オリエンテーション・前編
月代村から四人の少女が転入してきた日の夜、蓮司は高橋家で夕食をご馳走になっていた。
食卓には焼き魚や煮物が並んでいる。箸を動かしていると、沙耶が啓介へ顔を向けた。
「パパ、今日ね、黄桃さんと二人で話したんだ」
「喧嘩ですか?」
「んなわけ」
「冗談ですよ。それで、どんな話を?」
「蓮司には帰り道に話したんだけど、黄桃さん、蓮司と一緒に暮らせるなら村でも東京でもいいんだって。なんか、蓮司と結婚することは当たり前のことって言ってた」
「成る程」
啓介が箸を置いた。
「月代村では、一人の男性に複数の妻がいることを自然なものとして教えられます。黄桃さん自身は、おかしなことを言っているつもりはないのでしょう。まあ、やや固執しているような気もしますが」
「うん。正妻になりたいって言ってた。すごく嬉しそうに話してたよ」
蓮司の頭に、昼休みの黄桃秋穂が浮かんだ。
『将来の夫婦です』
即座に否定したのに、秋穂は笑顔だった。
「そういえばさ。宗一さんも、奥さんが何人もいるの?」
「ええ。宗一さんも例外ではありません。静香さんが正妻で、ほかにも妻が何人かいます」
「……そうなんだ。宗一さん、少し強面だけど格好いいから、みんな求婚するのかな? 蓮司はどう思う?」
「さあね」
蓮司は箸を止めた。村では珍しくないことだ。けれど、父の家庭の事情を改めて話題にされると、何とも落ち着かない。
「先に言っておくけど、母さん以外の父さんの妻については、俺も全然知らないからな」
蓮司は沙耶に向かって言った。
「え、そうなの?」
「ああ。名前だって教えてもらったことないし」
「そっか。……ごめん、変なこと聞いた?」
「いや。別に沙耶が悪いわけじゃないよ」
「この件は、宗一さんにはあまり詳しく聞かない方がいいでしょう」
啓介が口を挟んだ。
「家庭の事情ですからね。私たちが軽々しく踏み込む話ではありません」
「……うん、分かった」
沙耶は頷くと、味噌汁を一口飲んだ。
「あ、それともう一つ。黄桃さん、私が名乗ってないのに名前を知ってたんだよね。東京に来る前から知ってたって」
「誰から聞いたかは?」
「教えてくれなかった。詳しいことは話せないって」
「……そうですか」
啓介の表情が少し険しくなった。
「胡春さんが蓮司君の暮らしを詳しく知っていた件もあります。こちらでも調査を続けていますが、情報を流している人物の尻尾すらつかめていません」
「少しも分かってないんですか?」
蓮司が尋ねる。
「ええ。残念ですが全く分かっていません。相当切れ者なのか、あるいは相当臆病なのか。それすら分からない状況です」
蓮司は黙って頷いた。
「……ねえ、パパ」
沙耶が再び口を開いた。
「今回来た四人のこと、パパは何か知ってるの? 蓮司は簡単にしか知らないみたいだけど」
「そうですね。本人たちの詳しい事情は分かりませんが、それぞれの家についてなら、古い資料が残っています」
「家のこと?」
「そうです。まず、宮坂胡春さんですが、彼女の家は代々村長を務める家です。そして、中等部に編入した水無瀬美冬さんの家は神社を預かってきた家ですね」
啓介は少し間を置いた。
「江戸時代の末期に書かれた書物によると、宮坂家と水無瀬家は、かなり近い血筋だったようです」
「え、じゃあ、あの二人って親戚なの?」
「はい。正確に言えば村全体が親戚みたいなものですが、その二家はかなり近いようです」
「黄桃と祝園の家はどうなんですか?」
「どちらも古くから村にある家です。ただ、祝園家については少し違う記録があります」
「違う?」
「明治時代に、村の外から血が入ったと記されているんです」
「……外から?」
思わず聞き返した。
「それ以上の詳しい経緯は分かっていません。書かれているのは、そういう出来事があったということだけです」
祝園夏梨。
何年も文通していたのに、そんな話は聞いていなかった。
「……夏梨からは聞いたことないな」
「何代も前の家の話でしょ? 手紙に書くようなことじゃないんじゃない?」
沙耶が言う。
「それもそうか」
蓮司は少し笑った。
確かに、家の歴史まで尋ねたことはなかった。
「ただ、古い記録だけで四人の考えが分かるわけではありません」
啓介が続けた。
「これから同じ学校で過ごす以上、何か気になることがあれば教えてください。沙耶もですよ」
「うん、分かってる」
「俺も気をつけます」
蓮司は頷き、夕食へ視線を戻した。
焼き魚が少し冷めていた。
◇
翌朝。
朝凪学園の一年三組では、ホームルームが始まろうとしていた。
担任の片桐雅人が出欠を取ったあと、黒板に文字を書いた。
『オリエンテーション』
「今日は五限と六限を使って、一年生の交流行事を行うことになった」
「え、今日ですか?」
「急じゃない?」
教室のあちこちから声が上がった。
「もともと計画はあったんだが、実施するなら今がちょうどいいって話になってな」
片桐は黒板の文字を指した。
「一年生には中等部からの内部進学者もいれば、高等部から入学してきた生徒もいる。入学から一か月経っても、別のクラスには話したことのない相手が多いだろ?」
蓮司も頷いた。
