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[COORDINATE 0054] Shape of Faith

# Pope_Ludwig:


* * *


――パイオニア教国聖都、中央教会の礼拝堂。


そこで一人の老人が女神リゼットへ祈りを捧げていた。


年の頃は七十前後。

清廉な空気を纏い、短く切りそろえた白髪のその相貌には、鋭い覇気が宿る。


彼の名は、ルードリヒ・アイゼンフェルト。

今代の教皇にして、パイオニア教国の指導者だ。


* * *


女神様を祀る祭壇の前で、私は片膝をつき、静かに祈りを捧げていた。


祭壇の奥には、世界樹を背に祈りを捧げる少女を描いた色硝子が嵌め込まれている。

神秘の少女の目は静かに閉じていて、美しい銀の髪が足元まで伸びていた。


私は御身が神ではないと知った。しかし、今でも教義に疑いはない。

民が等しく幸せに生きられる国を守り、繁栄させていく。


それこそが私の使命であると、自分自身に誓っていた。


「時間か」

後ろの戸に人の気配を感じ、私は声をかけた。


「はい。教皇猊下。聖議の時間でございます。皆様お揃いです」

「すぐに向かう」


私は立ち上がり、祭壇を降りた。

控えていた司祭から杖状の神器を受け取り、礼拝堂を後にした。


聖議の間には、十三騎聖のうち七人が集まっていた。

それぞれの随伴の司祭が後ろに立っている。


私の入室に合わせて、全員が起立した。

彼らが印を切って私を出迎える。私もそれに印を返した。


私は円卓の最奥に据えられた椅子へ腰を下ろし、静かに全員を見渡した。

列席した騎聖たちが姿勢を正す。誰もが己の役目を理解した、よく鍛えられた顔つきだった。


皆を見渡した後、私は聖議の開始を宣言した。

「十二の月の聖議を執り行う。枢機卿、進行を開始せよ」


枢機卿が私に礼を返し、進行を開始した。


「承知いたしました。猊下。皆さん、各街の定期報告、ならびに森林伐採の現状報告からどうぞ。陳情は最後にお伺いします」

「では、わたくしからご報告いたします」


厳かな空気の中で聖議が始まった。

それぞれが治める都市の計画経済の進捗、木材の輸出入などが粛々と報告された。

欠席している十三騎聖からは事前に報告書を受け取っていた。


ひとつ気になった項目があった。私はその記述について問うた。

「第七聖騎士団は、月聖水の追加要望か」

「はっ。先日魔族との戦闘が発生しました。防衛の際に、備蓄を使用しました。恐縮ですが、急ぎお願いいたします」


私は教国で唯一の、賢者の迷宮踏破者だ。

踏破の際、ひとつの魔法を授かっていた。

『月聖水』という、人知を超えた超高純度の聖水を生成する魔法だ。

迷宮踏破は私の信仰に大きな傷痕を残したが、この魔法を授かったことだけは幸運だった。


月聖水は上級魔物はもちろん、魔族にすら大きな効果を発揮する。

現在、我が国が大森林付近の領土を維持できている一因だった。


「ああ。街をよくぞ魔族から防衛しきった。貴殿が帰還するまでには用意しておく」

「ありがとうございます。」


その後、いくつかの発言を経て、定期報告が完了した。


十三騎聖の中でも、信仰の厚い何人かの騎聖の目元が細められ、これからが本題だと訴えている。


年若いが優秀な十三騎聖のひとりが声を上げた。

「猊下。私からご提案がございます」


