ヨナカノフ
※本作はすでに完結済みの長編ファンタジーです。現在、連載形式で投稿中です。物語は最後まで投稿される予定ですので、安心してお楽しみください。
町は岩壁に寄り添うように作られていた。
建物の多くは岩をくり抜いたような構造で、外壁と内壁の境目が曖昧な、不思議な一体感がある。
軒先には風で回る小さな風車や、音を鳴らす風鈴のような装飾が揺れており、風とともに生きる町だということが、言葉以上に伝わってきた。
足元の石畳にはほのかな光が流れていた。道沿いに点々と並んだ照明が、まるで星のように灯っている。その光に照らされた町の風景は、幻想的で、夢の中の景色のようだった。
ミナトはふと立ち止まり、顔を上げた。
遥か頭上、切り立つ崖の合間から、ほんのわずかに、青空が見えた。
「…あそこが、空か」
狭い隙間に切り取られた青は、遠く、そして儚く見えた。けれど確かにそこにあって、雲が小さく流れていく様子が確認できる。日差しは届かないが、世界のどこかには確かに昼があるのだと、そんなふうに思わせてくれた。
ミナトはゆっくりと息を吐いた。
「ほんと…夜みたいだな、この町」
シズクが隣で頷いた。
「この場所は、陽が届きにくいから、こうして灯りを工夫してるの。風も強いし、外の世界とは、時間の流れ方が少し違うように感じるかもしれないね」
ミナトは再び空を見上げた。あの空の向こうに、ヒノモトの空があるのだろうかと、そんなことをふと考えながら、目を細めた。
この町では、夜が長い。
けれどその分だけ、灯りのあたたかさが身に染みる。ここは、闇の中に息づく、人々の暮らしが確かに根づいた場所だった。
ミナトは、静かに佇むヨナカノフの町を見渡しながら、ふと隣のシズクに尋ねた。
「この町にも妖異降ろしの祠、あるんだよな?」
シズクはわずかに視線を前へやり、無言で小さく頷いた。
「ええ。場所もだいたい分かってる。でも、まずは…」
そう言って、シズクは一歩進んで振り返り、少しだけ表情をやわらげた。
「この町にも、討滅団の支部があるはず。まずはそこに行ってみよう。情報があるかもしれないし、宿の手配もできるかもしれない」
そして、隣に立つヒヨリにも、やさしく声をかけた。
「ヒヨリ、この町は綺麗だね」
ヒヨリは無言のまま、わずかにうなずくように頭を傾けた。その仕草に、どこか人の感情の名残のような気配が滲んでいた。
「おっ、めずらしいな、シズクが声かけるなんて」
ミナトは口元を緩めて、軽く茶化した。
小さなため息混じりに言うシズクの頬が、ほんのわずか赤くなった気がして、ミナトはくすっと笑った。
そんな三人の姿に、冷たい風がすっと吹き抜ける。
夜のようなヨナカノフの町の中、ひっそりと灯る光を辿りながら、討滅団の支部へと向かって歩き出した。
しばらく町を歩き、三人が支部に着いた。
すぐにその重たい扉をくぐると、内部はひどく慌ただしい空気に包まれていた。
行き交う足音、急ぎ足で運ばれる物資、討滅団員たちの短く鋭い声が飛び交っている。地図を広げて指を走らせている者、武具の点検をしている者、通信装置らしきものに向かって報告をしている者。
すべてが張り詰めたような緊迫感の中にあった。
そんな中、一人の団員がシズクの姿に気づいて足を止めた。そして、すぐに敬意を込めた声を上げる。
「逝導様!ようこそ、おいでくださいました!」
その声をきっかけに、周囲の団員たちが次々と動きを止め、驚いたように振り返る。だが、それも束の間で、再び手元の作業に戻っていった。緊張が緩む暇もないらしい。
ミナトはその様子に目を丸くして、思わず声を出した。
「ずいぶん慌ただしいけど……何かあったのか?」
その問いに、先ほどの団員が少し表情を引き締めて答える。
「はい。実は、煌がこの付近…この峡谷のすぐ外れにまで接近しているという情報が入りまして。急ぎ準備を整えている最中です」
「煌が…」
ミナトは思わず、隣に立つヒヨリとシズクの顔を交互に見た。
シズクは団員の言葉を聞き終えると、真剣な眼差しで頷いた。
「…詳しい状況を教えてください。接近しているというのは、どの程度の距離なのか。兆候は?」
「はい、昨日の夕刻、監視班から峡谷北側の空が不自然に暗くなっているとの報告がありました。煌が近づいてくる際に、天気が暗転する現象と一致します。まだ姿は見えていませんが、時間の問題かと…」
シズクは目を伏せ、小さく息を吐く。
「わかりました。支部長にも一度お目にかかりたいのですが…その前に、少しだけ時間をいただけますか。同行している者たちと、話を整理したいんです」
