第49話 夏祭り
ドアを出たとたんに、生ぬるい風が身を包む。
予備校が面している大通りの向こうからは、西日が全身を突き刺してくる。まだ帰る時間じゃないって言われてる気分になってきた。
小走りで路地に入る。日陰を選んで進み、さっさと地下通路へと降りる。雨にも負けず、風にも負けず。柊葉月は都会の地下通路網によって守られているのだ。
改札へと急ぐ最中、浴衣姿をよく見かけることに気がついた。……今日何かあったっけ?
去年の今頃を思い出しつつホームへと降りると、ちょうど電車がやって来る。
車内に入り、適当な吊り革に手をかけスマホを見ようとしたところで――思い出した。
……あ、花火大会だ。
地下鉄の真っ黒な窓には、浴衣姿の人々がぼんやり映っている。私は花火大会の開催概要を、なんとなくスマホで確かめた。
一駅ごとに車内はギュウギュウになっていき、とある駅で乗客が一斉に吐き出されていく。
私はその流れに抗えず、一緒になって電車から降りる。
ドアの横で祭りに向かう人達を見送っていたんだけど……ふと思い立って私は再度、人波に飲まれてみることにした。
屋台だけ見て回っても良いかなって思ったのだ。
* * *
花火会場に着くと多くの人で賑わっていて、お祭り状態になっていた。人影の隙間から、まだ熱を帯びた光が差し込む。
適当に何か買って帰ろうかな? なんて思っていたけど、この光景を見るとだんだん気持ちが萎えてきた。
……一人でウロウロしてたらナンパもダルそうだし。
駅へ引き返そうかと考えて、でもベビーカステラはちょっと食べたいな、なんて思いつつ待ち合わせの体を装って時計台の下で行き交う人々を見つめていた時。
見知った顔を見つけて、私とその相手は同時に体をビクッとさせた。
「……先生、何してるんですか?」
「屋台でおつまみ買おうと思って」
「え、一人で?」
「うん。柊は? ミカあたりと待ち合わせか?」
三山先生は辺りをキョロキョロと見渡しながら聞いてくる。
「ううん。予備校の帰りに、何となく屋台見ようかなって思ったんだけど……一人でウロウロするのもなって思って」
――帰ろうとしたところです。そう言いかけて。
「それなら、俺と一緒に回るか?」
「え? なんで??」
「ナンパ避けにもなるだろ」
「いや、先生と二人で歩いてて変な噂されても困るし」
「ならないって。なるなら既にミカと噂されてるだろ」
なんなら、田中辺りの野球部軍団とどっかで出会うかもしれないし――そんな事を付け加えつつ先生は歩き出した。私は少し遅れて、その隣に並ぶ。
……いや、ベビーカステラとソースの誘惑に負けただけだし。
「先にヨーヨー釣りして良い?」
「良いですけど」
会場に入ってすぐ。先生は店主に二人分のお金を払うと、釣り糸の片割れを私に手渡してきた。
何で私も? と視線を送ると先生はドヤ顔を浮かべて、
「柊。勝負しようか」
と戦いを挑んできた。その顔がなんとなくムカついたので、私は釣り糸を受け取りプールの前にしゃがみ込む。……ヨーヨーは正直、要らない。
3つ釣り上げたところで隣を見ると、先生は針の落ちた糸を持ったまま私を見つめて口を開く。
「……何でそんなに上手いんだ?」
「逆に、何でそんなに下手なんですか?」
私は4つ目を釣り上げてドヤ顔を返しておいた。
釣り上げたヨーヨー全てを先生に押し付けて、私たちはいろんな屋台を見て回る。
目当てのベビーカステラも買えたし、りんご飴も買えたし。途中でソースの香りに負けて焼きそばも買う。
「……焼きそば、今食べるのか」
「冷めたら美味しくないじゃないですか」
先生は家で食べる予定なのか、袋をぶら下げて私を見つめてくる。
「ひとくち、食べます?」
「……いや、良い。今食べたら、帰ってから食べるコレが不味く感じる気がする」
先生は手に持つ袋に一瞬目をやって、そのまま遠くを見る。
……もしかして、ビール飲みたくなるから要らないのかな? 視線の先には、生ビールが売られていた。
その後も私は食べ歩き、先生はその手にどんどん荷物を増やして回る。
とっくに日は落ちて屋台通りはすっかり夜に染まっていた。周りの人もまばらになってきた、そのとき。
突然、何かが空へと昇る。
牛串を齧りつつ音の鳴る方を見ると、体の奥を震わせる音とともに、赤い光が夜空に開いた。
――花火大会が始まるらしい。
皆一様に空を見上げ、スマホをかざしたり、よく見える方へと歩き出したり。牛肉を飲み込み終えた私の口から出た言葉は、完全に無意識だった。
「「……帰るか」」
うっかりハモってしまった言葉に、私と三山先生は顔を合わせる。
遅れて笑いが込み上げてくる。
「今帰れば、電車も空いてるだろうしな」
「あ、私もそれ思いました」
何故か理由まで同じで、さらに面白い。
道ゆく人々は次から次へと夜空を彩る花火を見たくて、その場に立ち止まっては誘導員から注意を受けているというのに。
私と三山先生は駅方面へ向かって、歩幅を合わせて淡々と歩く。
予備校の話。新学期の話。受験の話。文化祭の話。
私たちは、笑いっぱなしだった。
だから気が緩んで、魔が差したのだ。
私の手が先生に伸びかけて、止まる。それと同時に来年も一緒に来たい、なんて思ってしまった。
とりあえず、肩で軽く先生の体を小突いておく。
「ん? どうした?」
「……別に」
「靴擦れか?」「よろけたのか?」なんて心配してくる先生を横目に私は歩みを進める。
すれ違う人は皆、私たちの背後の空を仰ぎ見る。後ろからは断続的に光が差し、遅れて音が響いてくる。
一際大きな明かりに照らされて、私と先生は同時に振り返った。
そこには大輪の花火がいくつも重なっていて、少し煙たい夜空一面を塗りつぶしていた。
……この気持ちが恋だと言うのなら、これは私にとって初恋になってしまう。
先生の顔を仰ぎ見た私は、もう一度だけ体当たりしておいた。




