Ep.7-2 イミテーション・ゴールド
通された部屋の壁紙は青かった。そして人形、積み木、木馬、手押し車、木琴様の楽器など、子供の遊び道具が所狭しと配置されている。それらに埋もれる様な形で、大人が優に寝られる大きさのベッドがあった。
エスの顔が彼の右手で、パシン、と音を立てた。
「ここは子供部屋なんだぁ。ベッドは親の流用だけど」
「……何だか、とことん、だな……」
「やるからにはとことんやらないとね!」
満足げな顔をする。ミダにも解った。この男、駄目である。
「まったく、何処までもお惚気だな、君は……」
エスは、はあ、と溜息を吐く。
「……ちゃんと乳幼児の玩具も買うべきだ」
「ああ、そうか。確かに」
問題提議をすべき点はそこなのだろうか。ミダは首を傾げた。
オスマンがルッツとの恋愛相談に戻った後、エスはベッドに寝そべり、頭の下で手を組んで、天井に視線を投じていた。その隣、ベッドサイドで積み木遊びに興じているのは、無論オスマンの子ではなく、ミダだ。
「しっかし、解んねー」
四角や三角を重ねて城を作りながら、ミダが不満げに言う。
「何が? 積み木遊びの意義か?」
「違う。あいつだよ。オスマン」
天辺まで積み上げた所で、後ろに両手を突いてエスを見上げた。
「って言うか、なんだ。『恋』とか『愛』とか……」
「恋愛の事か」
「ああ、それ」
言わんとする事と、恋愛とが同じものなのか、ミダ自身よく解っていなかった。
「何なんだ? その、『レンアイ』って奴は? 気持ちわりぃ」
「彼が気持ち悪い事には同意するよ。しかし、お前、恋をした事も無いのか?」
「ねぇな」
そもそも、「恋をする」というのがどういう事なのかを知らない。それはどういう気持ちの事を言うのか、その定義すら不明だ。
「どんな感じなんだ? 『恋』ってのは」
「そうだな……」
す、と息を吸って考え込む。それからおもむろに口を開いた。
「……強く引き寄せられるような感覚かな。それか、追い風に背中を押される様な」
「ううん……解んねぇや」
ミダは聞き返してみた。
「あんたはした事あんのか?」
「俺か? 俺は……」
言い淀む。
「……まあ、ある」
「へえ。詳しく聞かせろよ」
ベッドの上に身を乗り出し、エスに詰め寄る。
「ん。ああ、まあ……」
チラリとミダを見てから、また視線を戻した。
「俺はこの十年、ずっと各地を旅して来た。そうしていれば、嫌でも色んな事がある。恋もその一つさ。世界中のそこかしこにいい女は居るモンだからな」
「あ、待って。『恋』ってのは女にするのか?」
「おい、コラ、お前」
むくりと上半身を起こして、ミダを見下ろす。
「本当に何にも知らないのか?」
「知らねぇよ。言葉しか知らない」
真顔でさも当たり前と答える。エスは唸った。
「精神的に疲れる日だな、今日は」
「な。な。ちゃんと教えてくれよ。気になる!」
ミダは探求心から目を輝かせた。しかしエスは頭を振る。
「口で説明するのは難しい。しなくては解らない」
「えー。意地の悪い事言うなよ」
ミダに食い下がられ、エスは腕を組んだ。
「じゃあ……例えばだが、お前、何か好きなものはあるか?」
「好きなもの? そうだな……水、かな?」
「ほう。どうして好きなんだ」
「水が無かったら干涸らびて死んじまう。それに、さ。水だけなんだ、オレが触っても何とも無いのは」
「なら、水が欲しいと思うか?」
エスの問い掛けに、ミダは頭の上に疑問符を浮かべた。
「へ? そりゃ、欲しいよ」
「よし。その気持ちを人間にしたら、それが恋だ。以上」
「えー……」
ベッドから離れて、床にペタリと尻を付く。
「さっぱり解らない」
「解らないなら、まだお前には早いんだろうな」
何だそりゃ、とミダも腕を組む。そんなに難しい事も大人になれば解るものなのだろうかと、ミダは甚だ疑問だ。暫く考え込んで、あ、と声を上げた。
「それなら、『愛』ってのは何だ?」
恋については取り敢えず置いておくとして、そちらも気に掛かる。
「愛、か」
エスは何処か遠くに目を遣った。
「恋よりももっと強いものだ。恋をした相手を、命を賭しても守りたいと願う気持ち。命よりも大切に思う想い。自分の存在が、その相手無しでは有り得ないと思えたら、それは『愛』だろうな」
「はあ、もう全く解んね」
ミダは考えるのをやめ、脚を投げ出した。
「難しいんだな、『レンアイ』は」
「難しいさ、『恋愛』は」
ミダもエスも、オスマンに、いやオスマンとルッツの二人に「あてられた」としか言い様が無い。
ふと、もう一つ別の疑問が、ミダの脳裏を過ぎった。
「それにしてもさ、何でそんなに指輪が大事なんだ? 結婚するのに必要なモンなのか?」
「形式的にはな。別に無くたって良いが、気持ちの上では重要だ」
「どうして?」
「誓いの証になる。結婚の際渡された指輪は、一生身に着けるものなんだよ。そうすることで夫婦は、死ぬまで添い遂げる事を約束するんだ」
「ふーん。それじゃあ……」
ミダはエスの左腕を顎で指し示す。
「あんたの籠手と似た様なモンか」
「何だって?」
腕を解いて籠手を見る。
「あんたがその籠手を着けてんのは、決心したからなんだろ? 運命とか宿命とか、全部受け止める事を誓ったんだ。だったら、同じじゃないのか?」
