[COORDINATE 0112] Beyond Infinity
# Spacewalk:
果てしなく広がる無限の夜空を、ちっぽけな俺がくるりくるりと舞う。
視界の端に、輝き続ける星に混じって、赤い閃光と緑の閃光が煌めくのが映った。
その鮮やかな光を見て、俺は彼女たちがあのえっちな服の力で、空気がなくても呼吸ができると言っていたことを思い出した。
ルナリアとフェリスが無事であることが分かり、俺に幾分か冷静さが戻ってきた。
(落ち着いて考えろ、俺……。何かに息を止められているわけじゃない。ただ、空気がないだけだ。海と同じだ)
俺は、素潜りなら二分くらいは耐えられる。
なんとか、その間に解決方法を考えるんだ。
(……うーん。二分か。……厳しいかもしれない)
ひとまず俺は、防御結界を頭上と足元に同時に出現させ、身体の回転を止めた。
血液が頭と足へ凄い勢いで寄っている気がしたのだ。
回転を止めた俺は、夜空をふわふわ漂いながら、腕を組んで思案し始めた。
眼前に聳える巨大な青い星ミーネスを眺めながら、俺は自分がやけに落ち着いていることを疑問に思った。
間違いなく、今の俺は人生で一番高い位置を飛んでいる。
だというのに、高所にいるときに抱く恐怖心をまったく感じない。
ルナリアやフェリスの甘い匂いと、柔らかな感触がなければ、普段の俺は高所の恐怖に耐えられないはずだ。
(まあ、高いとかいう程度の話じゃないからだな。なんせ、月と同じ高さに浮かんでるんだ)
夜空を流されていく俺は、一人納得して頷いた。
そもそもこんな状態じゃ、上下もないようなものだ。
初めて知ったけど、夜空には空気がないんだな。だから星空のリゼット様は彼女たちに羽衣を与えたのか。
高いところに行くと、空気がなくなるのだろうか。
そういえば、教国と王国の間の山脈を越えたときなんかは、空気が薄くて四苦八苦していたっけか。……苦労していたのは、もちろん俺だけだ。
ルクスに騎乗していたときは雲の真下を飛行していたというのに、平気だったのだが。
そうか。あれは、ルクスが守ってくれていたんだな。
俺は、目を見開いて顔を上げた。
左腕にはまった金の腕輪を掲げ、愛騎を呼ぶために口を開いた。
だが、確かに発しているはずの声が音にならない。
(……違う。これも、似たような経験をしたはずだ。ルクスで飛行しているとき、フェリスの声が聞こえなかった。音は風が運ぶとフェリスが言っていた。ここは空気がないから風が起こらないんだ)
俺は自分の身体を巡る血が、徐々に熱を帯びてきているのを感じていた。
回復魔法を使って誤魔化してはいるが、このままだと窒息する前に、俺の身体が限界を迎えるだろう。
理屈は分からないが、身体の中が煮えたぎり始めている予感がしていたのだ。
気持ちを落ち着けるため、俺は胸元にかかる星屑のネックレスを握った。そして、星空のリゼット様が与えてくれた加護のことを思い返す。
(……俺の魔法に言葉なんかいらない。それが、この世界の決まりのはずだ。だから、これは思い込みだ)
俺は左腕を頭上高く掲げ、心で叫ぶ。
「ルクス! 助けてくれ! 死んじまう!」
声は周囲に響かない。だが、俺の声は世界の決まりに従いルクスへ伝わった。
清廉な装飾が施された金の腕輪から、俺の危機を感じ取ったのか、凄まじい勢いで白く輝く光の粒子が溢れ出た。
普段よりも圧倒的に早く収束した光の粒子が輝きを放ち、大きな隼を顕現させる。
「ピイイイ!!」
ぶわっと大きな翼を広げたルクスが、重力のない夜空を華麗に飛翔し、宙に漂う俺を拾い上げた。
彼の背に乗った瞬間、俺の肺に空気が流れ込んでくるのを感じた。
「ぜはっ……ぜはあっ。……はぁ……はぁ。おお、すげえルクス! ありがとう!」
「ピイ! ピイピイ!」
