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子猫伯爵の気のままに  作者: yura.
1部-1章.シャルル・ミオンの学院生活①
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57.子猫伯爵と本当の繋がり

「いつまで待たせるつもりよ!!」

カレン・マルキーノ子爵夫人が叫ぶ。

一報もなしにミオン邸に訪れた彼女は、それが当然と言わんばかりにかなきり声を上げた。

温厚な主人ラドフォードに仕えてきた使用人たちは彼女の横行を持て余し、食堂から戻ってきたクリスティアンがその対応を一手に引き受ける事になっている。

「旦那様も若旦那様も出払っております。お待ち頂けないのであれば日を改めて頂く他ありません」

乱暴にカップを置く夫人へと、クリスティアンが不動立ちのまま淡々と返す。

談話室には二人の男女。

もう若くはないのか、化粧を塗りたくった白塗りの夫人は忌々しげに老人を睨んだ。

「さっきからそればかり!もううんざりよ!さっきの子で良いから連れて来なさい!!」

「それは出来ません」

「ラドフォードもスコールもいないなら、あの子が私の話相手になるべきでしょう!?」

「何度でも申しますが、それは出来ません」

「なら私が直接出向くわ。どこに隠したの?早く教えなさい!!」

否定を続けるクリスティアンに痺れを切らした夫人が立ち上がる。

ツカツカと高いヒールの音を鳴らし、ドアの前に立つクリスティアンへと詰め寄った。

対するクリスティアンは眉一つ動かさず夫人の進行を阻む。

「おどきなさい!!私の言う事が聞けないの!?」

「客人とてルールというものがございます。最低限のマナーを守って頂けないのであれば、お帰り頂くしかございません」

「少し見ない間に随分と生意気になったのね!!」

「――18年。その月日を少しと称されますか」

クリスティアンの目が夫人を捉えた。

鋭い眼光が(しかめ)められた顔を射抜き、夫人はぐっと言葉を詰まらせる。

「あなた様が全てを放棄して姿をくらまし、18年もの月日が過ぎたのです。今更この家に何の未練があって戻ってきたと仰るのですか?」

18年という時間は、とても少しなどと表現できるものではない。

50歳だったクリスティアンも70歳を越え、赤ん坊だった孫さえ立派―というにはいまいち不誠実だが―な従者へと成長した。

物心着くか着かないか程度だった二人の小さな主人も、領地を預かる程の誇りある大人へと育っている。

その月日を否定しかねない夫人の言葉を、彼らを傍で見守ってきたクリスティアンが受容出来るなんて事は到底なかった。

「――クリスティアン、僕だ」

クリスティアンが守る扉の向こうから青年の声が響く。

ドアごしに聞こえた声に、二の足を踏んでいた夫人は目を輝かせた。

開け放たれたドアの先、スコールの姿を認めた夫人はクリスティアンを押しのけ、その胸に(すが)りつく。

「待っていたのよスコール!この使用人じゃ話にならないわ!さあ、私に――」

「失礼ですがマルキーノ夫人。あなたにスコールと呼ばれる謂われはありません。それに父が不在の間好き勝手してくださったようですが、何の権限があってそのような真似をされたのですか?」

「スコール?何を言って……」

「まだご理解頂けないようですね。あなたがミオン夫人を名乗る事も、この屋敷の女主人として振る舞う事も、何一つとして許される事ではありません。この家にあなたを歓迎する者がいると思っているのならそれはとんだ勘違いです」

