迷子と竜の祠(3)
「す、すみません」
半ば突き飛ばされる形で雪の塊に突っ込んだスィールは、雪の上にぺたりと座り、雪を振るい落とすように首を大きく振った。目の前の相手が手を伸ばそうとするのを避け、雪の上で後ずさって距離をとる。
「いえ、大丈夫です」
勢いですっ飛んだガルディアは雪の塊に突き刺さったままだ。じたばたとする後ろ足にスィールは小さく笑みを浮かべ、優しく抱き上げるようにしてガルディアを救出した。
何がなんだかわからないガルディアもまた、雪の上でスィールがそうしたようにふるふると首を振る。
『何だか酷い目に遭った気がするのだが……』
「ごめんね、出会い頭の事故。道からはずれたところに転移したのに、転移先の至近に人がいた」
『ふむ。で、あれが、加害者か』
「うん」
『変態だな』
「……変態ってなぁに?」
『ああいう変なヤツを言うのだ』
一人と一匹、気の合う主従は、ある意味、加害者となる相手をじーっと見つめた。
「えっ、あ、その……」
何を話していたかはわからなかったらしいが、突然見つめられた青年……そう、少々違和感があるものの二十歳をいくつか過ぎた青年であるとスィールは認識した……は、わたわたと奇妙な動きをし、それから、こほんと咳払いを一つして口を開く。
「すみませんでした。あんまり人に見られたくなかったものですから……」
努めて柔らかな声をだしている。もし、彼の格好が完璧であればそれも必要なことであったかもしれない。
「……それは別にいいんだけど……」
スィールは口ごもった。
「何か?」
少しひきつったような笑みを浮かべ、彼は首を傾げる。
スィールは迷った。こういう時どうしたら良いかは、物識りのじじ様だって教えてはくれなかった。
なのでスィールはちょっとだけ考えて、それから少しの親切心を発揮した。
「………あの、カツラ落ちてますよ」
「え?あ?」
指差した先には、彼がかぶっていた栗色ストレートロングのカツラが落ちている。
「あれ?」
青年はしきりと頭のあたりに手をやるが、その手に触れるのはクセのある赤みの強い紅茶色の自毛だ。
そう。違和感の正体とは、それ……彼が、女性の服装をしていることだった。
「いや……これは、理由があって、その……」
女装青年はかーっと真っ赤になって、ますます挙動不審になる。
スィールとガルディアは、生温い視線を向けた。
差別をするつもりはないが、多少、含むものがあっても仕方がないというものだ。
「……じゃあ、これで失礼します」
とりあえず変な人には近づかないでおこう、とスィールは回れ右をする。勿論、ガルをしっかり抱えることは忘れない。
好奇心旺盛な世間知らずであるスィールだったが、変な人にほいほいと近づくほど能天気ではない。
「ちょっと、まったー」
カツラをかぶりなおした青年は、慌ててスィールを引きとめた。
その手は勢いよく外套のフードを掴み、はからずも、その場から逃亡しようとしていたスィールの首元をぎゅっと絞める。うきゅっという奇妙な声を発し、スィールはガルディアを抱いていた手を離した。
ガルディアは翼を動かし、空中でバランスをとる。
勢いよくひっぱられた反動で、スィールのやせっぽっちの身体は女装青年の腕の中に仰向けでおさまった。
『主に何をする。この無礼者っ』
反射でガルディアが焔を吐こうとするのを、スィールが手を大きく振って止める。この距離では一緒に巻き込まれて被害甚大だ。
「くるし……」
「すまない。……首をしめるつもりはなかったんだ」
緩んだ腕の中から抜け出て、思いっきり睨みつける。
心底すまなそうな様子で神妙な顔をしている青年は、その格好をのぞけば極めて普通に見える。だが、その格好が格好なので、その様子が一層の違和感を醸し出していた。
スィールは、数回、深呼吸をくりかえし、それから警戒心も露に問うた。ガルディアもいつでも焔を吐く体勢をゆるめない。
「何かご用ですか?」
言葉遣いこそ丁寧だったが、その声音は冷ややかだ。そのことをガルディアは不思議に思う。
(もしかして主は、人見知りが激しいのだろうか?)
