Ep.7-1 イミテーション・ゴールド
明くる朝、ジプシーの親子に見送られ、一行は旅立った。目指すは西。
朝日が眩しい。改めてエスについて行く事を固く誓ったミダは、誇らしげな気分だ。死地へ赴く為に歩き出したというのに、諦念などは一切無い。寧ろ希望に満ちあふれ、朝焼けに向けて雄叫びを上げてしまいたくなる。
「それは良いけど……」
ミダは目で振り返って怪訝な顔をする。
「……どうしてあいつまで付いて来るかな」
エスと横並びに歩くミダの後ろをクラウスが続く。それよりも後方で、鉄砲を包んだ白い布を大事そうに背負って、遠くの山脈に目を這わせながら、ルッツが悠々と足を運んでいた。
「あいつ西から来たんだろ? 何で戻ってんだ?」
「さあな。本人に訊いてみたらどうだ」
「……やめとく」
何を考えているのかは謎だが、いずれ何処かで撒く事になるだろう。
西へ西へと行くと、山に突き当たる。その麓に小さな村があった。木や煉瓦の家が転々とし、寂れている訳ではないが、賑やかさも無い。畑も見られ、林に面している事から、水は潤沢な様だ。
一行と同行者が到着したのは昼頃。ラムドによれば、村はジプシーの貿易相手であるため、彼の名前を出せば気前よく受け入れてくれるとの事だ。
「こんな近くに村があるのに、どうしたら行き倒れられんだ?」
ふと思い付いて、ミダはルッツに尋ねてみた。
「それはね、泊めて貰えなかったからだよ。ここに宿らしい宿は無い。特別警戒心が強い訳ではなさそうだけど、生憎僕は誰の紹介も無かったからね。まあ、素性の知れない旅人を泊めてくれる家の方が奇特って事さ」
そう答えて肩を竦める。ミダは合点がいった。ルッツはお人好し面立ちをしているが、何処か怪しい。実際にミダ自身も彼と一緒に居たくないと、何となし考えているのだ。
エスとミダはそれぞれ、どうやってこの青年を遠ざけるかの計画を立てていた。一致しているのは、この村で一泊休む振りをして、夜彼が寝静まった所をこっそりと抜け出そう、という部分である。
ルッツは二人が向かう先も、それぞれの力や因縁も、何もかも知らない。思考は知れないが、二人の決意の前では邪魔な存在だ。
村の様子はのどかなものだった。山沿いの風もそよそよと、庭の洗濯物を揺り動かしながら、草木と土の臭いを運んでいる。道脇では農夫が眠りこけ、彼の頭上に立つ木が日陰と日向のコントラストを作り出していた。
「アンタって、本当ッに最低!」
村の静けさを打ち破る様に、女のわめき声がした。
「だからッ! ……言ったじゃないか、指輪も用意したんだって」
男が言い返す声もする。見れば、道端で若い男女が言い合っていた。女は腕を組み、男を睨んでいる。男は両腕を広げ背中を丸め、女を上目遣いに見ていた。
「じゃあ、その指輪とやらは何処にあるのかしらね?」
「何度も言ってるじゃないか。あれは……!!」
「もう良い! アンタなんか知らない!!」
そう言い捨てて、女は走り出す。一行の脇を通り抜け際、その目から幾つかの雫が散った。男は黙って見送る訳も無く、女の後を追った。
痴話喧嘩だろうか。関わり合いは持たない方が良い。そうミダは思ったが、その矢先にルッツが男の前に立ちはだかった。
「待った」
そう言って男を食い止める。エスとミダはこの行為に、額をはたと打った。二人のみならず、クラウスまでもが呆れた様に頭を振った。
「ちょ、ちょっと! 何処のどなたか知らないが、邪魔をしないでくれ!!」
「今の子、泣いていましたよ。女の子を泣かせるのは、男としてどうなんです?」
いきなり説教を始める。
