第23話 俺の気持ち
エルナを残し、俺は後ろ手に扉を閉めた。……しかし、その心だけはまだ、部屋の中に取り残されてしまっているかのような……そんな後ろめたさを感じていた。
「……はぁ……」
俺は、たった今閉めた扉に寄り掛かってため息をついた。それは、思わず漏れ出てしまった己の無力さや後悔そのもので……今の自分には、何も出来ないという気持ちだけが募っていた。
「────レオン坊ちゃま。……ここで、何をしていらっしゃるのですか?」
「……ッ」
その場で俯き、俺は考えていた。今のエルナに、俺は一体何をしてあげられるのだろうかと。
──すると、突然頭上で声がした。
「──あぁ、なんだ……イルゼか。びっくりした……」
声に驚き、俺はバッと顔を上げる。……すると、そこにはイルゼが居た。普段通りのメイド姿で、よく梳かされた長い茶色の髪を二つに結んだ、いつもの彼女が。
「あっ、申し訳ございません……突然お声を掛けてしまって、驚かせてしまいましたか?」
彼女は自分の口元に軽く手を当て、申し訳なさそうにそう言った。
「え? ……あ、いや、そこまでじゃないよ。大丈夫……僕がちょっと、考え事をしていてイルゼに気が付かなかっただけだから……」
「……。……ふふっ、そうですか? それなら、よかったです」
しかし、そんな彼女に対し俺は大したことは無かったと答える。
そして、それを聞いたイルゼは軽く微笑んでいた。
「──それで、レオン坊ちゃま。話を戻しますが……坊ちゃまはここで、何をしていたのですか?」
「──ッ」
イルゼは、改めてそう尋ねてきた。──しかも、その表情はとても真剣なものに変わっていた。ほんの数秒前まで優しく微笑んでいたはずなのに、今はただ真っ直ぐに俺を見つめて……。
「……。」
彼女の、その真っ直ぐな視線に晒されて……俺は一瞬、言葉に詰まってしまった。
別に、ここで何かやましいことをしていたわけでは無い。むしろ、あのエルナを何とか慰めたいと、考えを巡らせていただけなのだから。
……だが、それを正直に言うのは少々憚られた。イルゼも、食堂の時からずっと俺たちと一緒に居たので、襲撃事件のことやエルナの件を知っている。──それどころか、彼女は昨日俺とエルナが遊んでいる間、ずっと見守り役をしていたのだ。
つまり、今屋敷に居る中じゃ俺とエルナの関係性を一番知っているとも言える……。
「──別に、何もしてないよ。……ただ、この中でエルナが休んでいるから、少し声を掛けていただけで……何も、してない」
……そんなイルゼに、俺の”この気持ち”を素直に打ち明けるのは、やはり気が進まなかった。なぜなら、きっとそれを彼女に話したところで、要らぬ心配を増やしてしまうだけだと思ったから。
先程、実際にエルナに会って、これは今すぐどうにかできるような問題では無いと何となく分かった。加えて、今の俺に何が出来るわけでも無い。……なら、必要以上の心労をイルゼに抱かせる必要も無いだろう。
「……そっ、それよりさ! お父さまたちのところに戻ろう? いきなり抜け出してきちゃったし、これからどうなるのかとか、色々聞きに行かないと──」
俺がそう言っている間も、イルゼはただ真っ直ぐに俺を見つめていた。……その視線が、あまりにも耐え難くて。俺はさり気なく顔を逸らすように、その場から去るように、一歩を踏み出して──
「────レオン坊ちゃま」
……たった一歩。
むしろ半歩程のところで、イルゼが再び俺の名前を呼んだ。
「──どうして、私に隠し事をなさるのですか?」
「ッ……」
息が止まった。
顔を上げられなかった、相手の顔を見られなかった。ただ下を向き、俯いて、彼女の言葉だけに耳を傾けていた。
「なっ……な、なんのこと? 僕は別に、隠し事なんて……」
「……。……えぇ、確かにそうですね。隠し事──とは、少し違うかもしれません。だって、それはきっとレオン坊ちゃまなりの……優しさや、気遣いなのでしょうから」
「ッ」
俺には、イルゼが何を言っているのか──何のことを言っているのか、分からないでいた。
