四、雪降る中で
朝から出たため息を聞いた松島は、咲の目の前に置かれた殿方の大量の文のせいだと思ったのだろうが、実際は違った。
寝る前も、目が覚めた後も、彼の事が頭から離れないのだ。
彼の声、手、顔。
昨夜言われた言葉もぐるぐると頭の中を回っている。何をしていても、彼の事ばかり考えてしまう。
ついにはもらった文まで読み返してしまう始末だ。
また朝に届けられた椿を見つめ、再びため息をもらす。
今朝は文はなかった。
椿の花一輪だけ、彼の使いが大事そうに布で包んで届けにきたのだ。
「わたし、どうしたらいいのかしら」
独り言を呟くと、松島が首を傾げ、咲は彼女に相談しようとして──やめた。まだ整理できていないものを松島に話してどうすると言うのだ。
迷いを振り払うように、毎朝恒例の仕分け作業を始める。
大抵が常連なので、手際よく文を廊下へ捨てようとして、咲は思いとどまる。
せっかく書いたものを、読まないのもどうなのだろうか。
返事は返さないにしても、相手が必死になって書いたものを、読むくらいしなくては。
咲が封を切って文を読み始めると、松島は驚いて咲の額に手を当てた。
「姫様、お熱でも……?」
「失礼ね。いただいた物を捨てるなんて、やはりいけないと思うから読んでいるだけでしょ」
たとえ彼らの文は一方的でも、全て咲に向けられた文だ。
そう思って読み進め、松島にも封を切らせる作業をさせた。
そこには、あまりにも一方的で、あまりにも誠実な文章があった。
何にも返事を出さない咲に飽きることもなく、なんとか気を惹こうと気を使う、頑張りが見えた。
「このまま送り続けてもらうのも悪いから、返事でも出そうかしら」
相手も、この文を考える時間を他に向けた方がいいだろう。答える気がないのなら断ればいいのだが、今までそうしなかった自分を、咲は恥じた。
***
その晩は遅くまで起きて、今まで送ってきた殿方への詫び状を書いた。
今まで返事をしなかった事、頂いた文が嬉しかった事──結婚する旨を何十人もの枚数を書いた。
おかげで翌朝には疲れが長引いたが、すぐに女房に大量の文を渡し、松島を呼んだ。
「おはようございます、姫様」
「松島、わたし結婚するわ」
開口一番にそう言うと、度肝を抜かれた松島が素っ頓狂な声を上げた。
そんな彼女を笑いかける。
「東野正昭様よ」
「東野様と!?」
「昨夜のでね、言われたの。東野様は、わたしが寄り添ってもいいと思うのなら今夜障子を開けて待っていてとおっしゃるのよ」
彼は一方的な今までの殿方とは違う。咲の気持ちを優先させつつも、自分の気持ちは惜しみなく注いでくれる。
一方的とは違うそのやり方が、咲には新鮮でもあり、また今までの自分も受け取るだけの一方的なやり方だと理解したのだ。
「だからわたし、待てないから東野様のお屋敷に行こうと思うの。松島も準備して」
「東野様のお屋敷へですか!?」
何事にも無精で消極的な咲が急に出向くだなんて、松島は思ってもみなかったのだろう。
「わたしは東野様の気持ちを十分にいただいたの。だから今度はわたしが東野様にあげる番だと思うのよ」
考えてみれば毎日送られてくる椿にしても、こんな寒い中──しかも夜中に出向くことにしても、どんなに大変なことか。
何かを咲もあげたいのだ。
「しかし姫様、本日は雪がふっていますよ」
まだ冬には早いはずなのに、確かに空からはらはらと雪が降ってきていた。
「東野様のお屋敷はそんなに遠くないのでしょう? 同じ都にあるのだから雪を楽しみながら歩いて行きましょう」
「姫様!」
名家の娘が歩く、なんてことは滅多にない。だから雪の中を歩いたことも──都を歩いたことですら咲はなかった。
「楽しいわよ」
無精娘が一度動き出すと誰にも止められない。
あの人に、自分を早くあげたくて──早く彼のものだけにしてほしくて、咲は綺麗に着飾って支度をした。
「雪で衣が濡れてしまいますよ」
「でも歩いていきたいもの」
咲のわがままを、松島は渋々聞き入れた。
頭から被る傘を二人ともつけて、足元が塗れないように少し底が高い下駄をはいた。
転ばないように杖でゆっくり歩きながら松島と都を歩くと、その珍妙な姿に町人達が注目する。
たとえ積もっていなくても、冬の中を歩くには不向きな格好の咲は、さぞやおかしな姿に見えるのだろう。
しかし、横切る町人達が唾をのむ様子に、不向きではあるけれど、自分が綺麗なのに、咲は安心した。
松島に東野邸までの道のりを案内してもらっていると、前から数頭の馬に乗った男達が駆けてくる。
「咲!」
力強く呼ぶ、聞きたかった声に、咲は立ち止まって微笑んだ。
目の前にまでやってくると、東野は馬から降りて咲に駆け寄った。
「なぜあなたが……」
続く言葉は、咲の「東野様」という声で遮った。
「わたし、東野様に申し込みをお断りしたくて来ましたの」
すぐに表情が暗くなる彼が可愛くて、咲は笑みを崩さずに続けた。
「そのかわり、東野様にわたしを差し上げに来ましたわ」
は、と驚いて呆気にとられる東野に、咲はそっと顔を伺うように尋ねた。
「わたしを、もらってくれます?」
不安になって笑みを消して言うと、東野はやがて破願して、思い切り咲を抱きしめた。
「もちろん!」
勢いよく抱きしめられたせいで被っていた傘が雪で濡れる地面に落ちた。
しとしとと降る雪が、まりで祝福の花のように降り注ぐ。
寒い中、まるでお互いの体温で温めるかのように、二人はずっと抱きしめあった。
2012.01.02 天嶺 優香
完結。長さ的に短編ものとして作成したため、いろんな所を端折ってます。じっくり書くのではなく、さっと書いてさっと終わらせる。そんな形式が好きだったころのものですので、物足りなさは……ごめんなさい。