逆に詰め寄られ、マルキーノ夫人は笑顔を凍りつかせた。

持ち上げた唇を引きつらせ、揺れる瞳でスコールの顔を見つめる。

その顔を静かに見下ろし、スコールは冷めた声で告ぐ。

「クリスティアン、彼女を客間へ。おかしな真似をするようなら手荒に扱っても構わない。絶対に客間から外へ出すな」

「かしこまりました」

「な、何をするのよ…!!私はこの家の女主人よ!!?そんな事、そんな事をして許されると思っているの!!?スコール!!!!」

愕然(がくぜん)とする暇もなくマルキーノ夫人は拘束される。

クリスティアンに捕らえられた夫人は、抵抗虚しく談話室の外へと引きずり出された。

「スコール!!私に…!母に手を挙げるなんてどういうつもりなの!?この家の主人でもないあなたに!!そんな事が……!!」

「マルキーノ様、(さえず)られるのであれば(くつわ)をはめて頂きます。我が主人への暴言の数々、これ以上は聞くに()えません」

虚しく響く叫びだけを残し、マルキーノ夫人は客間の方へと姿を消した。

その様を見送り、スコールは嘆息する。

「記憶が美化されるというのは本当のようだね。ここまで酷いとは思わなかった」

あれが実の母だというのだから笑えない。

人生唯一の汚点かもしれないと、苛立ちによって(しわ)のよった額をこすってから(かぶり)を振る。

かろうじて柔和な顔つきに戻ると、シャルルが待つ食堂へと駆け出した。



「シャルル!!」

どれくらいナサニエルに泣きついていたのだろうか。

涙が落ち着いてきた頃に、視察から戻ってきた兄スコールが食堂の扉を開け放った。

クリスティアンが居たらドアが壊れかねないと小言を言うところだが今は兄一人のようだ。

ドアをぶち破った勢いのままオレに飛びつこうとして――ピタリと足を止める。

「シャ、シャルル…?どうしてそんなに泣いているんだい…?彼女に何か酷い事を……」

おろおろとオレの前を右に左に移動して、兄はオレの顔を覗き込んだ。

真っ赤になった目で兄を見上げると、赤褐色(せきかっしょく)の目と視線が絡み合う。

その胸に飛び込んで良いのかも分からず、オレは反射的に目を背けてしまった。

「シャ、シャルル……!!」

それだけの事で、兄は雷に打たれでもしたように硬直した。

思考停止してしまった兄を見兼ねたのは当然ナサニエルで、オレを膝に抱いたままナサニエルが兄に声をかける。

「クソジ……執事長に聞きませんでした?」

「彼女が来ているとは聞いたが、それ以上の事は」

「あー…そのですね、お二人がマルキーノ夫人のお子様だという事を――」

その言葉を聞いた兄は奪い取るようにオレを抱き上げた。

取りこぼされたスミレは床に転がり、不満を訴えて兄を見上げる。

尻尾でたしたしと床をはたいていたが、そんな事はお構いなしに兄はオレをぎゅっと抱きしめてくれた。

「ごめんよ、シャルル。僕たちがシャルルを傷つけてしまったんだね。でもこれだけは信じて欲しい。僕たちにとっても母親はシャルロットお母様だけなんだ」

「兄さん…。でも、オレだけ違うから……」

「誰が何と言おうとシャルルは僕の大切な家族だ。そう思ってるのは父上もシルビアも一緒だよ。シャルルが気にする事なんか一つもないんだ」

きっと家に戻ってすぐここに来てくれたのだろう。

これまでと何一つ変わらない温もりと優しさに、オレも兄の背に手を回す。

分かっていても不安になってしまう自分が情けなくて、それ以上に自分を認めてくれる事が嬉しくて、ただ黙って兄の手に応えた。

「シャル!!」

父ラドフォードも帰ってきたようだ。

やはり一目散にオレの所に来てくれたのだろう。

血相を変えた父がオレの顔を見て息をつき、兄ごとオレを抱きしめる。

「不安にさせてしまったね、シャル。だがもう大丈夫だ。私がお前を手放すなんてそんな事するわけない」

クリスティアンに話を聞いたのか、父も酷く焦った様子だった。

オレが家に居る事に心の底から安堵(あんど)したように、兄以上に優しくオレの頬を骨張った手で包み込む。

落ち着いた赤茶の瞳が(ゆが)み、今にも泣き出してしまいそうだ。

「オレ、ここに居て良いの?」

「当然の事を聞くんじゃない。女神様に誓ってお前を愛し続けるとも」

「そうだよシャルル。だからそんな顔をしないで、可愛い顔を見せてくれ」

ちらりと見つめた横では、ナサニエルが苦笑している。

心配なかったでしょう――そう言いたげな表情に、オレも口角を持ち上げ、父の腕に飛び込んだ。

(オレ、この人たちのこと好きだ)