「……でも、坊ちゃまはきっと……そうですね。恐らく、あのラグーナ様に言われたことも引っかかっているのではないでしょうか。私情を第一に持ち出すなと言われて、それで抱え込むようにしてしまったのではないですか?」
……。
……分からない。……分からない、ふりをしていた。
そんなことは気にしていない、気にも留めていない。俺はただ……皆に、迷惑を掛けたくなかっただけで……。
「レオン坊ちゃま。イルゼは……旦那様や、ラグーナ様、ルドルフ様のように正しい選択をする為の考え方も、そう出来るだけの経験も持ち合わせてはいません。ただのしがない、いちメイドに過ぎません。──そんな私に言わせてみれば、確かに一番最初に私情を持ち込むべきではないのかもしれないけれど、それでもやっぱり人の心というのは何よりも大切なものだと思っているのです」
「────。」
……ふと、俺の顔に何かが触れた。温かくて、優しい何かが、俺の頬に触れた。
……そしてそれは、下を向いていた俺をゆっくりと押し上げて、半ば強引に上を向かせた。
それは──イルゼの、彼女の手だった。
「──レオン坊ちゃま。私は、あなた様の付きメイドです。この肩書きを旦那様に頂いたあの時から、既にその為に命を尽くすと誓っています。……ですから、私にだけは全てを話してください。坊ちゃまの気持ちを、想いを、その胸の内を……私はその全てを受け止めます。受け止めて、自分の心に秘め、誰にも打ち明けません。──ですからどうか、坊ちゃまのその心の負担が少しでも軽くなるように、私に話してくださいませんか?」
「……ッ!」
彼女の手が、俺に触れて。
上げられた視線の先にあったのは、イルゼの顔だった。──それは、とても優しく。まるで、陽だまりのような安心感を孕んだ……そんな表情だった。
「……イルゼ……ぼ、くは……」
「……はい。何でしょうか、坊ちゃま?」
……言葉は、決まっていなかった。何と表現すればいいのか、分からなかった。
……それでも。それでももし、誰への迷惑も考えず、心配も心労も、何もかもを投げ捨てて答えるのなら、それは──。
「────俺、は……エルナのことが、心配なんだ……!!」
それが、全てだった。
一度は皆の前で、兄様に言われてそれを口にした。けれど、それを一番に持ってくるのは未熟者だとラグーナ先生に言われて、無意識に表に出さないようにしてしまった。……それに、それを思い悩む俺を見せるだけでも、皆に……心配をかけてしまうから。
「……俺は、エルナのことが心配なんだ。心配で、どうしようもなくて……そんな彼女を、元気づけてあげたいんだ! だって、エルナは……今きっと、物凄く辛い想いをしているから。これ以上ないほどの絶望に呑み込まれて、どうしたらいいのか分からなくなっているはずだから……!!」
……しかし、一度漏れ出してしまった気持ちは、簡単には収まらなかった。
俺は、自分とイルゼの二人しかいないその廊下で、想いの全てを吐き出そうとしていた。
「──エルナは、お父さんとお母さんを亡くしたんだ。あんなに優しそうな人たちだったのに、あんなに娘想いな両親だったのに、あんなにも……そんな二人を、エルナは失ってしまった。……もし、これが自分自身に起きたことだったと考えると、俺は──きっと、とても耐えられない。苦しくて、怖くて、辛くて痛くて……たぶん、どうしようもなくなってしまう」
言葉はぐちゃぐちゃだった。
それは自分の中でも、自分の気持ちを整理できていない表れでもあった。
「……だから、俺はエルナの力になりたい! だって、エルナは──まだ、子供だよ? どこにでもいる普通の女の子だ……そんな子が、魔物に襲われたかもしれなくて、両親も失って、そしてああなってしまうのは……当然だ。当然過ぎて、その気持ちが分かってしまう……! ……分かってしまう、だから……!!」
「──ッ!」
俺は、そう話していて……気が付くと、眼に涙を浮かべていた。それは今にも溢れてしまいそうで。それでも、必死に目に力を入れて涙を堪えていた。
