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俺はコイツに純恋を捧げる

   ◇ ◇ ◇


 まだ日陰に残雪が残りつつも、春の日差しが優しく山ノ中を包む頃。


「ああ、やっぱり。まだ桜のつぼみは開いてないな」


 買い物帰りに、俺たちは山手にある神社の境内に立ち寄った。


 春になると境内の桜が見事に咲き、毎年美しい景色を見せてくれる。桜だけなら他にも名所はある。だが、ここからは山ノ中の町を一望できる。桜の花が風にそよぎながら見る町の光景は、この地で生まれ育った俺には一番の景色だ。


 俺が目を細めて町を眺めていると、隣に並んだライナスが小さく笑った。


「早く一緒に見たいです。去年は漆芸を覚えるのに必死で、お花見できなかったので」


「そうだな。俺もお前に早く覚えさせたくて、花を見る余裕すらなかったな……ここの桜はきれいだぞ」


「フフ、楽しみです。ツジグチさんやハマナカさん、ミズナカさんたちも誘ってお花見しましょう!」


 子どものようにはしゃぐライナスに、今度は俺が笑いを零す。


「ああ。その時に冬のあの件で世話になった分、良い酒を買って振る舞わないとな」


 冬の件というのは、ライナスが夜の大雪の中を歩いて俺の所へ戻ってきた日の話だ。


 最寄りの空港まで、辻口たちはライナスの見送りに来ていた。本当にこれでいいのかと、辻口たちは引っかかっていたらしい。


 だから搭乗前にライナスがローレンさんへの説得を始め、半ば強引に山ノ中へ戻ろうとした際、思わず協力していたと辻口と濱中から話を聞いた。


 憤慨するローレンさんを辻口が宥め、水仲さんが諭し、濱中がライナスを車で送る――まさかの連携プレイに俺は驚くばかりだった。


 辻口と水仲さんは、ライナスという将来が有望な漆芸の担い手に居て欲しかったという思惑があったらしい。だが濱中は『俺に希望を持たせて下さい』という理由での協力だった。もしかすると第二のライナスになって、片想いしている辻口にぶつかる気なのかもしれない。


 辻口、せめて気づいてやれ。受け入れろとまでは言わないから、自分の色恋ぐらいはもう少し鋭くなれ。


 辻口への注文を心の中で垂れ流していると、ライナスが「あっ」と声を上げる。


「ミズナカさんはお酒ダメなので、良いお団子も用意しましょう」


「そうなのか? いつの間にそんな話を……」


「漆芸館でカツミさんを待ってる時、たまにミズナカさんが来てくれるので、お喋りしてます。いっぱい喋ってくれます」


 余所者には厳しいのに、一度懐に入れるとここまで違うものか。ライナスはニコニコと話を聞く奴だから、さぞ絶好の話し相手なのだろう。町に馴染んでいて嬉しいと思うが、少し妬けてしまう。


 一緒にやっていくと腹を括ったあの日から、ライナスを独り占めしたい衝動に駆られることがある。今まで我慢してきたせいで、加減ができない。


 思わず頭を冷やしたくなって、俺はライナスから離れ、フラフラと境内の奥へと向かう。

 山の中ほどにあるため、境内を見渡せば山の草木があちこちに生えている。その中に、薄い紅を宿した花が二つ、三つと付けた細い木があった。


「山桜が咲いてるな。地味だが、これぐらいささやかな花もいい」


 まだ他の草木は冬支度のままな中、ひっそりと目覚めて花を咲かせる山桜。独りだった時は、ただ視界の脇を通り過ぎる景色でしかなかった。今はこの姿が、限界集落で二人寄り添ってやっていく俺たちに重なる。まあ俺たちの場合、ライナスに華はあるが俺は皆無だが。


 自分と花を重ねる日が来るとはな……と苦笑してから、俺はライナスの動きがないことに気づく。


「ライナス?」


 振り返ると、ライナスは少し離れた所で微笑みながら、俺を見つめていた。


 春の木漏れ日のような笑みを浮かべながら、その目は決して甘くはない。俺というモチーフを真剣にとらえ、今この瞬間を切り取り、自分のものにしようとしている職人の目。


 本当にライナスは俺を通して自分の世界を築いている。……いや。もしかすると、俺を介してこの世界と繋がっているのかもしれない。


 どちらにしてもライナスにとって、俺がすべてなのだ。こんな花も似合わんおっさんに、何を見出しているんだ……と心の中でごちてから、俺はライナスを軽く睨んだ。


「まさかとは思うが、今度の漆器まつりの蒔絵に描く気じゃないだろうな?」


「描くに決まってます。あと花見でほろ酔いになった、妖艶なカツミさんも描きたいです」


「それはお前にしか需要がないからやめろ! あと妖艶なんて言葉、よく覚えたな?」


「図書館の本で覚えました。もっと日本語を覚えて、カツミさんをいっぱい褒め称えたいです」


「今以上に俺を褒め殺す気か? 恥ずかしくてたまらんから、むしろ控えてくれ。頼むから」


「嫌です。一緒にいられる時に、いっぱい愛したいです。いつ何があるか分からないのに、控えるなんて無理です」


 正論を言われて怯んだ俺にライナスが近づき、真正面から冷えた体を抱き包んでくる。


 慌てて俺は辺りを見渡す。まだ蕾が膨らんだだけの桜を見に来る者などいない。俺たちしかいないことを確かめてから、俺は力を抜いてライナスに身を委ねる。


「気持ちは分かるが……外ではやめろと言っているだろ」


「じゃあ帰ったらすぐ、いっぱい言わせて下さい。カツミさんのさっきの顔が、どれだけ美しくワタシの心をとらえたのかを……」


「言葉より絵にしてくれ。そのほうが俺は嬉しいし、よく伝わってくる」


「じゃあ言いながら描きます」


「絵に集中しろ。手抜きは許さん」


「それは師匠命令ですか?」


「いや。恋人として……ワガママだ」


 らしくないことを口にして顔を熱くする俺に、ライナスがそっと囁く。


「カツミさんを描くのに、手を抜くなんてしません。いつも本気ですから」


 逃げ場のない俺へ、ライナスは容赦なく想いを詰め込んでくる。受け入れてしまったのだから、突っ返す必要はないのだが……ライナスの溺愛ぶりに窒息しそうだ。


 そして、もっと温もりを感じたいと俺の頭が甘くなってしまう。


「……そろそろ帰るぞ、ライナス」


 外ですらこの調子だ。家の中に入ってしまえば、より甘い時間に閉じ込められてしまう。――極寒にしか思えなかったあの家に、こんなにも帰りたくてたまらない日が来るなんて。


 俺が熱い吐息を漏らすと、ライナスが「はい」と嬉しそうに抱きすくめる。


 また今日も、明日も、二人だけの世界に沈んでいく。塗り重ねて、使い込んで深みを増していく漆黒のように、俺たちの仲もそうやって熟していくのだろう。


 ライナスが独りになる日が来ても、彼が俺の名残りで生きられるよう、俺も応えたい。


 この命の果てまで、俺はコイツに純恋を捧げる。




 【END】


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