召喚
翌昼下がり。
『御用の方は押してください』という注意書きと呼び鈴を備えに外壁まで出たシロンは客人を連れて戻って来た。
伯爵家からの使いが居心地悪そうにソファーでシロンの返答を待つ。
「このタイミングで絶対おかしいって。」
ハルが絶対に行くなとシロンを止める。
「そうだね。十中八九、僕をここから引き離す口実だろう。」
「そんな事は、」
使者が口を挟むのを視線ひとつで黙らせる。
「この人から真実を知るのは簡単だろうけど、行けばわかる事だよ。」
伯爵夫人、シロンの実母が落馬して重体となっている。お抱え術師では手の施しようがない。
ついてはシロンに登城して治癒魔法をかけて貰いたい。
そういう内容の書簡を使者は運んで来た。
伯爵直筆での依頼である。
情に訴える内容にシロンは一縷の望みを託す。
これに応じれば、彼らもまたシロンやシロンの領民を無下に扱いはしないのではないか。
優しい両親の記憶が無いわけでない。
ごく幼い頃は抱き上げられもしたし、利発で愛くるしい様を皆から可愛がられもした。
それがいつ頃からか。
彼らのシロンを見る眼差しに怯えが混じるようになった。
前世、士郎の両親は彼の行動をあまり気にする事はなかった。
出来は良いがちょっとユニークな子、そんな程度の扱いで、いつも暖かく見守ってくれていた。
だが、時代の違いもあったのだろう。
今世の両親はシロンの異質さに気がつくと悪魔憑きと次第に恐れ忌みする様になり、シロンが彼らの畏怖に気づいた時にはすっかり他人行儀な関係になってしまっていた。
よそよそしさを伯爵貴族の慣習と誤認して、自らの態度を改めず彼らに接し続けたシロンにも、非はあったのだろう。
歪な関係に気付き、シロンが真摯に応じれば応じる程、まだ幼少期の少年の大人びた姿勢に違和感を感じて更に距離を置かれる。
次期伯爵である長兄が些細な事で手飼いの奴隷に厳罰を与えていたのを魔術を行使して止めさせ、そして長兄ではなくシロンを咎める身内達に彼らの非道を訴え奴隷達の人権を説いて以降、その断絶は決定的なものになっていた。
この荒涼たる僻地を領地として与えられ、事実上幽閉されたのだ。
ごくたまに、貴族子弟のやむ終えない集いに参加を命じられて伯爵領やその他へ出向く事があり、その時々に出会った気の毒な境遇の人々、主に獣人奴隷を連れて帰ることは許された。
反対してわざわざ大人しくしているシロンの反抗を促すより、彼の枷とする方がよしとの判断だった。
暗黙の了解、ではない。
面と向かってそう告げられた。
シロンもそれに従い、慎ましく荘園主として一生を終えるつもりであった。
―――ハルと再会し、彼の荊に満ちた生き様を目の当たりにする迄は。
救いを求めている人々がいる。
神は何故ここへ自分を転生させたのか。
人の身には不相応な力さえ与えて。
今世でも、恵まれた体躯と容姿、上位貴族という血統の下、生まれついた。
その優位を、ただ自分が安穏と暮らす為だけに甘受して良いわけがない。
幻獣達には性急すぎると指摘された。
無論、シロンとてここまで急に事を進めるつもりは無かった。
しかし、意識下ではのんびりと過ごしてきた無為の日々を悔いていたのやもしれぬ。
やはり。
焦っていたのだろう。
だから。
今まで蔑ろにしてきた家族との関係にもう一度きちんと向き合いたい。
「ハル、行ってくるよ。ここを任せて良いかな?」
「どうしても行くのなら、俺もついて行くよ。」
「母を見舞うだけだよ、心配ない。それよりここを、頼む。」
同行の拒絶と、後方を委ねる信頼。
シロンの強い意志にハルはしぶしぶ折れる。
後日、この決断を何度悔やんだことか。
「わかった。」
だが今は引き留める言葉を見つけられず、そう言ってシロンを送り出す。
伯爵領に着いて、そのまま城内の父伯爵の執務室へ通される。
先触れに続いて中へ入って、シロンの顔色が変わる。
父伯爵と兄姉達家族が揃ってシロンを待っていたのだ。
その衣は黒。
喪装である。
母の怪我の事は、ほぼ彼を呼び出す口実の嘘であろうと思っていた。
「よく来てくれた、シロン。」
父伯の声が昏い。
「母上は、」
間に合わなかったのか。
救う力を持ちながら、また、みすみす家族の骸を目の前に晒す事になるのか。
その時。
「ここに居ります。」
背後から遅れて入ってきた者が返事をした。
「はるばる、喉もお渇きでしょう。これを。」
振り返ると、やはり喪装の母がシロンに湯気のたつお茶を運んで来た。
手が震えてかちゃかちゃと碗が鳴っている。
「ああ。ご健勝でいらっしゃいましたか。」
微笑んで茶碗を受け取る。
喪装は母のためではない。
これは、自分への装束だ。
悟ってもう一度父伯を見ると、シロンへの恐怖でか額に汗が浮いている。
兄姉も蒼ざめて唇を固く結んでいる。
長兄が居ないことに気づく。
シロンが暴れても、伯位継承者だけは遺そうとしているのだろう。
「父さま母さま、兄さま姉さま。ぼくはあなた方に何もいたしません。どうか、怖がらないで。」
そう言って去ろうと踵を返す。
母がその前に立ち塞がる。
「それを飲んで。お願いだから、それを飲んで下さい。」
「ですが、これは…。」
手中の、おそらく毒杯と母を見る。
「あの子を助けて。全て、お前のせいではないの。」
憎々しげに彼を睨む母を見て、ああ、とシロンは思う。
長兄は隔離されたのではなく、何者かに人質に取られているのかと察する。
解放はシロンの身柄と引き換えなのだろう。
二十歳も遠に過ぎた長兄をあの子と呼び、末子のシロンをお前と呼び捨てる。
あの手に抱きしめられた事もあったのに。
ぐい、と手中の杯を干す。
「これで、赦して…貰え……ます…か…」
返事を聞くことは叶わず意識がぷつりと途絶える。
シロンの消息はその後知れない。




