▼.ラドフォード・ミオン
シャルロット――彼女こそが私の星、私の人生そのもの。
彼女に出会ったのは運命だった。
ストロベリーブロンドの甘い髪も。
満月をそのままはめ込んだような金の瞳も。
元気に駆け回る華奢な体も、その全てが愛おしかった。
彼女と初めて出会ったのはある月の晩だった。
限りある時間の中で、領地の視察に行った時の事だ。
王城に勤める私には大きくとれる時間がなく、領地の視察さえ人目を憚るような遅い時刻に行わざるを得なかった。
執政官としての歴も浅く、仕事を押し付けられる毎日だったのもあるだろう。
家に帰れない日も多く、こうして領地を見て回るのも随分と久しい事だ。
先祖代々ミオンに仕えてくれているエインワーズ一家が、私に代わり切り盛りをしてくれてはいるが、そうは言っても私が継いだミオンの領地である。
私自身がこの目で領民たちの暮らしぶりを見届ける必要があるだろう。
父を早くに失くし、その父の勧めで迎え入れた妻にも捨てられた私ではあるが、領民たちにまで辛い思いをさせるわけにはいくまい。
その一心で、夜遅くになろうと構わず、私はミオンに委ねられたメルゲル領を見て回った。
幸いにも天候には恵まれ、星が瞬く空には満月が浮かんでいる。
私がその月明かりの下に彼女を見つけたのは、きっと女神様のもたらしてくれた幸運に他ならない。
「…………綺麗だ」
ぽそりと呟く私の前で、彼女は月光を独り占めするように踊っていた。
金の光を浴びる髪は黄金にもオレンジにも輝き、炎が舞い踊っているようでもある。
鈴を転がすような凛々しくも愛らしい声が歌い出せば、私の目は彼女に釘付けになっていた。
こんな時間にとは思うが、洗濯に来ているらしい。
すぐ脇を流れる川のほとりに桶や衣服が並べられ、彼女はその中から体よりも大きなシーツを引っ張り出した。
生成りのシーツを振り回し、くるくると歌い踊る姿はプリマドンナさながらだ。
まるで私のためだけに用意されたかのようなその歌劇に、穴が開く程に魅入り続けた。
「あっ!」
言葉も失い呆ける私に気が付いたのか、彼女が一際甲高い声をあげる。
けれど怒るでも逃げるでもなく、彼女は照れ臭そうに頬を赤らめ、気の強そうな顔をへにゃりと緩めただけだった。
あまりに毒気を抜かれるその表情に、私は持っていた荷物をその場に落とした。
ドサリと鞄が落ちたにも関わらず動く事が出来ない。
きっと彼女以上に私の顔は赤らんでいた事だろう。
かつて感じた事がないくらい心臓が早鐘を打ち、私は何も考えつかないまま彼女の前に飛び出した。
それには流石に驚いたのか、まだ少女と呼んでもおかくしはなさそうな彼女が、持っていたシーツをぎゅっと掴む。
しかし金の瞳だけは興味深そうにこちらを見つめていた。
「初めまして、お嬢さん」
「………初めまして。えーと…王子様?」
首を傾げる彼女に思わず笑みをこぼす。
彼女の前に膝をついた私が、童話の中の王子に重なったようだった。
「それはあなたの王子になっても良いという事かな?」
「私の王子様?んー…ごめんなさい、意味がよく分からないわ」
「では一曲お願いしても?私にあなたと踊る栄誉をお与えください、お姫様?」
跪いて彼女の手を取る。
ささくれや小さな傷が無数についた苦労の跡が伺える手だった。
「ふふ!変な王子様ね!」
彼女は噴き出すように笑い、私の手を握り返した。
そして彼女の口ずさむ心地よい音に身を任せ、私は月の妖精とも呼べる彼女と夢のような一時を過ごしたのだった。
愛らしい声以外に聞こえる音はなく、月明かりだけが私たちを見下ろしている。
「王子様は何て言うの?」
「ラドフォードだ。そういうあなたは?」
「シャルロットよ。みんなシャルって呼ぶわ。お姫様なんて柄じゃないけど」
髪が乱れる事も、スカートがはだける事もお構いなしに堂々と踊る彼女に私はますます心惹かれた。
安っぽい衣服さえ、彼女の纏う気高さによってシルクの輝きを放っている。
途方もない愛らしさの中に、凛とした佇まいが印象的な女性だった。
月の光が大地を照らし出すように、その瞳は私の心を見透かしていたのだろうか。
何者にも屈しないと言いたげな強い眼差しに、私は完全に屈していた。
「――シャルロット嬢」
踊り終え、息を切らす彼女の前にもう一度膝をつく。
彼女は怪訝な顔をするでもなく、ただじっと私を見下ろしていた。
「私ラドフォード・ミオンは、あなたに全てを捧げると誓いましょう。どうか私の妻になっては頂けませんか?」
