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鈴が鳴るたび戦国へ――滅びを選び続ける男と、それを許さない血の物語  作者: 宮緒葵(旧:ペコラ)
序章・ありふれた地獄

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1・歴史文化研究会

「南無阿弥陀仏」

「南無阿弥陀仏」



 襤褸ぼろをまとい、痩せこけた人々が唱和する。



 それは本来、祈りの言葉であるはずだった。だが目だけが爛々(らんらん)と輝き、錆びた鍬や鉈を手にした人々の口から出たとたん、粘つく呪詛に変わる。



「そう。死は終わりではない」



 面布で顔を隠した女が、蜜よりも甘い声を紡いだ。



「浮き世の理はすでに壊れている。御仏にすがり、往生した者だけが来世の幸福を掴めるのじゃ」



 蝶の羽のように袂をひらめかせながら諸手を挙げると、周囲の人々は感涙にむせび、女を拝む。『南無阿弥陀仏』と墨書されたむしろの旗があちこちで揺れる。



「導き手様の仰る通りじゃ!」

「我らは現世では報われぬ!」

「極楽往生! 極楽往生!」



 うわああああん……っ。



 そこかしこから上がる怒号は絶え間なく唱和される念仏に混じり、羽虫の群れの羽音のごとく広がった。生理的な嫌悪を催すそれに怯まず、女に対峙する若い武士は鋭く言い放つ。



「極楽だと? ……拙者は見たこともないもののために命など払えぬ」



 武士は腰に二刀を帯びているが、どんな凄腕剣士でも、百人を下らない人々に敵うとは思えない。

 このままでは……。



「死ぬな、あの男」



 立ち尽くすとおるの背後で、緊張感のかけらもない呟きが落ちた。ばっと振り返れば、こんな時さえ余裕綽々の後輩が学食のメニューでも眺めるかのような眼差しを数十メートル向こうに向けている。



九条くじょう……お前、何言ってるんだよ。早くあの人を助けなきゃ……」

「どうやって?」

「どうやって、ってそりゃ、110番を……」



 震える手でどうにかスマートフォンをポケットから取り出し、透は絶句した。待ち受け画面には『圏外』の表示。Wi-Fiも拾っていない。



「通報しても、泣いても叫んでも、誰も助けに来ちゃくれねえよ。俺たちも……あの男もな」



 ゆっくりと吊り上げられる唇に視線が吸い寄せられる。何なんだ、こいつは。このとんでもない状況を愉しんでいるみたいな――。



「……っ、でも、人が……」



 殺されかけてるんだぞ、とまくしたてようとした口を、にゅっと伸びてきた大きな手がふさいだ。そのまま不躾に寄せられた顔が夕日に照らされ、紅く染まる。



「それがどうした?」

「う……っ、ぐっ……」

「あんなもの……こっちではありふれた地獄だ」



 酷薄な笑みに彩られた美しい顔は、まるで地獄に君臨する魔王のようで。

 透は無意識に、シャツの上から己の胸元に触れた。



 鈴のは、聞こえなかった。




 早くも桜が散り始めた四月上旬。

 新入生を迎えた都内の国立大学のキャンパスは、いつになく華やいでいた。開け放った窓からサークルへ勧誘する呼び込みや、弾ける笑い声が風に乗って聞こえてくる。



(俺も去年は、あっち側だったんだけどなあ)



 こみ上げるあくびを噛み殺し、波座なぐらとおるは椅子に座ったままぐるりと首を回した。

 ごき、と嫌な音がする。昨日は待ちに待った新刊の発売日だったので、つい徹夜で読みふけってしまったのだ。入部希望者が来るかもしれないから二年生は部室に待機していろ、との歴史文化研究会のグループLimeでお達しがあったのに。



(ま、いいか)



 二十歳の年齢よりも幼く、下手をすれば高校生と間違われ、居酒屋では必ず身分証を出すはめになる童顔が、へにゃりとゆるんだ。



 歴史文化研究会、などと称してはいるが、実態は歴史好きが集まって歴史トークをする程度のゆるいサークルだ。名簿上、総勢二十人くらいで、活動日は月に一度。普段はLimeグループでだらだらとトークしている。飲み会の時だけ姿を現す幽霊部員もおり、もしかしたら部長も全員を把握しきれていないかもしれない。



 サークル新入生募集だって、大学の掲示板に『新入生募集中!』と貼り紙をする程度のやる気のなさだ。一応、透の他にも二人ほど二年の男子学生が待機しているが、どちらもスマートフォンをいじったり締切間近のレポート作成に勤しんだりで、新入生を呼び込みに行こうとする気概はゼロ。



 どうせしばらく経てば、キャンパスライフに慣れた同好の士がここの存在を嗅ぎ付けてドアを叩く。熱心な勧誘はせず、去る者も追わない。

 そういう緩さを、透も気に入っていた。



「あら、三人も来ているの?」



 持ち込んだ新刊をリュックから出そうとした時、部室のドアが開き、一人の女性が入ってきた。三年生の久我くが千歳ちとせだ。



「久我先輩!」



 それぞれの作業に夢中になっていた男子学生二人が頬を紅潮させ、立ち上がった。



 歴史文化研究会の男子学生の半分は千歳目当てで入部したと言われているが、それも無理はない。

 白いニットワンピースに包まれた肢体はほっそりしているのに出るべきところは出ており、背中まで伸びた黒髪は烏の濡れ羽色という古風な表現がぴったり嵌まる。おっとりとした清楚な顔立ちは百人いたら百人が振り返って見惚れ、半分以上がふらふらと付いて行くに違いない。



 ただそこにたたずんでいるだけで、あたりが白く照らされるような美女。

 それが久我千歳という女性だった。



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