──しかし直後、俺は強く抱きしめられた。イルゼによって抱き寄せられ、そしてゆっくりと頭を撫でられた。
「……レオン坊ちゃま。──レオン坊ちゃまは、本当に優しい方ですね」
耳元で、彼女の声がする。
それは、とても……安らぐような声音だった。
「イ……ルゼ……」
「……言葉を遮ってしまってすみません。どうか、続けてください」
「ッ……」
俺を抱きしめたまま、イルゼはそう言った。
そして俺は、抱きしめられたままに答える。
「……俺は、エルナを支えてあげたい。元気づけてあげたい。──だって彼女は、本当は物凄く素敵に笑う子だから。俺は、そんなエルナを知っているから……だから、せめて彼女の傷が癒えるように、自分に出来ることをしてあげたい……」
「────。……そう、ですか」
彼女はそう答えた後、暫くは何も言わなかった。
ただ、何の言葉も並べぬまま、静かに俺を抱きしめていた。
「──では、レオン坊ちゃま。このイルゼ、坊ちゃまのその想いを……全力で、手助けさせていただきます!」
……しかし、突然パッと彼女が離れた。
そして、俺を抱きしめるために屈んで乱れた裾を正し、立ち上がる。
「……イルゼ……?」
「レオン坊ちゃまのそのお気持ち、イルゼはしかと受け止めました。……ですのでどうか、私もその想いに賛同させてください。私に出来ることでしたら、何でも致します。──そして必ず、その想いを実現させましょう」
彼女はそう言って、再び微笑んだ。
「え……あ、あぁ、うん。それは……そりゃ出来ることなら俺──じゃなくて、僕もそうしたいけど……」
「レオン坊ちゃまのその強い意志があれば、きっと大丈夫です! エルナ様にも、きっと届くと思います。……ですが、一先ず今は休ませて差し上げましょう。私たちも……坊ちゃまも、今日は色々あってお疲れでしょうし」
「……それは……。……いや、そうだね」
イルゼの言葉を聞いて、俺は少し楽観的じゃないかと言おうと思ったけれど……それはやめた。彼女は今、こんなにも俺を慰めてくれている。それなのに、わざわざマイナスなことを口にするのは野暮というものだろう。
……それに、俺も最初から今はエルナを休ませてあげた方が良いと思っていたし。
「……それじゃあ、イルゼ。今度こそお父さまたちのところに戻ろう?」
「はい、そうですねっ」
俺は、数分前に言ったのと同じようなことを口にした。……でも今は、その時とは全く違う気持ちだった。彼女の真っ直ぐとした瞳に応えるように、俺もイルゼの顔を見ながらそう言えたのだ。
「……ねぇ、イルゼ」
「はい。何でしょうか、レオン坊ちゃま」
俺は廊下を歩きだしながら、彼女の名前を呼んだ。決して本人の方を振り返らなかったが、それでも自分の数歩後ろをいつも通りついて来てくれる、彼女の名前を。
「────ありがとう。少し……元気が出たよ」
「そうですか。それは良かったです」
イルゼから返ってきた答えは、言葉だけで聞けばかなり淡泊なものだった。──それでも、そう言った彼女の顔が笑っていただろうことを、俺は容易に想像できてしまった。
「……あっ、レオン坊ちゃま。一つ、申し上げてもよろしいでしょうか?」
「え……い、いいけど、急に何? 今更改まって……」
歩きを止めぬまま、イルゼがそう言ってきた。
さっきまであんなに言葉を交わしていたのに、急にそんな言い方をして……なんだろう?
「──坊ちゃまって、本当はご自分のことを『俺』というのですね」
「ブフォ!」
彼女の発言を聞いて、俺は思わず吹き出してしまった。
「なっ! ……い、いや、それはその……言葉の綾というか、思わず出てしまったというか……恥ずかしいから、皆には言わないでね?」
「えぇ、そうでしょうか? 私はとっても可愛らしくて、良いと思いますけど」
くそぅ……感情的になり過ぎるあまり、思わず素の一人称が出てしまった。普段は俺に前世の記憶があるとバレない様に、わざと隠していたのに……。
……まあ、今回のは仕方ないか。──今度からは、もう少し気を付けよう。




