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エピローグ

 夕方、皇帝の執務室にコーデリアとカイルディーンはやってきた。セシルやアルトも呼ばれて、全員で応接スペースのソファーに腰掛けている。


「魔女殿の周囲から、ディーンファルト殿の魔力が消えていますね」


 アルトが、向かい側に座る二人を見ながら言った。


「流石だね、アルトにはわかっちゃうか」


 苦笑して答えたコーデリアを気遣うように、ダリウスが彼女を窺い見る。


「先生、体調は問題ないのか?」


「うん、ちゃんと心臓も動き出したよ。ありがとうね、ダリウス」


「俺としては、どうしてそんなに綺麗に師匠のアレが解けて、かつ、公子の魔力量が増えたのか?すごく気になるけど……」


 そしてセシルは真剣な表情で、並んでいる二人に交互に視線を向けている。

 キスしたら魔法が解けました……とは言えずに、コーデリアは口籠る。


「セシル、それは、あの……」


「殿下、それ以上はご容赦下さい。コーデリア、君も別に言わなくていい」


 薄っすらと頬を染めたコーデリアの頭に手を乗せて、カイルディーンが答えた。

 なんとなく察したセシルはため息をつき、アルトは茶を口にする。

 ダリウスは姿勢を崩して、背もたれに寄りかかった。


「あ〜、ところで、先生。ジルには?」


 この場にいない側近のことをダリウスは思う。ジルラートにも、カイルディーンが訪れたことは伝えてあった。

 コーデリアは、頷くと立ち上がる。


「うん。これから、話してくる」


「コーデリア、私も、行こう」


 コーデリアの手を取ったカイルディーンが立ち上がろうとするが、彼女は首を横に振ってそれを止めた。


「ううん、これは私と彼のことだから。ちょっと行ってきます」


 そして彼女は、サッと転移で姿を消してしまった。

 カイルディーンは空いた手をじっと見つめる。転移魔法は、過去の自分にも使えなかった。もちろん今もだ。だがコーデリアは、簡単にそれを使ってみせる。

 いや、そんなことよりも、気になるのは彼女の行き先だ。

 ジルラート……コーデリアを支えていたという男。王国でもいつも彼女を一番近くで護っていた。コーデリアを思い出す度、彼に対する嫉妬心がわき起こった。カイルディーンが身体を鍛え剣を学んだのは、彼に対する対抗心からだ。

 この3年間、いやおそらくもっと前から、ジルラートはコーデリアの側にいた。そして、コーデリアも明らかに彼を特別に思っている。


「大丈夫だよ、公子殿」


「え?」


 ダリウスの声に、カイルディーンの視線は彼を向く。

 仕方なさそうに笑っている皇帝は、カイルディーンの心情を理解しているのだろう。


「ジルの、ジルラートの一番の願いは、先生が心から幸せに笑っていることなんだ。例え、それがジルがもたらすものでなくても、彼はちゃんと先生の幸せを願えるよ。

 それだけの関係を、あの二人は築いてきた」


 ダリウスの言葉は、カイルディーンにとって耳の痛い話だ。

 ジルラートはカイルディーンが思うよりずっと、高潔で立派な騎士らしい。


「それは、自分の至らなさを見せつけられているようで、素直に喜べませんね」


 自嘲するように吐かれたカイルディーンの言葉に、

(まあ、彼の気持ちも理解は出来るけど……)

 と、ダリウスは思う。


「……公子殿は、先生の日記を、読ませてもらうと良い」


「日記、ですか?」


 そういえば、コーデリアの部屋に案内されたときセシルが言っていた事を、カイルディーンは思い出す。


「あれは、いつか戻って来た君に見せる為に、記録してきたと言っていた。君には辛いことも書いてあるかも知れないが、先生の千年を知ることは、君だけの権利であり、義務だと思うよ」


