3話 砦の凶刃
ガルム将軍の部隊、火鉄団、ヴォルケンの軍勢が国境付近へやってきた。漆黒の闇と、叩きつけるような嵐が鷲ノ砦を包んでいた。暁王国との国境を見据えるこの砦は、本来なら鉄王国の屈強な兵士たちによって堅固に守られているはずだった。しかし、今宵、その静寂は不吉な気配に満ちていた。
見張りの兵士が、音もなくその命を奪われていた。雨音に紛れて、黒の装束――火鉄団の兵士たちが、影のように砦の内部へと侵入していたのだ。
自室で仮眠を取っていたガルム将軍は、ふと胸騒ぎを覚えて目を覚ました。熟練の戦士である彼の感覚が、砦内の異変を鋭く捉えていた。
「キール!」
隣室で待機していたキールを呼び、ガルムは剣を手に取る。キールもまた、ただならぬ気配を感じ取り、即座に師の元へ駆けつけた。
二人が司令室のある塔へ向かうと、廊下の先に人影が見えた。それは、火鉄団の幹部の一人、顔色の悪い細面の男、ボルグだった。病的なほど白い肌と、神経質そうに細められた目が、闇の中で不気味に光っている。彼の足元には、ガルム配下の兵士が数名、血溜まりの中に倒れている。ボルグの手にする細身の剣の切っ先からは、血が滴り落ちていた。
「ボルグ!貴様、何の真似だ!」ガルムが怒声を上げる。
ボルグは、獲物を見つけた蛇のような目で二人を睨みつけ、唇の端を歪めて残忍な笑みを浮かべた。
「何の真似だと? ガルム将軍、あんたにはここで消えてもらうのさ。…これも、宰相閣下のご命令でな」
その言葉は、嵐の轟音の中でもはっきりとガルムとキールの耳に届いた。宰相ガイウスの差し金か!
「父の代からの忠臣である私を、ガイウスめ…!」ガルムは憤怒に身を震わせながら拳を構える。「キール、油断するな!」
「はっ!」キールも構えをとり、師と共にボルグに立ち向かう。
狭い塔の中での激闘が始まった。ガルムの熟練の武術とキールの鋭い拳がボルグに襲いかかるが、ボルグはその痩身からは想像もつかないほどの速度と、細身の剣による精密かつ残忍な剣技で応戦する。彼の剣は毒蛇のように予測不能な軌道を描き、ガルムとキールを翻弄した。火花が散り、金属音が嵐の音と交錯する。
その時、ボルグの背後から新たな影が現れた。団長ゼファー、グレン、ヴェルナら火鉄団の幹部たちだ。彼らは戦いに加わることなく、ただ冷ややかに状況を観察している。特に漆黒の甲冑に身を包むグレンの威圧感は、痩身のボルグとは対照的に際立っていた。
ボルグは蛇のように素早く間合いを詰め、ガルムの防御の僅かな隙を突くと、細身の剣を閃かせた。それは、必殺の一撃だった。
「ぐっ…!」
ガルムは辛うじて致命傷を避けたが、深々と胸を斬られ、膝をつく。ボルグは容赦なく追撃し、ガルムの胸元に輝くペンダント――守護者のペンダント――に手を伸ばした。古びた金属に古代文字が刻まれ、中心の石が微かな光を放っている。
「これさえあれば…!」ボルグはガルムの胸元から素早くペンダントを奪い取った。
「師匠!」キールが叫び、ボルグに飛びかかるが、グレンの巨大な斧がその行く手を阻む。
ガルムは最後の力を振り絞り、キールに向かって叫んだ。「キール…逃げろ…カーラを…頼む…!」
それが、ガルム将軍の最期の言葉となった。ボルグの凶刃が、王国最強の騎士の命を奪った。
「師匠ぉぉぉっ!!」
キールの慟哭が、嵐の砦に響き渡る。師の亡骸を前に、彼は怒りと絶望に打ち震えた。
その時、ゼファーが静かに前に進み出た。彼はボルグの手からペンダントを受け取ると、それを冷たく一瞥し、懐にしまう。そして、呆然とするキールを指さし、冷徹に言い放った。
「者ども、聞け! ガルム将軍を殺害し、守護者のペンダントを奪った大逆人は、このキールだ! 将軍の信頼を裏切り、宰相閣下への反逆を企てたのだ!」
ボルグは、倒れたガルムの傍らに、キールが使っていた予備の短剣をわざとらしく落とした。それは、周到に準備された罠だった。
「違う!俺じゃない!殺したのはボルグだ!貴様らが…!」
キールの必死の叫びは、駆けつけた兵士たち――ガルムの部下と、事情を知らない火鉄団の兵士たち――の喧騒にかき消された。現場の状況とゼファーの言葉により、キールは疑いの目を向けられ、取り押さえられてしまう。
その頃、遠く離れた首都アイゼンブルクでは、宰相ガイウスが水晶の通信装置を通じてゼファーからの報告を受けていた。
『…ガルムは始末し、ペンダントは確保しました』ゼファーの声が響く。
「うむ、よくやった、ゼファー。これで計画は次の段階に進む」ガイウスは満足げに頷く。「あのペンダントこそ、古の英雄ゾラス様を現世に呼び戻す鍵。彼は、乱れた世界を再び統一し、真の平和をもたらす存在です。今の世界は、三つの王国に分裂し、常に争いの火種を抱えている。ゾラスの強大な力こそが、この終わりのない争いに終止符を打つのです」ガイウスの瞳には、狂信的な光が宿っていた。
通信を切った後、ゼファーは暗い砦の一室で、手にした守護者のペンダントを見つめていた。ペンダントは怪しい光を放っている。
「フン、ガイウスの言う平和など、児戯に等しい…」ゼファーは嘲るように呟いた。「このペンダントが持つ真の力は、世界を支配する力そのもの。ゾラス復活も、私の長年の悲願を成就させるための布石に過ぎない…」
ガイウスとは異なる、ゼファー自身の秘めたる野望が、その言葉に滲み出ていた。
一方、キールは、ガルム将軍殺害と反逆の罪で砦の地下牢に投獄された。敬愛する師を殺され、信じていたはずの王国に裏切られ、無実の罪を着せられた青年の瞳には、深い絶望と、燃えるような怒りの炎が宿っていた。
嵐はまだ、止む気配を見せなかった。