「そこへ一年生にも転入生が来た。せっかくだから、この機会にみんなで交流しようというわけだ」
「先生、何するんですか?」
拓海が手を上げた。
「かくれんぼだ」
「……かくれんぼ?」
教室が静かになった。
「高校生で?」
「お、面白そう!」
すぐに声が上がる。
「ただし、普通のかくれんぼとは規模が違う。高等部一年の普通科、一組から四組で行う。五組から八組のスポーツ科は今回は参加しない」
片桐は黒板に組分けを書き足した。
「一組と四組が探す側。二組と三組が隠れる側だ」
「先生、それどうやって決めたんです?」
「先生たちでくじを引いた」
「俺たちに選ばせてくれないんですか?」
「もう決まった。文句は受けつけないぞ」
片桐が笑うと、教室にも笑い声が広がった。
(つまり……黄桃が探す側か)
昨日の全校集会の勢いで見つけに来られたら、どうなるのだろう。
(いや、考えすぎか)
「使っていい場所は、高等部校舎の一階と二階の指定された部屋、校庭や校門の内側を含む指定された屋外エリア、それから体育館、武道館、剣道場、プール施設の指定場所だ」
片桐が校内図を配り始めた。
「ただし、立入禁止の場所や鍵のかかった部屋には入るな。プールの水の中も駄目だぞ。危険な場所には先生がつくから、指示に従うこと」
「探す側は開始の放送が流れるまで指定の場所で待機。隠れる側は合図が出たら先に移動して、準備時間の間に隠れろ。五限と六限は続けて行事に使うから、途中の休み時間も含めて先生の指示に従うように」
「先生、見つかったらどうなるんですか?」
「見つかった生徒は担当の先生に申告して、校庭の集合場所へ戻る。見つけた側も先生に報告してくれ。誰が何人見つけたか記録するからな」
片桐は黒板の端に『制限時間・五十分』と書き足した。
「制限時間は捜索開始から五十分だ。終了の放送までに全員見つけたら探す側の勝ち。一人でも残ったら隠れる側の勝ちだ。六限の途中で終了して、残りの時間に人数確認と結果発表をする」
「おお、結構本格的じゃん」
拓海が楽しそうに笑った。
「御影、こういうの得意?」
「やったことないから分からない」
「マジで? かくれんぼも初めて?」
「ああ。上手く隠れればいいんだろ?」
「そうそう。いい場所見つけろよ。かくれんぼは相手の裏の裏をかくんだ」
「分かった。努力する」
蓮司は配られた校内図へ目を落とした。
誰かに見つからないように隠れる。
それだけの遊びなのに、妙に楽しみだった。
◇
五限のチャイムが鳴った。
まずは各クラスで注意事項の確認が行われ、それから移動の指示が出た。隠れる側の二組と三組は先に出発し、決められた準備時間の間に隠れ場所を探すことになっている。
「じゃあ俺、校庭の方を見てくる!」
拓海が教室を出ながら言った。
「私は校舎の中にしようかな。蓮司は?」
「まだ決めてない」
「そっか。じゃ、またあとでね」
沙耶とも別れ、蓮司は校内図を見ながら廊下を歩いた。
空き教室は真っ先に探されそうだ。体育館も、目立たない場所は限られている。
(……どこか、いい場所ないかな)
ふと、普段の部活動で使っている剣道場を思い出した。
あそこは造りこそ単純だが、備品が置いてある場所はよく知っている。拓海の言う「裏の裏」なら、あえて分かりやすい場所に隠れるのも手かもしれない。
蓮司は剣道場へ向かい、扉を開けた。
板張りの床も、壁際に並ぶ道具も見慣れている。隠れ場所には、一つ心当たりがあった。
剣道場の隅にある、用具庫だ。
昨日の部活でも使ったばかりなので、中の様子はよく覚えている。六畳ほどの広さで、壁際には防具を並べた棚と竹刀立てがあり、大きな道具箱もいくつか置かれている。奥の床には、二つ折りの大きなマットが一枚敷かれていた。
蓮司はそっと引き戸を開け、中へ足を踏み入れた。
入口付近には大きな道具箱が積まれており、奥まで見渡しにくい。隠れるには悪くなさそうだった。
蓮司は内側の引き手に指をかけ、音を立てないようゆっくりと戸を閉めた。
それから、積まれた道具箱の陰に身を潜め、奥に敷かれたマットの上に腰を下ろす。
「……よし、ここにするか」
(……本当にかくれんぼしてるんだな、俺)
思わず笑いそうになった。
村にいた頃は家の外へ自由に出ることすらできなかった。今は学校で、誰にも見つからないように息を潜めている。
何だか不思議だった。
『隠れる側の皆さん、準備時間はまもなく終了します。開始まで、あと一分です』
校内放送が流れた。
蓮司は膝を引き寄せ、じっと息を潜める。
そのとき、剣道場の入口から慌ただしい足音が聞こえた。
「……やばい、どこかないかな……!」
聞き覚えのある少女の声だった。
足音が近づき、用具庫の前で止まる。
次の瞬間、引き戸が勢いよく開いた。
戸口に立った少女が、そのまま用具庫へ入り、引き戸を閉めた。
「えっと、隠れられそうな場所……」
少女は積み重ねられた道具箱に近づき、その陰を覗き込んだ。
蓮司と少女の目が合う。
「……」
「……蓮司君、みーつけた」
その少女は、祝園夏梨だった。
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