 そうだった。

 自分は、最愛の妻だったコーデリアを気が遠くなるような時間、縛り付けた人間だ。

 そんな身勝手な自分を、彼女はまた愛してくれた。

 カイルディーンは知らなければならない。

 この千年の間の彼女の苦悩と愛情を。

 そして、彼女を支え続けてくれた周囲の人達に感謝して、伴に生きなくてはならないのだ。


「……そうですね」


 カイルディーンの心からの言葉に、ダリウス達は安堵したように微笑んだ。




「ジル」


 一方、近衛騎士隊の隊長の執務室では、突然現れた気配と共に掛けられた声に、ジルラートが顔を上げる。


「コーデリア様、こちらまでいらっしゃるなんて、珍しいですね」


 彼女は滅多にこの部屋には来ない。顔を合わすのは大概、皇帝の執務室かディーンファルトの墓地、もしくは騎士の演習場だ。

 だが、今日はコーデリアはここに来るだろう、とジルラートはなんとなく思っていた。


「ジルに、話があって」


「レガート公子のこと、ですか?」


 ダリウスとアルトから、カイルディーンがこの城にやって来たことは聞いていた。

 その目的も、見違える程成長したことも。

 記憶を無くしても尚、コーデリアを愛し、追ってきた男。

 だが、続いた彼女の言葉は、ジルラートの想定外だった。


「ええ。ディーンが戻って来た、の」


「⁉ 本当に?」


 3年前、カイルディーンの前世記憶をコーデリアは消した、と言っていた。

 それでも彼は、ディーンファルトの記憶を取り戻したというのか。


「私の心臓、ちゃんと、動き出したの」


 両手を胸に当て、コーデリアは笑う。

 拍動を愛おしむように、幸せをかみしめるように、嬉しさを隠せない少女のように。


 その笑顔は、ジルラートの胸が苦しくなるほどの歓喜をもたらした。


 コーデリアの千年の想いは報われたのだ。

 彼女はもう、孤独に心を凍らせることも、ただ一人取り残されていくこともない。

 あの、寂寥と諦観を湛えたアメジストの瞳を、ジルラートが慰めることも、もう無いのだ。


「私ね、今、幸せよ? ジル、私がここまで来られたのは、ジル、貴方がいたから」


「コーデリア様」


 ジルラートは立ち上がり、彼女の前まで来ると跪く。

 差し出された彼女の手を取り、コーデリアを見上げた。


「ありがとう、ジルラート。

 私を生かしてくれて。側で、護ってくれて。支えてくれて、ありがとう」


「よかったです、コーデリア様。貴女の約束が叶えられて……」


 彼女の感謝の言葉一つ一つが、ジルラートを満たしていく。

 自分は、正しく彼女の騎士で在れた。


「ジル」


 美しい孤高の魔女が、信頼を持って彼を呼ぶその響きが、彼の誇りだ。


「貴女のその幸せそうな笑顔が見られただけで、貴女の騎士である私の想いも報われました。

 どうか……お幸せに。マイレディ」


 だから、痛む恋心には蓋をして、ただただコーデリアの幸福を願い、その指先に口づけた。




 そこへ、扉を叩く音がする。

 ジルラートは立ち上がって、入室の許可を返した。

 現れたのは、皇帝の側近の1人であるジェイリーだ。


「ああ、やっぱり、ここに居たね、魔女様」


 ジェイリーの台詞は、彼女に用があると言っている。


「ジェイ、どうしたんだ? 長くなりそうなら、座って聞くぞ?」


 ジルラートは、奥の応接スペースを指差す。コーデリアを立たせておくわけにはいかない。

 ジェイリーが頷いたので、揃ってソファーに腰掛けた。

 コーデリアが魔法で茶の準備をすると、ジェイリーは嬉しそうに飲んでいる。今日も忙しかったらしい。一息つくと、やっと口を開いた。


「いやあ、ほら、陛下達から公子を帝国に引き止める策を考えろって、言われてたんだけどさ」


「え?」


 コーデリアがパチパチと瞳を瞬いた。

 いきなりの話題に少しついていけない。


「別に必要ないかなって、魔女様に確認したくて……魔女様の部屋と、公子殿との王国の新居、繋げちゃえば良いんじゃない?」


「ジェイ? どういうこと?」


 ちょっと待って欲しい。いきなり婚姻後の新居の話になっている。どういうことだ?と、コーデリアは首を傾げた。

 その仕草に、ジェイリーも同じように首を傾げた。


「だって、公子殿は魔女様に求婚しに来たって聞いてるよ。王国から有望な魔法師を貰い受けるとなると、それ相応に対価が生じそうだから、さ」


「まさか、ジェイ、お前……3年前にレガート公爵家からの流通ルート確保して、満足したんじゃなかったのか?」


 ジルラートが呆れた声で、口を挟んだ。


「魔女様は王国との関係改善にも尽力してくれたから、助かったよ。お陰で今や友好国だからね。

