4-4-2/2 26 舞の決断
「……ありがとう」
輪奈の目からほろりと涙が零れ落ちる。
今日においては既に輪奈の涙を目にしていたが、安堵の涙を見るのは初めてだ。
「舞さん、当たり前だけど子供が生まれたら経済的支援はさせてね?」
「え……。そ、そこまでは……」
子供が生まれれば母子家庭となることは確定している。経済的支援はありがたい提案ではあるが、子を持とうと決意したのは舞だ。
もし、輪太に先立たれる前に子を儲けていたのなら、舞は1人でもその子供に生涯身を捧げる覚悟ができていたはずだ。なるべくその状況に近づけ、輪太の子供であるという意識を保ちたい。
「違うの……。これも私のエゴなの。生まれた子供を、孫だって抱きしめる資格が欲しいだけの……」
舞の決意もエゴに基づくものだ。その自覚があるのでエゴと言う言葉にかえって好感が持てる。
それに考えてもみれば、輪太の子供だというのなら輪奈が経済的支援するのも十分に納得のいく状況だろう。
「分かりました。お義母さんのエゴに甘えさせて頂きますね」
舞は悪戯っぽく微笑むと、輪奈も満足げに頷いた。
「それと、子供には父親は事故で意識を失った状態だということにしておきたい」
「それは、そうですよね……」
そもそも生きるとはどういうことか、それすらも幼い子供に理解させることは難しい。RNT02のことなどどうやって説明すべきか見当もつかない。ならばひとまずのところ、現実に起こり得る事象で納得させておくのもやむを得ないだろう。
「ある程度大きくなったら、真実を話さなくちゃいけないとは思いますが……」
「ええ、その通りね。父親が普通ではないと理解できる歳になったら、自分で考えて判断してもらわないと……」
生まれる前から重い因果を背負わせることになってしまうようだ。
そしてその因果は、いずれ舞と輪奈の元へ返って来るだろう。
「……どうしますか? もし子供が自ら考えた結果、父親、ひいては私やお義母さんのことが受け入れられないとなったら?」
「それはもう私の自業自得ね。ありもしない輪太との繋がりを求めてしまった結果よ」
舞と輪奈の虚空を埋めるための存在。ならば向こうから縁を拒絶される覚悟はすべきである。それは舞も同感だった。
飽くまでも現時点での覚悟でしか無いが。
「とにかく子供が変な気を起こさないことを願うだけね。私が手を差し伸べたところで、手を取ってくれることも無いのだろうけど……」
一般家庭においても、生まれる前から子供の幸福について議論はするものだ。そして経済面など、ある程度の懸念を受け入れた上で子を持つ決意をする。
舞の元に生まれて来る子供に課す懸念は確かに大きいが、それを親が背負っていくことも普通のことなのでは無いだろうか。
今は精一杯、舞はエゴを自覚しつつ前に進んでみようと思った。
「ではせめて、友達を大事にするよう言い聞かせます。考えるのは悲しいですが、私とお義母さんが居なくても生きていけるように」
「ありがとう。舞さんの覚悟、しっかり受け止めたわ」
輪奈は微笑む。そしてまだ話し忘れたことは無いかと、視線を天井の方に泳がせつつ首をかすかに傾けた。
やがてあっと声を漏らし、目線を舞の目の高さに合わせる。
「実はね、精子を作るだけなら、人の形を模したRNT02を印刷する必要なんてなかったの。輪太から採取した細胞を使ってダイレクトに精細胞を作ることもできるのよ」
「そうなんですか?」
「ダイレクトと言うと語弊があったわね。その課程には減数分裂が必要だから、始原生殖細胞、精原細胞と分化を経る必要があるのだけれど……。既にこの技術を応用して、無精子症の方でも子供を持てる時代になったわ。先ほど話した母体へのリスクとかのエビデンスは、これら例に基づいている。全く同じ状況ではないのが忍びないのだけれどね」
舞から思わずへぇと声が漏れた。
体外受精も含め、不妊治療とは意味の広い言葉だと認識していたが、現代医学がその領域に達していたとは把握していなかった。
「あと、生殖器だけ印刷するという方法もあったわ。そうしなかったのは、当時RNT02の子供を産んでもらうという発想がなかったからね。当時の私は輪太を蘇らせたいと盲目的になっていた」
「……結果的には良かったと思います。例えばその……、せ、生殖器だけ見せられても、私は受け入れられなかったと思いますし……」
言葉にしてみて気づいたが、舞としても少なからず、RNT02の生命の鼓動を感じられたということだろう。
この感覚は大事にすべきかもしれない、と感じた。
「誤解を恐れずに言えば、体細胞から精子を作るというのも、人の生まれ方として歪められた手法だわ。死んだ人間の精子を作製することも可能だし、女性の細胞から精子を作ったり、男性の細胞から卵子を作ることも可能なの。法的整備の際にも倫理的議論がなされたようだけど、結果的には人類の福利を優先して採択されたみたいね。国によっては、同性間での受精も認可されているそうよ」
「それは良い話だと思います。合理的な判断のためには、倫理観と言うものは弊害にしかならないのではないでしょうか?」
拡大解釈すれば、RNT02の精子との受精卵を舞の子宮へ着床させることだって、人の幸福追求の観点からは十分に理解を得られるものなのかもしれない。
「ただし日本においてこの方法は、婚姻関係にある夫婦間の不妊治療のみ認められているわ。つまり親となる相談者が子育ての意思を示すことが求められる、という言い方もできるんじゃないかしら」
輪奈の言葉が、舞の思考に釘を刺す。輪奈自身に対する戒めの心情が大きかったのではあろうが。
「公には認められないにしても、生前の輪太が舞さんとの子供を持ちたいと意思を示してくれていれば、私の中では体裁は整うのだけどね。輪太の性格を考えれば、籍も入れてない舞さんに、何かしようとはしなかったのでしょうけど……」
「え……、いや……」
思わず否定しそうになったが、余計なことを言う必要もないと押し黙る。
しかしそういう点においては、輪太は舞と子を成す意思はあったと言えるのだ。
輪太のその思いを尊重し、RNT02の子を宿す決意が固まるのを感じた。