黄金に煌めく瞳が大きく見開かれる。
彼女はすぐに返事をくれず、手つかずだった洗濯物を手に走り去っていった。
「今日は楽しかったわ、月夜の王子様。でも夢に溺れるほど私も子供じゃないの」
去り際にそう残し、シャルロットは小さな町へと姿を消す。
もしかしたら彼女は私を幻想か何かだと思っているのかもしれない。
私自身が彼女をそう思っているのだから、一夜の夢が見せた幻と思われても無理はないだろう。
「……愛というのは難しいな」
私を捨て去った妻は運命の相手を見つけたと言っていた。
たしかにこれは自分ではどうしようもなく、抑えようにもなく、求めたくなってしまうものだ。
自分の中に芽生えた恋を摘む事など出来ようもなく、私は翌日もシャルロットの元を訪れた。
その日は初めて仕事を休んだ。
もちろん使いの者は送ったが、承諾もなしに休んだのは初めての事だ。
(なんだ、どうにでもなるじゃないか)
シャルロットに会える事への高揚もあり、思っていた以上に罪悪感はない。
私は軽い足取りでシャルロットの家へと赴き、その扉を叩いた。
「あ!あなたは…!!」
「おはようシャルロット。居ても立ってもいられずに来てしまったよ」
扉を開けた彼女は愕然と私を見つめ、すぐあとに困ったように笑い出した。
その瞳には薄っすらとだが涙が浮かんでいる。
「ふ、うふふっ、ほんとに迎えに来るなんて思わなかったわ」
何から何まで夢みたい――そう言ってくしゃりと笑う彼女の顔は何よりも美しいものだった。
その顔にまた心臓が鷲掴みにされてしまう。
運命なんて言葉、信じた事はなかった。
そんなふざけたものに現を抜かす暇などはなかった。
けれどそれは私がただ運命が何かを知らなかっただけの事だ。
シャルロット――彼女こそが私の星、私の人生そのもの。
彼女に出会ったのは至上の幸福だった。
私にとってそうであったように、喜ばしい事にシャルロットにとって私も運命だった。
私たちにはすぐに恋に落ち、彼女の父も私たちの関係を認めてくれた。
これ以上の幸運はないと、シャルロットをミオンに迎え入れる準備をする中ではたと気づく。
(……二人は許してくれるだろうか)
これは私の身勝手な恋だ。
私にとって運命だとしても、それが子供たちとって同じとは限らない。
年甲斐もないこの恋を二人の子供は許してくれないだろうと思った。
だが意外にも二人は笑って受け入れてくれた。
「父上が心から愛する人なのでしょう?嫌う理由はありません」
「そうよ、お父様!それにヴィもお母様が欲しかったの!だから嬉しいわ!」
スコールとシルビア。
私の二人の子供は嬉しそうに微笑んで、私の我儘を許してくれた。
それは久々に見る二人の笑顔だった。
「ありがとう、スコール。シルビア」
私の一人目の妻にして二人の母親は、私たちを捨てていってしまった。
彼女はいわゆる政略結婚で、親同士が決めた伴侶だった。
愛のない結婚。
人々はそう言うかもしれないが、彼女の事は人並みに大切に思っていたし、良き家庭を築けるよう努めてきたつもりだった。
ドレスでも宝石でも彼女が欲しがるものは可能な限り与えてやった。
望む使用人を入れ、失礼な態度をとる者は解雇した。
彼女の前では笑顔を絶やさなかったし、仕事でも対人関係の事でも彼女にくだを巻く事はしなかった。
けれど彼女はいなくなった。
真実の愛を見つけたと――そう言い残し、姿を消してしまった。
追う事は出来ただろうが、私にはそれが出来なかった。
彼女にとって私との日々はただの義務だったのだろう。
笑いたくもないのに笑い、交わりたくもない相手と交わり、望んでもいない子供を産む。
そしてそれは私も変わらない。
彼女を幸せにする事が、彼女と子供を設ける事が、当主としての私の責務だった。
それを思えば彼女を追う事はおろか、責める事は到底出来なかった。
ただ一つ、子供たちの事は愛して欲しかった――それだけはいまだに思う。
私を愛する事は出来ずとも、血を分けた子供たちを愛して欲しかった。
笑いかけてあげて欲しかった。
それとも好きでもない相手に似た子供たちは、それだけで嫌う相手だったのだろうか。
彼女は生まれてすぐの子供を抱く事もせず、その世話を全て乳母や使用人に任せきりにした。
私自身、仕事にかまけ子供たちの面倒を見れていたわけではないが、彼女が母らしい何かをした事は私の記憶の限りなかったように思う。