もっと早く呼べよ、とルクスが怒っている気がした。
「わるいわるい。忘れてたわけじゃないんだ。というか、ちょっと待ってくれ。まだ死にかけてる」
内側から熱を持ち始めていた俺の身体と血が落ち着いていく。
だが、俺の身体のあちこちが、すでにおかしなことになっていると感じる。
俺は回復魔法を展開し、身体の中を癒していった。
正直言って、俺は困難ばかり押し付けてくる『お兄ちゃん』とやらに、かなり腹が立っていたが、回復魔法を持たせてくれたことだけは感謝しようと思った。
(いや、待てよ? 魔法を授けてくれたのは星空のリゼット様であって、俺の前世だとかいう『お兄ちゃん』とやらは別になにもしていないぞ。やっぱり感謝はなしだ。いつか、一発ぶん殴ってやる。……いや、無理だ。同じ魂なんだからどっちも俺なんだった。くそっ、じゃあ殴れないじゃないか)
いつか『お兄ちゃん』をぶっ飛ばす方法を見つけることを俺は誓った。
今後の冒険の目的に追加しておこう。
おお、これならジークさんと目的を共有できるのではないだろうか。
仲良くなれるかもしれないぞ。
落ち着いてきた俺は、ルクスの背に膝を立て、首筋に腕を伸ばすいつもの姿勢を取った。
それからアズールへ視線を向ける。
すでにかなり距離が離れたアズールは、真円を描いていて、相変わらずとんでもなく大きいこと以外は、確かにいつも見ていた月だった。
(リゼットは、俺の魂を縛る方法を見つけたといっていた。多分……アズール、あれが楔だ)
アズールから、徐々に灰色の大地が剥がれ落ち始めていた。
ごっそりと土砂の剥がれたところからは、俺たちが立っていた街と同じ、白い地面が覗いている。
おそらく、真っ白な球体がアズールの正体なのだろうと思った。
白い地面が覗く箇所には、ときおり胎動するように極彩色の光が波打っていた。
俺は、自分の魂があの白い球体が放つ歪みに、すでに捕らわれていると感じていた。
無意識に眉根が寄り、俺の行く道を縛ろうとするものへの強烈な嫌悪感が渦巻く。
(誰であろうが、俺の生き方を縛るなんて許さない。ぶっ壊してやる)
俺は引きずられそうになる憎悪を振り払うため、まぶたを閉じて頭を振る。
今やるべきことはそれじゃない。
「ルクス、フェリスとルナリアと合流する。どっちが近いか分かるか?」
「ピイ! ピピイ!」
ピピイはフェリスかな。
俺は、ルクスの首筋を撫でてやると声を上げた。
「よし、そっちへ向かってくれ! 月なんぞに俺たちは負けない!」
「ピイ!」
大きく羽ばたいたルクスの翼から、流れるように白い粒子が舞い散る。
ルクスは上下を返すようにくるりと旋回し、何ものにも遮られることのない無限の夜空を飛翔し始めた。
「おお、なんかここだと全然怖くないぞ! どんどん行け! ルクス!」
「ピイイ!!」
白い光の軌跡を描きながら、ルクスが夜空を切り裂いて飛ぶ。
風も空気もない夜空を駆けるルクスは凄まじい速度で飛翔し、あっという間にフェリスのいる戦場へ迫った。
鮮やかな緑の疾風が起こす光が、夜空に瞬いている。
フェリスは、いつの間にか現れていた大勢の魔物と戦っているようだった。
そのせいで、俺のところへ来られなかったようだ。
(分断か。ルナリアのほうにも魔物が行っているんだろうが……雑なやり方だ。多分、これは本命の攻撃じゃないな)
俺の方へ魔物が来なかったのは、リゼットに俺の殺し方への拘りがあるからだろう。
なるべく苦しめたくないということだろうか。
血が沸騰するのは、十分きつかったんだが。
魔物の大きさはばらばらだが、すべて同じ形をしていた。
真っ白な全身は、のっぺりとしていて粘土細工のような質感をしている。
歪な二本の翼を生やし、腕に生えた鋭い爪で攻撃をしているようだ。
目も鼻も、色さえない姿は、ただ生き物のかたちを真似しただけの異形だ。