「ぼくと彼女の事情だ! 他人は口出ししないで貰いたい」
「なら、彼女を泣かせても良いと言う、その『事情』を訊きましょうか」
ルッツは強い口調で男を問い詰める。エスはこめかみを揉みながら、
「……何が『ヒーローは嫌い』だ。出しゃばりめ……」
口の中で呻く。
男は居住まいを直し、ルッツを睨んだ。
「ぼくはオスマン。彼女はスィベル。ぼく達は恋人なんだ」
背がひょろりと高く、どうにも風采の上がらない風貌をしている。対して先程走り去った彼女、スィベルは髪が短くボーイッシュで、少々気が強そうに見られた。一見すると相反する印象の持ち主同士だが、二人のそうした差が均衡し、恋人たらしめているのかも解らない。
「恋人ね。それじゃあ、オスマンは恋人に何をしでかしたんです?」
オスマンは目を逸らし、がっくりと肩を落とす。
「ぼく達、結婚するんだ。いや、今はまだぼくが勝手に決めた事かも知れない。それでも馬車を使って一日がかりで街まで行って、高い指輪を買った。なのに、ぼくの不注意で指輪を無くして、彼女には嘘だと思われて……ぼくは本気なのに、彼女からは信じて貰えない」
「それで泣いていたんですか……」
ルッツは哀れみの目をオスマンに向け、同情の念を示した。
この遣り取りを見ていたミダはエスのマントを引っ張り、口元に手で衝立を作る。身体を傾けて耳を寄せると、ミダはひそひそと耳打ちした。
「今の内に逃げらんねぇかな?」
何やら余計な事に首を突っ込んでいる内に、この場を離れる事は出来ないかと考えたのである。今度は逆にエスがミダに囁く。
「彼の話を聞いただろう? 次の街までは遠い。休息も準備も無く向かったんじゃ、俺達が行き倒れさ」
解答を聞いたミダは、むう、と唇を突き出した。まだ暫くはルッツと離れられないらしい。
可哀想に、と迷惑者はオスマンの肩を叩いた。
「一方的に責めたりしてすみませんでしたね。もし貴方の……いえ、貴方達の力になれる事があったら、何でも言って下さい。きっとお役に立ってみせます」
次いで自らの胸をどんと叩く。オスマンの顔が急に晴れやかになった。
「本当に? うわぁ、何て親切なひとなんだ!」
「おい、あいつら何か勝手に盛り上がってるぞ?」
ミダにマントの裾を引かれ、エスは唸った。
あ、と思い付いてオスマンは手を打った。
「それじゃあ、一度家に来ない? 大した家じゃないけど、一晩の宿くらいは工面出来るから。じっくり話を聞いて貰いたいな」
「良いんですか? こちらからお願いしたいくらいですよ」
意外な展開に話が転ぶ。ルッツの話術で取り入ったという風ではないが。兎も角、これで宿は確保出来た事になる。ミダは何だか悔しかった。
「お連れの方々も一緒にどうですか?」
「……オレらはいつからあいつの連れになったんだ……」
「俺達は結構。何処か別の……」
「まあまあ、遠慮なさらずに」
機嫌を良くしたオスマンはしつこい。ルッツも釣られて気分が高揚した様子だ。
「そうですよ、エスさん。ここは彼の気遣いに甘えましょう。そして貴方も一緒に、彼の相談に乗るんです」
「嗚呼、地獄に仏とはこの事だ」
オスマンは目を潤ませながら、ルッツの手を握る。
悩む者と同情する者、それらが揃うと傍迷惑な上、始末に悪い。ミダはその事を深く心に刻み込んだ。
オスマンの家は一人暮らしの割に広い。ダイニングテーブルは六人掛けだった。
「数年前に両親が亡くなってね、持て余し気味なんだ」
椅子にもたれて言う。それにしても、椅子が多い。オスマンの左脇にまだ二つ余っている。
「子供が沢山欲しくて。つい先走って買い足しちゃった」
