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[COORDINATE 0082] The Town of Leeds 3

# The_Beginning_of_a_Long_Night:


 満天の星空の下、小綺麗に整えられた瀟洒なベルンハルト邸の庭園を、静寂が満たしていた。

 突然の異常事態にも素早い対応を見せた子爵の私兵団は、魔族の威圧で動くことができなくなっていた。


 理不尽だ。


 そう感じつつ、どう立ち回るべきか思案していた俺の背筋を、ぞわりと悪寒が走った。

 俺は違和感を覚え、視線を遠方の森へ向けた。


 先ほどまで、ひと目でドラゴンだと分かった影が、少し細くなったような気がした。


(……違う。あの魔物は、こっちを向いてるんだ!)


 予感のした俺は、即座にルナリアに向かって声を上げた。


「ルナリア、すぐに飛行しろ!」

「うんっ」


 俺の隣で、赤い瞳をこちらに向けていたルナリアが、力強く頷いた。

 森の方へ向き直り、アストライアの剣をしゃらりと鞘滑りの音を立てて抜刀した。

 金糸の髪を肩から流しながら、ルナリアは銀の剣を頭上高く掲げた。


「わたしはルナリア・アストライア! わたしはアルスの剣! 我が心身は所有者たるアルスの為に在る! 彼の望みを叶えるため、我が身を竜と化せ!」


 ルナリアの願いに応え、魔法の赤い光が彼女を包み込む。

 魔法が起こす静かな風を受け、ルナリアのセミロングの髪が夜空に揺蕩った。


 ルナリアが、とんっと地を蹴った。

 中空へ舞い上がった彼女のミニスカートが翻り、白いニーハイが月明かりに晒された。そのまま、彼女は空高く飛び上がる。


 その瞬間だった。


 森の中の黒いドラゴンが、あぎとを開いたように見えた。

 その巨大なあぎとに膨大な魔力が収束し、青白い光が発生する。


「気をつけろ、ルナリア! 魔法が来る。斬り飛ばせ!」

「任せて! あんな蜥蜴の魔法、どうってことないよっ」


 こちらに振り向いたルナリアの表情には、戦いへの高揚も恐れも一切ない。

 彼女の赤い瞳には、俺の剣として戦う悦びだけが宿っていた。


 ドラゴンの眼前に収束した魔力が、青く燃え盛る火球へと変化した。

 轟音と暴風を巻き起こしながら、青い火球が放たれた。

 はじめ小さな火球に見えたそれは、こちらへ迫るにつれ、その異様さを露わにする。

 それは俺たちのいる邸宅より、なお巨大な火球だった。


 迫り来る青い火球へ向かって、赤い光を纏ったルナリアが、流星のように飛翔した。

 ルナリアが握るアストライアの剣を、赤く燃え盛る業火が覆う。

 彼女は右手に握っていた業火の剣を両手で握り直し、身を捻るようにして強く左へ引き込んだ。

 青い火球と衝突する寸前、彼女はその力を解放し、紅蓮の剣を薙ぎ払った。


 空を切り裂く赤い斬撃が、青い火球に激突した。


 ずがぁんっという轟音を響かせ、衝撃波が俺の髪を揺らした。

 ルナリアの業火の剣に斬り飛ばされた火球は、はるか向こうの荒野へ飛んでいき、地を抉って爆発した。


 凄まじい音と衝撃が巻き起こり、魔法の火球が周囲を青く染め上げ、そして消滅する。

 青い光に照らされたルナリアの美しい相貌が、きらびやかに夜空へ浮かび上がった。


 そんな状況ではないのに、俺はそのルナリアの幻想的な美しさに見惚れてしまう。

 屋敷の方から戸が開け放たれる音が聞こえ、はっとした俺はそちらへ視線を向けた。

 装備を整えたユーリとカタリナさんが、こちらへ駆け寄って来ていた。


「先生。すみません、遅くなりました!」

「アルス殿、待たせた」


 二人は咆哮の際、屋敷にいたからだろうか、魔族の圧による拘束を受けていないようだ。