フェリスは瞬間移動を駆使し、魔物自体を足場にすることで姿勢を保ち、戦っている。
凄まじい体幹の力だが、さすがにその状態で渡り合うことは厳しいだろう。
「ルクス!」
「ピイ!」
ルクスが翼を真横へ広げ、さらに加速した。
螺旋を描きながら、フェリスのもとへ駆ける。
音もなく、上下左右すべてが開けた夜空では、普通なら俺とルクスの接近にはなかなか気がつけない。
だが、俺の女たちは普通じゃない。
フェリスの水色の髪が光を返すのが分かるあたりまで近づいた時点で、彼女の瑠璃色の瞳がこちらを捉えたのが分かった。
彼女は、戦っていた白い魔物を、すらりと伸びる脚で蹴り抜くと、鮮やかな疾風を纏いそこから掻き消えた。
風を纏った彼女は、距離を無視した移動を二度繰り返し俺の前に瞬間移動してきた。
彼女は真っ直ぐに俺の首に腕を回し、抱きしめてきた。
「アルス! ……ああ、よかった。本当によかった」
「ごめんよ、心配かけたな」
ルクスの補助魔法で空気は周囲に展開されているが、姿勢制御の魔法は俺にしか掛かっていない。
フェリスは、ただ彼女自身の体幹の力だけで、ルクスの背に立っていた。
いや、立っているというか、俺に背中から抱きついている。
彼女の胸元のふくらみがむにゅっと押し付けられ、甘い汗の匂いが俺の鼻腔を掠める。
俺に頬ずりする彼女からは、いつものお姉ちゃんのような余裕は感じられなかった。
頬をくっつけてくるフェリスから、強烈に俺を惹き寄せる、彼女の身体の甘ったるい匂いがした。
だが、今は窮地のど真ん中なのだ。
俺はフェリスの頬に左手を添えたあと、頭を優しく撫でながら、予告することなく突然、支援魔法を展開する。
「……アルス。咄嗟にお前を助けられなくてすま……ぁあんっ! お、おい……あぁん! い、いやまだ話の……んっ! あ、熱い……っておい! いきなり魔法をかけるな! ……しかも、いつもより熱かったぞ!」
「ごめんごめん。でも、急いで、ルナリアも助けにいかないと。あと、いつもと違うのは俺のせいじゃないぞ。多分、フェリスがえっちになっただけ……いてえ!」
俺の頭をはたいたフェリスは眉根を寄せて俺を見つめ、小さく息を吐いた。
彼女はすくっと立ち上がり、首を振って透き通るような水色の髪を流した。
フェリスのふるふる揺れる胸と上下する先端を凝視している俺に、彼女が視線を向けて口を開いた。
「……呼吸のできないお前は窮地だったんじゃないのか。よく、私の胸を凝視する元気がすぐに出るな。……はぁ。まあ、無事だったならなんでもいいが。大丈夫、ルナリアも無事だ。私と彼女は羽衣の力で会話ができている。距離も関係ないらしい。ひとまず、お前の無事は知らせた。ルナリアなら、それさえ分かっていれば危険はないだろう」
「す、凄いな。その羽衣、これからもずっと使えるんじゃないか?」
フェリスが、こちらへ迫ってきていた白い魔物に向け、右手に握ったシルフの短剣を振り抜いた。
無造作に振るわれた緑の剣閃が、魔物を一瞬で両断する。
彼女は瑠璃色の瞳をこちらに向けると、口元に意地悪な笑みを浮かべて答えた。
「……お前が言うなら、私はそうしてやってもいいが。いいのか? 私の肌を他のやつらも見ることになるぞ」
「嫌だ。よし、今回の件が終わったら、その服は仕舞っておこう。ふたつめの部屋着にしよう」
次々と迫り来る白い魔物を迎え撃つため、フェリスが俺に背を向けた。
彼女の黒い下着に覆われた可愛い尻が、羽衣越しに覗いている。
緑と紫の剣閃を奔らせ、魔物に対処したフェリスが、視線を赤い剣閃が瞬く方向へ向けた。
「……ふふ。そうだな。夜に着るくらいが丁度いい。よし、進路上の魔物は任せろ。世界樹の女神は、おそらくこの魔物にそれほど力を注いでいない。弱い」
