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『ヒヨクレンリ』

 それは聖女様がいた異世界の言葉で、お互いを唯一無二の存在として愛し合う夫婦の形。

 両親をはじめとする大人たちは愛人をもつことが普通で、家の存続のための結婚と恋愛を分けて考えている。それが当たり前だった私にとって、お互いだけを愛し生きていくという異世界の考えは雷を受けたような衝撃を与えられたものだった。

 いつか私も、そんな風に誰かと支え合いたい。そう思っていたのに……。




「そもそもあんな女、利用価値があるから仕方なく相手をしてやっているだけさ。愛情なんてこれっぽっちもない、いわばボランティアなんだ」


 得意げに語る婚約者の顔には、歪んだ笑みが浮かんでいた。

 彼の実家が資金繰りに困っていると聞けば、お父様に無利子無期限の融資をお願いした。欲しいものはなんでも買い与えたし、彼の好みに合うよう恥ずかしくても露出の多い派手なドレスを選んだ。交わした約束を忘れたり、侮るような言葉を吐いたのだって、全部許してきたのに。


「大体あいつはいつも生意気なんだ。自分と婚約するなら、今後浮気をするなとか愛人を作るなとか……。貴族なら愛人の一人や二人持つことは当たり前なのに、偉そうに人を監視してきて!」

「きゃあんっ、男らしい! そうよね、こっそりやればバレないわよね」

「ふふん、あいつはバカ正直だから、昔書いた誓約書を真に受けてすっかり信じ切っている。騙すのなんかわけないさ」


 彼の目先のことにとらわれやすい性質には気がついていた。だが一生添い遂げるうちに直していけばいい、私も完璧な人間では無いのだからと見逃していた。いわば先行投資のような気持ちで言われるままに彼を助け続けてきたのだ。

 今日ほど、そのことを後悔したことはない。


「全部聞こえたわよ!!」


 会話やら、それ以外のことに夢中になっていたボリスが飛び上がって驚いた。


「なっ……リリアナ!?」

「嘘つき! 宣誓書まで書いたのに、もう婚約解消よ!!」


 彼の目の前で書類を真っ二つに裂いた。


 子ども同士で交わした誓約書に、なんの拘束力もないことなどわかってる。

 だからこそ、それでも私がどうしても守って欲しい『一生浮気はしない』という約束を守ってくれている対価として、彼に優しくしようと頑張ってきた。その気持ちを踏みにじられたことが、なによりも悔しい。


「勘違いしないでくれ! こ、この女はただの遊びにすぎないよ。もちろんちゃんと正妻はお前にするんだから、それでいいだろう!?」

「あん、ひどいわ。私が一番好きだって、愛してるって言ってたじゃない」


 女性が彼の腕に縋りついた。

 しかしそれをまるで汚いもののように振り払い、軽蔑のまなざしを向ける。


「あんなのはその場限りのお遊びだよ。考えるまでもなくわかるだろ」


 彼の言い分は本気でのぼせ上っていたわけじゃないのだからいいだろう、というものだった。だけど私には、その方がよほど許しがい。

(本気の恋ですらない、浮気心を満たすという欲求のためだけに、いとも簡単に私を裏切ったのね)

 女性を軽い存在だと扱えば扱うほど、気持ちが急速に冷めていった。


「行きましょう、時間の無駄だわ」


 腕を固定しているせいですぐ隣にいるレオが、戸惑ったように小声で囁いてきた。


「いいのか?」

「貴方の言うとおり、私って愚かだわ。あんな奴を信じきってただなんて」


 本当なら一人でこの場を去りたいが、髪の毛がくっついているため離れることは出来ない。おかげでこんな情けない場面をレオに見られることになるなんて。今の私に出来るせめてもの抵抗は、泣いたり縋ったりしてこれ以上恥ずかしい姿を見せないことだけだ。そう思って涙をこらえているというのに、なんとボリスが追いかけてきた。


「ま、待て! 俺には不貞を責めておいて、そいつはどうなんだ!」


 服に髪が引っ掛かったままなので、私は彼と距離が離れないように腕を掴んでいた。それは確かに第三者からは親密な姿にうつるだろう。


「こ、これは……」


 私は言葉につまった。

 まさかこの流れで「実は髪の毛が絡まってます」なんてお間抜けな事実を発表などできない。それだけは、絶対にできない。人として。

 思わず言いよどんでいると、ボリスは馬鹿にしたような笑いを浮かべた。


「ははあ。さてはお前、レオを誘惑しようとしていたんだろう?」

「えっ!?」

「そんなに必死に腕を掴んで、恥ずかしい奴だ。お前なんかが相手にされるわけがないのに」


(そ ん な わ け な い で しょ ?)

 言い返してやりたいが、手を離せば頭皮が悲鳴をあげることになる。わずかに反応が遅れ、その隙をつかれた。


「母親同士の仲が良かった縁で幼馴染なんだよな? リリアナの初恋はレオだったって聞いているぞ」

「なっ!?」


 カァッと顔が熱くなった。


「止めてよ! 出まかせもいい加減にして!」

「はっ、間違いなんかじゃないさ! だけどざまあみろ、お前なんかが相手にされるわけがないんだ! こんな頭の固い、可愛げのない女! そのくせ自分以外に女を作るなだなんて図々しい、それほどの価値がお前のどこに……」

「――違う!!!」


 はじかれたようにレオの怒声が響いた。

 いつも飄々としている彼がこれほど感情を強く表している姿は初めて見た。まだ何かを言おうとしていたボリスも、目を丸くしたまま二の句をつげなくなっている。

(レオ……?)

