異世界での現実1
襲われるのではないかという緊張もあって、キクカはまったく眠ることができなかった。
朝日が昇っていくのを、少し亡羊とした気分のまま眺める。
消えることの無かった炎は、やはりアヅマの特殊な力が作用しているのだろう。
炎の反対側で、アヅマが寝息を立てている。
この世界の統治者の後継者だというアヅマ。
「それって、俗に言う王子様、よね」
しかし、サバイバルに慣れているのか、第3の地球に疎開して野性的になったのか、眠るアヅマはキクカがイメージするような王子の姿ではない。
深槻の小説にも王家や貴族が登場するが、そこはやはり女子受けしそうなキャラなのである。
豪奢な宮殿に住み、美しい容姿を持ち、数々の陰謀を乗り越える。
統治者という存在が深槻の小説のままであれば、そんな王宮を継ぐ存在。
「あれ、オバさんもう起きてたの?」
まるで、自宅の部屋のベッドから起き上がるような。
伸びをして、あくびをしながらアヅマが「おはよう」と続ける。
返事をしないキクカをもう一度よく観察して、
「まさか、寝てないの?」
咎めるような口調で問いただした。
「あ、あのね!普通の女の子はこんなサバイバルできないの!」
声が上ずってしまったが、負けじとキクカは反論する。
目の下に浮かぶ疲労感が、アヅマに分からないはずはない。
少し、アヅマは後悔する。
「……抱いて眠れば良かった?」
「なんでよ!あなたどんな生活してきたのよ!」
極力優しく改善案を提示したつもりだったが、否定と拒絶の反応が返ってくる。
「極普通の高校生活を送ってきたつもりなんだけどね?」
真面目なのか不真面目なのか、さっぱり分からないアヅマの回答。
だが、こんな状況におかれてか「普通」の生活は過去形の表現となっている。
「まぁ、いいや」
起き上がると、アヅマは衣服に付いていた土埃を払う。
そういえば、制服のままだ。
「森を出よう」
「どこへ行くの?」
「人のいるところ」
「街が、あるの?」
「そうだよ、知っているんじゃないの?あの人が小説に書いたから」
アヅマがいう「あの人」とは、小説家深槻左九夜のことだ。
彼の書く小説の情報は、アヅマが提供したものだという。
それが、この世界の話だということは、キクカにも良く分かる。
小説として紡がれる文章から、いつも想像していた。
ラグノリア、ブルテンツ、ディッヒーテエルン、シンクー。
大きな都市と、古代ギリシャのポリスのような街。
空を支配する妖獣は、天帝ゼウスのように他をなぎ倒し、海を住処とする魚人はポセイドンに引けをとらぬ勇猛な種族。
そして。
「大地に身を寄せる人類は、調停者として世界の管理を行い、街を守る…」
「正解。本当にあの人の小説、好きなんだね」
まるで喜ばしいことではないような。
アヅマは複雑な表情でキクカを見る。
キクカが口にした言葉は、小説の一節だ。
それを聞き正解と言えるほどに、アヅマも彼の小説を読んで覚えているのが想像できた。
「さ、明るくなったし、早く街に行こう」
しかし、自分がふった話題にもかかわらずそれ以上の追求を拒むように背中を向けた。
太陽が昇る方角とは反対に歩き出す。
ここが地球の未来の姿で、かつ太陽系の星になんの変容もなければ、西に向かっていることになる。
「ちょ、待ってよ!」
キクカは、小走りでアヅマを追いかけた。
キクカたちが去った後。
煙だけを吐く炎の跡に若い少年の姿があった。
緑色の髪は短く切りそろえられ、張りのある肌に整然と配置された目鼻は、ローマの彫刻のように計算された美しさを表現している。
瞳もまた深い緑で、長いまつげの先が淡くピンク色をしていた。
少年は、くすぶる”力”の跡を指の腹でそっと触った。
「……王子の気配」
自らの推測を確信とするため、つぶやく。
薄い唇が、笑みの形に弧を描く。
広い森を歩いてきたのか、ローブの端々に木の葉や草の種が引っ付いている。
ばさりとそのローブを翻すと、草木の分身たちだけが空気に舞った。
少年の姿は、風のように消えていた。