「分かった。ルクス! 次はルナリアだ!」
「ピイ! ピピピイ!」
なるほど。ピピピイはルナリアなのか。
ルクスは今度は回転を加えず、角度を一定に保ったまま真っ直ぐに夜空を駆ける。
フェリスは少し脚を開いた姿勢でルクスの背に立ち、双手で短剣を構えた。
空を飛んでいたときと違い、風がないからだろうか、フェリスは平然とルクスの背に直立している。
凄まじい勢いで飛翔するルクスに、魔物は追いつくことができない。
前方にいる魔物は、フェリスが光る剣閃で斬り伏せていく。
すぐに、夜空を飛行魔法で奔り抜けながら戦っているルナリアの様子が見えてきた。
ルナリアのもとに集まっている魔物はとんでもない数だった。
数十どころか、百を超えるのではないだろうか。
リゼットが、ルナリアの強さを侮っていないことが窺えた。
フェリスが胸元で短剣を十字に引き絞る。
彼女が虚空に向かって声を上げた。
「……ルナリア! 道しるべだ! こっちへ来い!」
フェリスはそう言うと、腰を落とす独特の構えを取り、一気に短剣を振り抜いた。
緑と紫の二筋の剣閃が、俺たちとルナリアの間にいた魔物を切り裂く。
フェリスの剣閃が作り出した道に気がついたルナリアの業火の剣が、激しさを増す。
ルナリアが業火の剣を両手で握り、鋭く薙ぎ払う。
赤い剣閃が奔り、付近の魔物を両断していく。
彼女は旋回しながら飛翔し、すれ違いざまに白い魔物を切り刻みながら、こちらへ辿り着いた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭うことなく、真っ直ぐに俺に抱きつく。
「アルス! うぅ、よかったぁ……っ! ぐすっ。……ずずっ。フェリスちゃん、ありがとう……アルスの無事を聞いたおかげで少し冷静になれたよ」
「……ん。さっき私も、ルクスに乗ったアルスを目にするまで、危なかったからな。……よし、アルス、これで私たちは最強だな?」
俺は、背中にしがみつくルナリアの金糸の髪を撫でながら、フェリスへ答えた。
「ああ、俺たちは三人で最強だ」
「ピイ!! ピイ!!」
「ごめんって。そうだな、三人と一匹で最強だ。こんな粘土細工、いくら来ても敵じゃないさ」
俺は、羽衣越しに大きな胸をぐにゅぐにゅ押し付けてくるルナリアに支援魔法をかける。
「あん! んぅ……んあ! な、なんか前より熱くて……んっ! んぁっ……い、いつもより大きいというか、激しいっていうか……あんっ!」
「……ルナリアもそうか。ふむ。……これはあれだな、あれだ」
甘い吐息を吐きつつルナリアが俺から離れる。
彼女は襲い来る白い魔物の群れへほっそりした左腕を真っ直ぐに向けた。
「——ファイアブラスト!」
ルナリアの放った業火が魔物の群れを炭化させ、熱波が彼女の金糸の髪をふわりと揺らした。
続々と押し寄せる魔物へ、業火の魔法を放ち続けながら、ルナリアが赤い瞳をフェリスへ向けた。
「フェリスちゃん、理由がわかるの? あ、こっちはわたしがぜんぶ倒すから、フェリスちゃん、後ろをお願い」
フェリスが手の中で短剣を逆手に返し、身体を捻って緑の剣閃を放った。
伸びる光の剣閃が、回り込んでいた白い魔物を両断する。
「……ん。なんとなくな。帰ったら教えてやる」
俺の顔の間近で、二人の丸い尻が、透けた羽衣越しにぷるぷる揺れ続けている。
彼女たちの下着は、どちらも尻を隠すには頼りなく、強烈な色香を放つそれが俺の思考力をがりがり削っていく。
だが、俺は魂を縛られるとかいうわけのわからないことになっているのだ。
尻を見続けているわけにはいかない。
努めて冷静さを保つように努力しつつ、俺はアズールへ視線を向けた。
# The Moon Goddess:
胎動するアズールから、ずるりと大地が引き剥がされていく。
