ep3.優しい手
〜音羽視点〜
彼が、わたしのために手話を覚え始めたのは
いつからだっただろうー。
私は音のない世界に生まれた。
母も父も、初めてのわが子に障害があるなんて
私には計り知れない悲しみと苦労があっただろう。
彼と初めて会った日のことは、今でもよく覚えている。
まだ幼かったわたしは、自分の気持ちを誰かに伝えることが、少し苦手だった。
伝えたいことがあっても、うまく伝わらない。
笑ってほしいときに笑ってもらえない。
もどかしい。
家族や親戚の集まりや、時々遊びに行く保育ルームでみんなが楽しそうに話している輪の中で私だけが取り残されたような気持ちになることもあった。
大人たちは皆、私を困った目で見ていた。
優しく微笑んでるつもりだろう。
何故かそれが酷く悲しかった。
そんな私の前に優しそうに微笑む女性に連れられた彼が現れた。
最初は、どうしてこの子はこんなに私を見つめるのだろうと思った。
耳についてる補聴器が珍しいのだろうか。
最初はいきなり前に現れたり、後ろから現れたり心臓に悪かった。
とにかく怖かった。
次は何をされるのだろうと。
不器用な距離感に、優しさを感じることが出来なかった。
次第に横に来ては優しめの肩に触れる手の体温にホッとできるようになり、目が合わせられるようになった。
彼は何度も口を動かし、私に何かを伝えようとしていた。
それでも伝わらないと分かると、
今度は小さな手で一生懸命に何かを表現しようとしていた。
それが手話だったのか、ただの身振りだったのか
幼いわたしには、まだ分からなかった。
ただ、ひとつだけ覚えている。
彼は、わたしに伝わるまで、諦めなかった。
あの日から、彼の手は少しずつ言葉を覚えていった。
そして私も、彼の手が動くたびに知らなかった世界をひとつずつ知っていった。
私たちはいつも一緒だった。
お絵描きする時も、お昼寝も、おやつもいつも。
こんな時間が続けばいいのに……。




