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10、HYDRA CHRYSALIS ―ASCENSION― ―境界を越えた時、世界は神話になる―第5章 原初帰還   作者: Nao9999


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第85話 境界の向こう

境界を越えた。


それは終わりではない。


人は知らない場所へ来たのではなく、

忘れていた場所へ帰ってきたのだ。

光は、音を持っていた。


眩しさではない。


耳の奥へ染み込むような白い響き。


悠真は思わず目を閉じる。


隣では、澪が握った手を離していない。


「……いる?」


「いる。」


短い返事に、胸が少しだけ軽くなった。


次の瞬間。


足裏へ土の感触が伝わる。


海ではない。


岩でもない。


柔らかな大地だった。


悠真はゆっくり目を開く。


そこに広がっていたのは、海底都市ではなかった。


空がある。


青空ではない。


水面のように揺らぐ空。


雲の代わりに、無数の光粒がゆっくり流れている。


地平線の向こうでは、巨大な樹が空を支えていた。


その幹は山ほど太く、枝は海流のように空を泳いでいる。


澪が息を呑んだ。


「……世界樹。」


その言葉が自然に口から出ていた。


「知ってるのか?」


「分からない。」


澪は首を振る。


「でも、この名前しか浮かばなかった。」


悠真は振り返る。


来たはずの門がない。


黒い塔も。


海の道も。


すべて消えていた。


「戻れない……。」


その呟きを遮るように、少年――SUBJECT02が静かに歩き出す。


「こっち。」


その声はもう頭の中ではない。


確かに耳へ届いていた。


「ここは何なんだ。」


少年は少し考えた。


「昔は。」


「昔?」


「揺り籠って呼ばれてた。」


揺り籠。


その響きに、悠真の胸が微かに痛む。


三人は歩き始めた。


風はない。


それなのに草が揺れている。


足元へ目を落とす。


草ではなかった。


一本一本が細い光だった。


踏んでも折れない。


触れると、水面のように波紋だけが広がる。


「ここ、生きてる。」


澪が呟く。


少年は頷いた。


「全部、生きてる。」


「地面も?」


「空も。」


「光も。」


「時間も。」


その最後の言葉に、神崎の声が通信機から割って入った。


『悠真!』


ノイズ混じりだった。


だが聞こえる。


『応答しろ!』


「神崎!」


通信が途切れそうになる。


『無事か!』


「ああ!」


『周囲を見ろ!』


「見てる。」


『違う!』


神崎の声が震えていた。


『影を見ろ!』


悠真は足元を見た。


影がある。


自分。


澪。


少年。


三つ。


だが。


四つ目があった。


誰のものでもない。


細長い影。


三人の後ろで静かに立っている。


悠真は振り返る。


誰もいない。


もう一度、足元を見る。


影だけが残っている。


澪も気づいた。


「……増えてる。」


影はゆっくり動いた。


三人とは違う方向へ。


巨大な樹を指差している。


少年の表情が変わる。


初めてだった。


恐怖ではない。


焦りだった。


「行かなきゃ。」


「何がある。」


「遅れる。」


「何に。」


少年は振り返った。


「最初の鐘。」


その瞬間。


世界樹の奥から、低い鐘の音が響いた。


ゴォォォン——


一度。


空が揺れる。


二度。


大地が呼吸する。


三度目が鳴る直前。


世界中の光粒が、一斉に上空へ昇った。


まるで星空そのものが流れ始めたようだった。


悠真のNOAHが反応する。


【NOAH LINK】


【7.0%】


数字は変わらない。


だが、新しい表示が現れる。


【FIRST BELL】


【WITNESSES:3】


「証人……?」


悠真が呟く。


少年は立ち止まった。


「違う。」


「何が?」


「三人じゃない。」


悠真は画面を見る。


確かに【3】と表示されている。


その時。


四つ目の影が、ゆっくり動いた。


光の中から、一人の老人が姿を現す。


白い髪。


深い青の瞳。


杖をついている。


その顔を見た瞬間。


少年が小さく震えた。


「……先生。」


老人は悠真を見つめる。


「ようやく来たか。」


その声は穏やかだった。


だが。


次の一言で、空気が凍る。


「榊悠真。」


「君は、二度目の帰還者だ。」


悠真の呼吸が止まる。


「……二度目?」


老人は静かに頷いた。


「一度目は、君自身が忘れた。」


「二度目は、世界が忘れさせた。」


澪が悠真を見る。


少年は目を伏せる。


老人は世界樹を見上げた。


「最初の鐘が鳴った。」


「これで、もう隠せない。」


杖を地面へ突く。


光の草原が大きく揺れた。


そして。


世界樹の幹に、一つの扉が現れる。


その表面には、たった一つだけ文字が刻まれていた。


『AWAKENING』


少年が小さく呟く。


「始まる。」


老人は首を横へ振る。


「違う。」


その青い瞳が、悠真を真っ直ぐ捉える。


「始まったのではない。」


「思い出す時間だ。」

第85話をお読みいただき、ありがとうございました。


ここから第5章「原初帰還」が始まります。


ORIGINの門を越えた先にあったのは、別世界ではなく「揺り籠」と呼ばれる、世界が忘れていた場所でした。


世界樹。

最初の鐘。

四つ目の影。

そして「二度目の帰還者」という新たな真実。


ここからは、悠真が力を得る物語ではなく、「失われた記憶」と「世界の起源」を取り戻す旅が始まります。


引き続き『HYDRA CHRYSALIS』をよろしくお願いいたします。

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