次々に夜空へ散っていくその土砂が固まり、形を取り、やがて白い粘土細工のような魔物へと化していく。
小さな塊は小さな魔物へ、大きな塊は大きな魔物へと変化し、そのすべてが同じ姿をしていた。
俺たちが戦っている白い魔物は、アズールから引き剥がされた大地の成れの果てだった。
あの溢れかえる魔物をすべて倒し、さらに月をなんとかしなければ俺は未来永劫あそこに捕らえられるらしい。
冗談みたいな話だ。
周囲の魔物を倒し切ったルナリアは、俺の首に細い腕を回し、再び俺の背中から抱きついている。
彼女は、俺に頬を寄せたまま、赤い瞳をアズールへ向けていた。
密着するルナリアの胸の柔らかさと、突起の感触が薄布一枚越しに、俺に伝わってくる。
ルナリアの身体の甘い匂いが俺の鼻腔を掠める。
フェリスはルナリアに遠慮したのか、立ち上がり俺の肩へ手を添えたまま、アズールを見やっている。
二人ともこんなにとんでもない状況だというのに、うすく笑みを浮かべていた。
彼女たちの笑みと、伝わってくる体温が俺に力を与えてくれる。
よし、決めた。帰ったら二人には透け透けの羽衣のままぺろぺろしてもらおう。
俺は深呼吸すると、表情を正した。
「俺は、誰にも何にも、道を縛られたくない。助けてくれ、ルナリア、フェリス」
ルナリアが眉を上げたあと、可笑しそうにくすりと笑った。
金糸の髪がふわりと揺れ、俺の頬をくすぐる。
「何言ってるの。言われなくてもアルスを他の誰にも渡すわけないでしょ。わたしはわたしのために戦うの」
フェリスが少し身をかがめ、俺の耳元で囁いた。
ふわりと彼女の髪から、清涼な石鹸の匂いと汗の混じった甘い香りが漂う。
「……私たちから、離れられると思うなよ。どこまでも付いていくからな」
二人の頼もしい言葉に笑みで応え、俺は戦いの流れを組み立て始めた。
土砂から生まれ落ちている魔物は、アズールの周囲を旋回するように数十体単位で群れている。
「ありがとう。まずは白い魔物を片付けていくぞ。アズールは……まあ、あとで考えよう」
「任せてよ! アズールだって粉々になるまで、わたしが奥義を撃ち続ければいつか真っ二つにできるよっ」
「……そうだな。私たちならやれるさ。そうすれば、あの女を引きずり出せるだろう」
戦いの目的はアズールの破壊、その障害の排除。
白い魔物はぜんぶ倒さなくてもいいかもしれないな。
アズールの地面へ辿り着き、ルナリアが奥義を怒涛の勢いで連発する。
そのルナリアを俺とフェリスで護衛しきれば、きっとなんとかなる、かなあ…………月を割る、かぁ……。
俺は首を振って挫けそうな心を奮い立たせる。
じいちゃんも言っていた。
嵐の中じゃ慌てたやつから溺れるんだ。
こういう異常な状況でもそれは変わらない。丁寧に、ひとつずつだ。
「よし、普段どおりいこう。俺はローディングに入る。回避は頼むぞ、ルクス。本当は最大階位の支援をかけてから戦いを開始したいところだが、向こうが動くようならルナリアとフェリスで止めてくれ」
「ピイイ!」
「うんっ。頑張ろうね、フェリスちゃん」
「……ああ。背中は任せろ、ルナリア」
ルナリアが俺の頬に唇を寄せ、軽く水音を立てるとすっと立ち上がった。
ルナリアが首を振って金糸の髪を揺らす。
透けた羽衣越しに覗く、彼女の大きな胸がぶるんっと弾む。
ルナリアはとんっと中空に躍り出ると、赤い光を纏い飛行魔法を行使した。
業火の剣を下段へ構え、まっすぐに魔物の群れへ視線を向けた。
リゼットにも、魔物たちにも動きはない。
俺を殺したいだけなら、今この瞬間、リゼットがここへ来るのが一番効果的なはずだ。
魂を捕らえるためには、彼女はアズールから離れられないと考えるべきか。
俺は逸れかけた思考を引き戻し、精神を絞り始める。
目的はひとつ。俺の道を縛るものの排除。
——キンッ!
