禍つ縁、永久に結び給へ
タイトル名:まがつえにし、とこしえにむすびたまえ
今回は少し不気味です。
水族館を出ると、午後の日差しが眩しかった。
「お腹空いたね。蓮司は何食べたい?」
「沙耶の好きなものでいいよ」
「またお任せ? じゃあ、私が決めちゃうからね」
沙耶は巨大なペンギンを抱え直し、蓮司と並んで歩き出した。
駅へ向かう途中で見つけた洋食屋は、昼の混雑が落ち着いたところだった。四人掛けの席に案内されると、沙耶はペンギンを隣の椅子に座らせた。ハンドバッグも蓮司から受け取り、自分の席の脇に置くと、大きく腕を伸ばした。
「うー、さすがに重かった……」
「次は俺が持つ」
「じゃあ、お願い。しばらくよろしくね」
「分かった。大事に持つよ」
「絶対だからね。今日の記念なんだから」
沙耶は満足そうにペンギンの頭を撫でた。
注文したオムライスとハンバーグが届くと、沙耶はスマートフォンを取り出した。
「ねえ、この子も一緒に撮っていい?」
「料理とペンギン?」
「うん。ほら、可愛くない?」
皿の向こうに丸い頭を覗かせ、角度を変えては画面を確かめる。気づけば三枚も撮っていた。
「蓮司のも撮らせて」
「いいけど、冷めないうちに食べような」
「あと一枚!」
ようやく写真を撮り終えると、沙耶はスプーンを手に取った。
オムライスをひと口食べた沙耶が、ぱっと表情を明るくする。
「ん、おいしい! 蓮司、そっちは?」
蓮司もハンバーグを口に運んだ。
「こっちも美味しいよ。ソースが結構うまい」
「よかった。お店選び成功だね」
「ああ。沙耶に任せて正解だった」
「ふふっ、でしょ?」
沙耶は嬉しそうにオムライスをもうひと口食べた。
食事を終えると、蓮司は約束どおりペンギンを受け取り、沙耶はハンドバッグを肩に掛けた。
ペンギンは想像していた以上に横幅があり、人とすれ違うたびに少し向きを変えなければならない。
「ふふっ、似合ってるよ」
「……何が?」
「ペンギン抱えてる蓮司」
「それ、褒めてるのか?」
「もちろん!」
それから二人は商店街を歩いた。
古本屋の店先には、昔の東京の地図が飾られていた。蓮司はペンギンを抱えたまま、その地図に見入る。知っている駅の周りにも、今はない建物が描かれていた。
「こういうの好きだよね、蓮司」
「ああ。今の街と比べると面白いな」
「じゃあ、今度ゆっくり見に来ようか」
「いいのか? 長居するかもしれないぞ」
「その代わり、私の買い物にも付き合ってね」
「もちろん」
雑貨屋ではガラス細工を眺め、途中で見つけた菓子屋にも立ち寄った。蓮司が何度も足を止め、気づけばずいぶん時間が過ぎていた。
「蓮司って、ほんと何でも興味持つよね」
「初めて見るものが多いからな。東京に来てからはほとんど勉強だったし」
「そうだね。じゃあ、またいろんなところ行こうね」
「ああ。楽しみにしてる。それで、次はどこに行くんだ?」
「もうちょっと先。着くまで秘密」
沙耶はそう言って、商店街の端にある坂道へ曲がった。
住宅街を抜けた先には、木々に囲まれた鳥居があった。奥へ石段が延びている。
「ここだよ」
「神社?」
「うん。縁結びと厄払いで有名なんだって」
「厄払いか。今の俺にはありがたいな」
「でしょ? ……あ、縁結びは、その、ついでだからね」
「何も言ってないぞ」
「言いそうな顔してた!」
沙耶は照れたように顔をそらすと、鳥居の前で一礼してから境内へ入った。
蓮司もペンギンを抱え直し、同じように頭を下げて後に続く。
石段の両側には高い杉が並んでいた。坂道にはまだ西日が差していたのに、ここは枝葉に覆われて薄暗い。階段を上るにつれ、車の音が遠ざかり、風でこすれる葉の音がはっきり聞こえてきた。
石段の上には小さな拝殿と手水舎があった。拝殿の脇には、縁結びと厄除けの案内が立てられている。
手水舎では、蓮司がペンギンを抱えている間に沙耶が手を清めた。続いて沙耶に預け、蓮司も手水を済ませる。
拝殿の前まで来ると、沙耶は再びペンギンを蓮司に預けた。
賽銭を入れ、二度深く頭を下げてから柏手を二つ打つ。そのまま両手を合わせ、静かに目を閉じた。
蓮司はペンギンを抱えたまま待っていたが、沙耶はなかなか動かない。
しばらくして、ようやく最後の一礼をした。
「……ずいぶん長かったな」
「お願い事が多いの。悪い?」
「いや、神社はお願い事をするだけの場所じゃないだろ。神様に感謝も伝えたか?」
「ちゃんとお礼も言ったよ。お願いしたことが多いだけ!」
「そうか。で、何をお願いしたんだ?」
「それは秘密!」
沙耶は笑いながらペンギンを受け取った。
今度は蓮司の番だ。賽銭を入れ、二度深く頭を下げてから柏手を二つ打ち、静かに目を閉じる。
(……今の生活を送れていることに、感謝します)
学校へ通い、友達と過ごし、休日にはこうして出かける。村では手に入らなかった日々を、これからも大切にしたかった。
(どうか、この日々がこれからも続きますように)
蓮司は最後にもう一度頭を下げた。
「蓮司は何をお願いしたの?」
「俺も秘密」
「えー、自分から聞いてきたのに?」
「お互い様だろ」