 続けて、視界の端の暗がりに、月明かりを返す水色の髪が覗いた。

 フェリスが、長い水色の髪を後ろへ流しながら中空へ跳び上がっていた。

 彼女は青い外套をばさりと翻し、俺の前に着地した。


 俺のそばに寄ったフェリスが口を開く。

 彼女の星を宿す瑠璃色の瞳には、少し焦りが浮かんでいた。


「……アルス。森林から、魔物の氾濫だ。……それも、レオの村の時より多いぞ」

「やっぱりそうか……」


 フェリスの報告を聞いた俺には、彼女と違いあまり驚きはなかった。

 ここ最近の戦いや大森林の経験を経て、俺は魔物の氾濫が頻発している理由が分かってきていた。


 なんのことはない。


 野生動物と変わらない、縄張りの移動だ。

 絶対的な強者が突然移動してきたせいで、弱い魔物から順に、玉突きのように森林を追い出されているのだ。


 今回の氾濫の原因は、あのドラゴンの魔族だろう。

 とはいえ、そもそもあのドラゴンが、なぜあそこに現れたのかはわからないが。

 あんなものが、元から王国の森林に生息していたとは思えない。

 あの光と関係があるんだろうか。


 俺は、依然として天高く伸びる、うっすらとした青白い光の柱へ視線を向けた。

 やはりあれは、世界樹のある方向だと思った。


 空に浮かぶルナリアが、どうするのかと問うように赤い瞳を俺へ向けていた。

 俺は周囲を見渡した。


 間違いなく、今ここで俺たちが一番強い。

 だが、街の人たちも含めて全員が生き残るためには、俺たちだけでは足りない。

 ここにいる全員で戦わなければならない。


「ルナリア、ちょっとこっちに来い。みんなも近くへ寄ってくれ」


 さっと集まった仲間に、俺はまず支援魔法を展開し始めた。

 状況がどう動くか分からないため、すべて速度上昇属性だ。


 ルナリアは甘い吐息をそのまま漏らし、フェリスは俺の胸板に顔を押し付けるようにして、声を堪えた。

 続いて、ユーリとカタリナさんにも支援魔法をかけた。


 全員に支援魔法を行き渡らせながら、俺は手短に作戦を話した。


 作戦を聞いたルナリアは、表情に少しの恥ずかしさと不満を滲ませた。

フェリスは明らかに嫌そうにしており、ユーリは単純にわくわくした表情を浮かべている。

 カタリナさんは凛とした表情を浮かべ、わずかに目元を細めていた。


 恥ずかしそうにしたルナリアが、口を開いた。


「ええ……。きみがやったほうがいいよ」

「駄目だ。俺じゃ説得力がない。いいからさっさとやれ。命令だ」


 命令と言われ、渋々と飛翔していくルナリアを見送る中、フェリスが珍しく悪態をついた。


「……はぁ。仕方ないとはいえ、やる気が出ないな」

「フェリスさん! 一緒に頑張りましょう!」


 ユーリが、にこにこと黒髪を揺らしながらフェリスを見上げていた。

 フェリスはそれをちらりと見ると、小さく息を吐いた。


 皆から見える高さまで飛び上がったルナリアに、俺は視線を向けた。

 彼女の金糸の髪が月明かりを返してきらきらと輝いている。


 そのルナリアが、毅然とした表情を作り、業火の剣を掲げて声を上げた。


「わたしはルナリア・アストライア! 勇者アルスの仲間である魔法剣士だ! 恐れるな、戦士たちよ! 勇者は魔王をも退けた英雄である! これより、わたしと勇者アルスがあの悍ましき竜を討伐してみせる!」


 ルナリアは役目そのものは引き受けてくれたが、伝える内容は勝手に変更していた。

 まあ、皆が動けるようになればなんでもいいけどね……。


 星空の下、皆を鼓舞するために剣を掲げた美しい少女は、まさに戦場に舞い降りた炎の女神だった。


「だが、我々だけでは街の人を守り切ることはできない。貴公らが栄えある王国の騎士であるならば、民を守るために動け! 恐れるな! 貴公らの前に立つは、最強の勇者アルスである!」