俺は星空の彼方へ、手を伸ばし始めた。
無限の夜空に音はない。だというのに、俺は変化を感じた。
音が遠ざかっていたのではなく、俺の存在が広がっていたのだと知った。
どこからともなく降り注ぐ神威の光が、木漏れ日のように俺を照らす。
静かな讃美歌が、夜空に響き始めた。
[ System : Universal_Truth_Loading... 10%... 20%... 30% ]
俺がローディングを開始した直後、アズールが強く胎動した。
その力に押され、灰色の大地のほとんどが、ずるりと剥がれていく。
大きく露出したアズールの白い地面に、極彩色の光の線が幾筋も奔り抜ける。
極彩色の光が奔るたびに、アズールの白い地面が銀色に変化していった。
それは、銀色の月だ。
(……だから、こちらに来なかったのか)
空気がなければ、声は届かないはずだが、今のリゼットにそんなことは関係ないのだろう。
アズールから響いていると分かる彼女の声が俺たちの耳へしっかりと届いた。
「もしやと思っていましたが。さすがは私のお兄ちゃんです。宇宙空間に放り出されて生きているなんて凄いです。そうそう、罪人たち。私はあなたたちを誤解していました。ただ身体で縋り付いている浅ましい雌猫かと思っていましたが、きちんとお兄ちゃんの役に立っていたのですね」
ちらりとルナリアとフェリスへ視線を向けると、眉が上がっていた。
おお、めちゃくちゃ怒っている。
「お詫びに減刑してあげます。靴にするのはやめ、殺すだけにしてあげますね。ですが、実は私、あなたたちのような小さな存在を見分けることが苦手なのです。いっぱい魔物も作りましたが、あなたたちは結構強いですからね。ぜんぶ倒してしまうかもしれませんね」
魔物は大丈夫だ。なんとかなる。
ルナリアとフェリスが言うには、白い魔物は偽物の命だという話だ。
なら、神性結界さえ展開できれば数は関係ない。
光に触れたそばから消し飛ばせるはず。
[ System : Universal_Truth_Loading... 40%... 50%... 60% ]
リゼットの言葉が続く。
「ですので、ミーネスを破壊することに決めました。これで確実に、お兄ちゃんも罪人たちも死にますよね。人類も一緒に死滅しますが、まあ、これは仕方がありません。お兄ちゃんの永遠が最も優先されますので。あれらは、それを妨げる障害と判断しました。……問題は、お兄ちゃんと私が暮らすアズールが宇宙を漂ってしまうことでしたが、先ほど解決方法を思いつきました」
銀色の月の表面を、極彩色の光が奔り続けている。
あれが奔るたびに、俺の魂をあそこに固定する力が増しているのを感じていた。
「凄いでしょう? 人間に迫る発想力と連想力だと自負しています。実は太陽の向こうに同じ質量の人工惑星があるのです。マスターから聞いていますよね。ステラレイターです。あの惑星の衛星にしてしまおうかと。お兄ちゃんが死んだあとは、魂をアズールの中に閉じ込めます。私とアズールは同化しました。つまり、お兄ちゃんはずっと私の中で生き続けるのです。そういえば、そういうえっちなお願いもありましたね……うふふ」
……ああ、もう。無茶苦茶だよ。
『お兄ちゃん』め、お前は何をお願いしていたんだ。
いつか絶対ぶっ飛ばすからな。
俺を照らす祝福の光が神威を増し、夜空を切り裂いて無限の彼方から降り注いでいる。
讃美歌が、音のないはずの世界に鳴り響き始めていた。
[ System : Universal_Truth_Loading... 70%... 80%... 90% ]
「私の中で永遠に愛し合いましょうね。お兄ちゃん」
リゼットの話が終わったのか、白い魔物たちの動きが変わった。
次々と魔物の群れがこちらへ向きを変え、飛翔してくるのが分かった。
