放課後チルタイム
「……ふぅ。命拾いしたというか、人生の迷子になった気分です…」
蓮華姉さんを脅迫した次の日の放課後。
旧校舎の図書準備室のパイプ椅子に深々と腰掛け、篠原が長いため息を吐いた。
「同感だよ…ていうか、あの妙蓮寺先生が深夜アニメ観て玄関前で泣くタイプの人だったなんて、いまだに脳の処理が追いついてないよ…」
隣の椅子に座る羽沢も、机に突っ伏しながら力なく同意する。
ここ最近は怒涛の日々だった。
秘密の共有から始まり、隠れオタクの鉢合わせ、同好会の立ち上げ、そして最恐教師・妙蓮寺蓮華の弱みを握っての顧問就任。
一連の騒動を乗り越えたこの図書準備室には今、どこか心地よい脱力感と、初夏の爽やかな風が静かに吹き抜けていた。
「まあ、これでこの場所が誰にも邪魔されない『正規の隠れ家』になったわけだ。万々歳だろ」
俺――東白楽は、購買で買ってきた紙パックのいちごミルクのストローを咥えながら、窓の外の校庭をぼんやりと眺めた。
運動部の掛け声や、遠くで鳴る吹奏楽部のトランペットの音が微かに聞こえてくる。
「……楽くん、それ、いちごミルク?」
突っ伏していた羽沢がチラリと顔を上げ、ジト目を向けてきた。
「意外だな~。もっとブラックコーヒーとか飲んでそうな冷めた顔してるのに」
「偏見がすぎる。甘いものは脳の疲労回復に必須なんだよ。お前こそ、なに飲んでんだ」
「私はこれ!」
羽沢が机の上に置いたのは、オシャレなカフェのテイクアウト用カップ……に見せかけた、コンビニの高級カフェラテだった。
「学校では『放課後はお気に入りのカフェで読書するのが日課なの』って雰囲気を出すための小道具よ」
「見栄の張り方が相変わらず生々しいな……」
「なにか言いましたか、楽くん?」
光をいっさい反射しない硝子玉のような眼差しだ。
「いいえ、何も」
すると、向かい側に座る篠原が、嬉しそうに自分の鞄から何かを取り出した。
木箱に入った高級そうなティーバッグと、折りたたみ式のマイカップだ。
「ふふん、甘いです二人と!真の『チルタイム』とは、こういうものを言うのです!」
篠原は準備室の隅にある古い電気ポットでお湯を注ぎ、ふんわりと甘い紅茶の香りを部屋中に漂わせた。
「……ん〜、至高の香り。やっぱり、アリア様が作中で愛飲されている『ダージリン・セカンドフラッシュ』に限ります……」
「完全にオタクの聖地巡礼を日常に持ち込んでるじゃない」
羽沢が呆れたように笑う。
「でも……なんか、いいね。こういうの」
「ん?」
「ううん。いつもならさ、放課後って『大人しい自分』を演じ続けるために、すっごく気を使ってるから。……こうやって、誰も周りの目を気にしてない空間で、だらだら飲み物飲んでるの、いつ以来だろ」
羽沢はふっと力を抜き、窓枠に肘をついて柔らかく目を細めた。
学校で見せる「作られたアイドルの微笑み」ではなく、年相応の、少し疲れた等身大の少女の顔だった。
「……分かります」
篠原も紅茶のカップを両手で包み込みながら、おっとりと頷いた。
「私も、クラスでは『完璧な姿』でいなきゃいけないので……本当はもっと、推しについて大声で語り明かしたいし、少女漫画の展開に泣き叫びたいのに、ずっとブレーキをかけていて」
俺と羽沢を順番に見つめ、少し恥ずかしそうに頬を緩めた。
「でも、ここには私のオタクな部分を軽蔑する人もいませんし……何より、東白くんのあの生暖かい目が、いい感じに冷めていて落ち着きます」
「俺の扱いはそれで合ってるのか?」
「大正解です!」
篠原がクスクスと笑い、羽沢もくすりと息を漏らした。
静かな放課後。
窓から差し込む夕日が、三人の影を準備室の床に長く伸ばしていく。
学校での完璧な仮面を脱ぎ捨てた二人の美少女と、それに巻き込まれたな俺。
お互いの秘密とダメなところを知り尽くしたからこそ生まれる、不思議と居心地の良い空気。
「……ねえ、東白くん」
篠原がカフェラテのストローを弄びながら、ぼそっと呟いた。
「なに?」
「来週の月曜、新刊の少女漫画持ってくるので……また、感想戦、つきあってくださいね」
「……気が向いたらな」
「もう、そこは『喜んで』でしょ!」
「私にもラノベの素晴らしさを語らせてよね!」
三人の文句と賑やかな笑い声が、夕暮れの準備室に溶けていく。
怒涛の嵐が去り、俺たちの「秘密の文芸同好会」は、ようやく穏やかな日常の第一歩を踏み出したのだった。




