Ep.56 甘い空想〜王妃side
わたくしは、生まれながらに『王妃』となることが決まっておりました。
当時、王国に公爵家は我が家とアシュフォード公爵家の二家しかありませんでした。
先代王妃陛下が他国から降嫁された王女殿下でしたので、次代の王妃は国内から選ぶ手筈となっており、筆頭公爵家の令嬢であるわたくしが、3歳年上の現国王陛下⸺⸺当時の第一王子殿下の婚約者となりました。
王妃候補となったわたくしの教育は厳しいものでしたが、皆様わたくしを宝物のように大切に慈しんでくださいました。
それは、婚約者であった夫も同じです。
多少のわがままは大目に見てくださり、身分だけで選ばれたわたくしを妬む令嬢たちから、いつも守ってくださいました。
そして大きな問題もなく貴族学院を卒業と同時に夫と結婚し、わたくしは『王太子妃』になりました。
当時は王太后陛下もご健勝でしたので公務もさほど多くなく、わたくしは毎日が幸せの中にありました。
そんなある日のこと。
トレヴァント辺境伯家に嫁いだ妹が、産褥で亡くなったと連絡が入ったのです。
一つ下の妹は、少々我の強い子でした。
自己主張がはっきりした子でしたので、父が「トレヴァント辺境伯家ならば丁度良いだろう」と学院の卒業を待たずに嫁がせたのです。
華やかな場を好む妹にとって、何もない辺境は不満の種でしかなく、よく不満を綴った手紙が届きました。
先代トレヴァント辺境伯は妹の死後、後妻を娶ることを拒んでいると聞き、「妹はそれほどまでに愛されていたのね」と微笑ましく思っていたのですが……嫡男のレオンハルトが2歳の頃、セキトフ辺境伯家縁の娘との婚姻申請が届いたのです。
わたくしは驚きました!
侍女の報告によれば、先代辺境伯はその娘に籠絡され、レオンハルトを蔑ろにしているというではありませんか!
そのような娘を後妻に認めてしまえば、トレヴァント家は乗っ取られて、レオンハルトの身も危うくなります。
わたくしは先代両陛下と父を呼び、この危急を報告いたしました。
三人とも事の重大さを理解してくださり、先代陛下は婚姻は承認しないと仰ってくださいました。
ですが、先代辺境伯が王城へ乗り込み、不承認の理由を問い質しにやって来たのです。
そこまでして婚姻したいとは……セキトフの娘がいかに危険な『毒婦」であるかを確信いたしました。
夫は「『不可侵協定』の条件ならば承認すべきではないか?」と難色を示しましたが、先代陛下が一度下した決断を覆すことは出来ず、先代辺境伯はそのまま帰って行きました。
後日、妹の侍女から、先代辺境伯は帰宅後、セキトフの娘を『妻』として扱うように使用人たちに命じたと報告がありました。
再度、先代両陛下と父に相談し、念の為に『避妊薬』を盛ることにいたしました。
先代辺境伯に命じても聞き入れるか分かりませんでしたし、セキトフの娘も飲んだふりをして無理やり孕もうとするかもしれません!
わたくしは先代陛下から、王族が使用する体に負担の少ない『避妊薬』を手配していただき、侍女へ定期的に送ることにいたしました。
いつ閨事があるかも分かりませんので、毎日盛るように命じます。
飲みすぎれば『石女』になることもあるそうですが、そうなれば皆様も安心でしょう。
それから二年ほど経った頃、セキトフの娘がトレヴァントから逃げ出したと報告が上がりました。
やはり、何かやましいことがあったのでしょう。
ですがその頃のわたくしは、他人の心配どころではありませんでした。
結婚して五年が過ぎても、わたくし自身が懐妊しなかったのです……。
世継ぎが出来ないことで側妃を望む声が上がり、わたくしは焦っておりました。
夫は側妃を娶らぬと一蹴してくださいましたが、もう駄目かもしれない……そう諦めた頃、ようやく身籠ることが出来たのです!
結婚七年目に生まれたのが、第一王子のハインリヒでした。
念願の我が子に会えた喜びと共に、わたくしの体は次の妊娠に耐えられないだろうと診断が下り、悲痛な思いも味わいました。
案の定、王子一人では心許ないと臣下たちは再び側妃を求めましたが、夫はすべて撥ね除けてくださいました。
ハインリヒがいてくれたおかげで、わたくしは夫の『唯一の妃』でいられたのです。
「ハインリヒ、あなたも正妃一人を愛してあげなさいね。 お父様は、お母様だけを愛して守ってくださったわ。 あなたも、唯一の人を大切にするのよ」
わたくしは、ハインリヒに何度もそう言い聞かせました。
そんなハインリヒにも婚約者が決まりました。
セシリア・アシュフォード公爵令嬢です。
セシリアは……あまりに完璧すぎました。
常に肩に力が入っているようで、わたくしは気遣い優しく接しておりましたが、あの様子ではハインリヒが疲れてしまうのではないかしら?と心配でなりませんでした。
案の定、と申しますか……二人の仲は私と夫のようにはいきませんでした。
それどころか、ハインリヒはセシリアの妹であるクララとの仲を深めていき、わたくしはそれも仕方のないことに思えたのです。
クララの方が穏やかで、ハインリヒに寄り添っているように見えましたから。
一度、夫に婚約者をクララに代えたらどうか?と提案しましたが、「王家の婚約はそう容易く動かせるものではない」と一蹴されてしまいました。
この頃からでしょうか?
王家やわたくしの周囲の歯車が、狂い始めたような気がいたします。
ハインリヒの婚約破棄、クララの欺瞞、そして皇女の暗殺未遂。
そして極めつけは、セキトフの協定破棄です。
わたくしは、人生で初めて夫に怒鳴られました。
あんなに穏やかで優しい夫が、まるで仇を見るかのような鋭い瞳でわたくしを睨み付けたのです!
セキトフのあの娘は出産で亡くなったというのに、まるでわたくしが殺したかのように言い、あまつさえわたくしを処罰するなど!!
何という無礼でしょう!!
セシリアも、婚約破棄されたことを逆恨みし、わたくしを陥れようとして!
⸺⸺それなのに、夫は……わたくしに、王太后陛下と共に修道院へ行けと……。
何故ですの?
⸺⸺もう、わたくしを愛していらっしゃらないの?
「……王妃が修道院へ行くそうだな」
ローズウェル侯爵が重く低い声で問いかけた。
「ええ。あの方は生まれてからずっとお姫様でしたから、毒杯を賜るよりもお辛いのではないでしょうか?」
セシリアはローズウェル侯爵邸を訪れていた。
余計な知恵を持つ者が彼女たちに近付くのを防ぐ為、『影』を配するのだ。
「あの王妃は毒ではなかった。 だが、気まぐれに砂糖を振り撒き、中毒者を作り出すような性質だった」
「過ぎたるは猶及ばざるが如し……ですわね。 彼女は死ぬまで、自分だけに優しい世界で生き続けるでしょう。 たとえそれが、空虚な空想の中であったとしても」
数日後、王城から一台の馬車が出て行った。
哀れな女を乗せて⸺⸺。




