番外編:あて外れロールケーキ
夏休みに東京のパケモンスタンプラリーに行きたいって頼んだら、しばらく考えたおかあさんは西原のおじさんが泊めてくれるならいいと言った。
パケモンっていうのは《パケットモンスター》のことだ。ケータイからモンスターを召喚して、対戦相手のモンスターと戦わせるゲーム。召喚できるモンスターは基本的に使うパケット数によるけど、今回のスタンプラリーで駅に置いてあるスタンプを全部集めるとスペシャルモンスターのデータがもらえる。こんど引退する電車をモデルにした限定モンスターで、オレンジのボディがめちゃめちゃごつくてかっこいいけれど、こっちではもらえないから、ほしかったら東京まで行くしかない。
でも一日で全部の駅をセイハするのはむりだから、東京に泊まってこなきゃいけない。ほんとうは一人でホテルに泊まりたかったけれど、とうぜゆるしてもらえず、おとうさんもおかあさんもいっしょに来れないというので、西原のおじさんに頼むことになった。
西原のおじさんっていうのはおとうさんの弟だ。
ぼくは最初いやだと言った。おじさんにちゃんと会ったことがないからだ。うちに何枚かぼくと写っている写真はあるけど、全部ぼくが赤ちゃんだったときので、どんな人だったかなんてぜんぜんおぼえてない。 でも、やっぱりスペシャルモンスターがほしいし、考えてみると新幹線で東京までひとりたびをするなんてめったにないチャンスだから、けっきょく行くことにした。
おかあさんが京都駅まで見おくりに来てくれて、ぼくははじめて《のぞみ》にのった。おじさんは東京駅までむかえにくれるって言ったんだけれど、おじさんの家のもより駅まで一人で行くことにした。そうしないとひとりたびの気分が出ない。おかあさんは心配して何回もメールしてきたけれど、《のぞみ》は指定席だったのでカイテキだったし、のりかえもスムーズにできたので、ぼくはトラブルなく時間通りにまちあわせの駅についた。
改札を出るまえから、改札前で立っている人のうちどれがおじさんかはすぐにわかった。あんまりわかりたくもなかったけれど。
実は、おじさんはおとうさんとふたごなのだ。名前までそろっている。おとうさんの名前は太郎右衛門で、おじさんは次郎左衛門という。
ずいぶんひさしぶりに会うおじさんは、おとうさんと同じ顔でひょろひょろと立っていた。
そして、首から猫をぶらさげていた(おじさんだとわかりたくなかった理由その1)。
めちゃめちゃ暑いのに(理由その2)。
しかも猫がめちゃめちゃでかい(理由その3)。
カンペキにあやしい人にしか見えない。
おそるおそるぼくが近づくと、おじさんも猫を肩からぶらさげたままキンチョウしておじぎをした。
「怜人くんですね、こんにちは」
「こんにちは」と、ぼくも頭を下げた。
おじさんの肩の上の両耳の折れまがった猫も、よく来たなというように口を開けた。声は聞こえなかったけれど、これってほんとに生きてたんだなとぼくは感心した。
おじさんはタクシーにのろうかと言ってくれたけれど、ぼくはおじさんの家まで歩くことにした。
歩くたびにおじさんとぼくが持った紙袋ががさがさと音をたてる。
ぼくの家はケーキ屋をやっていて、おじさんへのおみやげの一つめはおとうさんが作ったチョコレートケーキだ。いろいろとザイリョウや道具にもこだわっていて、なかなかおいしいらしいのだけれど、お店はあまりはやっていないような気がする。おとうさんの名前もそうだけれど、いけてないというか、じだいおくれなのがよくないんだと思う。
おとうさんは、『ちょんまげぷりん』という映画が公開されると決まったとき、「これでお菓子を作る和風男子、名づけて糖食系男子つまりオレの人気がでるはず」とガッツポーズをとっていたけれど、もちろんそんなことはなかった。
自分の顔をちゃんと鏡で見たほうがいいと思う。あと、糖食系って正直きもちわるい。
「怜人くんは、自分の名前が好きですか?」
おじさんが、とつぜん聞いてきた。うーん。ぼくはリュックをしょいなおした。
『れいと』はチョコレートのレートからきている。はっきりいってはずかしい。でも、おとうさんがぼくにつけようとしていた名前とくらべると百倍も二百倍もましだ。
「うん、はい、ええ、まあ」
「じゃあ桃さんにはカンシャですねえ」
おじさんはのんびりと言った。
「はい」と、ぼくはうなずいた。
桃さんというのは、おかあさんの友達で、おじさんの知り合いだ。
聞くところによると、桃さんは、ぼくが生まれるちょっと前にうちに乗り込み、おとうさんが心の中でゴショウ大事にあたためていた名前をゴーインにあきらめさせたらしい。だから、おとうさんは桃さんのことが今でもとても苦手だ。くわしいことはわからないけれど、おじさんがうちに来なくなったのも、そこらへんがカンケイしてるんじゃないかとぼくはにらんでいる。