アーネストを受け入れたのが早かったのであまりそんな風には思わなかったが、これまでの旅の間のことを考えると案外それが正解だという気がしてきた。
ここに来るまでの旅の間、あまり人には出会わなかったが、スィールはほとんど自分からは口を開かなかった。スィールが自分から積極的に話をしたのは、何度も買い物に来ていたという最初のダール村くらいだ。
「用、というか、誤解して欲しくなくて……」
女装青年の言葉に、スィールはあっさりと返す。
「別に女装趣味を咎めるつもりはないですし、誰かに言いふらしたりもしません」
「ないから!女装趣味なんて絶対にないから!」
「でも……」
強く主張されても、目の前に現物がいる状態ではいささか信じ難い。
外套こそよく見る灰色のものであるが、外套の裾からのぞいているのはあきらかにスカートの裾である。それも光沢のある柔らかな桃色の生地で、裾からのぞく控えめなレースが上品だ。
更に、履いている長靴も女性物で少しヒールがあるし、つけている香水も花の香りでいかにも女性的だ。
やむをえず女装するにしては、なかなか難易度の高い服装だと思うのはスィールだけではあるまい。
「ちょっと悪いやつに追われててね。えーと、変装っていうか……」
「別にあなたの事情を知りたいわけではないです」
「いや、そうかもしれないんだけど、でも、見ず知らずとはいえ、女装趣味の変態とか思われたら僕が切ないし」
「………………」
「……ねえ、その沈黙は何なんだろうか?」
スィールは、思いっきり不信げな眼差しを向けていた。
「わりと変装うまくいってたと思うんだよ」
「………………」
女装青年は、カツラがきちんとフードにおさまっている今の状態ならば背の高い女性に見えないこともない。口を開かなければほとんどの人間が騙されるだろう。いや、口を開いても、気をつければハスキーな声の女性といっても不思議はない。
だが、魔術的視界を有する人間は別だ。
ガルディアは、はっきりとは見えないが、それでも彼が女性でないことはわかる。スィールならば、尚更だろう。カツラがはずれなかったとしても、スィールならばきっと彼が女装していることに気付いたに違いない。
「あーーーーーっ。私だってこんなのは不本意なんだ。これでも騎士なんだ。剣の腕はたいしたことないけど」
「……別に私にいい訳しなくていいです」
「たとえ壊滅的につるっぺたで、細いとは聞こえがいいものの実はガリガリなだけの、見た目少年だったとしても性別はちゃんと女の子に誤解されるのは非常に不本意だ!」
女装青年の言葉に、スィールはむっとした表情をする。
「ガル、この人、失礼」
『主よ、このような変態と関わってはならぬ』
「行こ」
ぎゅっとガルディアを抱きしめたスィールは、再び転移の術式を足元に落とす。
「あああああああーっ、待って、待ってくれ、魔法士殿」
「女装してる変態騎士なんて知らない」
半ば捨て台詞のような言葉だけを残し、スィールは転移する。
転移先はアーネストの近くという曖昧な指定だったが、スィールは今度こそ着地をちゃんと決めた。
□□□
「アーネストっ」
村中スィールを探し回っていたアーネストが目にしたのは、何かに怯えるような硬い表情のスィールが転移してくるところだった。
「スィール!」
「アーネスト、変な人がいた!!」
ガルディアを抱いたまま、アーネストの腕の中に飛び込んでくる。普段、こんなふうにスキンシップを求めてくるような子ではないのでよほど怖い目にあったのだろう。
探している間にだんだん、勝手に迷子になった不用意さに腹が立って、再会したらビシッと怒鳴りつけてやろうと思っていたのにも関わらず、無事だった安堵が先にたつ。
「大丈夫か?何もされてないか?」
「平気。早く宿に戻ろ」
アーネストを見上げる眼差しは幾分甘えの色があるように思える。
「ああ。……どんなヤツだったんだ?」
「……えと……」
スィールは答えを躊躇う。
『女装した変態騎士だ』
代わりに答えたのはガルディアだった。
「女装……」
アーネストは何をどう言っていいかわからず、視線をさまよわせた。
「ちゃんとした騎士様が、女装なんてするわけないよね」
「え、あ、いや……」
「………アーネストもするの?女装」
腕の中のスィールの眼差しに、どこか怯えるような色が滲む。
「俺は絶対にそんなことしない」
アーネストは一字一句を強調するように告げた。
他の誰に何を誤解されようが、スィールにだけは誤解されたくない。
「そうだよね」
ほっとした表情を見せながら、ぎこちなく笑みをもらす。
「……変な人だったんだよ。女装趣味はないって主張してるくせに、女物の香水までつけてた」
「………………」
