回奏の章《現在へと続く前奏曲(ツイソウ)》
六つの月に照らされた宵闇の中を、二つの影が駆け抜ける。
「――どうにか追手を撒くことには成功したようだな。そっちは大丈夫か?」
影の一つは男、それも少年のものであった。汚れ、傷付いた鎧を身に纏い、短く切り揃えられた鳶色の髪を風に靡かせながら、周囲を警戒して傍らの相棒へと声をかける。
「ええ、大丈夫。お姫様も無事」
投げかけられた問いに応じる影の声は、幾分高い。
並び立つ男と変わらