◆.The ancient moon
投稿数50回を超えた節目に季節にちなんだ話を書いてみました。
引き続き子猫伯爵を楽しんで頂けたら幸いです!(2021/9/26)
「――兄さん、聞いてる?」
黙々と白米を口に詰め込むオレに妹が話しかけてくる。
四人掛けのテーブルにはオレと母さんと妹の三人が座り、妹はオレの真正面から大声を上げた。
「んにゃ、でひゃい声、んぐ――出さなくても聞こえてるっての」
「あー!その言い草は聞いてないでしょ!」
「聞いてる聞いてる。月がなんだっけ?テレビでもやってたやつだろ」
騒ぎ立てる妹を適当に受け流し、特大サイズのから揚げを口に放り込む。
最近は揚げるのが面倒だと温めるだけのから揚げを出されるが、これはこれで美味いので良しだ。
醤油の味が程よく香る衣ごと一口で頬張った。
「あんたも喋ってないで食べなさい。誰が後片付けすると思ってんの」
「でも赤い月だよ?二人とも本気で興味ないの?」
「赤って言ってもほんのちょっと赤っぽくなるだけだろ。日食でもあるまいし、そんな騒ぐ事かよ」
「今さら日食でも驚かないわよ。分かったらさっさと食べちゃいなさい」
「はーい……」
オレと母さん二人にあしらわれ、妹は遂に根負けした。
頬を膨らませながら、ほとんどが手つかずのままだった夕食をかきこんでいく。
『今日はストロベリームーンだそうですね』
『そうなんですよ。少し雲が多いですが、時間によってはくっきり見えるはずです』
『あ、こちらご覧ください!本当に月が赤くなっていますね!』
丁度テレビのニュースもその話題になった。
芸能人の結婚報道やら、どこの国で選挙をやっているやら、オレには関係のない内容がほんの少しだけ身近なものへと切り替わる。
「ほらほら!見て!キレイでしょ!」
画面いっぱいに映し出される薄っすらとだけ赤く染まった月。
言われて見れば赤いかもという程度の満月を前に妹が再び大声を上げた。
口から米粒が飛び出したのにも気が付いてないあたり相当である。
「はいはい、キレイねぇ」
「まあ、キレイなんじゃね?」
それをオレと母さんはやはり無感動に見つめた。
月がいかに綺麗だったところで腹は膨れないし、オレには一銭の得にもなりはしない。
母さんも似たような事を思っているのか、テレビを横目に箸を動かし続けていた。
「ごちそーさま!」
喋ってばかりで箸の進まない妹を残し、一足先に食事を終えたオレは席を立つ。
空になった食器をシンクに置くと、その足で冷蔵庫を物色した。
ぎゅうぎゅうに詰まった冷蔵庫の中はさしずめパズルのようで、何度見てもオレにはどこに何があるのかさっぱりだ。
その中から食後のデザートになりそうなものを探し、何個か重なったヨーグルトに目を付ける。
「アロエねーの?」
「買い忘れたから他の食べてー!」
食卓に向けて声を張り上げると同じく大きな声が返ってくる。
「他のって苺しかないじゃん」
今日の気分はアロエだったがしかたがない。
オレは何ともタイムリーな苺のヨーグルトを手に取った。
「んじゃ、お先」
テレビに夢中で半分も食べ終わっていない妹を残し、5畳程のこじんまりとした自室に戻る。
高校生にもなったオレが寛ぐには少し狭いが、自分の部屋があるだけマシだろう。
ドアを閉めたオレを出迎えてくれたのは、1㎝にも満たない小さな光だ。
ベッドの上に放り投げたスマホがピカピカと光ってオレの事を呼んでいる。
「んー…」
どうやら親友からストロベリームーンの事でメッセージが届いていたようだ。
学校でもそんな話をしていた気がするし案外暇な奴である。
『外見た?』
『見てねぇ』
用件だけの短い文章に倣って短く返すと、間髪入れずにポンとメッセージが届く。