『主よ、変態に近づいてはならぬぞ。変態はうつるからな』
「うつらねーよ」
思わずアーネストは突っ込んだ。
『わからないではないか!我は変態に人権は認めぬ!!』
「……まあ、確かに変態に人権は認めなくていいけどな」
人権を認めぬと主張しているガルディア自身は竜族で人外なのだ。アーネストにはそれが何だか奇妙な感じがして、おかしかった。
くしゅん、とスィールが可愛らしいくしゃみをする。
アーネストは、腕の中のスィールを自分の外套の中にいれた。
「少し冷えてる。……宿に戻ろう」
そっと背に手をやり、歩き出すように促す。
怒鳴りつけようと思っていたことなど、すっかり頭の中から消し飛んでいた。
「うん」
「戻ったら風呂にはいるといい。ここは、温泉地だからすぐに入れる」
「温泉?ほんと?」
目がきらきらと輝いている。
あの沈黙の森の奥深くの小屋には、贅沢なことに、小さいものではあったが風呂が備え付けてあった。スィールは風呂好きだったのでほぼ毎日のように魔術で湯をわかし、アーネストもその恩恵に預かっていたのだ。
「ああ。……俺は詳しくはないんだが、水が湧くようにお湯が湧くんだという」
「うん。知ってる……あのね、あっちの山、火山だから。そのせいだよ」
スィールは、先ほどの祠のあった方角を指差した。
「火山があるから温泉になるのか?」
「そう。火山があるから火精があふれてるんだよ。……あのね、温泉とごはん、すっごく楽しみ」
スィールはアーネストに嬉しそうな笑みを向ける。
「そうだな」
アーネストはそっとスィールの頭を撫でた。意識してのことではなく、自然と手が伸びてしまった。
スィールは不思議そうにアーネストを見上げている。
「すまん。……つい」
スィールが実は人見知り癖があることをアーネストは気付いていた。
話しかけられれば見知らぬ相手であってもちゃんと受け答えするのでわかりにくいが、自分から口を開くことはないし、旅に出てからは外ではほとんど警戒心をとくことがない。
基本的に、スィールは他者と必ずある一定の距離を保っている。
(それはたぶん……)
他者が近づくことを容認する距離というよりは、剣の間合いだとアーネストは見当をつけていた。
その内に入ることを許されているのは、ガルは別格として、今のところ、ヴィ・ディルーとアーネストだけだ。
「ううん。アーネストは別にいい」
「そうか……」
スィールに、こんな風に自分が特別扱いされるのは満更でもない気分だった。
二人は、ぱたぱたと目の前を飛ぶガルの後をついていくようにして歩く。
「宿のごはんのメニューに、シチューがあるといいな」
すっかりおなかの減ったスィールは、腹の虫を宥めるようにおなかに触れる。
「たぶんあるだろう。宿屋の定番料理だ」
『我は、ホワイトシチューを希望する!』
「あればな」
『鶏肉が希望だ!』
ガルは、すっかり人間の食事に馴染んでいる。
「えー、お肉ー」
『少しは肉も必要だぞ。安心するが良い、主よ。皮と骨は我が食べてやるからな』
「うん。頼りにしてるからね、ガル」
『任せるが良い』
ガルディアは胸を張った。その様子がおかしくて、アーネストは笑った。
「たくさん食べなきゃだめだ。大きくなれないぞ」
「限度ってあるんだよ、アーネスト」
ふぅ、と溜め息を付く様子はこにくたらしくもあり、かわいくもあってアーネストの頬は少しだけ緩む。
「……大雪が降るね」
夜空を見上げたスィールが独り言のように言った。
「そうなのか?」
「うん」
うなづいたスィールのその眼差しが何を見ているのか、アーネストにはわからない。
どこか遠い眼差しだと思い、そして、それに不安を覚える。
「スィール」
「何?」
「……まだ、いろいろとうまくできないが、俺はおまえの騎士だ。それだけは忘れないでくれ」
「知ってるよ。……急にどうしたの?」
「いや……俺は、まだ相応しくないからな」
決着をつけねばならないのだ、と思う。
ウィリアムとも、そして、シュレイヤーンとも。
「騎士ってよくわからない。だから、何してもらえばいいのかもわからないけど、でも、アーネストが一緒にいてくれるのは嬉しい」
まっすぐなその言葉が嬉しかった。
「……いつか、俺が相応しくなれたら、おまえを守らせてくれ」
「ガルがいるのに?」
「ああ。……ちゃんと決着をつけたら、改めて誓いを立てさせて欲しい」
「……いいよ」
スィールは、それからいたずらをするような表情で付け加えた。
「でも、私は自分より弱い人に守られたりしないから」
「精進するさ。……あの妖精族のおまえの友に認められるように」
「こだわってるー」
「別にこだわってない」
「えー、こだわってるよ」
降り始めた雪の中にスィールの楽しげな笑い声が響き、ガルディアは目を細めた。