8 戦後譚 ①/4
「くっ……はあ、はあ……ケホッ」
彼の気配が完全に消えて、テミスはようやく座り込む。咳き込んだ口を押さえた手を見ると、そこには血が。激闘の負担は極めて重く、喀血するほど。
「この程度で限界とは……鍛錬が足りなかったか、不甲斐無い…な」
「テミス…大丈夫か? ……グフッ」
「いけませんお父様! 父上の方が重傷です!」
片や王家の装備の反動と、剣戟や殴打で衝撃を受け続け全身が軋み、片や腹に穴が空いている。満身創痍という言葉が相応しい。加えてテミスは、圧倒的強者と初めて対峙するプレッシャー、愛する国を民を傷つけられた怒り、そしてアイザックという者の裏切りによる絶望など、精神的にも大きな負担が掛かっていた。
「動けるか、テミス…」
「はい、大丈夫です、父上。それより、衛兵たちと城下の様子を…!」
何とか立ち上がったテミスは、扉の近くで倒れている衛兵に駆け寄る。というより、倒れ込むように近づく。
「大丈夫ですか⁉︎」
「ひめ、さま……」
「よかった、生きて……直ぐに応急処置をします!」
「い……え。私より、市民たちを……」
「………分かりました。絶対に、死なないで!」
結界には、持続回復作用もある。生命維持には十分だと信じて、いうことを聞かぬ体を引き摺りながら、剣を杖に外へと向かった。
「なんて酷い………」
帝城から眼下に広がる景色、見渡す限りの建物が崩壊していた。道は割れ、黒煙が上り、見るも無惨な光景だった。美しきメラレアの街並みは、見る影もない。
「ひ、姫様!」
呆然としていると、横から声がかけられる。四十代後半の、堅物そうな男だ。軍服はボロボロで、所々血が滲んでおり、決死の覚悟で戦ったであろうことが窺える。
「軍師殿⁉︎ ご無事でしたか、よかった……」
「ええ、辛うじて。ですが、軍は完全に崩壊してしまいました……。私の、責任です」
自身よりよほど勇猛に戦ったであろう姫の前で、彼は項垂れる。
「いえ、誰も悪くはありません。悪いのは全て魔王国なのですから」
「おい、指揮官長!」
テミスに遅れ、魔術杖をつきながら、ノロノロとイヴァンが現れる。
「イヴァン様! ッ⁉︎ そのお怪我は⁉︎」
帝国の最重要人物、イヴァン皇帝。その腹に空いた穴を見て、彼は固まる。
「魔術で止血はした……ワシはよい。王国の兵達と合流し、被害の確認と周辺の警戒を早急に行なえ! 貴様を裁くのは、後処理が終わったあとじゃ!」
「はっ! 承知致しました‼︎」
「軍師殿、被害の状況は⁉︎」
帝国兵達は王国の兵士たちと合流し、被害の確認と警戒体制の仕切り直しが行われ、帝都外へ逃げた市民も、街中への誘導が完了した。救護班によって、兵士らも応急処置を受けている。そして今テミス達は、王国の兵達によって警護されている。
「それが……軍や建物は壊滅状態なのですが、何故か一般人やシェルター、大きな倉庫に大きな被害がないのです」
被害が思ったより少なかったことに、彼自身戸惑いながら伝える。
「えっ……確かに、街中に兵士以外の遺体はそれほどありませんでした。あったとしても、逃げる人の波によるであろう圧死程度。何故でしょう?」
疲労で発言するのもやっとの状態で頭を使う。その脳裏に浮かぶは、あの男の顔。
「奴らが目的を達成する前に王国軍が来てくれたからだろう!」
「本当にそうでしょうか、父上?」
あの、少し甘いような優しい考え。あの者が発案したというなら。
「何故疑問に思う⁉︎」
「私も姫様と同じ気持ちでございます。この結果はあまりに不自然。狙ってやったとしか思えないでしょう」
「どういうことだ⁉︎ 説明したまえ!」
動揺し極めて不機嫌なイヴァンに対し、状況を冷静に把握できた軍師と皇女は語る。