当たり前の事ではあるが、オレは家族の事が好きだ。

オレとしての記憶が戻ってすぐは今よりずっと気まずい思いもあったし、どう接して良いか分からなくなった事もある。

時折、騙しているんじゃないかと自己嫌悪に陥る事だってあった。

何とか折り合いをつけたものの、本当にここに居て良いのかと、本当にオレはシャルルなのかと苦悶(くもん)する夜が続いた時期もある。

(……手放しに喜べる事ばかりじゃなかったしな)

欲しいものが手に入る事も、好きなものだけ食べられる事も、何をしても怒られない事も、それは幸福な事だっただろう。

一方で不安は(つの)り、『ラブデス』と同じ結末を迎えたくないという焦燥(しょうそう)も含め、息が詰まりそうになっていたのも事実だ。

もしオレが本当にシャルルじゃなかったら。

シャルルの延長と捉えているだけで、本物のシャルルは既に死んでいるのだとしたら。

考えるだけ無駄と言い聞かせても、いつだって〝もしも〟はオレを(むしば)もうとする。


それでも――

「ありがとう。父さん、兄さん」

この人たちはオレにとって大事な家族で、誇るべき人たちなんだと痛感する。


すぐ傍に感じられるこの温もりを手放したくないと思うのはオレも同じだ。

この人たちの愛に(むく)いたいとそう思った。

(――オレ、ちゃんと前を向けてるかな?)

怖いものが苦手な事は変わらない。

痛みも、怪我も、喧嘩も出来る限り無縁であって欲しい。

けれど逃げてばかりじゃ駄目な事はよく知っている。

今ここに居るオレは、情けないなりに、薄情なりに逃げる以外の道を選択してきた結果だろう。

だからこそオレは涙を(ぬぐ)う。

この人たちのためにも、ハンスのためにも、シャルルとして誇れる人間になりたいと思った。

「スコール、彼女はどこに?」

「クリスティアンに客間に案内してもらいました。手荒な真似も許したので少しは()りていると良いけど……あの様子だと難しいかも」

「そうか。では彼女に現実を教えねばな」

「もちろんです、父上!」

オレを椅子に座らせた父と兄が闘志を燃やす。

サマルの件でナレル・バロッド侯爵が来た時でさえ、ここまで怒りに満ちた顔はしていなかった。

おそらくだが、マルキーノ夫人は無事に帰る事が出来ないだろう。

そんな二人を見つめ、オレは座らされて早々膝に乗ってきたスミレを抱きしめた。

ふかふかの短い毛に顔を埋め、呼吸を整える。

「ナサニエル。シャルを頼む」

「仰せのままに。シャルル様、一度部屋へ戻りましょう」

思った通り、父と兄はこれ以上この件にオレを関わらせる気はないようだ。

だがオレはナサニエルを振り切って父を見据える。

「オレも一緒に行く」

「シャル……」

これはオレ自身にも父たちに向き合うためにも必要な事だ。

金の目をしっかりと開き、じっと父を見つめた。

「……分かった。だが無理はしなくて良い。辛いと思ったらすぐに部屋に戻りなさい」

「ん。分かってる」

こくりと頷いて、オレは父に支えられるように歩き出した。

その頬にスミレが肉球を押し付ける。

むにっと弾力と固さのある皮膚がオレの頬を押し上げ、スミレは満足そうに(ひげ)を揺らした。

「みゃ!」

「はは、ありがとな」

彼女なりに気合を入れてくれたのだろう。

オレはスミレを抱きしめ直し、父と兄と足並みを揃えて食堂を出る。

目指すはカレン・マルキーノ夫人の待つ客間だ。

ふと食堂を振り返ると優しく微笑む母の絵と目が合った。

(行ってくるね、母さん)

これから起こる出来事は母の名誉を守る事にも繋がるのだろう。

肖像画でしか記憶にない母の笑顔に見送られるように、オレは足を踏み出した。

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