後編
「それじゃあ、我々はこの辺でおいとまするよ。
ピナちゃん、アレス、来なさい」
ゼウスが促すと、アレスは頷き、そして毅然と佇むエレノアの前にひざまずいた。
「なあ、お前、オレと一緒に来てくれよ」
「は、はい……?」
「お前、名前は?」
「エレノア……」
「エレノアか、いい名前だ。
オレはお前の、追放されてもなお毅然とした姿に惚れた!
オレの妻になってくれ!」
「え、えええ!?」
混乱するエレノアの横から、親友のリュシエンヌがそっと背中を押した。
「エレノア。アレス様は情深きお方。必ずあなたを愛してくれます。……アレス様、エレノアをお任せします」
「リュシエンヌ嬢、任された。代わりと言っちゃなんだが、貴女を含めた罪なき令嬢たちの今後を、愛と美の女神ヴィーナスに約束しよう」
「あ……ありがとうございます!!」
アレスがエレノアの手を取った時、ふと疑問が浮かんだ。
「親父、ところでこの国はどうするんだ?」
「アレス、聞こえないかい?」
地平線の彼方から、大地を揺るがす地鳴りが聞こえてくる。
──うちの娘を泣かせた奴はいねぇがぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!
「あ」
「後は彼女に任せよう」とゼウスが爽やかに笑う。
「なまはげ……じゃない、デメテル様怖えぇぇぇぇ!!」
「はははっ」
ゼウスが指をぱちんと鳴らすと、空間が金色に輝き始める。
「待ってください! ゼウス様、ハデス様! どうか……どうか我が国にお赦しを──!!」
王太子の必死の叫びも、神々にとっては風の音と同義だった。
アレスに抱きかかえられたエレノアが、最後に崩れ落ちる元・婚約者と兄を一瞬だけ冷ややかな目で見下ろし、静かに背を向ける。
光が収まった時、大ホールには呆然と立ち尽くす王太子一派とミルル、そして自分たちの運命を悟って絶望に沈む国王たちだけが残されていた。
そして──
ゴゴゴゴゴゴ……!!!
空が黒く染まり、城のガラス窓が一斉に砕け散る。
王太子が涙鼻水を流して懇願する目の前に、極寒の嵐と共に激怒した豊穣の女神デメテルが文字通り「ずい」と現れた。怒髪天を衝くその迫力は、完全に神話の災害である。
「頼む! 許してくれ!」
「お前たちは、うちの娘を泣かせた」
「え?」
「うちの娘を泣かせた」
「は、はい……っ」
「以上だ。この国の加護を剥奪する」
「待ってください!!」
這いつくばっていた国王が必死に叫ぶ。
「王太子は今すぐ廃嫡させます! 処刑でも何でもします! ですから、どうか加護を――!」
「我が愛娘を泣かせた国に、豊穣を与える理由はない。元の極寒の世界へ戻るがいい」
デメテルが冷酷に告げ、地を叩いた。
その瞬間、青々と茂っていた畑は一瞬で凍りつき、作物はすべて枯れ果てた。
王と王妃、そして大神官は「コレットの平穏な学園生活を保証する」というゼウスとの事前の約束を違えた罪により、そして攻略対象の親たちは、息子たちのしでかした愚行の責任をとる形で、迫り来る滅びを受け入れるしかなかった。
ただ、罪なき一般の国民や、真っ先に逃げ出したリュシエンヌの実家などは、デメテルの情け(とアレスの手回し)によって凍りつく前に隣国へと無事に避難することができた。
残されたのは、身勝手な断罪劇に狂奔した王太子一派、ミルル、そしてエレノアや罪なき令嬢たちをを追放した愚かな各家族たちだけだった。
その後、デメテル信仰の篤かったその王国に、二度と春が訪れることはなかった。雪と氷に深く埋もれ、やがて歴史からその名を消し去ったのである。
◇◇◇
後日、ヴィーナスのサロンにて。
「あーアレスじゃん、おひさー!
ウチに何の用?
ふんふん、バカに婚約破棄された令嬢ちゃんたちのアフターフォロー?
ウチに任しときー♡
最高の良縁組んだげる!」
ヴィーナスは世界地図をバサッと机に広げ、振り子でダウジングをする。
「まずはリュシエンヌちゃんね! この隣国の王弟殿下と……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
リュシエンヌが慌てて手を上げた。
「展開が早すぎませんこと!?」
「えー? でも相性めっちゃいいよ?」
「まだ私、王弟殿下のお顔すら存じ上げませんわ!」
「大丈夫大丈夫。顔はいいから」
「判断基準が雑ですわ!」
ヴィーナスは楽しそうに笑いながら、巨大な水晶玉をくるくる回した。
「ほら、この人」
水晶玉の中に、隣国の王弟の姿が映し出される。
端正な顔立ち。
落ち着いた物腰。
穏やかな微笑み。
「……まあ」
リュシエンヌが目を丸くする。
「なかなか素敵な方ですわね」
「でしょ?」
「ですが、私のような傷物を本当に受け入れてくださるのでしょうか」
「そこは問題なし。むしろ『あの婚約破棄劇を聞いて、ぜひ一度お会いしたい』って」
「……情報が早すぎません?」
「神様ネットワークなめんなー?」
「そんなものがあるんですの!?」
「あるよー♡」
ヴィーナスはにっこり笑う。
「それにね、リュシエンヌちゃんは自分のことをちゃんと自分で守れる子でしょ?」
「……」
「そういう子にはね。守ってくれる人じゃなくて、一緒に歩いてくれる人を選んだほうがいいんだよ」
リュシエンヌは少し驚いた顔をした。
「……ヴィーナス様」
「なーに?」
「ありがとうございます」
「いいっていいって!」
ヴィーナスはぱっと手を振る。
「じゃ、次!」
「次!?」
「エレノアちゃん!」
「は、はい!」
呼ばれたエレノアがびくっと肩を震わせる。
「エレノアちゃんはアレスがもう持ってったから、今回はスルー!」
「持ってったって……」
「おい」
隣でアレスが顔をしかめる。
「人を物みたいに言うなよ」
「じゃあアレスがエレノアちゃんをお嫁さんにしたってことで」
「そうだよ」
「即答じゃん」
「惚れたんだから仕方ねぇだろ」
「はいはい、ごちそうさまー♡」
「お前なぁ……」
アレスが頭を掻く。
そんな二人を見ながら、リュシエンヌが微笑んだ。
「エレノア、よかったですね」
「はい……!」
エレノアも嬉しそうに笑った。
「では次は……」
ヴィーナスが資料をめくる。
「はい次の令嬢ちゃん!、隣国の公爵家に嫁ぐ!」
「早いです!」
「次!」
「まだ返事してません!」
「次!」
「聞いてくださいませ!」
サロンに令嬢たちの声とヴィーナスの笑い声が響き渡る。
そして、ヴィーナスのサロンでは今日も。
「はい次の令嬢ちゃん! 大丈夫、恋愛運はウチが保証するから!」
愛と美の女神による、婚約破棄被害者救済作戦が続いていた。