 空を舞う戦女神は、皆の眼前で実際に火球を斬り飛ばしたのだ。

 そんなルナリアの発した檄の効果は大きく、まずゲオルグ子爵が冷静さを取り戻した。続いて、私兵団の瞳に力が宿り始めた。


 俺は、こちらに視線を向けたゲオルグ子爵へ声をかけた。


「俺とルナリアは、あのドラゴンへ突っ込みます。フェリスとユーリ、それからカタリナさんは置いていきます。彼女らと共に、街を守ってください」


「アルス殿……。かたじけない。敵を前に動けなくなるなど、騎士として恥ずべき失態だ。戦働きにて必ず挽回してみせよう」


 自身の神器であろう細剣の柄を握りしめながら、子爵は言った。

 俺はそれを受け、笑みを浮かべて返した。


「魔族の拘束はどうしようもないですよ。俺は女神様の加護で動けているだけです」


「言い訳のようだが、あの竜は並の魔族ではないと感じる。私も一度魔族と交戦したことはあるが、あれほど強力な拘束ではなかった。気をつけられよ」


 俺はゲオルグ子爵に頷いた。

 ふわりと俺の鼻腔を、安心する甘い匂いがかすめ、目の前に演説を終えたルナリアが降り立った。


「おかえり、ルナリア。おい、演説の中身を勝手に変えるなよ」


「上手くいったんだからいいじゃない。それにわたしは、君の剣でいたいの。これはきみの命令でも譲れないなっ」


 そう言ってルナリアは笑みを浮かべた。

 月明かりを受けた彼女の笑顔は、神秘的な美しさで、俺は何も言えなくなってしまった。


 小さく息を吐く俺を、ルナリアは目元を細めて見つめた。

 それから、優しく左腕で抱きしめ、そのままほっそりとした片腕で俺を抱え上げた。

 隙間なく密着した彼女の胸が、むにゅりと柔らかく形を変えた。


 華奢な少女に抱えられながら、飛んでいく勇者か……。

 演説のせいで、いつも以上に恥ずかしいな。


 俺は飛び立つ前に、子爵へ伝えておかなければならない大事なことを思い出した。


「子爵。俺は回復魔法を使えます。死ななければ、どんな怪我でも治してみせます。だから、それを踏まえて動いてください。俺は誰にも死んでほしくない」


「……承知した。アルス殿、ご武運を」


 俺を抱えたルナリアが飛翔する。

 小さくなっていくゲオルグ邸の庭の中では皆が整然と動き出し、各々のやるべきことを始めていた。



# Ferris’s_Magic_Blades:


* * *


 飛翔した赤い流星が、夜の闇を切り裂きながら遠ざかる。

 私はそれを見送りながら思った。


 この役割分担は、私のアルスが考えただけあり、合理的で理にかなっているが、非常に不満だ。

 やる気も出ないなと考えたところで、少し可笑しくなった。


(私は何を考えているのか。最近色呆けが過ぎる。それに、アルスは誰も死なせたくないと言った。死人が出たら私たちの負けだ)


