒な手順は全部踏み倒せる。非常に便利だ。


「ルーリス様、きちんと玄関からお入りくださいとお願いしたはずですが」


 たまに執事長と鉢合わせしてお小言をもらいながら、セルマの部屋に案内も無しに直行する。城内と違って、館は作りも簡単だから数回通えば覚えてしまえる道筋だ。


「殿下、ルーリスです」

「入りなさい」


 ノックをすれば、すぐに返事があった。ルーリスは扉を開け、首を傾げた。


「お客様でしたか?」


 セルマの部屋には、大抵セルマ一人きりしかいない。たまにユーダミラウがいるくらいだ。

 今日は椅子に座るセルマの前に、侍女のロビナとその隣にもう一人、十歳くらいの知らない子供が立っていた。ロビナと同じような紺色の髪の少年だ。


「紹介するわ。私の精霊騎士、ルーリスよ」


 ルーリスの質問には答えず、セルマは見知らぬ子供に向かってそう言った。手招きされたルーリスがセルマの隣に立つと、少年は目を丸くした。


「え、この人が精霊騎士?」

「こら、挨拶が先よ!」


 ロビナのげんこつが少年の頭上に落ちる。自然で容赦の無い一連の動作は、慣れているの一言に尽きる。殴る方も、殴られる方も、だ。この二人はそういう関係らしい。


(姉弟、とか?)


 髪の色以外の似通っている箇所を見つけようとしている間に、少年は涙目で挨拶を済ませた。


「はじめまして。オレ、エシケー村のフィーオって言います」

「この子、母方の従兄弟の子なんです。生まれたばっかりの頃は可愛かったのに、最近生意気になっちゃって……ごめんなさい、ルーリス様」

「ううん、私が精霊騎士っていって驚かない人はいないから」


 他人から指摘されて自分でも驚くくらいだから――口まで出掛かって、飲み込んだ。既に外見だけで純粋な少年の夢を壊しているのだから、これ以上の衝撃は与えてはいけない。


「えーと……殿下、今日の御用事はもしかしてこの子のことですか?」

「違うわ。でもちょうど良いから、この子の話を聞いておいて」

「はあ」


 セルマが自分の用事を後回しにするとは珍しい。不吉な予感に襲われながら、ルーリスはロビナとフィーオを連れて隣の控え室に入った。ロビナはともかく、フィーオはセルマの前では居心地が悪いだろう。控え室と言っても充分立派な部屋なので、フィーオはあまりくつろいだようには見えなかった。


「それじゃ、二人は今日は何でここに?」


 二人をソファに座らせ、自分も腰を下ろしながらルーリスは尋ねた。まさかセルマに仕えたいと言い出すなら、ルーリスは最大限の優しさで止めようと思う。


「それが……この子が市場で揉め事を起こしたらしくて」

「オレは悪くな――っ!」

「お黙りなさい」


 可憐に口元を押さえる反対側で、ロビナのげんこつは正確にフィーオの頭上に打ち落とされている。もはやフィーオは進んでげんこつをもらいに行っているようにしか見えない。


(そんなわけはないと思うけど……)


 自虐的なコンビネーションに狼狽えている間に、ロビナの話は進んだ。


「ルーリス様はエシケー村をご存じないですよね? ラミドアから半日くらいで着く村なんです」


 村ではラミドアの市場で売ることを目的として、農作物を育てている。村人の多くは大農家に雇われる小作人だ。ロビナの実家もフィーオの両親も、とある大農家に雇われる小作人だが、お芝居に出てくるような非道な扱いを受けたことはなく、穏やかな日々を暮らしていたそうだ。


「じゃあ、雇い主に何か無理強いされて逃げてきたとかじゃないのね?」

「お芝居の見過ぎです、ルーリス様」

「はい……」


 ぴしりと指摘されてルーリスは小さくなった。フィーオの視線がどんどん冷え切っていくのがわかる。


「小作人は畑の収穫と市場への運び入れが主な仕事なんですけど、そのまま市場で売るわけじゃなくて、最初に雇い主が買い付け人と約束した分を収めるんです」


 その上で余った分をまた別の買い付け人にその場で売る等して、売れ残りを出さないようにしている。この仕事をフィーオの父親も他の小作人と当番制でやっていたのだが、数日前に足を怪我してしまったため、今日は息子のフィーオが代わりに市場に運んできたということだった。


「約束した量を持ち込めなかったために、買い付け人から代金を払わないと追い払われたそうなんです」


 子供相手と軽く見られたのもあるのだろう。かき集めてきた作物も取り上げられ、代金も払ってもらえず、途方に暮れたフィーオはラミドアで働いているロビナを頼ってきたというわけだった。


「酷い話ね。で、どうして殿下の所にまで……?」

「裏口で話していたら、守護精霊様が通りかかって、そういう話なら王女殿下と精霊騎士様に相談した方がいいとおっしゃられて」

「……殿下に頼んで代金を取り戻してもらえとか?」


 王族の口添えなら効果は覿面だが、その王族がセルマだと予想以上の何かが起きそうで怖い。さらに自分も登場しているとなると、最後は力づくで代金を回収せよと言うことなのか。清廉潔白な――あくまでも民衆のイメージだ――精霊騎士がそんな悪徳金貸しの回収屋みたいなことで良いのだろうか。


(てことは、相手も手練れの用心棒を連れてくるとか……)


