5話
「あっ!あれも美味しそう!」
ギルバートさんに買ってもらった王都名物の串揚げをほうばりつつ、屋台でおじさんが焼いているお好み焼きのような料理の匂いに釣られ、フラフラと近寄っていく。
「あれはホッチャと言うんだ。濃いソースをつけて食べるとおいしいよ」
ギルバートさんにホッチャも奢ってもらい、店先に出されているテーブルに座って食べる。
日本のお好み焼きそっくりだけど、お好み焼きよりも生地の厚みが薄く、倍ほどの大きさでカリカリした食感になっている。おいしくて全部完食しましたよ。
ギルバートさんはどこにそんなに入るのか不思議そうにしてたけどね。失礼しちゃう。
お腹も満足して、珍しいものを売っている店を見つけては立ち寄り、異国情緒あふれる王都をブラブラ散策する。竜族の国へ行くことになった私は、竜族の国から迎えが来るまでの間、王都見学を許可された。服や下着、その他の日用品など、必要なものはすべて王城のメイドさんが用意してくれており、全く不自由はしていない。
こんなに至れり尽せりで、あとから何か大きな落とし穴にはまってしまわないか、不安になってしまう。ふと暗い表情をした私を気遣って、ギルバートさんが甘いお菓子を買ってくれた。
あれだけ食べてもまだ胃に余裕があることを恨めしく思いながら、お菓子にぱくつき、私たちは王城へと戻った。
「いよいよ明日か…」
与えられた客室で、広いベッドに横になりながら、王城に来てからのことを思い起こす。
王城はリュビエランカ公爵家と同じくゴシック風だったが、その規模は桁外れだった。
壮大な建物群が立ち並び、視覚ではその全容は確認できないほどだ。
アーチ型天井の、柱が建ち並んだ開放的な大広間で、国王陛下との面会が行われた。
国王陛下との面会は、私の不安をよそに終始和やかな雰囲気だった。
国王陛下はギルバートさんの言っていた通り、気さくな人で、少しシワの入った目尻を下げながら、私を労わる言葉をかけてくれ、竜王陛下からの連絡内容の詳細を話してくれた。
「ミク殿。3日後、竜王陛下の部下が君を迎えにやって来ることになった。第二竜騎士団の副団長を勤めているユニストリーム殿という青竜だ。彼が部下数名を伴ってこちらへ向かっている。竜族は、竜体で空を翔けるため転移での移動はしない。まあ、転移術を得意としていないと言ったほうが正しいか。人族でも転移ができるものは限られているしな。誇り高い彼らは、人を背に乗せて飛ぶことはしないから、馬車での移動となるだろう。何か質問はあるか?必要なことがあれば聞こう。」
「大丈夫です。ご心配頂きありがとうございます。竜騎士団の副団長さんが来てくれるんですね。メイドさん達が旅支度を整えてくれたので助かりました。本当にありがとうございます」
竜騎士団か…竜族ってどんな感じなのかな?竜族の国についての大まかな情報は頭に入ってるけど。
竜というファンタジーな種族に好奇心を募らせながら、礼儀正しく頭を下げる。聞きたいことはあるけど、ボロが出ないうちに退散しないとね。
スパルタマナー講座の特訓のおかげで、国王陛下の前で、見苦しい立ち居振る舞いは回避出来たように思う。
ドアがノックされ、メイドさんから、ギルバートさんが私に会いたい旨を伝えられ、部屋を出る。
メイドさんに先導され、日が暮れはじめ、夕日が差す回廊を抜けると、庭に面したテラスへと案内された。そこにはギルバートさんが待ち構えていて、私に微笑みかけると、椅子をひいて私を座らせてくれた。
「急に呼び出してしまってごめんね。竜族の国へ行って、ミクが無事帰れたら、もう会うことはないんだと思って。きちんと別れを言っておこうと思ったんだ」
「ギルバートさん…。私もちゃんと言わなきゃと思ってたんですけど、言うタイミングが掴めなくて。今までお世話になりました。ギルバートさんに助けてもらって本当に助かりました。もし、目が覚めたときあの森で一人だったら、私どうなっていたか…。屋敷で保護していただいた上に、帰る手立てまで確保してもらって、本当に感謝しています」
「いや。ミクが来てから、屋敷が明るくなったし、シェリルも笑顔が増えた。私のほうこそ、ミクに感謝してる。ミクが無事元の世界に帰れることを祈ってる。ミクの家族もさぞ心配しているだろう」
家族という単語にビクリと肩が跳ねる。それをギルバートさんは気づいただろうに何も言わず黙っている。私から話すのを待ってくれているのだろうか。