『そんな事だろうと思ったよ』
呆れの感じられるメッセージと共にストロベリームーンの写真が送られてきた。
ご丁寧にも、月をつまんだようなトリック写真を撮ってくれたようである。
親友の粋な計らいに〝Thanks〟のメッセージがついたスタンプを送信しておいた。
ちなみにこのスタンプはオレが絶賛大ハマりしている小説『ラブ・デスティニー』の公式スタンプだ。
普段はスタンプなんてもの買わないが、『ラブデス』のスタンプとあっては話が違う。
即日購入したオレは、使わないのも損と結構な頻度でこのスタンプを使っている。
特に〝Thanks〟スタンプは、オレの推しであるヒロインのアイリスがデザインされている事もあってお気に入りだ。
もっとも気恥ずかしさもあって、『ラブデス』スタンプを送る相手は親友と妹くらいのものではあるが。
(さすがに母さんには送りたくねーもんな)
苦笑するオレに親友からもスタンプが届く。
ゆるいくて丸っこいおじさんキャラがOKサインを出しているスタンプだ。
まったくもって可愛くないが、親友はこういうおじさんやおばさんのゆるキャラが好きなのだ。
『そうそう!こんな噂知ってる?』
『噂?』
ベッドに横になりながら、アプリを立ち上げてランダム再生で音楽を流す。
イヤホンから聞こえるのは最近流行りのロックチューンだ。
流行の曲にはハズレがないので、考えるのが面倒な時はヒットソングをかけるのがもっぱらだった。
その間にも親友からの続報が届いている。
『ストロベリームーンには恋を叶えてくれるって噂があるんだって』
『女子が好きなやつじゃん。そういや妹も騒いでたわ』
『ああ、なんか分かるかも。好きな人と一緒に月を見ると恋が成就するって話だからね』
ぴたりと手を止める。
『何?好きな人でもいんの?』
『僕はいないよ。単純に恋愛運が上がるって話もあるからぴったりかなって思ってさ』
再び手を止める。
親友に好きな人がいるなら応援してやろうと思ったが、どうにもお節介を焼こうとしているだけのようだ。
(……余計なお世話だっての)
思い出すのも悲しいが、オレは先月末に振られたばかりだった。
(振られたっつーか、告白ってすらないけどさぁ)
可愛いなと思っていた隣のクラスの子に心惹かれたのが運の尽き。
その子にはもうお付き合いしている相手がいたのである。
切なくも、告白すらせずにオレの恋は終わってしまったのだ。
とはいえこれも一度二度の話ではない。
〝もっとかっこいい人が好きだから〟に始まり〝私より小さい人はちょっと〟と連敗記録を築いているのが現状である。
親友にまで〝モデル系って言うの?ああいうのが好きなのは分かるけど、諦めた方が良いんじゃないかな〟と言わしめる始末だった。
(熟女好きには言われたくねーよ)
人の好い親友の唯一の汚点とも言える性癖を鼻で笑い、オレはスマホに向き直った。
『今は好きな奴いねーし』
精一杯の虚勢を張ってそう送る。
すらっと背が高い綺麗な人が好きなのはしかたがない事だし、次を探すしかないだろう。
少しの間を置いて返ってきたのは、ニヒルに笑うおじさんが目を輝かせるスタンプだ。
揶揄われていると感じたオレは、『ラブデス』の主人公ハンスがやれやれとため息をつくスタンプだけを送り、後はスマホを放り投げた。
「あ、忘れてた」
テーブルに置きっぱなしだったヨーグルトを手に取り、窓を開ける。
あれだけ言われた後ならば、一目見るくらいならしてみても良いだろう。
断じて恋愛運上昇などというオカルトめいた噂を信じているわけではない。
「……すご。真っ赤じゃん」
窓から身を乗り出し、まん丸の月を仰ぎ見る。
そこにはテレビや親友の写真で見たものとは違う、真っ赤に照る月が昇っていた。