エスはこの意外な発言に目を丸くしたが、やがて、フ、と笑った。
「……かもな」
「うん。何となく解ったぞ。スッキリした!」
ある程度の満足感を得て、床に横たわろうと腕を広げると、指先が当たって積み木の城が音を立てて崩れた。円柱の積み木が転がる。ミダは慌てて拾い集めるが、その内の一つがベッドの下に転がり込んでいった。
覗き込めば、積み木は真ん中の辺りに止まっている。
「何やってるんだ、お前」
「五月蠅いな!」
がなりながら腕を伸ばす。指先で積み木に触れるが、逃げて行った。肩まで入れて手探りに探すが、届かない。どうやらミダの腕では短すぎる様だ。
「反対から試してみたらどうだ?」
「だったらあんたが取ってくれよ」
ミダが不平を漏らした時、ふと、指先が積み木とは別のものに触れた。
「ん? 何だこれ?」
拾ってみる。それは小さな輪っかだった。
「これ、指輪じゃないか」
「オスマンのか」
たぶん、とミダは頷く。オスマンはつくづくお粗末な男だ。こんな身近に落ちていたではないか。
「でもこれ……」
光にかざしてよく見る。指輪は黄色の光を眩く放っていた。が、何かが違う。
「……これ、金じゃない……」
「見せてみろ」
言われるままエスに手渡した。エスは片目で眺めてみたり、自らの籠手と比較してみたりして、ふむ、と唸った。
「こいつは、真鍮……黄銅だな」
「つまり?」
「偽物だ」
きっぱりと言い切る。
「この家に元からあったにしては真新しいし、この大きさは女物だ。奴め、小悪党に騙されたんだな」
矢張り、オスマンは間抜けである。何も知らずに、黄銅製の指輪をスィベルに贈ってしまう所だったのだ。彼の事だからやもすると、彼女に「黄金と偽った」とあらぬ誤解を抱かれていたかも解らない。
「なあ。それ、どうする?」
「どうしたものかね。結果的には無くて良かったかも知れない。こんなものを結婚指輪にされたんじゃ、彼女も興醒めだろう」
無くなって幸せかもな、とエスは鼻で笑う。
本当にそうだろうか。ミダは思う所があった。
「……あいつに渡そうよ、それ」
「しかしオスマンは、このできの悪い偽物が金だと信じ込んでるぞ?」
ミダは頷き、それでも、と言った。
「あいつにとって、それは『誓いの証』なんだろ? だったらそれは、あいつの手にあるべきなんじゃないのか?」
誓いを奪っては行けない。決意を、他人が揺るがしてはいけない。それはエスから籠手や旅の目的を奪うのと、ミダをこの旅から引き離すのと同じように、してはいけない事だ。
「……そうだな」
「オレ、渡してくるよ」
ミダはエスから指輪を受け取り、オスマンの元に走った。
「何の用?」
スィベルは彼女の自宅の戸口に立って、泣き腫らした目でオスマンを睨み付けた。
「そっちのひと達は何?」
「僕らはお二人を応援する、ただのお節介焼きです」
ルッツは胸を張って言うが、あっそ、とスィベルは苦笑する。
「何だか知らないけど、他人まで巻き込んで……泣いて頼んだって、わたしもう何とも思わないから」
今のオスマンの思いは如何ばかりか。ミダは見上げる。彼の顔付きは、これまでに無い、毅然としたものだった。
「ぼくはもう君を泣かせない」
「だから結婚しろっての? 冗談キツいわ」
ハッ、と一蹴する。
スィベルの後ろに心配そうな顔が見える。彼女の両親だろう。父親らしき人物は、昼間に見掛けた農夫だった。
「きみを愛してる」
「何度も聞いた。けど、あなたのその言葉は全ッ然意味が無い。だって、貴方って……」
言い掛けるスィベルを制する様に、オスマンは右手を突き出した。その手にはミダの見付けた指輪がある。
「改めて申し込むよ。ぼくと結婚してくれ」
「え……? これ、本当に……」
指輪を取って、まじまじと見詰めるスィベル。これを見ていたエスは、片側の眉を吊り上げた。
「ぼくは情け無い男だ。ちっぽけで、救いようのない男だ。だけどきみと結婚したい、きみと幸せになりたい気持ちは、誰にも負ける気がしない。ぼくが一番に誇れるのは、きみを愛するこの想いなんだ」
胸を張って言い放つ。オスマンがこういう態度を取れる様になったのは、ひとえにルッツの助言あってである。
「ああ、オスマン……わたし……」
スィベルは指輪を握り締め、目を伏せた。
「こんなプロポーズを待っていたの。ずっと……貴方から……」
耳まで朱色に染まる。そして指輪を左手薬指にはめた。
指輪がキラリと光る。その輝きは、偽物の黄銅のものではない。本物の、黄金の輝きだ。
勝手に力を使ってエスに怒られやしないだろうかと、ミダは戦々恐々としていた。黄金を生み出す力は無闇に使ってはいけないという事を、ミダは重々承知していた。
ミダが恐れるのに反して、エスはそっとミダの頭に手を置き、何も言わずにくしゃくしゃと撫でた。
スィベルとオスマンはひしと抱き合う。スィベルの両親は、その姿を見て手を叩いていた。
黄金は不幸を招く。ひとの気を狂わせ、争いを生む。黄金を生み出すミダの力は、忌避すべきものである。
しかし、そればかりとは限らない。黄金が、ミダの手が、この小さな幸福を生み出したのである。ミダにとって、こんなに嬉しい事が今までにあっただろうか。




