[COORDINATE 0084] The Town of Leeds 5
# After the Long Night:
地平線の向こうからは、少しずつ太陽がのぼり始めている。
草原を揺らす風から感じる寒さが、和らぎ始めている気がした。
俺の腕を胸の間に挟んでぐいぐいと押し付けているルナリアを見ながら、俺はこの後どうしようか途方に暮れていた。
あまり、この状態のルナリアを他人に見せたくない。
とはいえ、回復魔法をかけるために、フェリスたちが戦っていた場所へ急いで行かなければならないのも確かだ。
そんなふうに悩んでいると、俺の眼前に疾風が巻き起こった。
鮮やかな緑の風の中から、当のフェリスが現れる。
水色の髪が風に流れ、朝日を返してきらきらと煌めく。
安心した俺はフェリスに顔を向けて、笑みを浮かべた。
「大丈夫だったか、フェリス」
「……ああ、魔物は殲滅した。少年も近衛騎士も無事だし、死人もいない。だが、怪我の重いやつが数人いる」
俺はフェリスの言葉に頷いて答えた。
「さすがフェリスだ。頼りになるよ。そうか、重症者がいるなら、急いで戻らないとな。ルナリア?」
「……ぁんっ。……んふふ」
その様子を見て、フェリスはすぐに事情を察したらしい。
彼女は苦笑しつつ、ルナリアに言い聞かせるように言った。
「ルナリア、私とお前は先に屋敷へ帰るぞ」
「んぅ? ああ、フェリスちゃん。……えぇ、アルスと離れたくないからやだ!」
フェリスは少し言葉を選ぶようにして、ルナリアに言った。
「……アルスは、お前のその姿を他人に見せたくないんだ。独占欲というやつだ。それに、全員を癒して初めてアルスの勝利だ。……お前はアルスの剣なんだろう。アルスの勝利を邪魔するのか?」
「え? 独占欲なの? えへへ……。そっかぁ……じゃあ飛んでく! アルス、約束忘れないでよ!」
そう言うと、ルナリアは銀の剣を掲げて飛行魔法を詠唱し、一直線に屋敷へと飛んでいった。
小さくため息を吐いたフェリスが、ちらりとこちらに視線を向け、優しげな笑みを浮かべた。
「……後で、私のこともきちんと褒めろ。……じゃあ、私はルナリアが心配なので先に行く」
「ああ、お疲れ様。ゆっくり休んでくれ」
フェリスは俺に笑みで応え、振り向くと地を蹴って走り出す。
軽く跳躍した彼女は、そのまま瞬間移動でルナリアを追いかけていった。
それを見送った俺は、子爵の私兵団が戦っていたところへえっちらほっちら走り出した。
俺は長時間走れるようにはなったが、飛行魔法で移動した距離は思っていたより遠く、到着する頃にはやはり息切れしていた。
俺を見るなり、ユーリが足早に駆け寄ってきた。
早口で戦果を語るユーリの黒髪を撫でてやりながら、俺は集められていた重症者へ回復魔法をかけていった。
自分の深い傷がみるみる癒されていくのを見て、兵士たちは目を見開いていた。
俺が全員を癒し終えたことを確認していると、黙って俺の魔法を見ていたゲオルグ子爵が、真っ直ぐに頭を下げた。
「勇者アルス殿。此度の助力、そして秘匿していたはずの奇跡の行使。心より感謝します。貴公の武勇と高潔な魂を生涯忘れません」
「やめてくださいよ、子爵。そういえば、以前、賢者にお前の魂は高潔じゃないって言われたんですよ。ひどいと思いません?」
俺に促されて顔を上げた子爵は、しばしきょとんとしていたが、やがて笑みを浮かべて答えた。
「左様ですか。英雄の資質を見誤るとは。賢者というのも、存外大したことはありませんな。はっはっは」
「まあ、賢者も人間ですしね。じゃあ、俺はこれで屋敷に戻ります。あ、あと出立についてなんですが、すいません、もう一日滞在させてください。ルナリアが激しい戦闘で少し消耗しているんです」
ゲオルグ子爵が頷き、快く了承してくれた。
それから子爵は、市街の状況を確認するため、数人の兵士を連れて街へ向かった。
朝日に照らされ始めた小高い丘を、俺はユーリとカタリナさんと共に、屋敷へ向かって歩き始めた。
俺の腕に掴まり、ぶらぶらと身体を揺らしていたユーリが、黒髪を揺らしながら口を開いた。
「そこで、危機に陥ったフェリスさんを助けるために、僕がエクスカリバーを使って、どかんとフェンリルを吹き飛ばしたんですよ!」
「え、フェンリルが出てたのか。お前、それを倒したの? 凄いな」
フェリスの危機を助けたのは盛ってるんだろうなと思ったけど、黙っておいた。
だが、フェリスの補助があったとしても、フェンリルを倒すなんて大したものだ。
ふと思った俺は、目元を細めてユーリの様子を見ていたカタリナさんに尋ねた。
「カタリナさん、王族ってみんなこんなに強いんですか?」
彼女は視線を俺に向け、口を開いた。
「国王陛下は武勇に優れた方であるし、殿下の兄君たちも強い。だが、その中でもユリウス殿下……ユーリ殿の才能は突出している。情けないことに、すでに私より強いだろうな」
「はぁー。じゃあ、すでに俺もユーリに勝てないな。ははは」
それを聞いたユーリは、俺の腕にぶら下がりながら言った。
「そんなことはありません。神器がなければ、カタリナに勝つのはまだまだ厳しいです。それに、実戦では先生に敵いませんよ」
俺は、ユーリに視線を向けた。
彼は本心からそう言っていそうな、にこにことした笑顔を浮かべていた。