 でもさ、結婚は、また別問題。魔女様が王国に行っても、公子殿がこっちに来ても、両国の損失が大き過ぎる」


 なるほどね、とコーデリアは納得した。

 カイルディーンの今生は、ベルン王国の有望な魔法使いだ。彼の残した実績も、才能も、王国にとっては手放し難いし、コーデリアがこの国を出るのは論外だ。


「それは、互いにそれぞれの国に居ながら、空間魔法で居住スペースを繋げろってこと?」


「そうそう。それが一番無難じゃない? どちらにしろ、そんな事が出来るのは魔女様だけだし、帝国民で皇女でもある魔女様に、王国も強くは出られないしね。

 それに、レガート公子は、王国でも有望な魔法使いで実績もある。それなりに働いていれば、向こうもまあ、満足かな?と」


 確かに、ジェイリーの言う事はもっともだし、最適解だろう。


「……それを、カイルに提案するのは、誰?」


 でも、自分達の結婚が、国益云々に繋がることを正直今は考えたくなかったし、その話題を持ち出すのも躊躇われた。

 カイルディーンからは、まだ何も具体的なことは聞いていないし、話している余裕もなかったのだ。


「逆に聞くけど、魔女様以外に誰がいるんでしょうか?」


「……」


 ジェイリーにあっさり言い返されて、コーデリアは口をつぐむ。


「ジェイ、お前な、何故今その話を、ここでした?」


 コーデリアの心境を理解しているジルラートが、ジトリとジェイリーを睨んだ。


「なるべく早く方針は決めたいけど、公子殿を交えてやる相談じゃないかなあって。

 うちの決定事項として、魔女様に上手く話を持っていってもらうのが、一番角が立たなそう」


 はあ〜と、コーデリアはあからさまなため息をついて、立ち上がった。


「わかったわ。確かに、貴方のいうことも一理あるわね。

 じゃあ、私は彼と話をしてくるわ。ジル、またね」


 そして、コーデリアはそのまま姿を消した。




「やれやれ、慌ただしいな」


 残りのお茶を飲みながら、ジェイリーが呟いた。


「お前のせいだろ?」


 ジルラートがバッサリ正論で答える。

 ジェイリーはそんな彼に、少し気遣うような視線を向けた。


「まあ、そうなんだけどさ。ジル、偶には皆で酒でもどう?って、お誘いも兼ねてたからさ」


「妻帯者共は、さっさと家に帰れ」


 ジルラートに、にべもなく返されたジェイリーは、ヘラリと笑う。


「もう皆、今日は遅くなるって、連絡済み」


「……仕方ないな」


 ジルラートは、ドサリとソファーに背をもたれかけて顔を上げ、片手でその顔を覆い隠した。気が抜けたせいで、どうにも感情が制御できない。


 コーデリアは姿を消し、ここにいるのは幼馴染であり、コーデリアを想うジルラートをずっと心配してくれていた友人だけだ。

 ダリウスやアルトも、きっと同じように見守ってくれていた。

 だから、溢れる涙を笑う者は誰もいない。


 自分がコーデリアの騎士で在れたのは、多分、皆のお陰だ。

 ジルラートはそんな友人達に心の中で感謝して、今はただ溢れていく涙をそのままにコーデリアを想った。

 そして、その隣では、ジェイリーがただ黙って彼が落ち着くのを待っていた。





「あら!まあ!コーデリア様! 肖像画のディーンファルト様より、カイルディーン様の方がイイ男ですわ!」


 カイルディーンは、ダリウスの妻である皇后のこの様子に、若干顔を引き攣らせた。

 見た目はふわふわと可愛らしい様子の貴婦人だが、なんというか少女のようなノリに、どう言葉を返したら良いのかわからない。


「落ち着いてよ、シェリー。カイルが困ってる」


「あら、失礼しましたわ、カイルディーン公子」


 コーデリアの言葉に、背筋を伸ばして表情を整えた彼女は、ちゃんと皇后らしかった。

 カイルディーンは、先程のことは見なかったことにして、胸に手を当て礼を取る。


「初めまして、皇后陛下。ベルン王国より参りました、魔法使いのカイルディーン・フォン・レガードと申します」


「ようこそいらっしゃいました。私、シェリーヌと申しますの。コーデリア様とは、姉妹のように付き合っておりますのよ。というわけで、どうぞ気楽になさって」


 さっさと皇后の仮面を外したシェリーヌに、コーデリアは苦笑する。


「そういうわけだから、カイルも気楽にどうぞ。うちは皆こんな感じだから、そろそろ慣れてきたんじゃない?」


 確かに、帝国の皇帝始めコーデリアの周囲の人達は、本当に気兼ねない付き合いをしているようで、仲も良い。もちろん公の場では、きちんとしているようだが、カイルディーンもその中に入れてもらえたようで、戸惑いはするが、なんとなく嬉しい。


