8 55 証言台
久世輪奈の遺伝子操作規制法違反に関する第一審第二回公判。
地方裁判所前の広場には人だかりが出来ていた。
それらは主に新聞や雑誌記者、テレビ局の報道陣らで構成されており、事件に対する社会的関心の大きさを物語っている。
RNT02の存在が社会に知れ渡って以来、輪奈の扱われ方はメディアによって2つに大分される。すなわち輪奈の擁護派と糾弾派である。喜歩は後者の派閥の声の方が少し大きい気がしていた。
当然ながら輪奈の行いは違法行為であり処罰の対象である。また、人の技術で人を作り上げたという事実に嫌悪感を抱く者も少なくなかったようだ。
それが故に非難の的とされることは仕方の無いことだとは思う。しかしそれ以上に、メディアが受信者に負の感情を煽り、興味を引こうとする思惑が透けて見えた。
一方の擁護派は輪奈の感情を読み解こうとする方針のようである。
理不尽にも奪われた一人息子の命を取り戻そうとすることは、人の親であればその気持ちは十分に理解できる。そのような報じられ方だった。
喜歩の存在までは未だ公にはされていない。喜歩の証言は、RNT02の持つ潜在能力の告白にもなるのだ。
輪奈が孫の誕生まで望んだことが世に知れた時、果たしてその心象にまで社会的理解が及ぶのか否か。それを決めるのが喜歩に課せられた大きな使命である。
喜歩は報道陣営を横目に、改めてその責務の重さを認識した。同伴する舞もそれは同様だったようで、想いを託すように喜歩の手をぎゅっと握って離さない。
暫く手を繋いで歩くことになってしまったが、喜歩にとっても今日ばかりは母の温もりが心強かった。
弁護士とは裁判所のロビーで待ち合わせていた。
喜歩は弁護士の案内に従い証人控室へ、舞は1人傍聴席へと向かうことになる。
控室にて喜歩は席につき、机越しに弁護士と対面する。そして証言台に立つまでの流れについて簡単な説明を受けた。喜歩は緊張しながらもそれを覚えようと真剣になる。しかし、都度誰かから指示があるため気を張る必要はないとのことだった。
誤読しても良いからはっきりと、手紙をただ音読するのではなく、書いた時の気持ちを思い出しながら読みなさい。弁護士が退室した後にも、そのアドバイスが喜歩の胸に渦巻いていた。
母も良く書けていると言ってくれたのだ。内容に関しては問題無い。とにかく喜歩の気持ちを届けるだけだ。
喜歩は手紙を握り締め、目を閉じて瞑想する。そして、父に出会ってから今に至るまでの日々に思いを馳せる。
声をかければ父の返事が返ってくるような都合の良い記憶など無い。辛うじて心電図の無機質な音が、命の継続を報じるだけだった。
あの病室を思い出の場所と言って良いのだろうか。しかしもう二度と部屋に訪れる見込みは小さい。それでも喜歩の心には、父の生きた証として刻まれ続けるはずだ。
俗世から隔離されていた父である。喜歩の生きた日常を総動員しても、父と対面していた時間はごくわずかだ。
法廷へ呼び出されるまでに、思い出せる思い出も尽きてしまうのでは無いだろうか。
緊迫した時間の長さに、そんな不安がよぎり初めていた。
コンコンコンコン……。
ノックの音に喜歩ははっとして顔を上げる。
この部屋へ入室した時に通ったドアとは、反対側に位置するドアの音だった。
「は、はい!」
渇ききった喉に反して、喉の通りは悪く無さそうだった。
カチャ。ギー……。
「和戸喜歩さん、準備はよろしいですか?」
黒い法服を着た男が、ドアを開き身を乗り出して来る。
喜歩は一度大きく息を吸って吐き出した。
手の感覚は失われていたが、そこには手紙がしっかりと携えられていた。
「大丈夫です」
少し口の回りが悪いようだ。
喜歩は表情筋ごと両頬を手でもみ込んだ。
「では、ご案内いたします」
対する男は表情を変える気配が無い。
扉は控室と法廷を直接繋がっていると弁護士から聞いていた。
ドアの向こうにある厳粛な世界の空気を、男がそのまま持ち込んで来たかのようである。
喜歩はその空気に飲まれないように、胸を張って大きな一歩を踏み出した。
――――――――
父さんへ。
喜歩です。
この声は父さんに聞こえていないかもしれません。
それでも気持ちを伝えたくて、これを書いています。
父さんの姿は僕が小さい頃から見てきました。
今は眠っているだけ、いつか目を覚まして喜歩と呼んでくれるんだ。そう思いながらつい最近まで生きて来ました。
でも今の僕は14歳です。
ようやく父さんの真実を理解できる歳になったんだと思います。
理解できるから腹も立ったし、気持ち悪く感じてしまったんだと思います。
機械で印刷された人間が生きているなんておかしな話だし、息子の僕は一体何なんだろうと思いました。
おばあちゃんは父さんが生まれてはならない存在だと言っていました。
それでも父さんは、生きているだけでおばあちゃんと母さんを元気づけていました。
だから父さんは無くてはならない存在でもあるんです。
それは僕にとっても同じです。
父さんがいなくちゃ僕は生まれてくることも無かったのだから。
父さんのおかげで色んな人と出会いました。
仲の良い友達も出来たし、父さんを組み立てた人や、父さんの生まれるきっかけになった人とも。
それに好きな人だって……。
父さんを中心に色んな話ができました。
泣いたり、笑ったり、怒ったり。
父さんは普通の人間じゃ無いかも知れません。
でも僕のこの感情は普通の人間っぽいよね。
だけど中には父さんを怪物呼ばわりする人もいました。
でも僕はこれからも父さんの味方だからね。
今度父さんのことを馬鹿にする人と会ったら、一言文句を言ってやります。
だから父さんは安心して眠っていてね。
また会いに来ます。
僕は生まれてきて幸せです。
喜歩より。
追伸
父さんのことでおばあちゃんと喧嘩しちゃいました。
後で言っとくね。
ごめんなさい、ありがとうって。
――――――――
手紙を読み終えた喜歩は、証言台から被告人席に目をやった。
輪奈が笑っていた。
頬には涙の跡があるが。
喜歩も笑顔を返す。
頬には傷痕もフィルムも無い。
祖母の技術によって取り返したまっさらな笑顔を、泣きぼくろが仄かに飾り付けしていだけである。
輪奈はかつてRNT02を虚無だと形容した。
いずれは火葬になるか、廃棄処分か。
虚無らしく姿を消すことになるのかはまだ分からない。
こうして虚無から紡がれた言葉が、どれだけ世界に影響を与えることが出来るのだろう。
しかし虚空と言う名の静かな導管を通じて、確かな絆が結ばれていた。