 恐る恐る彼の顔を覗き込むと、彼の金色の目が静かな怒りに燃えていた。


「振られたのは……相手にされなかったのは俺の方だよ。残念ながらね」

「う、嘘だ! 適当な事を言うな」


 ボリスは彼のいう事を全く信じられないようだった。


「嘘というならそっちはどうなんだ? ざっと調べただけでも、ずいぶんの数の女性たちを悲しませてきたみたいじゃないか。それに彼女の家に肩代わりさせた以外に、あとどれほどの借金を隠してる。君のギャンブル狂いは有名みたいだな」

「そ、それは」


 新しく知る事実ばかりだったが、不思議と驚きはなかった。目が覚めてみればボリスには誠実な所などなにもなく、私の目の方が曇っていたのだと痛感するばかりだ。


「なのに勝手な思い込みで、よくも彼女を傷つけてくれたな」


 レオはきっと、元幼馴染として怒ってくれているのだろう。散々尽くした自分の馬鹿さ加減に落ち込んでいる今、自分の代わりに怒ってくれる人がいることがとてつもなく嬉しかった。

 しかし、王宮騎士は私事での暴力事件などご法度だ。


「い、いいのよレオ! もう終わった話なんだから!」

「だけど……」

「相手にする価値なんかないわよ、こんな人! なにからなにまででまかせなんだから……」


 私は彼の怒りを鎮めつつ、さりげなく先ほどの話をうやむやにしようとした。

 しかし、これがいけなかった。

 それまでレオの剣幕に気おされていたボリスは、顔を赤くして怒鳴り散らした。


「出まかせなんかじゃない!! 母親だって言ってたんだぞ! お前からプレゼントされた花が枯れるのを見ては落ち込んだり、夜店で買ってもらった安物の指輪を嬉しそうに後生大事にとっておいたって! なのに誕生日の一週間前に、別の女とデートの約束をしていたの場面に遭遇して一晩中泣いてたってな!!」


(お母様!! 人権侵害です!!)


 突然妙な暴露話をされたレオは、びっくりしたように目を丸くしていた。

 

「人から聞いた話だけじゃない! つい最近だってオペラで寝入って、寝言でお前の名前を言っているのをこの耳で聞いたんだ!!」


 あああああああああああ!!!!


「もう……これ以上口を開かないでっ!!」


 思わず、その瞬間に体が動いた。

 レオの腕を離し、一気に間合いを詰める。そういえば髪が絡まったままだった、と脳裏をよぎったが激痛はない。ラッキーなことに、髪はほどけていた。

 ――これなら、遠慮なくやれる。


「イッポンゼオイイイイ!!」

「えっ……」


 相手の腕を取り、尚且つその勢いを殺さずに体を反転させ、背中に背負いこむ。


 ――ヒュッ……


 うまい具合に力が乗った。

 力点と作用点を意識し、タイミングよく力を込める。一、二の……


 ズダンッ!!!


「ぐはっ!」


 ボリスはしばらくゲホゲホとむせ込んだ後、恐ろしい化け物を見るような目で見てきた。無我夢中で技をかけたけど、思った以上に上手くいったようだった。

 ドキドキしている胸の内をひたかくし、私は出来るだけ冷徹そうな表情を作った。


「貴方とはお終いよ。結婚生活の毎朝を、今の技で起こされたくないでしょう?」

「ひっ……! い、命だけは助けてくれ!!」


 絶対に反撃してこないと思っていた相手、それも自分より体の小さな私に投げ飛ばされ、よほど肝をつぶしたのだろう。ボリスは逃げるようにその場を逃げ出した。

 振り向きもせず、一目散に。

 これまでの婚約期間はなんだったのだろうと空しくなる。手に入れたと錯覚していたそれは『ヒヨクレンリ』とは似ても似つかない、まがいものだった。 


「……あーあ。あんな宣誓書まで作ったのに裏切られて、馬鹿みたい」


 沈黙のあとに、レオはポツリと呟いた。


「あいつは最低なヤツだ。リリアナは何一つ悪くないよ」

「……うん」

「別に今どき、婚約破棄の一つや二つ、どうってことないし」

「うん」


 本当はこれからのことを考えると気が重いけれど、今だけは悩むのを後伸ばしにした。せっかく久しぶりに、喧嘩せずにレオと話せているのだから。


「誰も貰い手がなかったら、俺と結婚すればいいだろ」

「それはない」


(まったく。ちょっと気を許すとすぐからかってくるんだから!)

 にべもなく断った後、なんだか面白くなってクスクスと笑いがこみあげてくる。だけど気が緩んだのか、急に涙がこぼれ、慌てて拭う。

 捨てられて泣いている姿なんか見せたくないのに、後から溢れて止まらない。


「ううっ……うええ……。ぐすっ……」


 二度と誰かに裏切られたくなくて。今度こそ縋る何かが欲しくて。宣誓書を書いてくれたボリスなら大丈夫だと、自分に言い聞かせていた。

 だけど心のどこかでは、気づいていたのかもしれない。そんなことで本当の絆を手に入れることなど出来ないということに。

次話、本日18時過ぎ頃に投稿予定です。

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