私は、内心でひとつため息をついた。

聞かなくても分かった。女神解放軍の遠征だろう。


「――であります。今こそ、神聖なる世界樹を穢す魔王を討伐し、女神リゼット様を解放するべき時です。我々信徒の――」


もし、私が賢者の迷宮を踏破していなければ彼に同意していただろう。

私が教皇になって以降、遠征は殆ど行われていない。

前回の女神解放軍遠征から、すでに十年が経っている。


表向きは、月聖水を使用した領土安定、計画経済の徹底による市民の生活の安定が理由だ。


――本心は、違う。


私の踏破した、賢者の迷宮はひとつ。

攻略は十数人の魔法使いで行ったが、最後まで生き残ったのは私だけだ。

私だけが賢者の叡智を授かってしまった。


私の信仰は歪んだ。女神リゼット様は神性ではない。

女神解放軍遠征などという愚行に意味があるとは思えない。


遠征で得られるものは、信徒の熱狂だけだ。

そのために、無意味に騎士の命を散らすなど、為政者として望むべきではない。


だが、国民感情を抑え続けるのも限界があるだろう。

皆にとって、女神リゼット様は神であり、魔王が世界樹を穢していることもまた真実なのだ。


そもそも、魔の王などと誰が言い始めたのか。


「――猊下。ルードリヒ猊下?」

信仰と遠征について熱く語っていた、若手の十三騎聖が怪訝そうに声をかけてきた。


私は思案にふけるのをやめ、その若者を見やった。


「貴殿の進言は理解した。私とて、魔王に女神様の御座を穢されている現状には、忸怩たる思いがある。だが、前回の遠征では聖騎士団のうち第一、第三、第七騎士団を失った。そして、それほどの犠牲を払いながら、何一つ成果は得られていない」


「た、確かにそうですが……」


表情を崩さぬまま、私は低い声で返した。


「何か、前回と明らかに違う戦術でもなければ許可は出せぬ。……とは言え、国民感情を抑えるのも限界か」


私たちの話を黙って聞いていた古株の十三騎聖が手を上げた。

歴戦の猛者であり、私と同期の聖騎士でもあるヴァルターが口を開く。


「教皇猊下。共和国より勇者候補の推薦があったことはご存知でしょうか」

「ああ。目は通している。書面の内容が真実であれば素晴らしい戦果だ。……信徒ではないようだが」


ヴァルターは目元を細めて言葉を続けた。

「猊下。この候補者を正式に勇者として認定しましょう。共和国のセルナ統領に私は会ったことがありますが、彼女は英雄と言って差し支えない女傑です。その彼女が選定したのであれば、この戦果は本物だと思われます。この若者を旗印に女神解放軍を組織してはどうでしょうか」


先ほど、熱心に解放軍について語っていた若手の十三騎聖がたまらず反論した。


「ヴァルター殿! 女神解放はあくまで我々、信徒によって為されるべきです! そんな愚かな無神論者を旗印とするなど」

「認定前に洗礼させればいい。なに、この候補者は王国の冒険者だと聞く。金か名誉か、それとも女か。何かしらで釣ればいいだろう。

それともレオンよ、お前は魔族に勝てるのか?」


年寄りが若者を虐めるのは見苦しいぞ。

ヴァルターへ心の中で告げながら、私は書面を捲る。

これか。セレスティア王国Aランク冒険者アルス、その他、パーティーメンバー二名。


上級魔物討伐多数、魔族撃破、ノワール砦奪還における最大貢献。

追加で、先日ドラゴンをパーティーメンバーのみで討伐。


……む?