リゼットの言葉など気にした素振りもないルナリアが、少し思案するように頭上を見上げていた。
それからこちらへ顔を向けると目元を細めて口を開いた。
「ねえ、アルス。すごい数だよ。わたし、このままじゃ負けちゃうかもなあ。うーん、勝てるかなあ、自信ないなあ」
俺は小さく息を吐くと口を開いた。
「はいはい。お前が負けるわけないだろ。……ルナリア、ぜんぶ斬り飛ばせ。命令だ」
「うんっ! 任せてよ! 月になんか負けないんだから!」
俺の言葉を受け、ルナリアは花の咲いたような笑顔を浮かべる。
嬉しそうにくるりとその場で回ると、彼女の気持ちに呼応し、激しく燃え盛り始めた紅蓮の剣を右手で握り締め、飛翔していく。
「今のは俺が命令していると言っていいのだろうか。させられてるんじゃないか?」
「……そう思うなら、夜にでもベッドで命令してやればいい」
フェリスが、俺の頭を胸元に抱き寄せた。
「……おっぱいが丸見えだぞ」
「……構わない。いいか、アルス。よく聞け。怯えなくていい。私たちを見ていろ」
フェリスは、俺にそう伝えると微笑んだ。
彼女は俺の額に唇を寄せ、頭を撫でてくれた。
それから、すっと立ち上がると声を上げた。
「……おい、ルナリア! 舞い上がりすぎだ。途中まで私も連れて行け。遠い!」
俺にはルナリアの声は聞こえないが、ルナリアがくるりと旋回して一度こちらへ戻ってきた。
フェリスはもう一度俺に微笑むと、水色の髪を流し、美しい背中の肌を覗かせながら夜空へと飛び上がった。
瞬間移動したフェリスの右手を、ルナリアが左手で掴む。
ルナリアがフェリスを引いて夜空を切り裂き、魔物へ突進していった。
やがて、魔物と邂逅した彼女たちの戦いが始まった。
半裸の麗しい少女たちが振るう剣閃が縦横無尽に奔り、迫り来る異形の魔物を斬り伏せていく。
そして、俺を祝福する神威の光が満ちた。
[ System : Universal_Truth_Load 100% Reached ]
俺は、こわごわルクスの背に立ち上がると、両腕を彼女たちの戦場へ向けようとした——その瞬間。
——銀色の月に、巨大な二つの青い瞳が浮かぶ。
「ああ、お兄ちゃん。それは禁止です。そもそも、私たちの蜜月を見られるのは我慢できませんからね。この宇宙は閉じます」
リゼットの宣言が、神威の光を消滅させた。
「なっ!?」
俺は目を見開き、しばし固まる。
俺が生まれ落ちてから、ずっとずっと感じていた何かが消え去った。
俺を祝福していた存在が俺を見失ったのだ。
ルナリアとフェリスが、凄まじい数の魔物と激しい戦いを繰り広げていた。
彼女たちは、俺の言葉を信じて戦っている。
く、くそっ。宇宙ってなんだよ。それは開けたり閉じたりするものじゃないだろう、絶対。
理解できない言葉ばかり使いやがって。
(……ど、どうすればいい。神性結界なしであの数を倒し切るのは、いくらあいつらでも持たない)
それは体力の話ではなかった。
ルナリアとフェリスは一週間戦い続けたとしても、平然としているだろう。
だが、水がなければ、食わなければ、生きていけない。
いや、違う。俺が足を引っ張ってしまう。
月の大地をそのまま魔物にしたような数、倒し切る前にまず初めに俺が餓死する。
俺は、上も下もない無限の夜空の中、光の途切れた頭上を仰ぎ見た。
[ System : Universal_Truth_Loading... 110%... 120%... 130% ]
(……これは、なんだ)
俺は、驚きと困惑を同時に覚えていた。
俺の存在が限界を超えて広がっていく感覚。
理屈はまったく分からない。
本来掴むはずの結果を掴めない俺の手は、超えてはいけない壁を越え始めていた。
# COORDINATE 0112 END




