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音のないプロポーズ  作者: 神屋青灯
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音のないプロポーズ 58

 

「やっぱりやめよう。ね、春ちゃん、急すぎるから」

 決心がつかず、約束ひとつ取り付けていない。どう考えても引き返すべきだと、斗南の防衛本能が叫びまくっている。

――だから先に説明したらって何度も言ったのに。ホッシー、お母さんのことになると本当に臆病だね。

「そのことで三年…どころか、八年も喧嘩してるんだよ。ムリムリ、本当やめよう。今度ちゃんと連絡してから来よう」

 それがいい、と手をぐっと握った斗南に、春直がきっぱり否定の顔をした。

――今ここでその約束決められる? できないなら、だーめ。

 春直は斗南のスマホをさっと取ると、母の電話番号を表示して返す。慌てて首を横に振ると、ほら、とまた歩き始めてしまった。

「うう…春ちゃんは、何でこのことだけそんなに厳しいの…」

 斗南はしゅんとして重い足を動かした。


 だが、いよいよアパートの前に着くと、斗南は本当に動けなくなってしまった。さすがの春直も合わせて立ち止まる。斗南は春直の空いた腕にしがみついた。

「春ちゃん、こわい…無理。本当にやめようよ。ねえ、お願いだから」

 大袈裟でなく斗南は震えていて、春直は頭を撫でてみたが、震えが治まる気配はない。斗南は春直の胸に顔を埋めてしまった。

――そんなに怖いの? ホッシー、大丈夫?

 ちらっとだけ画面を見て、斗南は何度も頷く。春直はアパートを見上げた。二階建てであまり新しくないその部屋のどこかに、晶子がいる。どんな人なのか会ってみたかったのだが、斗南がここまで怯えているのなら、それはまたにした方がいいかもしれない。やんわり背中を擦ると、斗南は春直の服をぎゅっと掴んだ。


 その姿を二階から見た。男の方は知らない。だがそこに抱き着いているのは、顔が見えずとも間違いなく娘だった。窓を開けるが会話をしている様子はない。

晶子は部屋を飛び出した。


――わかった。今日は帰ろうか。

 春直がそう伝えると、斗南は泣きそうな目でごめんなさいと言った。いいよ、と囁いてみる。息遣いだけで許してくれているのがわかり、斗南はまた春直に甘えた。

「斗南ッ!」

 その刹那だ。辺り一帯に響くような声で名前を呼ばれ、斗南は飛び上がった。声の主など確かめるまでもない。それでも恐る恐る、春直と一緒に顔を向けると、サンダル履きでずんずんと迫ってくる晶子の姿が目に映った。

「お、お母さん…ご、ごめ――」

 おばけでも見たように春直に縋り付きながら、とっさに謝ろうとした。引っ叩かれても仕方ない。それくらいの覚悟はしていたつもりだった。だが、晶子は予想に反して、二人を丸ごと抱きしめた。

「斗南っ。あんたって子は…!」

「え? お、お母さん…?」

 面食らって春直と目を合わせるが、春直にも何が何だかわからない。ただ、少しふくよかで濃い化粧をした晶子は、斗南と同じ温かさに満ちていた。



「そう。実崎春直さん」

 道路で母に抱かれている羞恥に負け、斗南と春直は晶子の部屋、もとい斗南の実家に上がり込んでいた。足のことは見たままだが、声も出ない。それを告げても晶子は、そう、としか言わなかった。

「で、もう結婚してるの? まだ?」

「え。どうしてそういう用って……」

「ばかじゃないの。あんた、彼にさせてる恰好見てみなさいよ。どう見てもその挨拶でしょうが」

「あ、そっか…」

 話しているはずの斗南より、晶子の方がよっぽど主導権を握っている。見ていると何だかおかしくて、春直はこっそり笑った。

「そんなこともわからないで、あんたは本当に。昔から気が付かない子だったけど、まだそんな風か。それでよく会社に勤められるよ。ちゃんと仕事できてんだろうね」

「で、できてるよ! それに、これでも気が利くって言われるんだから」

「お世辞だよ、そんなもの! 何を真に受けてんだい。そういう所が抜けてるってんだ。ねえ、春直さん」

 春直には気迫を控えた声で話している。斗南がむくれていると、すぐに矛先が戻った。

「なにぼうっとしてんだ。お茶を出せ、お茶を。お客さんだろう」

「はあ? 何でよ、お母さんの家でしょう?」

「あんたのために来てもらって、あんたのために話聞いてんの! 家を出たくらいで客面されたらたまったもんじゃないよ。ほら、早く」

 小さな食卓を飛び越して、手が飛んでくる。追い立てられ、渋々斗南が立ち上がると、所作が雑だとまた小言が来た。

「茶葉入れ過ぎ! 熱湯は少し冷ます! あんた、家でお茶淹れてないね。どうせあれだろう、ペット使ってんだろう。本当に、女の子がそんな風じゃ、貰ってもらえないよ!」

「ペットってあのねえ。ペットボトル! ペットがお茶淹れてくれるわけないでしょ!」

「ばかなこと言ってんじゃないよ。猫の方があんたより上手くお茶淹れるわさ。お茶菓子も用意して! いつものとこ、変わってないんだからわかるだろう。そっちじゃない、お客様用は右の棚!」

 聴いていて春直はなるほどと思った。斗南は、こうして矢継ぎ早に追い立てられると、少し縮こまってしまう。食べに出かけても、威勢の良すぎる店は苦手な方だ。だから晶子に叱られることをあれほど恐れていたのだろう。

「はあ。すみませんね、あんなので。父親を早くに亡くしてね、甘えて育ったもんですから」

「ちょっと、どこがよ。お母さんが人の五倍くらい叱って育てたでしょ」

「五倍でそれか。ほんなら百は必要だったな。母さん間違えたわ!」

「もう! ちょっとは久しぶりとか懐かしいとかないの!?」

「ふん。親に黙って、男の人と付き合って。結婚する気があるんなら、ちゃんと言わんかい」

 斗南が抵抗を引っ込めた。気まずい顔になり、口をもごもごさせる。

「それは……ご迷惑をおかけしました。すみません…」

 春直も同時に詫びた。後出しで奪ったのは事実だし、玉井より幸せにできるのかと追及されたら、根拠ひとつ示せない。それでもせめて期待してもらえるよう、誠心誠意お願いするつもりだ。

「そうじゃないよ」

 だが、晶子は声の調子を沈めた。



 (つづく)

 

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