ドラゴンの戦果報告は機密文書だった。候補者推薦とは別に速達されたものだ。

その中に、私には見逃せない文章が書いてあった。


『ヴァレリオン共和国に属する、賢者の迷宮踏破』


「おい、ヴァルター。あ、いや、ヴァルター殿。このアルスという冒険者は賢者の迷宮を踏破しているのか」

「はい。それも三名での踏破です。恐らく相当な実力者でしょう。旗印として申し分ありません。彼らの力を利用し、さらに猊下の月聖水を――」


私はヴァルターの話を最後の方は聞いていなかった。

三名で挑み、そして一人も欠けずに踏破したのか。


私は、これまで誰にも賢者の叡智の話は出来なかった。

当然だ。ここは女神様の国なのだから。


……話をしてみたい。


私は、戦術を語るヴァルターの話を遮った。


「戦略は後だ。勇者と認定するにも、まずは人となりを見ねばならぬ。この者はいまどこに?」

「共和国からの親書では、教国へ移動中とのことでした。移動時間を考えますとすでに入国しているものと思われます」


私はまっすぐヴァルターを見据え、静かに命じた。

「そうか。では、急ぎ聖都へ召喚せよ」



# Hanna’s_Orphanage:


ハンナさんのご厚意で、俺たちは一晩泊めてもらえることになった。

俺が見ていた建物は、彼女が切り盛りしている孤児院だった。


そこで一晩過ごした翌朝。


――俺は人生最大の窮地に陥っていた。


「だめ。あるす。みあのなの」

「だぁ! きゃー!」


二人の美少女が、俺を取り合って争っている。

俺の袖を握りしめ、涙ながらに愛を囁く二人は一歩も引かない。


いや、涙ではない。

これはよだれだ。


俺の神官服の袖は、つかまり立ちしている赤ん坊のよだれでべとべとになっていた。

ミアは赤ん坊の手を俺の袖から引き剥がそうとしているが、赤ん坊は頑として離さない。


「おい、お前ら。喧嘩するな」

「すみません、アルスさん。その服は洗っておきますので、こちらを使ってください」


ハンナさんが申し訳なさそうに、防寒着を差し出してくれた。

俺は赤ん坊をひょいと抱き上げた。

何が楽しいのか、赤ん坊は俺の茶色の髪を引っ張って遊び始めた。


「きゃう! きゃっきゃ!」


俺は赤ん坊を、ハンナさんへ預ける。

「ほら、お前は一旦そっちだ」

「だぁ」


赤ん坊はハンナさんに甘えだした。


俺は赤ん坊の頭を撫でてやり、ハンナさんが用意してくれた防寒着を羽織った。

神官服に比べると分厚く、少し動きが阻害される。

だが、その分とても温かくて肌寒さをまったく感じない。


「これ、凄く暖かいですね。一応、俺の神官服も防寒仕様なんだけどな」

「裏地が一枚だと、この辺りは厳しいと思いますよ」


俺はそれを聞いて納得した。

ヴァレリオンの防寒具と、こちらの防寒具では作りが違うんだな。

この街を出る前に、衣類も揃え直さないといけない。


ただ、この国に冒険者用の服飾店はあるだろうか。

市民が入れる武器屋すらなかったように思えた。


そんなことを考えていると、俺の防寒着の裾を掴んでいたミアが尋ねてきた。

窓から吹き込む優しい風を受けて、彼女の黒茶色の髪がふわふわと揺れていた。


「あるす。さむがり? よわむし?」

「誰が弱虫だ。この国が寒すぎるんだよ」


「だいじょぶ。みあがあたためたげるね」

そう言って、ミアが俺の脚へぎゅっとしがみついてくる。


なぜ、みんな俺への愛情表現で抱きついてくるんだろう。

抱きつきやすいのだろうか。


ミアの頭を優しく撫でてやりながら、窓の外へ目をやった。


孤児院の庭で、ルナリアが年少の子どもたちに剣術を教えていた。

もちろん、銀の剣は抜いていないし、黒檀の木剣でもない。

その辺で拾ったような木の枝を握っていた。


「いい? 剣術は足腰が大事なんだよ。まずは走り込みをして足腰を鍛えるの。

