Ep.39 暗雲
その報せは、突如として訪れた。
隣国ヴォルガルド公国の国境を守るセキトフ辺境伯家から、伝令の早馬が着いたのだ。
そこにはセキトフ辺境伯が没し、分家のグリゴリーが新たに当主となったこと。
そして、トレヴァント辺境伯家との『不可侵協定』を破棄する旨が記されていた。
「これは、どういうことだ!!」
俺は手紙をぐしゃりと握り潰し、そのままデスクを殴りつけた。
「……冒険者時代の知人に聞いたのですが、セキトフ辺境伯領は亡くなられた当主の放蕩により、領民が飢え死にするほど疲弊していたそうです」
執務室の中に流れる重い空気の中、伝令官から受け取った報せを持って来たセオドリックが、沈痛な面持ちで口を開いた。
亡くなった当主の放蕩ぶりは、こちら側にも届いていた。
特に病や怪我と記されていないことから、分家から粛清されたのだろうということは推測出来る。
「……なるほど。本家当主の放蕩ぶりに我慢の限界だったのでしょうね」
ハンスが軽い溜め息と共に吐き捨てた。
ヴォルガルド公国は複数の部族の集合体だ。
それ故、レイヴンクレスト王国のように分家が爵位を得ることは稀で、本家が大公に与えられた領地の全権を握っており、分家に実務を任せるのが通例となっている。
新たな当主となったグリゴリーという男は、領民と距離が近い分家として、本家当主の無能ぶりに己の良心が耐えきれなくなったのだろう。
だとしても、代替わりしたばかりの今、『不可侵協定』を破棄する理由は何だ?
セキトフ辺境伯領は土壌の問題なのか、慢性的な食糧難だと聞く。
対して我が領は、歴代当主が土属性魔法の使い手であることが多く、多少の増減はあっても食糧は比較的安定している。
とはいえ、セキトフ辺境伯領に援助出来るほどの余裕があるわけでもない……
せいぜい、炊き出しが関の山だ。
「……旦那様、どうされますか?」
「とにかく新当主であるグリゴリーと会談の機会を作ることが先決だ。至急、面会の申し出を送れ」
執務室の中にいるハンスとユーリ、そしてセオドリックは「御意」と一礼し、即座に動き出した。
グリゴリーとの面会はすぐに取り付けられ、一週間後と決まった。
それまでにグリゴリーの情報を少しでも集める為に、俺は商人ギルドを訪ねた。
情報の質と量に関して、商人ギルドの右に出る者はいない。
だが、彼らは『商人』だ。
自分たちの利にならないことは決してしない。
タダで情報を流すことはしないし、信頼や信用を重んじる。
正直、腹の底を見せない貴族を相手にするよりもかなり厄介な連中だ……
「これはこれは、トレヴァント辺境伯閣下。ご無沙汰しております」
「……ああ、久しいな。ギルドマスター」
応接室に現れたのは、優男にしか見えない糸目。
俺とさほど年が変わらず、この若さで最年少ギルドマスターの座まで上りつめた、狐のような男だ。
「して、本日の御用向きは何でございましょう?奥様への贈り物でしょうか?」
『奥様』
その響きに、ぐっと胸が詰まった。
ハインリヒの婚約披露パーティーが終わって以降、俺はセシリアと一度も顔を合わせていない……
妹が処刑された際は心配になり、連絡をしようかとも思った。
だが、彼女は早々にアシュフォードを切り捨てていたはずだ。
同様に妹のことも切り捨てていただろう。
……いや、これは言い訳だ。
俺は、未だに彼女に会うのが怖いだけなのだ。
「……か…………伯………か……辺境伯閣下!!」
ギルドマスターの呼びかけに、俺は意識を引き戻した。
「閣下、少し体調が優れないのでは?顔色が少し悪いように見えますが……」
「いや……すまない。少しぼーっとしただけだ」
その細い目を下げて心配するふりをする男に、俺は指で眉間を揉みながら本題を切り出した。
「今日訪ねたのは聞きたいことがあるからだ……ヴォルガルド公国のセキトフ辺境伯家が代替わりしたことは知っているか?」
「ええ、もちろん。商人にとって情報は命ですから」
『情報は命』
言葉の通りだろう。
客の情報を知らず、ただ取引をすると信頼や信用を失うこともあるうえ、その相手が貴族なら不興を買い、最悪の場合、命を失うこともある……
「その新しい当主、グリゴリー・セキトフの情報が何でもいいから欲しいのだ」
「何でも、ですか……」
ギルドマスターは一瞬だけ瞼をいつもより開き、また細い目に戻して微笑んだ。
「グリゴリー閣下は、元々セキトフ辺境伯家の分家であるアラクチェーエフ家の方です。性格は実直、真面目、冷静沈着……」
「まるで、閣下とは正反対の方ですね!」と、にぱっと満面の笑みで俺を皮肉る。
……いや、誤魔化されたのだろう。
この男は『これ以上、話すつもりはない』と拒絶しているのだ。
彼にとって何かメリットがないと、これ以上聞き出すのは難しいだろう。
たとえ、このトレヴァント辺境伯領が蹂躙されることとなっても、商人は別の地に移ればいいだけの話だ。
それは、決して彼らが『薄情だから』という理由ではない。
身を守る術がない者が、下手にその場にいると足手まといになり、戦闘の邪魔になる。
それに他の地へ移ることができれば、そこから物資の支援をすることも可能だ。
彼ら商人は、自分たちの敵でなければ家門同士の争いに深入りせず、等しく接する。
それこそが、彼らの『信頼』と『信用』へ繋がるのだ⸺⸺
「……そうか。情報に感謝する。また何か分かれば知らせてくれ」
俺は「かしこまりました」と慇懃な礼で見送る彼を応接室に残し、商人ギルドを後にした。
⸺⸺⸺
「セシリア様。商人ギルドマスターより、グリゴリー・セキトフの詳細が届きました」
私はノインから差し出された紙束を受け取る。
内容に一通り目を通すと、グリゴリーが今回『不可侵協定』を破棄した真の理由が透けて見えた。
「なるほどね……この内容、彼や冒険者ギルドマスターは承知していたのかしら?」
「詳しくは分かりかねますが……ある程度は把握していたものと思われます」
うーん、と唸るような声を漏らしながら、私は顎に手を添え、思考を巡らせる。
どうやら冒険者ギルドマスターは、私に伝え忘れたことがあるようね?
「……冒険者ギルドマスターへ面会の申し出を。内容は『彼』について、と……」
ああ……その前に、やらなければいけない用件もできたわね。
「……ノイン、王都へ行きましょう。会いたい人が一人いるの」
「先触れは?」
「必要ないわ」
私は椅子から立ち上がり執務室から出ると、いつも通りノインも後から付いてくる。
私は侍女に指示を出し、デイドレスを着替えると、ノインを伴って王都へ転移した。
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