ユーリがぶら下がっている腕を持ち上げ、遊んでやりながら俺は思った。
そんなわけないだろう。
しばらくして、俺たちは丘を登りきり、子爵邸へ辿り着いた。
俺は自分たちの部屋の戸の前で、カタリナさんに顔を向けた。
「じゃあ、そういうわけなんで、出発は明後日でお願いします」
「ああ、例のあれだな。承知した」
ルナリアやフェリスが強敵と邂逅した際に理性を飛ばすことは、旅が始まる前にカタリナさんへ伝えていた。
彼女たちは理性が飛ぶと、えっちになる。そこまで話したところで、察したカタリナさんに、それ以上は説明しなくていいと釘を刺された。
蚊帳の外のユーリが、小首を傾げていた。
「え? なんですか、カタリナ」
「殿下はまだ知らなくてもよいことです。さあ、少し休みましょう」
すぐに殿下呼びに戻るカタリナさんの言葉を聞いて、俺は演技の下手な主従だなあと思い、笑みを漏らした。
ユーリとカタリナさんが引き上げるのを確認し、俺は自分たちの部屋の戸を開けた。
# My Maid Lunaria:
温かな陽光が窓から差し込む小綺麗な部屋の奥で、金糸の髪の少女が三つ指をついていた。
右手の薬指にはまった指輪のルビーが、赤く光を返している。
見覚えのあるメイド服を着たその少女が、しずしずと頭を下げた。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
俺はそれを見て、一度戸を閉めた。
すぐにがちゃりと木製の戸が開き、いつかのメイド服を着たルナリアが、不満そうに頬を膨らませて出てきた。
「もう、何で閉めちゃうの? 挨拶を考えたんだから、ちゃんと聞いて。ほら」
「ちょ、え? 待って。なになに、どういうこと?」
俺は抵抗したが、ルナリアの腕力に敵うはずもなく、部屋へ引きずり込まれた。
窓際の椅子に座ったフェリスが、まだ朝だというのにゆったりと酒を飲んでいた。
彼女の水色の髪は、朝の陽光を受けて透き通るような美しさだ。
「……ん。戻ったか、アルス。じゃあ、私は食堂で飲んでくる。二、三時間したら戻る」
「えへへ……。ほら、アルス。そこに立っててね。……あれ? フェリスちゃん、いてくれていいのに」
フェリスは木杯をテーブルに置くと、すっと立ち上がった。
青い外套の前をきゅっと締めると、戸の前へ歩み寄った。
こちらに視線を向け、薄い唇に笑みを浮かべ、口を開いた。
「……いや、自分のときに見られたくない。なら、お前のときにも、気を遣うべきだろう。じゃあ、アルス、後でな」
そう言うと、フェリスは水色の髪を後ろへ流しながら部屋を後にした。
二人きりになると、ルナリアが俺の袖をぐいぐいと引っ張り、戸の前に立たせた。
スカート丈の長い厚手のメイド服は、胸元の周りだけ、やたらと頼りない生地でできている。
そのせいで彼女が動くたびに、ぶるんぶるんと大きな胸が揺れていた。
さすが、俺がこだわり抜いたオーダーメイドだ。
思考が明後日の方向へ飛んでいる俺を、理想の位置に立たせたルナリアは、納得したように頷いてから離れた。
彼女の首には、灯りを受けて怪しく光を返す黒い革製の首輪が巻かれていた。
おかしい。俺はあんな危ないものを購入した記憶はない。
こいつ、知らない間にお小遣いでこっそり買ってたな。
ルナリアは再び三つ指をつき、しずしずと頭を下げた。
それから、どうしていいのか分からなくなっている俺に向かって言った。
「おかえりなさいませ、ご主人様。お酒にしますか? お風呂にしますか? えへへ……それとも、わたしにしますか?」
「よし、遊戯盤にしよう」
頭を下げたままのルナリアが、少し悲しそうに、ぼそっと呟いた。
「約束したのになぁ……。くすん」
「よし、じゃあまず一緒に酒を飲もう。うん」
俺の言葉を聞いたルナリアが立ち上がり、にこりと笑った。
花の咲いたようなその表情は、無垢な少女のものだった。
ただ、宝石のような赤い瞳は変わらず、どろどろとした熱で濁ったままだった。
「うんっ! アルスの木杯はいらないよね。じゃあ、ここに座って」
木杯はいるよ?
そう思った俺は、ルナリアに顔を向けた。
俺の視線を受けた彼女は、可憐な笑顔のまま首を傾げた。
次は泣くかもしれないと思い、俺は口にするのをやめた。
椅子に腰掛けた俺の腕に、胸を押し付けるようにしながらルナリアが傅いた。
薄手の布だけで隔てられた彼女の胸が柔らかく歪み、甘い石鹸の香りが俺の鼻腔をかすめた。
ルナリアは、その姿勢のまま、赤い瞳で俺を捉え続けている。
少しだらしなく開いた唇から吐息が漏れた。
「……んっ。……ううん? まだかなあ……」
俺は彼女の意図を理解し、小さく息を吐いた。
まあ、昨晩の殊勲賞は間違いなくルナリアだ。
これじゃ、命令されているのは俺なんだが、今回くらいはいいか。
よし、今日の俺はお前のご主人様だ。
「ルナリア、酒が飲みたい」
「うんっ」
俺の言葉を聞いたルナリアは、幸せそうな笑みを浮かべ、木杯に口をつけた。
陽光に照らされたルナリアの整った顔に、淡い陰影が落ちていた。
彼女は赤い瞳を流すように俺へ向けてから、そっと唇を寄せてきた。
温かな感触と葡萄酒の冷たさが、同時に俺に届いた。
# COORDINATE 0084 END