それから毎日決まった時間、素振りをすること」

「お姉ちゃんは、凄く強い剣士様なんでしょう? 僕、剣を振っているところが見たい!」


ルナリアの金糸の髪が朝の太陽を反射して輝いていた。

子ども特有の、会話の流れを無視した返答に、彼女は少し思案した。


彼女は子どもたちへにっこりと笑いかけると、移動した。

そこには、いつの間にか立派な丸太が地面に突き刺さっていた。

おいおい。まさか。


「えへへ。じゃあ、一回だけね」


そう言うと、ルナリアは軸足で大地をぐっと踏み込む。

小枝を握った右腕を、左へ引き絞った。


彼女の赤い瞳が、丸太を力強く見据えた。

溜め込まれた力を一気に解放し、小枝を一直線に振り抜いた。


細い小枝が風を切り裂き、轟音を上げた。

凄まじい斬撃音が周囲に響き、丸太が真っ二つに断ち切られた。


「す、すげえ!! 先生すげえぜ! うおおおお!! すげえええ!!」


子どもたちは興奮のあまり、「すげえ」しか言わなくなっていた。

いや、ルナリアすげえ。なんで小枝で丸太が斬れるんだ。


「じゃあ、ちょっとやってみようか。見ててあげるね」


ルナリアは新しい丸太を持ってきて、華奢な腕でそれを振り上げた。

ずがんという音とともに、丸太を地面に突き刺した。


子どもたちが思い思いに、小枝や木の棒を丸太に叩きつけ始めた。

年少の子たちだから、ぺちっという可愛い音が聞こえてくる。


窓から暖かな陽光を受けながら、俺は穏やかな気持ちでそれを見ていた。

やがて、一人の内気そうな男の子が、皆が飽きたのを見計らって、最後に丸太の前に立った。


その子は、ルナリアの動きをちゃんと見ていたのだろう。


男の子は、しっかりと地面を踏み込んだ。

丸太へ視線を定め、右腕をぐっと身体へ引き寄せた。

そして、一直線に小枝を鋭く振り抜いた。


風を斬る音が聞こえ、真っ直ぐに丸太を穿つ。

がんっという音とともに、小枝が丸太に深く食い込んだ。


えぇ……。


「わあ! すごいね。きっと凄い剣士になれるよ!」

ルナリアが花のような笑顔を浮かべ、ぱちぱちと手を叩いていた。

男の子は、美しい少女であるルナリアに褒められて顔を真っ赤にしていた。


……天才っているんだな。

多分、俺はあの子に剣術で負ける。


「あう!」

「あーす!」


なぜか、俺の周りに赤ん坊が集まってきている。

俺は赤ん坊が遊びやすいように、床に座り込んだ。


俺をよじ登る赤ん坊たちが落ちないように気をつけながら、改めて室内に視線を向けた。


部屋の奥ではフェリスと年長の子たちが遊戯版で遊んでいた。

周囲では、観戦している子どもたちがフェリスに挑む仲間を応援していた。

ただ、中にはフェリスを応援している女の子もいるようだ。


「……チェックだ」

「くそ! もう一回! もう一回やろう!」


フェリスが駒を整理しながら言った。

下を向いているせいで、彼女の長いまつげが瑠璃色の瞳を少し隠していた。


「……順番は、守らないといけない」

「わ、わかってるよ。おい、次は誰だ?」


負けた子は席を譲り、応援に回るようだ。

フェリスの向かいの席に、小さな女の子が座った。


「お姉ちゃん。よろしくお願いします」

「……ん。よろしく」


フェリスの薄い唇は少し笑みを浮かべていた。

楽しいらしい。


ちなみに、俺はたびたび様子を見ていたが、彼女はまったく手加減をしていなかった。相手の年齢も考慮せず、全力でぼこぼこにしていた。


小さな子は負けてもにこにこしているが、それなりに年長の男の子の中には半泣きの子もいた。

可哀想である。


「あう!」

「るー!」

「あるー!」

「あうす!」


「やー! みあの!」


俺を登る赤ん坊が増えている。

いや、さっきハンナさんに預けた赤ん坊以外、全員が俺によじ登っていた。