 勝手な妄想を繰り広げているルーリスに、ロビナが言った。


「代金のことではなく、村のことです」

「村の?」


 妄想の方向修正が必要なようだ。意識を戻せば、ロビナはさらに憂鬱そうな顔をしている。


「そうなんです。今回の騒動の大本は、約束していただけの青菜が採れなったことなんです」

「お父さんが怪我していたから、収穫に手が足りなかったとか?」

「いえ、そもそも、青菜が足りなかったんです」


 ロビナはここでようやくフィーオに発言を許した。フィーオは視線を落としたまま、悔しそうに声を震わせている。


「昨日まで、全部ちゃんと生えてたんだ。でも、朝になったらほとんどがダメになってたんだ」


 作物がダメになったのは、フィーオの両親が担当している畑だけでなかった。村中の畑で、昨日まで元気に育っていた作物が萎れていたり、踏みつけられたように倒されていたりといった被害に遭っていたのだ。村は総出で無事だった作物をかき集めてたが、約束の量の半分も採れなかった。


「誰かが、畑を荒らしたの?」

「話を聞く限りそうとしか思えないんですけど、私も先ほどフィーオから聞いたばかりで詳しいことはわかりません」

「それもそうね。じゃあ誰がやったのかはともかく、買い付け人にその理由は言った?」

「言ったけど、関係ないって言われた」


 フィーオは俯いたまま、小さな拳を握りしめる。


「父ちゃんも、今日は父ちゃんの当番だけど、こんな事になってるからブラナーさんとこの誰かが一緒に行った方がいいって言ったんだ。昨日から大旦那様が留守だから、若旦那様に頼んだんだけど、若旦那様は父ちゃんが当番なんだから息子の俺が行って話してこいって来てくれなくて」

「ブラナーさんというのが雇い主なんです。大旦那様はとてもいい方なのですが、若旦那様は、なんというか、あまり熱心ではない方で……」

「つまり、面倒事を押しつけられちゃったのね」


 事の成り行きは見えてきたが、やはりユーダミラウがどうしてこの件をセルマと自分に相談すべきと判断したのかがわからない。


「えーと、そうなると……畑を荒らした犯人を探せ、ってことになるのかな」


 すみません、とロビナが申し訳なさそうに言う。


「殿下にお聞かせするようなお話しではないと思いましたが、守護精霊様のお慈悲に縋るしかないと思いまして。ありがたくも殿下は熱心に聞いてくださいました。代金のことはは殿下がお引き受けくださり、畑荒らしの件は精霊騎士様が引き受けてくださると……」


 既にルーリスが断るという選択肢は消えていたようだ。ユーダミラウを呼びつけるか、セルマに抗議しに行くか、どちらを選ぼうか悩んでいると、フィーオがぽつりと言った。


「オレ、見たんだ」

「え、犯人を? どんなやつ?」


 それなら話が早いとルーリスは身を乗り出した。フィーオは驚きのあまりソファから落ちそうになったが、何とかしがみついていた。


「く、黒い奴だった」

「……それだけ?」


 フィーオは頷いた。ルーリスがあからさまにがっかりすると、くってかかるように身を乗り出してきた。


「夕べは月も無かったけど、オレ本当に見たんだ。黒い奴が畑を歩いてて、そしたら葉っぱがダメになったんだ」

「え、でも真っ暗だったんだよね……?」

「でも見えたんだ!」


 フィーオは引き下がらない。ロビナに引き戻されると、ふてくされたように身体を丸めてしまった。


「夜中に目が覚めて見たそうなんですけど……ルーリス様のおっしゃるように、月明かりもないのにそこまで見えるわけがないと誰も信じてくれなかったと」


 そういうロビナも、疑わしそうだった。フィーオが、きっと顔を上げる。


「ほんとだよ! ぜったいオレは見たんだ!」

「うーん……今の話、殿下には?」

「しました」

「殿下は、何て?」

「わかったわ、と。後は、ルーリス様に任せなさいと……」

「……フィーオの気持ちが今ならわかるかなー……」


 面倒な部分を丸投げされたようだ。天井を眺めながら、ルーリスは腹立ち紛れに守護精霊を呼んだ。


「ルーリス、呼んだ?」


 ノックの音がした。珍しく気を遣ったようで、扉の向こうからユーダミラウの声がする。


「呼んだわ。ちょっと説明して」

「最近ルーリスも人使いが荒くなってきたなあ」


 ぼやきながら入ってきたユーダミラウは、ロビナとフィーオを見てルーリスの疑問を悟った。


「この二人か。じゃあ先にはっきり言おうか。畑をダメにしたのは、邪精霊の眷属だよ。どんな奴なのかは見てみないとわからないけどね」


 ユーダミラウから出てきたのは、一番聞きたくない答えだった。


「なんとなくそうかなーって思ってたけど……そっか」


 ようやく腑に落ちた。邪精霊がらみなら、普通に犯人捜しをしても見つかるはずがない。精霊神殿から祭司の数人も連れてこなければ。


「二人ともここで待っててくれる? フィーオは手ぶらで帰れないでしょうし、多分その辺の手はずを殿下が整えていると思うから聞いてくるわ」

「ありがとうございます!」

「ほんとに――いてっ!」


 ロビナは感謝に堪えないといった風にお辞儀をしながら隣のフィーオの頭を押さえてつけていた。


(なんかあれって……隊長と副隊長みたい……)


 よく似た光景を思い出したルーリスは、ついでにもっと大事なことも思い出した。


「……そういえば、もっと適任者がいるよね?」

「今気づいたの?」


 呆れたようなユーダミラウに舌を出しながら、ルーリスは隣室へ続く扉を開けた。

お読みくださってありがとうございます。

更新ペースが落ちまくりですみません。

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