しかしそれが幸いしてか、二人の子供は母親がいなくなってもさほど寂しがりはしなかった。
二人には親の愛が必要なはずなのに、妙に大人ぶったスコールは嫌味の一つ溢さなかった。
シルビアは不満を口にしていたようだが、それを私にぶつける事はなかった。
その事がまた私を悩ませる。
旦那として親として不甲斐なさばかり感じるのは、仕事さえ出来れば良いと勘違いしてきた報いだろう。
だからこそ、今度こそ良き父になろうと決心する。
スコールもシルビアも笑ってシャルロットとの繋がりを認めてくれたのだ。
今度こそ幸福な家庭を築くのだと、私はひっそりと女神に誓いを捧げた。
そして、一季節が過ぎるのを待たずシャルロットを迎え入れた。
愛しいシャルロットとの結婚式は家族だけで執り行う簡単なものだ。
二人の子供と、彼女の父と、エインワーズ一家の10人にも満たない小さな式だったが、それで十二分だった。
結婚に際しシャルロットにはエインワーズ――クリスティアンの養子に入ってもらったが、元々は爵位も何も持たない領民だ。
下手に社交界に出ればいらぬ嘲笑と侮蔑の的になるだろう。
優しく無邪気なシャルロットを、貴族同士の醜い諍いの中に投じる事は避けたかった。
何より私が欲しているのは最愛の伴侶であり、伯爵夫人ではない。
彼女が望まぬ限り、彼女を好奇と陰謀の渦巻く場所へ送り出す事はしなかった。
間もなくしてシャルロットは子供を身ごもった。
私は愛する妻との間に一人の男の子を授かる事となったのだ。
あの日の感動を忘れる事はないだろう。
私の人生の中でも、シャルロットに出会った事に次ぐ屈指の幸福の思い出だ。
生まれた子供はそれだけでもう可愛らしかった。
ミオンらしい赤くて柔らかい毛も、シャルロットに似てとても鮮やかな赤色だ。
瞳はシャルロットに瓜二つだった。
金色に光る大きな猫目は、どんな宝石よりも輝いて見える。
「父上!僕にも抱っこさせてください!」
「ヴィが先よ!」
その子供にはシャルロットの名を貰い、シャルルと名付ける事にした。
二人の子供もシャルルの事を心から愛してくれた。
我先にと弟を取り合う様も実に可愛らしいものだった。
体を悪くしていた義父は孫の顔を見るや否や、満足したように女神様の元に召されてしまったが、私たちは幸福な日々を過ごしていった。
愛する妻と愛しい子供たちに囲まれ、私は本当の愛を知っていった。
「――シャル!!」
ある冬の日、シャルロットが風邪で寝込んだ。
医者はすぐ良くなるだろうと言ったが、彼女の容体は悪化するばかり。
再三の診察の結果、冬を越す事さえ難しいと宣告されるに至った。
「ごめんなさい、ルディ」
「何も言うな。大丈夫だから、きっと良くなるから……」
「私、幸せだったわ。あなたに会ってから、ずっと、幸せだった」
青白く、骨と皮ばかりになってしまったシャルロットの手を握りしめる。
彼女も残された力で私の手を握り返してくれた。
「ありがとう、ルディ。スコールとシルビアもありがとう。私をお母さんって呼んでくれて、嬉しかった。あなたたちと家族になれて、本当に、楽しかった」
「お母様…嫌です、そんなこと言わないで」
「おがあさま…!ヴィをおいていかないでよぉ!」
「ふふ、最後まで可愛いのね、二人とも…。シャルルをお願い、私の分まで愛してあげて。きっとよ」
彼女の笑顔はこんな時にまで凛として見える。
私は無理やりにでも笑って頷いた。
愛するシャルロットの願いに、何度も何度も頷いた。
――結局、シャルロットが次の春を見る事はなかった。
シャルロットもまた私を置いていってしまった。
今度はけして手の届かない場所に、彼女は一人で行ってしまった。
すぐにでも駆けつけてあげたかった。
彼女の傍に行きたかった。
「旦那様、坊ちゃんが……」
執事長になって間もないクリスティアンがシャルルを抱いてやってきた。
まだまともに喋る事も出来ないシャルルにも母親がいなくなった事が分かったのだろう。
ミーミーと大声をあげて泣くシャルルを抱きしめる。
「大丈夫。大丈夫だシャルル」
心が張り裂けんばかりに悲しいけれど、私には誰よりも愛したシャルロットとの可愛い息子がいる。
「シャル。私の可愛いシャル。父さんが守ってあげるからね」
私の愛しい可愛いシャル。
お前が傍にいてくれさえすれば私は幸せだ。
絶えず涙を溢す、シャルロットと瓜二つの金色の瞳にキスを落とす。
――シャルルが世界の中心になったのは、この時からだった。