 私は気持ちを切り替えた。


 この場にルナリアはいない。あいつは、私にここを任せたんだ。

 面倒くさいことばかり言う、可愛いアルスの願いを叶えるのは私だ。


 子爵は私兵団を指揮し、避難誘導の隊と、街から出て魔物を撃退する隊を編成していた。

 こちらへ指示をする様子はない。

 私たち冒険者は、自己判断で動けということだろう。


「……よし、少年、それから近衛騎士。子爵の兵は編成が終わるまで動けないだろう。……先に出るぞ」


 私は黒髪の少年と近衛騎士に視線を向け、長い髪に手を差し込んで後ろに流した。

 それから、森の方角へ向き直って地を蹴り、二人がついてこられる程度の速度で駆けはじめた。


 私の言葉に応じた二人が走り出した。


「はい! フェリスさんと一緒に戦うなんてわくわくしますね!」

「承知した。殿下、浮足立っていると怪我しますよ」


 髪を靡かせながら、屋敷の柵を飛び越え、小高い丘を走り抜ける。

 眼前に広がる大草原の向こうから、多数の魔物が押し寄せてきているのが見えた。


 少年は、ここ最近ルナリアにしごかれて、かなり強くなっている。

 近衛騎士もなかなかやるようだが、一般的な騎士としては強い程度だ。

 恐らく、今となってはもう少年の方が強いだろう。


「……少年、上級魔物が出てくるまでは、お前が軸になって戦え。好きに暴れろ。近衛騎士、お前は少年の露払いだ」


 私の言葉を受け、二人が答えた。


「わかりました。任せてください。ぜんぶ僕が倒してみせましょう!」


「フェリス殿、感謝する。……本当は、アルス殿の方に同行したかっただろう」


 街の西門を抜け、風を切って草原に向かう。

 レオの村では、ルナリアが大半を斬り払い、私は残りを狩っていただけだった。

 だが、今回は私が以前ルナリアがやっていたことをやらねばならないし、やれると思っていた。


 私はちらりと視線を後ろへ向け、近衛騎士を見て薄く笑みを浮かべた。


「……いや、そうでもない。アルスは私に少年の子守を任せた。彼は私の強さを信頼したということだ。……どうだ、羨ましいだろう少年」


「む! おもりなんていりませんよ! フェリスさんは自由に戦ってください!」


 私は腰の鞘から短剣を抜き放ち、右手にシルフの短剣を、左手にグラディオの短剣を握った。

 地面を円形に陥没させながら跳び上がり、身を捻るようにして緑の短剣を振るった。

 眼前に迫った巨大な赤熊を両断し、続けて振るった紫の短剣が、隣にいたもう一体の魔物を切り飛ばした。


「……なら、私が納得できるくらいの強さを見せろ。少年」


 月明かりの下、広大な草原に押し寄せる魔物との戦いが始まった。

 アルスたちが向かった森林から、青白い炎と真っ赤な炎がぶつかり合うように混じり、二色の火柱が上がった。


 あちらも始まったか。


 少年の振るう黄金の剣が、流れるような剣閃を奔らせ魔物を屠っていく。

 もはや下級魔物では相手にならないようだった。


 だが、少年がどれだけ強くとも、まだ幼く経験が足りない。

 魔物は馬鹿だが、強い悪意で動いている。

 ときおり、死角から少年を狙うように魔物が迫るが、近衛騎士が彼を守るように動き、危なげなく処理していく。


 やがて、子爵の私兵団が合流し始めた。

 聖騎士団に比べれば練度は数段落ちるが、それでも自分たちの街を背にしている彼らの士気は高い。

 軍として規律ある戦闘を行う彼らは、次々に魔物を屠っていき、少しずつ前線を押し上げていく。


 徐々に、下級魔物よりも中級魔物の占める割合が増えていく。

 オーガやトロルなどが混じりだした魔物の群れを前に、前線の押し上げが止まった。

 それでも、子爵の魔法を中心に、互角以上の戦いを繰り広げているようだが、魔物の数が多すぎるようだ。


 私はときおり、危うい様子を見せはじめた少年の戦いを手助けしながら、森の方を注視した。

 森林では、変わらず赤と青の光が空を照らし、轟音が響いていた。


 私の長い耳が、魔物たちの奥から迫る異変を捉えた。


 そろそろ、来る。


 群れの後方で、オーガの断末魔が聞こえた。


 その魔物はただ、目の前にいたオーガが邪魔だったのだろう。

 巨大な前脚を振り下ろし、そこから生えた鋭い爪は、巨体を誇るオーガの肉体を一振りで肉塊に変えた。


 巨人の群れの後ろにいるというのに、ひと目でそれと分かった。


 規格外の巨体の狼。


 こちらに向けられた爛々と光る青白い瞳には、強烈な悪意が宿っている。

 薄青の体毛に覆われた身体から伸びる長い尾がゆらゆらと揺れていた。

 長い口吻から覗く、鋭い犬歯。


――フェンリル。


 地上を駆ける魔物の中でも、突出した強靭な肉体を持つ上級魔物。


 私は、腰を落とし短剣を握り直した。

 そのフェンリルの後ろから、のそりともう一体の狼が姿を現した。

 二体の狼が歩む地面が、ぱきぱきと音を立てて凍りついていた。


「……二体か。少年、手を出すなよ」


 私の言葉に反応した黒髪の少年が返した。


「フェリスさん! フェンリルですよ! 一人では危険です。僕も……うわっ」

「殿下、手助けしたいのであれば、集中してください!」


 心配する表情を浮かべる少年に、私は薄い笑みで答えると、地を蹴り中空へ舞い上がった。

 短剣を掲げ、魔法の詠唱を紡ぐ。


「……私はフェリス! 私はアルスの翼! 私は彼のすべてを赦し肯定する為に在る! 彼の望みを叶えるため、我が身を風の妖精と化せ!」