「戦場を俯瞰し、実際に敵と刃を交えた感想としましては……魔王国の戦力は、まさに圧倒的です。個々の戦闘力はさることながら、その動きには統率が取れていました。伏兵の出現タイミングは混乱を誘うのに最適なタイミングであり、種族がバラバラにも関わらず連携が取れていました。しかも、城壁や各施設の破壊活動に関しても、事前に相当練り上げていたのでしょう、手際よく効率的に行なっていました。あのまま戦闘を続けていては、日が暮れる前に帝国は地図から消えていたでしょう。しかし極め付けは、王国兵が現れたために撤退したと思われますが、実はその前から撤退に向けた陣形を取っていたように見えます。元から落とし切る気はなかったものと思えました」
信頼し重用している切れ者の軍師。その者が、その目で見て感じたことだというなら、イヴァンは強く信じる。
「父上、よく調べたところ、あの者は近衛を全滅させたと言っていましたが、実際に命を落としたのは三割程度なのです。しかも即死ではありませんでした。彼なら生殺与奪は自由なはずですから、あえて生かしたんだと思います。……そして彼は、彼自身が発案したと言っていました。だとしたら、この結果には彼の考えが反映されていると考えられるはず」
「姫様の意見を参考にしますと……当初は敵の作戦を見切れなかった、無能な私の意見で良ければ、考察をお話ししますが」
「頼む」
イヴァンの鋭く、期待したような目を受け、緊張しながらも軍師殿は考察する。
「では僭越ながら。おそらく彼らの目的は、虐殺や支配ではなく、帝国の弱体化だと思うのです。戦えない市民は逃がし、その市民を養うのに十分な食糧等は残した上で、兵士を減らして金目の物を奪い、重要な施設を破壊したのでしょう。なぜかは、分かりかねますが……」
「正解正解、だいせいかーい!」
報告をし合っていると、突然上から声が聞こえてくる。テミスにとってこの声を聞くと、怒りと恐怖、そしてなんとも形容し難い不思議な感覚が湧いてくるのだ。事実、愛する祖国が蹂躙されたとはいえ、民草にあまり被害が出なかったことを知り、父に自分、宮廷で仲の良かった使用人や、近衛兵達も無事だった。それが分かると、少し前よりは怒りが収まっていて、彼への見方が変わったりしていた。
「何故貴様がここに⁉︎」
イヴァンは、目の前の建物、その屋根の上にいる者を睨め付ける。
「後始末だよ。秘密兵器の、ね。」
「秘密兵器? まさか、あのあり得ないほどに連携の取れた部隊の動きを実現するに足るものが⁉︎」
「ほおう、その通りだ。よく分かったねえ。安心しろ軍師さん、あなたは十分優秀だよ。こんなの誰だって守れないから、気に病む必要はそれほどない。次は守り通せばいいのだから……って違う違う!」
頭を振ると、テミスの目を見る。
「お久しぶり〜、テミス様」
「アイ…エイジ!」
その者を、彼女は呼び上げる。そしてエイジはというと、わざわざ呼び直してくれたことが嬉しくてにやけている。無論誤解を呼ぶが。
「ああ、そうとも。エイジだ。約束したでしょう? また会いに行くって。待ち切れなくなって、つい来ちゃったよ。約束からまだ一時間も経ってないけどねぇ」
「ふっ、私としては、もう少し後の方が良かったのだが? 見ての通り満身創痍だ、決闘はできそうにない」
「大丈夫だよ、戦いに来たわけじゃないから」
ふわりと屋根から飛び降りると、無防備にテミスに近寄る。王国兵たちは狼狽え、すぐに動けない。そして、彼はテミスの顔に手を伸ばし……頭に手を置いた。
「へっ?」
手が顔に伸ばされた際、覚悟を決め眼を閉じたテミスだったが、予想外の感覚に間の抜けた声を出す。その手は淡い光を放ち、どこか暖かかった。
「おっとぉ!」
左真横からの王国兵の突きを、エイジはバク転してかわす。二人の距離は再び離れた。
「これは……体が楽に? 回復魔術など、何の真似ですか⁉︎」
「いやぁ、どうせレガリアなるものの反動で、身体はガタガタだと思ってさ。美人がボロボロになっている様は、痛々しくてね、見てられないものさ」
やはり、この者は……