「……そうだけど」
沙耶は蓮司をちらりと見て、ペンギンを抱え直した。
二人は拝殿を離れ、石段へ向かった。境内には、いつの間にか夕暮れの影が落ちていた。
「……蓮司」
不意に、背後から小さな声がした。
振り返ると、数歩離れた参道に一人の少女が立っていた。
青みがかった長い黒髪をハーフアップにまとめ、重めの前髪が白い額にかかっている。フリルをあしらった白いブラウスに、ハイウエストの黒いスカート。タイツとストラップシューズも黒で揃えた姿は、どこか人形めいていた。
「……水無瀬?」
臨時全校集会で見た、月代村からの転入生。美冬だ。
「こんなところで、何してるんだ?」
美冬は答えなかった。
ただ蓮司を見つめたまま近づいてきて、突然、その右手を取った。
「ちょっと、水無瀬さん?」
沙耶が声をかけても、美冬は見向きもしない。
小さな両手で蓮司の手を包み、人差し指を自分の口元へ引き寄せる。
「おい、何を――」
美冬はその指を口に含み、唾液を絡めながら一度だけ舐めた。
「なっ……!」
「ちょっと!?」
蓮司が慌てて手を引こうとした、その瞬間。
指先に鋭い痛みが走った。
「っ……! 離せ!」
美冬が噛みついていた。
美冬は自ら口を離し、蓮司の手を放した。
蓮司はすぐに右手を引き戻し、数歩後ずさった。
「何するんだ!」
人差し指には歯形が残り、血が滲んでいる。
「蓮司、大丈夫!?」
沙耶が駆け寄り、その手を見て顔色を変えた。
「水無瀬さん、何考えてるの!? 血まで出てるんだよ!」
しかし、美冬は沙耶を無視していた。
口に残った唾液混じりの血を飲み込み、かすかに笑う。
「ふふっ、美味しい」
「……は?」
蓮司は耳を疑った。
美冬はそんな反応にも構わず、蓮司の指先を眺めている。
そこでは傷がすでに塞がり始めていた。血は残っているものの、歯形は見る間に薄れていく。
「……せっかくつけた印なのに。もう、消えてしまうのね」
残念そうに呟いたあと、美冬は顔を上げた。
「……傷を残せないなら、私たちの愛を形にできるのは、やはり子供だけね」
「……何を言ってるんだ?」
すると、沙耶が一歩前に出た。
「いい加減にしてよ! 蓮司が嫌がってるの、分からないの!?」
巨大なペンギンを抱えながら、蓮司を庇うように立ちはだかる。
「沙耶、危ない。下がってくれ」
「蓮司こそ、もう少し下がって!」
沙耶は振り返らずに答えた。
「水無瀬さん、さっきから勝手なことばっかり言ってるけど、蓮司の気持ちは考えないわけ?」
その言葉に、それまで蓮司しか見ていなかった美冬が、初めて沙耶へ顔を向けた。
「黙れ、蓮司に色目使う外の雌犬が」
「……っ!」
沙耶が言葉を詰まらせる。
「水無瀬! 沙耶にそんなこと言うな!」
蓮司が声を荒らげると、美冬は彼へ向き直った。
沙耶に向けていた冷たい目が和らぐ。
「……ねえ蓮司、なぜ逃げたの? 村にいれば私が全て与えたのに。愛も、情欲も、子供も全て私が与えたのに」
「俺は、自分で外に出ると決めたんだ」
「どうして? 私では足りなかった?」
「そういう話じゃない。あそこじゃ、外へ出ることすら自由にできなかった」
「……そんなことのために、私を置いていったの?」
美冬は首を傾げた。
「蓮司、私と村に帰ろうよ。大丈夫。私も一緒に謝るから」
「……帰らない」
「村長様にもお願いしてあげる。きっと許してくださるから」
「俺はもう、あそこで暮らしたくない。学校にも友達がいる。今の生活を続けたいんだ」
美冬はしばらく黙っていた。
それから、沙耶へ目を向ける。
「……もしかして、その子がいるから?」
「違う。俺が決めたことだ」
美冬は答えなかった。
沙耶がそっと蓮司に声をかける。
「……行こう、蓮司」
ペンギンを抱え直し、空いた手で蓮司の左手を握った。
「ああ」
二人は美冬から距離を取るように、ゆっくりと後ずさった。
美冬は動かない。
「早く」
沙耶に促され、蓮司も背を向けた。
二人は石段を急いで下り始める。背後から足音は聞こえなかったが、蓮司は一度も振り返れなかった。
鳥居をくぐって通りへ出ると、街灯が点き始めていた。
沙耶はそこで足を止め、握っていた手を離した。
「……指、見せて」
「もう治ってるよ」
「そんなの分かってる。でも……」
蓮司が差し出した右手を取り、人差し指を確かめる。
傷はすっかり塞がっていた。
それでも、指先には乾きかけた血が残っている。
「……ほんと、信じられない」
沙耶は蓮司の手をそっと離した。
「パパに連絡する。あんなこと、許されるわけない」
「ああ。俺もちゃんと説明する」
沙耶はハンドバッグからスマートフォンを取り出そうとして、ふと石段を振り返った。
蓮司もつられて顔を上げる。
薄暗い石段の上に、美冬が立っていた。
追いかけてくるでもなく、ただ二人を見下ろしている。
遠目には顔もはっきり見えない。
それなのに、一瞬だけ、美冬の瞳が月のように淡く光った気がした。
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これからも本作をよろしくお願いいたします。




