Ep.47 一触即発
「セシリア様。辺境伯閣下がセキトフ辺境伯側との交渉に失敗した、との報告が参りました」
案の定と言うべきか……下調べが不十分だったうえ、相手方に有効な交渉材料も持たぬまま臨んだ会談は、無残なほど失敗に終わった。
辺境伯は元々武人として名高く、戦後処理の一環で交渉の場に立ったこともあっただろう。
だがそれは、あくまでレイヴンクレ王国が『優勢な場』での話だ。
今回のように、自分たちが圧倒的不利な状況で立ち回った経験など、彼にはなかったのだ。
「そう。では、次の段階に移りましょうか。⸺⸺彼を呼んでくれる?」
「承知いたしました」
私が一礼すると、主は満足そうに微笑んだ。
⸺⸺⸺
王城へトレヴァント辺境伯からの早馬が届き、ハインリヒとヴィクトリアが国王へ呼び出された。
「……トレヴァント辺境伯から書状が届いた。ヴォルガルド公国のセキトフ辺境伯家で内紛が起きた……分家のグリゴリー・アラクチェーエフが本家当主の首を刎ね、新たなセキトフ辺境伯家当主に成り代わったそうだ」
「なっ……!!」
ハインリヒが驚愕のあまり絶句する傍ら、ヴィクトリアはおっとりと片頬に手を添え、不思議そうに首を傾げた。
「……まあ、それは大変ですわ。ですが陛下、トレヴァント辺境伯家とセキトフ辺境伯家の間には『不可侵協定』が交わされていたはずですわ」
「……その新当主が、『不可侵協定』を破棄すると宣告してきたそうだ……戦になるかもしれん……」
国王は書状を握り締め、頭を抱えた。
先代トレヴァント辺境伯が締結した『不可侵協定』のおかげで、この二十数年はヴォルガルド公国との国境の平穏は保たれていた。
だが、今回協定が破棄されてしまえば、いつ国境を越えて侵攻が始まってもおかしくない。
王都からもトレヴァント辺境伯領へ援軍を送らなければならないだろう……
だが、平和に慣れきった王都騎士団や近衛騎士団が、実戦経験豊富なヴォルガルドの精鋭を相手にどこまで戦えるのか……
スタンピードへの対応すら怪しいというのに。
「あちらはなぜ今更、協定を破棄すると申しておりますの?」
装いを崩さず、ヴィクトリアは無垢な顔で国王に問い掛けた。
「……どうやら、先代たちが残した遺恨が原因のようだ……今、王妃も呼んでいる……」
「母上も、ですか?……母上が何か関係していると?」
ハインリヒの問いに、国王は沈黙で応えた。
間もなく扉を叩く音が響き、国王の「入れ」という言葉と共に王妃が入室して来た。
「あら、ハインリヒと皇女もいらしていたの?陛下、お呼びと伺いましたが……どうかなさいまして?」
急に呼ばれるような用件も思い浮かばず、王妃は何の話なのか困惑していた。
「……ああ、トレヴァント辺境伯から早馬が来た。詳しい話は、これを読むがいい……」
国王から差し出された書状に目を通した瞬間、王妃の顔からみるみると血の気が引いていくのが分かった。
書状を持つ手がガタガタと震えだす。
「……こ、これは……」
「そこに書かれていることは事実か?私は、父上が先代辺境伯とセキトフの娘との婚姻を不承認したことまでは知っている。だが……避妊薬を盛らせていたことまでは、聞いていないぞ……」
国王は鋭い眼光で王妃を見据える。
王妃はその視線に怯えながらも、必死に言い訳を探すように目を泳がせた。
「そ、それは、先代トレヴァント辺境伯があまりにもセキトフの娘に執着していたので、父もお義父様も危機感を持ったのですわ」
「ならば、堂々と先代辺境伯本人に命じれば良かったのだ!亡き先代辺境伯夫人の侍女を通じて、当人たちに何も言わずに薬を盛らせるなど……毒薬を盛られたと言われても文句は言えぬぞ!!」
国王は怒声と共に、執務机に拳を叩き付けると、その音に王妃は肩をビクッと震わせて縮こまった。
「……父上、どういうことですか?セキトフの娘とは誰のことです?」
国王は深く溜め息を吐き、ハインリヒに事の顛末を説明した。
『不可侵協定』の条件として、セキトフ辺境伯の姪を『妻』として娶る予定だったこと。
しかし、ヴォルガルド公国やセキトフ辺境伯への疑念が拭えず、祖父である先代国王が婚姻を承認しなかったこと。
先代辺境伯はその娘に入れ込み、我が国の籍を持たぬまま『妻』として扱い、それに危機感を抱いた王妃の実家と先代国王が、亡き先代辺境伯夫人の侍女だった者を通じ、その娘に『避妊薬』を盛っていたこと。
使用人にも殺意を持たれ、薬を盛られていたことを知り、食事を避けた結果、懐妊していたこと。
娘はセキトフへ逃げ帰ったが、本家当主の命令に逆らったことで切り捨てられ、精神を病んだまま子を生み、そのまま亡くなったこと。
その子は成長した後、どこかへ行方をくらませたこと。
そして、その娘の弟が新当主と成り代わり、姉を苦境に追いやったトレヴァント辺境伯家を強く恨んでいること。
「……それは、強く恨まれても仕方がありませんわね」
先ほどまでの穏やかさが消え、ヴィクトリアの声はどこか冷徹さを感じさせる響きだった。
王妃の顔色は真っ青になり、俯いたまま言葉を失っている。
「……父上、どうされますか?」
「一応、王家からも謝罪の親書と賠償金を提示しようとは思うが……」
国王は椅子の背もたれに体を預け、苦しげに天井を見上げた。
「恐らく、それでお怒りが鎮まることは難しいでしょう……」
ヴィクトリアは静かに断じる。
領民の困窮も理由の一つだろうが、あくまでもそれは大義名分に過ぎない。
新当主が本家当主を粛清した真の理由が、亡き姉の復讐だとすれば……
王家の謝罪と賠償金程度で、彼の恨みが消えるはずがなかった。
「その娘から生まれた子を探してみてはいかがでしょう?その子がいれば、新当主を説得出来るのではないでしょうか?」
ハインリヒの提案に、国王は力なく首を横に振った。
「……新当主も既に探し、それでも見つけられなかったのだろう……こちらは顔も名も分からぬうえ、絵姿もない。探すにも探せないのだ……」
「そ、そんな……」
初めて、身近に感じた『戦』という文字。
執務室の中に、逃げ場のない緊張感が漂った。
「……とにかく、不測の事態に備えよ。場合によっては、結婚式も延期しなければならない……」
「仕方がありませんわ。この状況で、お祭り騒ぎするわけには参りませんもの」
ヴィクトリアは淑やかに微笑み、国王の決定を支持した。
「……すまない、ヴィクトリア皇女。ハインリヒ、至急トレヴァント辺境伯領へ兵糧を送る準備を整えよ。あちらがどの程度の兵を抱えているか分からん以上、援軍の騎士団も編成しておくのだ」
「分かりました。すぐに取り掛かります」
王城を重苦しい影が支配し始めていた。
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