転移
重たいまぶたが、わずかに開く。
世界は、緑だった。深く、濃く、息苦しいほどに。
土と苔の匂いが鼻を突いた。頭はひどく重く、身体はまるで水の中に沈んでいるかのように力が入らない。
ミナトは地面に仰向けに倒れていた。
視界の上には、高く伸びた木々の枝葉が、青空をほとんど隠すように重なっている。鳥の声ひとつ聞こえず、森はしんと静まり返っていた。
「…ここは…」
かすれた声が漏れる。のろのろと身体を起こすと、全身の節々が悲鳴を上げた。
服は濡れ、砂と泥がついている。足元には、草がびっしりと生えていた。
ここは、どこだ?
そんな問いが何度も頭をよぎるが、答えは浮かばない。
目を閉じれば、海、渦、波。そして、あの“何か”。
「…あれは、なんだったんだ……」
ミナトは立ち上がる。森は密に入り組み、どの方向にも同じような木々と茂みが続いている。
進むべき道も、戻るべき場所も分からない。ただ、動かないわけにはいかなかった。
ゆっくりと足を前へ運び始める。木々の間を縫うように進むたび、葉がざわめき、小さな枝が服を引っかける。時折、湿った風が吹き抜けるが、その風はまるで呼吸を潜めた何かがこちらを見ているような、得体の知れない気配を孕んでいた。
歩きながら、ミナトは朧げな記憶をたどった。
あの黒くて長い、龍のような――いや、龍などという生き物で済ませられるような存在ではなかった。
禍々しく、恐ろしく、ただ姿を見るだけで心を握り潰されそうな感覚。
「…化け物」
言葉にしてみて、あらためて身体が震える。
あれは現実だったのか? それとも、死の間際に見た幻だったのか?
けれど、この森の空気の重たさ、草の濡れた感触、心臓の鼓動。
すべてが、あまりにも生きていることを実感させていた。
どれだけ歩いただろう。
森の風景に変化はなく、まるで同じところをぐるぐると回っているような錯覚に襲われる。
陽は射さず、時間の感覚も失われていた。
「くそっ…どこなんだ、ここ」
声を上げても、返ってくるのは静寂だけだった。
誰もいない。誰もいないのだ。この世界には、自分一人しかいないような錯覚すら感じさせる。
進む先に、何があるのかもわからない。だが、立ち止まっていれば、あの恐ろしい存在が再び現れるかもしれない。
森の奥で何かが蠢いているような気配が、常に背後にまとわりついていた。
ミナトはただ、森の奥へ、足を運び続けた。
※本作はすでに完結済みの長編ファンタジーです。現在、連載形式で投稿中です。物語は最後まで投稿される予定ですので、安心してお楽しみください。