異世界での現実2
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なんとなく無言になった。
いくら理由を説明されても、納得できない。
王家と、アヅマと、反王統派との間の「約束」。
アヅマはそれをかたくなに守り、守らせている。
そんなにも「約束」が重要視される世界。
「オバさん、大丈夫?」
アヅマが振り返った。
「大丈夫じゃない」
「正直だね」
笑うアヅマからは、思ったような緊迫感はない。
「ごめんね。ちょっと、俺がいたころよりも状況が変わっているみたいだから」
「そうなの?」
「ん、結構長いこと、オバさんたちの世界にいたから」
「……どこに行くか、分かってるの?」
「とりあえず、フテリュアルア」
それは、王都の名だ。
まだ、森は続いている。
キクカが想像していたラグノリアの森は、こんな陰鬱なものではなかった。
鬱蒼とはしているイメージだったが、なんだか暗い。
この世界の、戦争の影響が大きいのだろう。
「ここから、どれくらいかかるの?」
そうキクカが質問した直後、
「もう、たどり着けないよ」
キクカにも言語と分かる、若い男の声が二人の足をとめた。
「見つかったか…」
後方から、長いローブをひるがえした「緑」の青年が歩いてくる。
暗い森の色とは、まったく別物の「緑」を持つ人。
「……誰」
きれいだった。
まるで彫刻のような、芸術作品のような人間。
「変な匂いがすると思った。なに連れてるの?」
「ヴュラ……」
アヅマの口から、得体のしれない言語が飛び出す。
きっと、この世界の言葉。
キクカには理解できない言語で、ふたりは会話を続ける。
知り合いのようだ。
キマキマの時のように、逃げることも攻撃することもない。
「女連れなんて、余裕だね?大臣たちは知っているの?」
「何を?この子の事?」
「僕たちと勝手な約束をしたこと」
「……」
「あ、知らないんだ?」
緑の青年は、キクカたちより少し年上に見えた。
どんどん、距離が縮まる。
「僕たちはどっちでもいい。向こうの世界に影響がでないようにって、戻ってきたのはこっちに好都合」
「そうかな?」
「そうさ。向こうの世界の元素は操りにくい。向こうで僕たちに勝てたからって、こちらでもそううまくはいかない」
緑の男が片手をわずかに広げた。
バンクルがきらりと光を弾き、乾燥した細い音が静かに広がる。
何かが、空気を切り裂くように。
「オバさん、伏せて!」
アヅマの命令に、体が素直に反応した。
頭の上を、「ひゅん」と何かが高速で通り過ぎた。
ドドド。
バギバギ。
「え」
轟音が響き渡る。
森の木々が、「切り倒され」ている。
緑の男に視線を戻すと、バンクルから、細い糸が放たれていた。
曇天に突き上げられた右手から、白く、銀にも輝く糸が周囲に光を残す。
それが、木を切り倒したものだと、原因と結果が結び付く。
「な、何なのー!?」
「彼はムルヒ・ヴュラ。暗殺者だ」
そんな説明いらない。
「王子、あたなに僕をとめられるかな?」
一閃。
踏み込みと同時に右手の角度が変わる。
鮮やか。
まるで舞踏のようだ。
アヅマはキクカの腕をつかみ上げ、強引に自分の背中に隠す。
「オバさん、俺から離れないで」
キクカの視界が、アヅマの背中でいっぱいになる。
時と場合を考えればときめいてなどいられないが、ふわりと漂うアヅマの香りに、心臓は勝手に鼓動を早める。
また、アヅマが知らない言語で何かを紡ぐ。
ゴゴ。
大地がうねる。
ヴュラの優雅さとは対照的に、乱暴なまでに土の防御壁が立ちあがる。
しかし、土は土。
鋭い糸の刃はたやすく壁を切り刻む。
「護りでは、僕に勝てないよ!どうする!」
劣勢に、アヅマの表情が曇る。
何かをためらう、そんな表情。
「更科くん!動き止められないの!?」
「キマキマ程度なら使える呪文だけど、ヴュラにはかけられない。早すぎる」
キクカにはその理屈は分からなかったが、できないということは、逃げることも難しいのだと理解できた。
「どうするの!」
キクカを後ろにかばって、アヅマの動きは鈍い。
閃く糸を土壁で防ぎながら、じりじりと後ずさる。
「その女、そんなに大事なの?」
ヴュラのバンクルに、糸が静かに戻っていく。
「……」
「答えられない?」
ヴュラの美しい顔に、す、と影がさした。
「じゃあ、その子がいなくなったら、本気で僕の相手してくれるかな?」
「なんだって?」
にやり、と。
下げられた両腕から地下にむけて無数の糸が伸びた。
勢いでローブが巻き上がるほどに。
息をのんだ。
きらきらと輝いて。
まるで天使のような。
美しさ。
「やめろ!」
地中を這った攻撃的な糸が、アヅマとキクカの直下から進軍する。
足場を崩すことなく、アヅマの背からキクカの体が離れた。
糸で作られた鳥かご。
囚われるキクカの意識には、それは美しい光景に映った。
だが。
糸に触れる部分が裂ける。
制服のスカートが、シャツが、そして肌が。
「いたっ」
「オバさん!」
伸ばされたアヅマの手から、キクカを閉じ込めた糸の鳥かごは器用に距離をとる。
そして、その鳥かごは徐々にその半径を小さくしていく。
結末を想像して、キクカは悲鳴を上げるしかない。
「やだっ!いやーぁっ!」
「女の悲鳴って、いつもうるさいよね。ま、むさくるしい男よりマシだけど」
「ヴュラ!」
「何?」
「殺すな!」
アヅマの口から発せられた懇願を、ヴュラは満足そうに微笑んで受け流す。
「じゃぁ、僕を殺すしかないよ?」
二人の間に交わされる会話の時間にも、キクカを閉じ込める鋭利な糸は縮み続ける。
美しいと思ったその糸の輝きはすでに凶器以外の何物でもなく、キクカを襲う冷たい刃。
ぬるいキクカの血が、糸を染める。
「助けてっ」
キクカの悲鳴がアヅマの心に刺さる。
ぎゅ、とアヅマのこぶしに力が入った。
「・・・・・・・!」
キマキマの時とは違う、短い言語の連なり。
土が盛り上がったのとは違う、軽い振動。
糸の動きが止まった。
土が。
キクカの足元の土が抉れて消えた。
キクカを包む檻が倒れる。
「大地に愛されて、生まれた」
状況を認識し、ぼそりとヴュラが呟く。
「君のためなら、この世界は何でも言うことを聞く」
糸が主人とのつながりを断ち切られ、煌めきを失った。
そして、大地に溶け込むように消える。
「……大地が、世界が、君に僕は必要ないと…」
ヴュラが何を言っているのか、キクカには分からなかった。
だが。
ヴュラの体を貫く黒い塊が、何を意味するのかは分かった。
「その女の、何が君に必要?」
「……そうだね。俺の秘密を知る唯一の人」
「殺してしまえば、秘密は永遠だ」
「そう、だね」
「あなたに、この戦いをとめる力はない」
「そうかもしれない。でも、約束した、だろう」
ヴュラが笑った。
「自分の命と世界、同時に守れるものか」
「俺には、大切なものだ」
そして、ゆっくりと。
笑みの形の口元が鮮血で濡れる。
それは、キクカと同じ赤。
「世界の終末に立てなくて、残念だ…」
キクカは、人の命が消える瞬間を。
初めて目の当たりにした。