「君が、あの花祭りの日に、言葉を崩すことに違和感がなかったわけだ」


 皇女という立場で王国に来ていたコーデリアにしてみれば、それまでずいぶんと窮屈な思いをさせていたのかもしれない。

 カイルディーンが、そんな風にあの日を思い出していると、目の前のシェリーヌが、瞳を輝かせた。


「そう!その花祭りの話ですわ! クラリッサからの報告は聞いていましたけど、本当に初々しい恋人同士のようだったと。

 カイルディーン様は、その頃からコーデリア様のことをお好きでしたの?」


「え? ちょっとシェリー!」


 コーデリアが慌てたように、シェリーヌを遮る。

 そんな可愛らしいコーデリアに、カイルディーンは笑った。


「陛下、私はコーデリアと出会ってすぐに、彼女に惹かれていましたよ。もっとも当時は、今よりずっと、ささやかで可愛らしい想いでしたけどね」


 今は、あの時よりずっと深くてもっといろいろな欲の籠もった、度し難い愛情だけれど、と、カイルディーンは言わないでおく。

 隣では、コーデリアが頬を紅潮させて、カイルディーンを可愛く睨んでいた。思わずその頬に唇を寄せ、軽く触れる。

 すると、彼女の顔は更に赤くなり、何か言いかけて言葉にならない様子で、唇を戦慄かさせていた。


「なんだか胸焼けがしてきたわ、クラリッサ」


「左様でございますね。もう、これ以上お邪魔するのはなんですから、お引き取り願いましょう」


 カイルディーンは、どうやらやり過ぎたらしい。目の前の主従に退室を促されてしまった。


「失礼しました、陛下。お気遣いに感謝して、これで失礼します」


 カイルディーンは、クラリッサの言葉にこれ幸いとコーデリアを連れて部屋を出ようとすると、彼女が頬を膨らませていた。


「もう!カイルはやり過ぎ!いや、多分ディーンの方ね」


 確かに、ディーンファルトの記憶を受け取ってから、カイルディーンは自分が少し変わったと感じることがある。

 コーデリアはなんとなくどちらの影響かわかるようだが、彼にしてみれば、記憶にある自分が徐々に馴染んできたのだろうという感覚だ。


「ディーンファルト様、いえカイルディーン公子」


 退室間際に、シェリーヌが皇后としてカイルディーンを呼び止めた。

 彼は皇后に向き直り、姿勢を伸ばして立つ。


「二度とコーデリア様の手を離さず、この先彼女を残して逝くことは、決して赦しません」


「お言葉、しかとこの身に刻み、必ずや守ることを誓います」


 カイルディーンは、最敬礼でそれに応えた。


「ありがとう、シェリー」


「ふふっ、幸せにね、コーデリア様」


 そう言って、ヒラヒラと手を振るシェリーヌにコーデリアも笑って頷いて、部屋を後にした。


 カイルディーンと手を繋いで歩きながら、コーデリアは思う。

 もう、きっと、コーデリアが一人取り残されることは無いのだ。

 このまま、皆と一緒に歳を取っていける。

 それはすごく幸せなことだと、コーデリアは身をもって知っている。


「本当に、すまなかった、コーデリア。

 謝って許されることではないが、それでも私は、こうして君にもう一度出会えたことを、この上なく喜んでしまうんだ」


 隣から、後悔を滲ませた低い声が言った。


「いいんですよ、ディーン。今、私、とても幸せですから」


 取られた手に力をこめて、コーデリアは答えた。

 コーデリアもまた、もう一度ディーンに会えたことを、この上なく喜んでいる。

 だから、今度はこの手を離さず、最後のときまで共に在ればいい。

 それだけの為に、二人はもう一度出会ったのだから。


 そうしてその後の約50年を、二人は穏やかに幸せに生きて、その生涯を終えることになる。



このエピソードで完結です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

二人の今後やコーデリアの帰国直後については、機会があればまた。

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