つまり、桃さんのおかげで、ぼくはあのひどい名前にならなくてすんだというわけだ。だから、ぼくはおかあさんが京都駅でえらいいきおいで買いたしたおみやげを、すごくおもかったけれど、がんばって、ここまで運んできたのだった。
おじさんの家は駅から10分ほど歩いたところにあるアパートだった。
ドアを開けると、おじさんはぼくを先に通してくれた。入ったとたん、甘いにおいがした。ぼくはくつをぬぐと、おじさんの肩から飛びおりてさっさと歩いていく猫のあとをついていった。
「おなかすいてるでしょう。怜人くんが、洋風と和風のどちらがお好きかわからなかったのですが、こんなときのためにこの世には抹茶スイーツというものが存在していることに思い当たりまして」
おじさんはすらすらとしゃべりながら台所に入っていった。小さなレイゾウコを開けて、みどり色と茶色のシマシマの箱を取り出す。
ぼくは、やばい、と思ったけれど、どうしたらいいかわからずにつっ立っていた。
「京都から来たのに抹茶のお菓子というのもどうかと思ったんですが、これなかなかいけるので。いま切りますね」
「あっ、あの」
「はい?」
おじさんは、箱の中からロールケーキを取り出しながら、ぼくの方を見た。
ぼくはシンコキュウするといっきに言った。
「あのごめんなさいぼくあまいものにがてなんです」
「へっ」
ぼとっ、とおじさんの手からロールケーキが落ちた。おじさんはゆっくりと床を見て、それからぼくを見て、それからまた床を見て、そしてまたぼくを見た。
「まさか」
「ほんまにほんま」
ぼくは、ていねいにしゃべるのをやめた。そうしないと伝わらない気がしたからだ。
「え」
おじさんは今にもキゼツしそうになって、流しのへりをつかんだ。といっても、だれかがキゼツしたところなんて見たことないから、そう思っただけだけれど。
「じ、じ、じゃあ何が好きなんですか、食べもの」
「えーと、カレーとか……キムチとか。からいものならなんでも」
ぼくは、目の前のテーブルにとびのった猫をなでながら答えた。ほんとに甘いものはぜんぜん好きじゃない。糖分だけで生きていけるおとうさんとは正反対だ。ファミレスに行くと、かならず運ばれてきたものをおとうさんとぼくで交換することになる(おとうさんからぼくへ激辛カレー、ぼくからおとうさんへ季節のフルーツのパフェ)。
最初おとうさんは、病院で赤ちゃんをとりちがえたのではないかと本気でうたがったらしい。いろいろぐずぐずと言うから、おかあさんが一度本気で怒ったと話してくれたことがある。おかあさんに怒られたことのあるぼくにはわかる、さぞ怖かったことだろう。
それなのに、まだ、おとうさんは夕ごはんがカレーだったりすると、部屋のすみっこでカベに向かって体育ずわりをして「ヤツハシノノロイ……」とかイミフメイなことをつぶやいている。
「そんな」
おじさんはボーゼンとして、「そんな」とくり返しながら、ロボットみたいな動きで手を洗った。
おじさんもおとうさんと同じで甘いもの大好きなのはよくわかったけれど、このハンノウはオーバーすぎる気がする。でも、おじさんがあまりにがっくりしているので、なんだかぼくがわるいような気がしてしまった。
「ごめんなさい」
ぼくがあやまってみると、おじさんは、ハッとして手をふりまわした。ぬれた手からの水しぶきが、ぼくの顔にまでかかった。
「いえ、こちらこそすみません、とりみだしてしまって」
おじさんは、おでこに手をあててしょんぼりした声で言った。
「とりあえず、うちおかししか食べるものないので……ピザでもとりましょうか。ピザは、どうですか? 食べられます?」
おかししかないって。ぼくはおもわずつっこみそうになった。アンタはおれの父ちゃんか!みたいな。
でもとりあえずピザは好きだ。だから、ぼくはさっきのでぬれた顔をふきながら、うなずいた。
「ちょっとまっててくださいね、チラシさがしますから」
おじさんはげんかんにもどりながら、「ヤツハシ、三秒以上たってますけど……もしよければ、どうぞ」と、猫に言った。
猫はテーブルから飛び下りるとお台所へと走っていった。まるで猫まっしぐら!のCMみたいだ。
猫がケーキなんて食べていいのかとちょっと気になったけれど、あのいきおいはだれにも止められないと思う。おじさんのところでは猫まで甘いもの好きらしい。ぼくにはリカイフノウだ。
とりあえずいっぱいお菓子をならべたら、おじさんが元気になるんじゃないかと思って、ぼくは紙袋を一つずつ開けた。
テーブルの上におみやげの箱をつむ。ほうじ茶カステラに、アジャリもちに、生やつはし。
そういえば、おじさんの猫はヤツハシっていうらしい。ヘンな名前。
なにかひっかかったけど、その時ちょうどピザのチラシを見つけたおじさんがぼくを呼んだので、ぼくはそれいじょう考えないことにした。