ミアは、座った俺の肩に乗って所有権を主張していた。


ハンナさんに抱っこされている赤ん坊は、すやすやと眠り始めていた。


「アルスさん、すいません」

「大丈夫ですよ。でも、これが毎日だと先生は大変ですね」


俺はフェリスの対局を遠目に観戦しつつ、答えた。

あれ? あの女の子粘るな。


「いつもは年長者が年少者の面倒を見てくれるので、それほどでもないですよ。今日はみんな、はしゃいでしまっていますが。本当にありがとうございます」

「久しぶりに子どもと遊んでるんで、俺たちも楽しいですよ。まあ、俺は登られているだけですけど」


ハンナさんと雑談していると、やがてひとりの赤ちゃんが俺の膝の上で眠り始めた。

「はは。そろそろ、お昼寝の時間ですかね」

「そうですね。少しその子を見ていてもらえますか?」


俺はミアが落ちないように支えつつ、ハンナさんに頷いた。


ハンナさんが赤ちゃんたちを、部屋の隅にあるベッドへ順番に運んでいく。

俺は、膝の上で眠ってしまった赤ちゃんを抱きかかえ、ベッドまで運んだ。


ハンナさんは、寝具を整えながら赤ちゃんたちの様子を確認し始めた。

俺は、肩に乗ったままのミアへ声をかけた。


「ミア、お前は昼寝しなくていいのか?」

「いらない。みあねない」

「それは凄いな」


ミアは自慢げに俺の肩の上で身体を揺らして遊んでいた。

やがて、年少の子たちも昼寝に入ったらしく、手が空いたルナリアが庭から戻ってきた。


ルナリアは真っ直ぐに俺のもとへ歩いてきた。


「ルナリア、お疲れ様。凄い男の子がいたな」

「見てたの? うん。あの子、凄いよ。わたしの子供の頃みたいだった」


それが本当なら、あの子は将来凄い剣士になるな。

ルナリアがミアの頭を撫でながら俺に聞いてきた。


「アルス、この後はどうするの? しばらくこの街に滞在する?」

「そうだな。ちょっと悩んでいる」


最初の予定では、街で許可を取って手当たり次第に迷宮を踏破する予定だった。

しかし、昨日この街の教会で許可を取ろうとしたところ、断られた。

どうやら、王国や共和国と違って、迷宮の管理は聖都で一括して行われているらしい。

どの迷宮であっても、聖都に行かないと許可を取れないのだ。


「こんな街ごとの連携がない状態で問題は出ないんだろうか」

「突然、魔物が溢れ出したら、どうするんだろうね」


赤ちゃんたちのベッドの方から、ハンナさんが答えてくれた。

「各街の教会から、主要な街にある聖騎士教会へ連絡がいくようになっているんですよ。有事の際は、聖騎士様が派遣されてきます」


それでは、間に合わないこともありそうだが、大丈夫なのだろうか。

同じ人間なのに、国によって仕組みというのは結構違うもんだな。


「じゃあ、ひとまず聖都を目指すしかないか。今日のうちに、準備を済ませておこう」

「そうだね。ハンナさん、ありがとうございました」


俺の肩の上で、衝撃を受けたミアが声を上げた。


「え! あるす。いっちゃうの?」

「ミア、声が大きいぞ。そうだ、俺は風来の冒険者だからひとところにはいられないのだ」


「みあもいく!」

ミアが俺の肩の上でだだをこね始めた。

ごねるのはいいが、声が大きい。赤ちゃんが起きてしまう。


ハンナさんがこちらへ寄ってきて、ミアの頭を優しく撫でながらたしなめた。

「ミア、弟たちが起きちゃいますよ。お姉ちゃんなんでしょう?」

「むー。でもおまつりだよ!」


なんのこっちゃ。

ミアの飛躍した返答の意味を考える。


だだをこね続けるミアの様子を見ながらハンナさんが苦笑した。

少し思案してから、口元に笑みを浮かべて俺に言った。


「仕方のない子ですね。アルスさん、もしよければ女神祭まで滞在していきませんか? いただいた喜捨も高額すぎますし、お礼をしたいと思っていたんですよ。きっと子どもたちも喜びます」