「ふう、誰が私をこうなるまで追い詰めたんでしたっけね」
「おぅ! それを言わちゃあ、立つ瀬がないねぇ」
二人はどこか通じ合っているように、軽口の応酬を繰り広げる。だが生憎、ここは二人きりではない。
「くっ、皇女様を守るのだ‼︎」
「貴様、何者だ⁉︎」
王国兵達が要人を守ろうと間に入る。
「ふっ、ならいいだろう、教えてやる。私の名はエイジ。ソロモン魔王国の宰相様だ‼︎」
「なっ、宰相⁉︎ 幹部じゃなかったのか⁉︎」
驚くテミスとイヴァン。先程の幹部という認識は誤解であったかと認める、と同時に疑問も抱く。なぜそんな大物がこの場に単身で、しかも魔王でも幹部でもないのに恐ろしいほど強いのか。
そんなことを考えているうちに彼が動こうとし、その瞬間王国兵がざわつく。それに嫌な予感がしたテミスたちは咄嗟に叫ぶ。
「ダメです! その者には!」
「気をつけろ! 幹部級の強さだ‼︎」
が、しかしあまり効果がなかった。王国兵達は魔族との戦闘経験があまりなく、幹部といわれてもピンとこなかったう
え、気をつけてもどうしようもなかったからだ。
エイジがヌッと右腕を上げ、水平になった瞬間、掌に魔法陣が展開、そこから赤黒い闇属性のビームが放たれ、彼の右側の兵士たちが薙ぎ払われる。そして彼が左を向き手を突き出した瞬間、いくつもの武器と魔法陣が展開され発射、一瞬で多くの兵士が戦闘不能となった。
「シルヴァ!」
「はっ!」
彼の背後の建物、そこから冷酷にして美しき狙撃手が現れ、屋根の端に膝をつくと、弓を引き、数瞬のうちにテミスの周囲に展開していた兵士の頭部を、寸分違わず撃ち抜く。
「喰らいなさい」
最後、一際太い矢が生成されると、騒ぎを聞きつけた増援に向かい放たれ、彼らの手前の地面に着弾すると爆発、行手を妨げる。
「今です、エイジ様」
「あいよ。ナイスだシルヴァ」
「くっ、やはり……それに、あの女性も相当な使い手か」
テミスは、自分らを守るものがいなくなったのが分かると、意味はないと知りながら剣を構える。
「さあ、私をどうするつもりです?」
冷や汗をかきながらも、少しでも余裕を持とうと笑みを浮かべる。だが、エイジはそんな彼女から目線を逸らすと、イヴァンを見やる。
「借りがあると言ったね。では、返させてもらおうか!」
彼の姿がブレる。そして、
「ひあ⁉︎」
一瞬でテミスに接近すると、そのままお姫様抱っこ。跳び上がり、屋根上へ。
「最後に、あなた方にとって、一番大切なものはもらっていくよ。うん、お姫様抱っこに顔赤らめている場合じゃないと思うけど?」
「ッ! くっ、放せ‼︎」
思い出したかのように抵抗を始めるお姫様。
「おっと、ちょっと大人しくしてもらおうか」
エイジはテミスの目を見つめる。
「ッ、なに⁉︎ 体が、動かな…」
「石化魔眼による硬直ってな。でーは、君らの大事な大事なお姫様は貰っていくよ。うん、追加報酬ゲット。じゃあね!」
テミスを抱えたまま翼を広げると、シルヴァに目配せし、連れ去って行った。
「ひ、姫様ーー!!!」
「テミスーーーー!!!」
イヴァンらの叫び声が響き渡った。
ジグラド帝国第一皇女テミス。彼女は魔王国からの襲撃を生き延びたものの、斯くして帝国兵及び王国兵の厳重な警護の中から誘拐されてしまったのだった
「私を連れ去って、どうするつもりですか」
体が満足に動かせないからか、テミスは大人しくエイジの腕の中で収まっていた。だが、その重さはエイジの予想よりずっとあった。おそらく、レガリアであろう。この鎧を着てあの動きができるとは、とエイジは少し感嘆。
「そうだね。まずは人質として交渉材料に。そして君はこの国を統べる皇族だ。故に英才教育を受けていて、帝国のみならず諸外国の情勢などにも詳しい。魔族では知り得ぬような科学知識なんかも、持っているかもしれないしね」
