くだらないけど、悪くない話
朝の冷たい空気が、討滅団の支部に静かに流れ込んでいた。
ミナトとシズクは荷をまとめ、身支度を整えていた。
半妖異は無言で、二人のすぐ傍に立っていた。
「忘れ物は?」
ミナトが軽く肩越しに尋ねると、シズクは小さく首を振った。
「ないよ。準備はできてる」
そこへ、昨晩の団員がやってきて、部屋の扉を控えめにノックした。
「出発されるのですね」
彼の声は穏やかで、どこか名残惜しそうだった。
ミナトが頷くと、団員は少しだけ躊躇いながら訊ねた。
「次は、どちらへ向かわれるのですか?」
「“ヨナカノフ”です」
シズクの答えは短く、はっきりとしていた。
「ヨナカノフ…」
団員はその名を繰り返し、ふっと眉を下げるように表情を曇らせた。
「それは…遠いですね。途中の街道も荒れていると聞きます。くれぐれもご注意を」
「そりゃ楽しみだな」
ミナトは冗談を口にしながら、背負った荷を軽く揺すった。
それでも、表情は引き締まっていた。
すると、団員がふと目を伏せ、低く声を落とした。
「…それと、煌についてですが」
シズクとミナトが顔を上げる。団員は言葉を選ぶようにゆっくり続けた。
「最近、動きが以前にも増して活発になってきているという報告があります…」
沈黙が落ちた。
それは風のない朝のような、張り詰めた静けさだった。
「…そうですか。ありがとうございます」
シズクはそう言って深く頭を下げた。
「では…ヨナカノフまでの道中、どうかお気をつけて」
支部の扉が開かれる。
朝の光が、三人の影を長く引いていた。
彼らの背に、その光がそっと降り注いでいた。
支部をあとにし、三人は再び旅路へと足を踏み出していた。
ユウキョウの町の外れを越え、山影の中に続く街道へと向かう道は、静かな朝の風に包まれていた。
「なあ、シズク」
先頭を歩くシズクに向かって、ミナトが声をかけた。
「ヨナカノフって、どれくらいかかるんだ?」
振り返ったシズクが、指を三本立てながら言う。
「……三日くらいかな。順調に行けば、だけど」
「えっ…三日…」
ミナトは苦笑して頭を掻いた。
「けっこう歩くな…ってことは、途中で野宿もあるか」
その横で、半妖異が無言のままついてくる。
ミナトは軽く振り返り、半妖異の肩を小突いた。
「おーい、おまえもがんばれよ、三日だぞ、三日」
しかし、半妖異は何の反応も見せなかった。
まるで、風に揺れる木のように、ただ黙ってそこに立っているだけだった。
「……まだ、なんも感じてないっぽいな」
ミナトは小さくため息をついて、それでも少し楽しげに続けた。
「なあシズク、俺、昨日の夜考えたんだけど…こいつに名前、つけてやらないか?」
シズクが少し驚いたように振り返る。
ミナトは半妖異のほうを見ながら、ぽりぽりと頬をかいた。
「いや、なんつーか…ずっと“半妖異”って呼んでんのも、ちょっと、違う気がするっていうか…"こいつ"って呼ぶのもな。なんか……」
その言葉に、シズクは小さく目を伏せた。
風が吹いた。半妖異の身体がわずかに揺れた。だが、それは風に押されたただの反応だった。
「まだ何もわかってないけど、でも…こいつが生まれてきた理由、ちゃんと考えたいんだ」
その声はふざけてもいたが、どこか真剣で、迷いのない響きがあった。
「だから、名前…いいだろ?」
彼の言葉に、シズクはしばらく黙ったまま歩き、やがて静かに頷いた。
「うん。いいと思う」
ミナトはぱっと顔を明るくした。
「よし、じゃあ名前つけよう!」
思わず声が弾んで、隣を歩く半妖異に顔を向ける。無表情のままだが、その存在に向かって、ミナトは嬉しげに問いかけた。
「なあ、おまえもそれでいいよな?名前、あったほうが絶対いいって。な?」
返事は、もちろんない。けれどミナトはお構いなしに笑った。
「んー、でも……何がいいかな。なんか、しっくりくるやつ……」
ミナトは腕を組んで歩きながら、空を見上げ、何かを探すように口の中で言葉を転がす。
「…人でも妖異でもない…でも、ちゃんと生きてる。んー、でもなあ……」
そして、ふと空に浮かんだ雲の切れ間から射した陽の光に目を細めたとき、ぽつりと呟いた。
「ヒヨリ…かな」
シズクが振り向いて小さく瞬きした。ミナトは、照れくさそうに笑いながら続けた。
「“日に依る”って書いて、ヒヨリ。…なんとなく、朝を待ってる感じがするんだよな。まだ夜の中にいるけど、それでもちゃんと…陽を信じてるっていうか」
「いいね。ヒヨリ。すごく良い名前だと思う」
シズクは小さく頷いた。
ミナトはもう一度、半妖異。いや、ヒヨリに目を向けた。
「どう?ヒヨリ。気に入ったか?」
ヒヨリは、やはり何の反応も見せなかった。
けれど、ミナトの顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。
「よし、じゃあ決まり。今日からおまえは、ヒヨリだ」
その言葉が、まるで新しい旅の始まりを祝福する合図のように、春風に乗って、遠くへと流れていった。
ミナト、シズク、ヒヨリの三人は、ヨナカノフへと続く街道をゆっくりと歩いていた。陽光はまだ優しく、風も穏やかで、旅の始まりにはちょうどいい陽気だった。
「なあシズク、お前、好きな食べ物って何なんだ?」
ふいに、ミナトが前を歩くシズクに声をかける。
シズクはちょっと驚いたように振り返ったが、すぐに小さく笑って答えた。
「…炊き込みご飯。山菜を入れたやつが好きだった」
「えー! けっこう渋いな。もっと甘いのとか言うかと思ったのに」
「甘いのも嫌いじゃないけど…別に、話す機会なかったから」
「そうか? もっと喋ってもいいんだぞ、くだらない話とかさ。旅が長いと暇だろ?」
ミナトはヒヨリをちらりと見る。
「なあ、ヒヨリ?」
当然ヒヨリは何も言わず、ただミナトの方に顔を向けるだけだった。
「…なあ、ヒヨリの好きな食べ物って何なんだろうな」
「それ、本人がわからないんじゃ…」
「でもさ、せっかく名前もつけたし、色々教えてやりたいじゃん? 食べ物とか、景色とか、笑うこととか」
ミナトがそんなことを言いながら、ヒヨリの頭に引っかかっていた枯葉を取ってあげた。
ヒヨリは反応こそ薄かったが、その仕草は、微かに目を瞬かせたように見えた。
「…くだらないけど、悪くない話だと思うよ」
シズクがぽつりと呟くと、ミナトはふっと笑った。
「だろ? じゃあ次は…シズクの好きな色は?」
「…今聞くの、それ?」
「うん、今」
二人のそんなやりとりの横で、ヒヨリは静かにその歩調を合わせる。
まるで、確かに三人で旅をしているかのように。
※本作はすでに完結済みの長編ファンタジーです。現在、連載形式で投稿中です。物語は最後まで投稿される予定ですので、安心してお楽しみください。