ははは、と笑う。ルッツは微笑むが、後の二人は引き攣った顔をしている。
「彼女と居ると幸せなんだ。スィベルはつっけんどんな性格だけど、そこが可愛い」
「解りますよ。僕はちらりとしか見ていませんが、とても魅力的な女性でしたね」
「そう! そうなんだよ!! スィベル程心引かれる子は無い。まるで天使の様だ。さながら迷える子羊だったぼくに、光を示してくれる存在なんだ」
うんうん、とルッツは頷く。エスの顔右半面が痙攣した。
「よっぽど好きなんですね」
「ああ、大好きさ」
ひとを好きになる感覚を、ミダはよく解っていなかった。その経験が無いからだ。結婚というものがどういうものなのかは何となく知っているが、何故そうするのか、何故そうしなくてはならないのかが、いまいち理解出来ない。
「結婚したいよ。あの指輪さえあれば……」
「無くしてしまったんでしたね?」
「ああ。金の指輪なんだ。高かったよ。それをいつでも渡せる様に胸ポケットにしまっておいたんだ」
自らの左胸を指し示す。
「でもなかなか渡す機会を掴めなくて、ずるずる……。漸く意を決して結婚を申し込んだら、いつの間にか指輪が無くなってた」
「探したんですか?」
「探したさ。そこら中探した。でも見付からなくて……」
しょぼくれるオスマン。
そしてその事を恋人に打ち明けた結果が、あの喧嘩だ。
スィベルも期待していたに違いない。まだ決まってもいない将来の為に家具を揃える様な男だ。それにこの小さな村では、遠出をすればすぐに知れてしまう。見え透いていただろう。
しかし大事な場面で指輪は無く、あまつさえ、仕方無しとばかりに結婚の約束を取り付けようとする。乙女の淡い期待を、オスマンは物の見事に裏切ったのである。
指輪の事は黙って、言い訳がましくさえしなければ上手くいったかも知れない。しかし、そんな所までうっかり話してしまう辺り、オスマンの馬鹿正直な性格を表している。
「指輪はぼくの気持ちだったんだ。無くしてしまったけど、ぼくの気持ちに嘘は無い。だから正直に言って、謝って、その上で解って欲しかった。信じて欲しかったんだよ……」
泣き言を言う。哀れと言うべきか、惨めと言うべきか。
「こんなに愛してるのに、指輪一つ……ただの指輪一つでフラれるなんて……ッ」
オスマンはとうとう泣き出してしまった。実に情け無い体で、わあわあと声を上げて泣きじゃくる。
ルッツは腕組みをして、共感したのか、一緒に泣く真似までする。
「辛いでしょう。悲しいでしょう。相手が自分の気持ちに気付いてくれないと、酷く切ない気分でしょう……」
しみじみと言う。ミダは茶番を見せられている気分だった。
「貴方は深く、深く彼女を愛しているというのに、彼女は走り去ってしまった。涙に濡れて……」
「嗚呼、ぼくはどうしたら彼女を振り向かせられるだろう! さらりとした彼女の髪に触れても、その澄んだ瞳を見詰めても、彼女の薄紅色の頬を撫でても、無駄だった。嗚呼、あの滑らかな指先にぼくの手を絡めたい! あのしっとりとした唇に、燃える程の情熱的な……!!」
いよいよ感情のたがが外れようという、その時、突然にエスが大声を上げた。
「あーッ!」
目を覆い、天井を仰いで、ぐったりと背もたれに身を沈める。
「何故だろう、目眩がする。俺、目眩がする。どーやら旅の疲れが出て来たみたいだ、な!!」
台本がある訳でもないのに、文章を棒読みしているかの様な口調で喚く。その声でオスマンは我に返った。
「……ああ、それはいけない。すぐ部屋に案内するよ」
「あー、助かる。実に助かるッ」
丁度ミダもこの場を離れたい気持ちになったところだった。