 巻き起こる風が私の外套を翻し、浅緑のワンピースの裾を持ち上げる。

 アルスがいないからそれほど風は強くなくていいな。


 いきなり魔法で移動するような愚は犯さない。

 地を蹴り、身を捻るようにして私は跳躍した。


 双手の短剣を順手に返し、眼前で十字に引き絞った。

 フェンリルたちの周囲に粒子のような氷の結晶が集まりだし、巨大な氷の槍がいくつも顕現した。


 直後、その全てが私に迫った。

 私は鮮やかな疾風を纏い、氷の槍が突き刺さる寸前でその場から掻き消える。


 つむじ風とともにフェンリルの首筋へ現れた私は、交差していた腕を鋭く振るった。

 十字の剣閃が走り、狼の喉を切り裂く。

 激しい動きに、下着をつけていない私の胸が大きく揺れ、薄手の布に擦れる感触を自覚した。


 アルスがいないと、胸を揺らす意味もない。


 そんなくだらないことを考えながら、身体を横へ回転させ、フェンリルの首の傷を蹴り抜く。

 絶叫を上げながら怯んだフェンリルに、私は双手の短剣を逆手に返し、その首目掛けて、二本同時に突き刺した。


 突如、氷の槍が二本、私を挟むように中空に現れた。


 やはり、賢者の迷宮の魔物に比べて、外の魔物はちゃんとしているな。

私は短剣を引き抜き、魔物を蹴って空高く跳び上がった。

 空を切るようにして魔法の槍が突進し、何もない地面を穿つ。


 私は青い外套を翻しながら、空を舞っていた。

 冬の夜気が、太ももまで外気に触れた私の脚をひんやりと冷やす。


 私は魂の根源、どろどろとした情欲のさらに奥にある、その想いに手を伸ばした。

 アルスを、一人では生きていけないくらい甘やかし、私に強く依存させたい。


 そんな悍ましくも愛おしい異常な欲求を自覚する。

 私のコアドライブが、星空のさらに彼方へ触れ、世界を捻じ曲げる。


 瞳に宿った星が、キラメキを発した気がした。


 両腕を交差するように、強く胸元で引き絞った。

 中空、はるか下にいるフェンリルへ向けて短剣を振るう。

 二本の剣閃が宙に鋭く奔り、それは私の意思に反応するように大きく伸びた。


 まるで魔法のように伸びた緑と紫の斬撃が、フェンリルを挟むように迫り、魔物を胴から両断した。


 残る一体のフェンリルが、中空に浮かぶ私を睨みつけ、理解できない言語を発し始めた。


「I, a nameless one who runs the frozen night, manifest the inescapable hunting ground that binds all who tread my domain in chains of ice.」


 フェンリルが大魔法を行使しようとしている。

 私はそれを視線で捉えながら、口元に笑みを浮かべた。


 魔物は、有り余る悪意の割に本当に馬鹿だ。

 なぜ、最初にそれを使わないのか。


 私が魔法で瞬間移動するのも見ただろう。

 人間を舐めすぎていて、強靭な肉体に精神が全く追いついていない。


 大魔法が発動する寸前、フェンリルの背後へ、私は疾風とともに移動した。

 短剣を逆手に返し、鋭く振り抜く。

 緑の剣閃が一直線に走り、狼の喉を裂いて、大魔法の詠唱を止める。

 そのままフェンリルの頭蓋目掛けて、深緑のニーハイに包まれた脚で蹴り抜いた。


 くるりと身体を回転させ、霜の降りた地面へ着地する。

 見上げるほどの巨躯を誇るフェンリルが、脳を揺らされ、崩れ落ちようとするのを必死に堪えていた。


 私はフェンリルから視線を外し、少年を見た。


 すでに黒髪の少年は、周囲の魔物をあらかた討伐し終えていた。

 詠唱を紡ぎ終えた少年が、黄金の光を纏って威風堂々とした姿で立っていた。


 風になびく水色の髪を、私は白い指で押さえた。


 右手の薬指にはまった指輪のサファイアが、きらりと月明かりを返す。

 私は少年へ視線を向け、薄く微笑みかけた。


「……少年。いいぞ」


「むう。これでは寄生のようです。戦士っぽくありません。次は僕一人で戦いますからね!」


 アルスと同じようでいて、彼とはやはり違うことを口にしながら、少年は黄金の剣を握り最後の言葉を発した。


「――全てを断絶する光として顕現せよ! エクスカリバー!」


 魔法が作り出した、黄金に輝く長大な光の剣を、少年は振り下ろした。

 王の剣が、フェンリルを飲み込み、周囲の大地を抉る。

 魔物の断末魔を打ち消すほどの轟音とともに、巻き起こった光の奔流が周囲を明るく照らし出した。


 少年の魔法に穿たれた魔物は死骸を残すことすらなく、消滅した。


 それを確認した私は、外套を翻し、地面に左手をついて周囲を探索する。


 上級魔物はもういないな。


 今この草原にいる魔物で氾濫は終わりだろう。

 だが、まだ油断してはいけない。まずは、確実にアルスの勝利条件を満たさなければ。


「……少年、よくやった。残りを片づけるぞ」

「はい!」


 私たちは、いまだ残る多数の中級魔物を、子爵たちと協力しながら討伐していく。

 戦いの最中、突如として異常な地鳴りが森林から響いた。


 まあ、どうせルナリアだろう。


 アルスを背にしたルナリアが、蜥蜴などに負けることはないと私は信じていた。

 それはそれとして早く合流したいと思い、私は残る魔物を狩る速度を上げた。


* * *



# COORDINATE 0082 END

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