俺はミアの伝えたかったことが分かった。

女神祭が近いから、それまでいて欲しいと言いたかったのか。


『女神祭』は、リゼット様の生誕祭だ。


王国でも盛大に行われている祭りだ。

元々は、女神リゼット様の生誕を祝う女神教の祭事だった。

だが、世界中の商魂たくましい商人たちの手によって一大行事へと変貌していた。

あらゆる街が華やかに飾りつけられ、様々な商店が参加する、一年で最も盛り上がる祭りだ。


子どもにプレゼントを配るサンタクロースなる謎の存在まで生み出されていた。


女神教徒でなくても、ほとんどの家ではお祝いし、子どもはプレゼントを心待ちにし、ご馳走を食べる。

すでに宗教行事の体をあまりなしていない。


そうか、もうそんな時期か。


俺は頭の上からじっと俺を覗き込むミアへ、にっと笑みを返し、ハンナさんに返答した。

「そうですね。わかりました。ご迷惑でなければ、ご厄介になります」


滞在している間は、ルナリアの飛行魔法で周辺に未発見の迷宮がないかどうか、調べておくか。

未発見なら、勝手に入ってもいいだろ。


「よし、ミア。俺がお前のサンタクロースになってやろう」

「あるす。さんたは、そらからくる。あるすじゃない」


ルナリアが俺の腹を小突いた。

(もうっ。駄目でしょ)