「写真撮っとこ――って、あ!!?おまっ!!?」
親友に送ろうとスマホに手を伸ばすオレの前を、赤錆色の猫が走っていく。
オレの手からヨーグルトを奪い取り、そのまま部屋の中を転げ回った。
「あああっ!!ストップ!!待てってば!!!!」
「んにゃあ~!」
オレの制止が聞き入られる事はなく、気づけば部屋の中はヨーグルトまみれになっていた。
夕食の時に見えないと思えばオレの部屋に潜んでいたという事か。
人の部屋を荒らすだけ荒らして満足したのか、猫は器用にドアを開け居間の方へと走っていった。
「あんにゃろ……」
飼い猫とはいえやって良い事と悪い事がある。
オレはティッシュでヨーグルトを拭ったあと、猫を追って居間へと戻った。
「お前!!人の部屋ぐちゃぐちゃにしやがって!!」
「んなぁな~!」
猫をぐわっしと抱き上げ、わしゃわしゃと腹を撫で回す。
母さんと妹は揃って、始まったばかりの恋愛ドラマに夢中のようだ。
オレは邪魔をしないようにデブ猫と濡れたタオルを抱えて部屋へと回れ右をする。
その時にはもう、真っ赤な月の事などは綺麗サッパリ忘れさっていた。
・
・
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「――あ」
昼寝から目覚めたオレは、ふと昔の事を思い出した。
昔と言っても幼児や赤ん坊の頃の話ではない。
オレには不思議ともっと昔――俗に言う前世の記憶があり、時折こうして抜け落ちていた記憶の欠片を見つけるのである。
そして今日もストロベリームーンを見た日の事をぼんやりとだが思い出した。
いまだ妹の顔も母親の顔も靄がかかっているが、親友の存在と『ラブデス』スタンプの事を思い出しただけ収穫があったのではないだろうか。
(スタンプはどうでも良いか)
スマホも何もないこの世界でスタンプはわりとどうでも良い。
アイリスの〝Thanks〟スタンプが可愛かったのはたしかだが、それももう過ぎさった思い出だ。
過去はさておき、この世界では赤い月は不吉の象徴とされている。
卑しき者の血潮で海が満たされた時、月がその色を映し真っ赤に染まった事に起因するらしい。
今日の神学の授業でそう教えられた。
もしかしたらそれが昔の事を思い出すきっかけになったのかもしれない。
今の今まですっかり忘れていたが、あの日は真っ赤な月がオレを見下ろしていた。
「赤い月ってどんな感じだろうね」
「凶兆の前触れって言うくらいだし、気味が悪いに違いないわ」
目を覚ましたオレの耳にユージーンとアンナの声が届く。
頭の良い二人はよくああして談義を重ねているが、ついていけないレフはオレと同じように昼寝の真っ最中だった。
ハンスは二人の輪に入らず、静かに教本へと目を落としている。
「……ハンスはどう思う?」
「俺か?」
重い瞼をこすりながらハンスに聞いてみた。
「見た事がないから何とも…。だが本当に月が赤くなるなら一度くらいは見てみたいと思う」
「はは、意外。興味あるんだ?」
「少しくらいはな。単に怖いもの見たさかもしれないが」
まったくもって興味のなかったオレとは違い、少なからずハンスは赤い月に興味があるらしい。
どことなく神妙なハンスを見ていると、少しだけ揶揄いたくなってきた。
「ずっと昔、本で読んだんだったかな」
まだ明るい窓の外を見つめながら口を開く。
「遠い国では赤い月を好きな人と一緒に見ると恋が叶うって噂があるんだってさ」
へへっと笑ってハンスを見る。
アイリス以外にないとは思うが、もしその時が来るならハンスは誰と月を見るのだろうか。
果たしてその時にこの言葉を思い出すのだろうか。
どこか悪戯な気持ちでオレは遠い昔の事をぽつりと呟いてみたのだった。