こちらの世界へ来て、ギルバートさん達と過ごすようになってからも、私は家族については一切語らなかった。ギルバートさんたちも、私に関する個人的なことはあまり詮索してこなかった。
時折、シェリルが何か聞きたそうにしているのには、気づいてはいたけれどスルーしてきた。
長い沈黙を破って、私が話しだそうとすると、ギルバートさんの声とかぶった。
「ミク。言いたくないことなら、無理に言わなくていい。ミクが話してもいいと思うようになったらでいいんだ。と言っても、もう明日でお別れか…。残念だな。」
最後は茶化すように言ったギルバートさんの優しさが、胸に染み渡る。
けれど、今話さないと、話すときは永遠に来ないかもしれない。
短い期間だったけれど、本当の家族みたいに優しく接してくれた人に、私のことを知っていてもらいたい。そう思って、私は話し始めた。
私には家族がいません。今から約6年前、公園で血だらけになって倒れていたところを、助けられました。それから、身寄りのない子供を預かる施設で育ちました。自分の過去について話し出すと同時に、当時の情景がありありと脳裏に浮かぶ。
目が覚めたとき、私は病院にいた。
巡回中の警察官が、腹から血を流す私を見つけ、救急車を呼んでくれたらしい。
病院に運び込まれるのが少しでも遅ければ、出血多量で死んでいたという。
そう医師から話を聞いたが、当時は半分も理解できていなかったように思う。
自分が助けられ、治療を受け、ここが治療してくれる機関・病院であるということはわかった。
だが、救急車や警察官、時たま看護師が使うストーカーだの、ストレスだの意味のわからない単語が多々あった。そして私は自分の名前や住んでいるところ、家族も何もかもわからなかった。
怪我は回復に向かっていったが、私は医師から記憶喪失だと診断された。
私の場合、不思議な忘れ方をしているらしい。日常生活に支障のない会話はできるが、自分に関すること、この国に関すること、また特定の単語を覚えていない。
それからは医師や看護師、大量の本から知識を吸収した。それは驚く程のスピードで、本を数冊与えると1時間もしないうちに読み切ってしまった。
また、その内容も忘れておらず、半信半疑の医師が本の内容を質問しテストしても、すべて答えられた。心にぽっかり空いた穴を埋めるため、必死に知識を詰め込んだ。
記憶がないはずなのに、自分の中の何かが、前の自分と今の自分が、記憶している知識をまるですり合わせているかのような、不思議な感覚があった。
病院の許可が降りると、事件を調査する者だと教えられた警察官から、事情を聞かれ、誰に腹を刺されたのか、当時のことは覚えているかなど毎日のように質問された。
あまりにもしつこく聞かれるので息苦しく感じていると、それがストレスと言うのだと教えられた。怪我が全快しても、記憶が戻ることはなかった。
何もない私は、一之瀬未来、15歳となった。
無事退院した私は、身寄りのないものが住む児童養護施設で15歳から18歳まで暮らした。
私の生い立ちを、黙って聞くギルバートさん。ギルバートさんの顔を今は見たくない。
その顔に浮かぶものが、同情かもしれないと思うと、怖くて顔をまともに見ることはできなかった。
一息にここまで話し終えると、明るい声で今は幸せですよと笑ってみせた。
「施設を出てから、大学という専門的な勉強をする学校に入って寮生活をしているんです。
大学には6年来の親友もいるし、たくさん友人がいます。空手の師匠や寮の管理人の由紀恵さんだって良くしてくれるし」
「…頑張ったんだね」
ギルバートさんはそれだけ言うと、おもむろに席を立ち、私の腕を引いて強く抱きしめた。
抱きしめられ、私の心臓がかつてないほどの早さで鼓動を刻んでいる。
これは恋愛感情ではない。私が男性に対して、免疫がないだけだと自分に言い聞かせる。
それに、ギルバートさんも私に対して恋愛感情なんかない。親愛の抱擁だ。そんなことはわかっている。けど、今は誰かに寄りかかりたい…。
そう思って彼の背中に腕を回そうとしたが、ふとあの夢に出てくる赤髪の青年のことを思い出した。どうしてあの人のことを思い出すんだろう。回そうとした腕をピタリと止める。自分でもよくわからない罪悪感のような、モヤモヤした感情が胸に渦巻き、そっと腕を下ろした。
部屋に戻り、窓から月を見上げる。月はどの世界でも一緒なんだなと、少しセンチメンタルな気分に浸って、自分の心を落ち着かせる。
レイストリア国で過ごす最後の夜が更けていった。