そうだった。サンタクロースは実在しなければならない。

「ああ、確かに。俺が勘違いしてたよ。ミアは賢いな」

「……すぅ」


ミアは俺が滞在することを聞いて安心したのか、すでに眠り始めていた。

俺はルナリアの方に背を向けて、彼女にミアを肩から降ろしてもらった。


ルナリアがミアをベッドへ運んでいく。

ハンナさんが俺のそばまで歩いてきて、お礼を言ってくれた。


「ありがとうございます。こんなに良くしてもらったのに、お返しもできず申し訳ありません。そうだ、アルスさんは何か好きな食べ物はありますか?」

「魚。……あ、いやいや、十分お返ししてもらってますよ」


ハンナさんが、口元に手をやってくすりと笑った。


「わかりました。行商の方にお願いして、取り寄せておきますね」

「え、でも悪いですよ」


俺は、さすがにそこまでしてもらうのは悪いと思い、そう答えた。


「アルスさんたちから頂いた喜捨は、この孤児院の食費ひと月分にはなります。何も問題ありませんよ」

「そんなにお渡ししたつもりはないんですが」


俺は、本当にそんなに渡したつもりはなかった。

でもまあ、魚料理が食べられるならいいか。


どうせなら鮭がいいな。

そんなことを考えながら、フェリスの方を見た。


彼女は、さっきの女の子とまだ遊戯版を続けていた。

あれ? なんだかフェリスの顔に焦りが浮かんでいる。


やがて、フェリスが苦渋の表情で言った。


「……くっ。……参りました」

「え! やった! 勝ったよみんな!」


フェリスが負けていた。


フェリスがまったく手加減していないと感じていた子どもたちは、喜びもひとしおらしく、場は大いに盛り上がっていた。

手心を加えていたら、ああはならなかっただろうし、結果的にはよかったのだろうか。


しかし、フェリスは別に盛り上げようとしていたわけではないらしい。

悔しそうな表情を浮かべながら、再戦を申し込んでいた。

「……も、もう一回やろう」

「えへへ。お姉ちゃん、順番は守らないと駄目だよ!」


「……ん。そ、その通りだ」

フェリスがしぶしぶ席を譲った。


子どもたちに呼ばれ、ルナリアが遊戯版の方へ歩いていった。

次は、ルナリアが挑戦者のようだ。

フェリスに勝てる相手に、ルナリアが勝てるとは思えないが、まあ遊びだからな。


そうして、女神祭まで十日余りの間、俺たちは孤児院に滞在することにした。

これだけお世話になるのに、さすがに何もしないわけにはいかない。

孤児院の仕事を子どもたちに教わりながら、俺たちも手伝った。


風邪を引いていた子も、すぐに元気になっていた。

回復魔法は病気を治せない。

だが、病気で痛んだ内臓は治癒できるから、こっそり魔法をかけておいた。


そんなふうに、平和に数日過ごしていたある日。

突然、孤児院に聖騎士が訪れた。


荘厳な空気を纏った綺羅びやかな白銀の鎧には、世界樹と女神をあしらった金の文様が刻まれていた。

黒い外套を翻しながら戸をくぐった威圧的な騎士が、声を上げた。


男の子たちは憧れの聖騎士に色めき立ち、女の子たちはその威圧感に少し怯えていた。


「セレスティア王国より来訪したアルス殿が、この孤児院に滞在していると聞いた。

アルス殿はどこにおられる」

「ん? 俺に用事ですか? はい。俺がアルスです」


子どもたちが汚したテーブルを拭いていた俺は答えた。

俺は掃除をする機会があまりない。ルナリアたちがさせてくれないからだ。

それもあって、結構楽しくやっていた。


不躾に俺を値踏みするような視線を向け、聖騎士が口を開いた。

「勇者候補アルス殿、貴殿に聖都への召喚が下っている。汝を勇者として認定するにあたり、教皇猊下が自ら御目通りなさる。馬車は用意してある。聖都まで同行されよ」

「今から?」


聖騎士が続けた。

「左様。年内に貴殿の勇者認定を済ませる予定である。そのため、急ぐ必要がある。すぐに準備されよ」

「え? 嫌だけど」


俺は予定を勝手に決められることが、この世で三番目くらいに嫌いだ。


そもそも、セルナ統領の話では、認定はされないだろうという話だった。

なにか事情でも変わったのだろうか。


色々と不可解だ。それに、俺にとって勇者の認定は重要な話ではない。

約束を破ってまで、急いで聖都にいくほどの理由にはならない。


だが、聖騎士の彼にとっては名誉なことに違いないだろう。

その名誉をあっさり拒まれ、聖騎士はしばし唖然としていたが、やがて口を開いた。


「い、嫌だと? 貴殿に拒否権はない。いいから早く用意しろ」

「俺の後ろ盾は、王子と統領だけど、拒否権はないの?」


俺の返答に、聖騎士は何か言いかけて口をつぐんだ。


ああ、いけない。

予定を勝手に決められて、少し苛ついた言い方になってしまった。

ハンナさんに迷惑をかけないようにしないと。


「おっと、申し訳ありません。突然のことで驚き、無礼な発言になってしまいました。そういうことであれば、もちろん聖都へお伺いします」


俺は考えをまとめ、言葉を選んで続けた。


「ただ、この孤児院には、初めての教国で右も左も分からない俺たちに、とてもよくしていただいたんです。せめて、女神祭までは滞在して、子どもたちを楽しませてあげるべきだと思っています。女神様も、そう仰ってるでしょう? 女神祭が終わったらすぐに向かいます」


俺は女神教の教義なんて何も知らない。

だが、まあ似たようなことは言っているだろうと思い、付け足した。


俺が納得できる落とし所を示すと、聖騎士の態度は少し軟化した。


「む。そうであったか。承知した。さすが勇者候補殿である。では、旅費と、道中で必要となる猊下の書状を渡しておく。女神祭が終わり次第、真っ直ぐ聖都まで来てもらいたい」

「ありがとうございます。わざわざお越しいただいて助かります」


聖騎士は最後は意気揚々と去っていった。


戸が閉まった後、わずかな静寂を挟んで、子どもたちの凄まじい歓声が弾けた。

「ええええ! アルス勇者なの!? すげえ! すげえええええ!!!」


子どもたちは、また「すげえ」しか言えなくなっていた。


ハンナさんは、口元に手を当てて少しだけ驚いていた。

なかなか肝の据わった女性だなと思った。



# COORDINATE 0054 END

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