「もちろんです。逝導様のご判断を最優先いたします」
団員が深く頭を下げると、シズクはその場を離れ、ミナトとヒヨリのもとへ戻った。
その間、ミナトは支部の壁に掛けられた地図をぼんやりと眺めながら、胸の奥にふと浮かんだ想いに目を細めていた。
煌が近くにいる。
それは不吉な気配でありながらも、同時に一つの可能性を思い起こさせた。
あの存在に触れたことで、すべてが始まったのなら、そこに終わりの鍵があるかもしれない。
「…もしかしたら、あいつにもう一度会えたら。何かわかるかもしれない」
ヒノモトへ帰る手がかり。
異世界ユラグへ来ることになったきっかけ。
あのときと同じ存在に、また触れられたら。
「帰れるかもしれない…」
小さな声で呟いたその言葉は、誰に向けたものでもなかった。
ただ、煌という存在に希望を託してしまいそうな、自分自身への戸惑いだった。そんな自分を振り払うように、ミナトは深く息を吐いた。
そして何かを決意したようなまなざしで二人に目を向ける。
「…なあ、シズク。煌に会えば…俺…ヒノモトに帰れるかもしれない」
言葉は慎重に選んだつもりだったが、自分でも気づかぬうちにその声には焦りと期待が滲んでいた。
それは夢に手を伸ばすような儚い希望だった。
けれど、シズクはその言葉を聞いても、揺れなかった。
真っすぐな瞳でミナトを見つめると、静かに首を横に振る。
「…まず、やるべきことをやろう。今はそれだけ」
ミナトが口を閉ざしたのを見て、シズクは一歩近づき、やわらかながらも強い声で続けた。
「この町には、祠がある。妖異を降ろすための場所。逝導としてまずはその位置を確認しなきゃいけない」
シズクが続ける。
「それに…もし煌がこの町に現れたら…何もできずに死んでいく人がいるかもしれない」
シズクの瞳が、まるで夜の底のように静かに、けれど確かな決意を湛えていた。
「討滅団も、大勢が犠牲になる。住民だって、きっと…多くの人が巻き込まれて、命を落とす」
彼女は小さく息を吸い、少しだけ顔を伏せた。
「そうなる前に、できることをやる。避けられる犠牲があるなら、絶対に避けるべきなの。…ミナト、私たちは、そうするためにここに来たんだよね?」
ミナトは言葉を失い、しばらく沈黙の中で立ち尽くした。
煌に会えば、帰れるかもしれない。その願いが、どれほど個人的で、自分本位なものだったのか、シズクの言葉が、それをはっきりと突きつけた。
ふと横を見ると、ヒヨリが無言のまま、じっとミナトを見つめていた。その無表情な瞳の奥に、なにか小さな揺れのようなものがあった。
ミナトはシズクの真っ直ぐな言葉に、ようやく自分の足で立つように、うなずいた。
「…わかった。まずは、住民を避難させよう。少しでも被害を減らすために」
そう口にしたとき、自分の中の何かが切り替わったように感じた。帰りたいという思いは胸に残ったままだが、それ以上に、目の前の命を守るべきだと、今は思えた。
ミナトは横に立つヒヨリに声をかける。
「ヒヨリ、住民を助けるぞ」
ヒヨリの身体はどこか嬉しそうに風に揺れた。
ミナトは討滅団の団員たちに視線を向けると、手短に伝えた。
「なあ、まだ住民には知らせてないんだろ?俺たちで先に知らせて回る。数人、案内についてきてくれ」
団員のひとりが頷き、すぐに二人の仲間を呼び寄せる。
「承知しました。こちらの路地の方からご案内します」
ミナトが一歩を踏み出しかけたその時、シズクの声が背中から聞こえた。
「ミナト。私は祠の場所を確認してくる」
振り返ると、シズクは討滅団の隊長格と思しき人物と話していた。
「町の外れにあるみたい。案内してくれるって。私がやるべきことをやってくる」
ミナトはその表情をしっかり見つめた。凛としたその目には、使命と覚悟の光が宿っていた。
「……じゃあ、後で合流しよう」
「うん。必ず」
言葉少なに、だが確かな意思を交わして、二人はそれぞれの道へと歩き出した。
ミナトはヒヨリと、数人の討滅団の団員たちとともに、まだ何も知らぬ住民のもとへ向かう。ヨナカノフの家々はどれもひっそりとした佇まいをしていた。峡谷を吹き抜ける風の音だけが、町の静けさを際立たせていた。
「大丈夫、まだ時間はある」
そう心に言い聞かせながら、ミナトは住民の家の戸を順番に叩きはじめた。
背後では、ヒヨリが団員と並んで歩いていた。まるで何かを守るようにあるいは、見届けるように。
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