Ep.48 盤狂わせ
私はノインと彼を伴い、先日訪れたばかりのセキトフ辺境伯領へと転移しました。
国境を越えず、あえて転移で移動したのは、トレヴァント辺境伯を同行させない為です。
…… 申し訳ないけれど、あの方に着いてこられると計画が狂いますので。
さすがにセキトフ辺境伯邸を訪問するのに、徒歩で行くわけにはいきませんので、予めノインに手配させていた馬車に乗り込みます。
先触れなしの訪問の為、門前払いの可能性もありますが、『 不可侵協定 』と『 トレヴァント 』の名を出せば、新当主は会わざるを得ないでしょう。
セキトフ邸に到着すると、門番に『 私の名前 』と新当主へ「 『 不可侵協定 』の件でお話がある 」と、面会を申し出ます。
屋敷に確認を取りに行った門番が戻って来るまで馬車の中で待っていると、ほどなくして、コンコンと窓を叩かれ、先ほどの門番に「 どうぞ、お通りください 」と、外門の中へ招き入れられました。
トレヴァント辺境伯家の屋敷は、高位貴族としてそれなりに荘厳さはありますが、どちらかと言えば、国境防衛やスタンピードの際に領民たちを避難させられるよう、効率重視で整えられています。
ですが、車窓から眺めるセキトフ辺境伯家の屋敷は、レイヴンクレスト王都にある典型的な貴族邸のように華美な造りです。
…… 華やかなものを好んだという、先代当主の虚栄心の跡なのでしょう。
屋敷の馬車寄せで停まると、ノインと彼が先に馬車から降り、私もノインから差し出された手を借りて降りました。
エントランスには数人の男性方が並び立ち、その中央には新当主のグリゴリー・セキトフ辺境伯が直立しています。
『 この度は突然の訪問をお受けくださり、感謝申し上げます。 私はセシリア・トレヴァントと申します。 セキトフ辺境伯閣下にお目にかかれて、光栄に存じますわ 』
王太子妃教育の賜物である完璧なカーテシーを披露すると、私の背後でノインと彼も頭を下げた気配を感じました。
『 ……顔を上げられよ。セキトフ辺境伯家当主、グリゴリー・セキトフだ。こちらこそ、淑女と名高いトレヴァント辺境伯夫人にお会いできて光栄だ 』
顔を上げた私の顔には、既に淑女の仮面が貼り付いています。
『 まあ。 私のような『 名ばかりの妻 』に対して、そのように仰っていただけますなんて…… 恐縮に存じますわ 』
片頬に手を添え、恥じらうように眉尻を下げて見せます。
『 名ばかりの妻 』 ⸺⸺ かつての姉君を連想させるその言葉に、グリゴリーの胸はチクリと痛んだことでしょう。
『 ……ご謙遜を。『 不可侵協定 』について話があるとのこと、中で話を伺おう 』
グリゴリーの後ろを歩きながら、さり気なく屋敷内を観察すると、廊下の壁のところどころに不自然な空白が目立ちます。
絵画か何かがあったのでしょうが、先代の残滓を早々に消し去ったのでしょう。
応接室に入り、ソファに腰を下ろすなり、グリゴリーはお茶が供されるのも待たずに率直に話を切り出しました。
『 さて、不可侵協定の話とはどういったことだ? 言っておくが、破棄を断念するつもりはないぞ 』
『 ふふっ。 閣下はせっかちでいらっしゃいますのね。 ですが、今日私が持ってきたのは、閣下に取って悪い話ではありませんわ 』
怪訝な顔をするグリゴリーに、私は無害な小娘を装い微笑みます。
『 閣下はトレヴァント家や王家に復讐なさりたいが為に『 協定を破棄する 』 と、宣告なさったのではございませんか? ……ですが、それはセキトフにとって不利益にしかなりませんわ 』
『 ……どういうことだ 』
『 先日、商隊の護衛としてセキトフ辺境伯領に参りました時……少々、領内を拝見させていただきましたの 』
商人ギルドの商隊が納品に訪れた際に、私が護衛として同行していたことに驚愕の表情を浮かべました。
やはり当主となったばかりで、表情管理はまだまだのようです。
『 見たところ、土が痩せており、かなり乾燥が進んでおりました。 あの様子では、ここ数年のお話ではないでしょう。 領民も痩せ細っており、食糧が行き渡っていないのは明白ですわ。 そんな状況で……戦をする体力が、今のセキトフにはございませんでしょう? 』
私はそれまでの微笑みを消し、不敵な笑みを浮かべました。
その瞬間、グリゴリーの警戒心が一気に跳ね上がったのが分かりました。
背後に立つ護衛や侍従も敵意を隠そうともせず、剥き出しにしています。
……まるで、手負いの獣のようですわね。
『 ……だとしても、私は破棄の意思を変えるつもりはない 』
『 それで、領民を飢え死にさせることになったとしても……ですか? 』
分家として長く領民の傍にいたグリゴリーに、その選択は出来ないでしょう。
それを物語るかのように、グリゴリーはギリッと音が鳴るほど奥歯を噛み締め、苦悶に顔を歪めています。
私は再び、柔らかい微笑みを浮かべて言葉を継ぎました。
『 誤解なさらないでくださいませ。 私は閣下を脅しに参ったわけではございませんわ。 ……ただ、ご提案に参りましたの 』
『 ……提案だと? 』
『 ええ。 もし、トレヴァント辺境伯家の当主を……セキトフとトレヴァントの間に生まれた子が継承するとしたら…… 』
『 どうなさいます? 』 と、言葉を紡ぎ、口元にだけ笑みを残しました。
私の予想外の言葉にグリゴリーだけではなく、後ろの方々までもが目を見開いています。
『 そ、それは……まさか……生きて……? 』
信じたいという僅かな『 希望 』と、拭いきれない『 疑念 』の狭間で揺れるグリゴリーを真っ直ぐと見据えたまま、私は背後の彼へ合図を送りました。
それを確認した彼は、私が作成した変装用の魔導具を外したのでしょう。
思わず立ち上がったグリゴリーの視線が、私を通り越し、背後の彼へと釘付けになっています。
『 ご紹介いたしますわ。 彼はセオドリック・アラクチェーエフ。 現在、トレヴァント辺境伯第二騎士団副団長の任に就いておりますの 』
後ろを見ずとも分かります。
セオは今、あの完璧に計算された『 人好きのする笑み 』を浮かべているでしょう ⸺⸺。
『 初めまして、でよろしいでしょうか? セキトフ辺境伯閣下……いえ。 叔父上、とお呼びしても? 』
セオに視線を向けたまま、グリゴリーは絶句し、立ち尽くしています。
『 セオはセキトフを出た後、トレヴァント辺境伯領へ向かい、冒険者ギルドに所属しておりましたわ。 そこで彼の出自を知ったギルドマスターから頼まれ、縁あって数年ほど私が預かり、教育を施しましたの 』
にっこりと、私はグリゴリーへ微笑みかけました。
⸺⸺ グリゴリー。 初めから、あなたに選択肢などありませんでした。
私は心の中で、冷たく、そして愉悦に浸りました。
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