翼を展開するエイジは、一跳びで二、三十メートルを優に越す。先程までピタリと付いていたシルヴァが、やや離され気味になる速度。
「へえ。私がその情報を、大人しく話すとお思いで?」
「まさか。だからこうして捕らえたんだ。口を割るまで尋問なり拷問なりするだけ。と、壁が見えてきたな」
僅かに残った城壁の上に、軽く飛び乗るエイジ。しばらく遅れて、シルヴァも着く。
「さて、ここから先は見せてやるわけにはいかないな。お眠りよ」
「う…うぅ……スゥ」
夢魔の能力で催眠をかけ、眠らせる。撤退中に起きていられると、魔王軍の情勢が知られてしまい、危険である。
「彼女が、ジグラド王国皇女のテミスですか」
「ああ。美しく、誰より強い姫様だ…」
穏やかに彼女の顔を見るエイジに、シルヴァはえもいわれぬ感覚に襲われた。
「……その手に持っていらっしゃるものは?」
「ああ、これはヴィクトリア__」
「ッ!」
その目に剣が映った瞬間、シルヴァは怯えるように大きく飛び退く。
「え、どうした?」
「い、いえ……なんでもありません」
しかし、その体は少し震えていて。
「もしかして、過去に歴代の持ち主と因縁があったり?」
「なんでもない…と、言っています」
「そうか……わかった」
話したくなさそうなのに、無遠慮に掘り起こすのは良くないだろう。何より嫌われたくない。後が怖いもの。
「じゃ、シルヴァ。背中に乗って」
「え……ええ?」
少し恥じらいながらも、エイジに負ぶわれるシルヴァ。
「では…行く!」
女性二人を抱えながら、壁上で助走し、飛び出す。翼を大きく広げ、魔力を噴射、飛翔する。実際は滑空に近いため少しずつ落ちているのだが、気にならない程ゆっくりで、それ以上に速い。
「ふむ、空気抵抗が強いか。ならば!」
テミスとシルヴァの分、体を水平に出来ず、抵抗を受ける。ならばと自身の前方に四角錐型の防壁を展開、抵抗を減らす。
「これなら、合流地点まで一時間かからないな」
馬型魔獣の全速力に匹敵、いやそれ以上の速度で、エイジは飛翔した。
「はーい、ただいま戻りましたぁ。後始末ちゃんとしてきましたよっと」
魔族達の撤退合流ポイントに到着、エイジはその中央に着地する。今まで二度ほど着地しかけたが、その度大きく魔力を吹き、飛び上がった。それはもう、ほぼ完全に飛べているようなものであり、馬よりよほど速く移動してみせた。ただ、まだ下手なので魔力効率はよろしくないのだが。
「ご苦労。無事で何よりだ!」
帰還の報告を受けたベリアル、レイヴン、ノクトが出迎える。彼らの顔に、疲れらしきものはまるでなかった。
「ところで、お前が抱えているのは、一体?」
「ああ、この娘はテミス。帝国のお姫様ですよ」
「何⁉︎ なぜだ⁉︎」
「あのまま、いいように出し抜かれっぱなしなのは、気に食わないですからね。捕虜として、交渉材料の人質としていただくことにしました。」
「はぁ、まったく、お前って奴は……何しでかすか分かったもんじゃないな……」
ベリアルは驚き通り越して、呆れた様子。
「おい! マズくないか⁉︎ 奴らが取り戻そうと、必死に追いかけてくるかもしれんぞ‼︎」
焦るレイヴン。
「今の奴らにそんな力はないさ。それに、こちらも体勢が整っていつでも迎撃できる。姫一人のために国を壊滅させようとは、彼らも思うまい。とにかく、オレは一度この姫様を城まで連れて帰って、尋問しておく。それが終わったら、すぐここに戻って戦後処理するさ」
「尋問ね……屈服させると言ったところか。だが、その女に、それほどの利用価値があるのか?」
「あるとも、間違いなく。何せ敵国のお姫様。知っていることも多かろう」
理詰めの説得を受け、レイヴンは追求をやめることにしたようだ。
「ふうん、皇女テミス様か……なるほど、美人だな! さては! 囲むのか⁉︎ エイジくん!」
「………ノーコメント」
ノクトの質問から逃げるように、エイジは砦へ再び飛んでいった。




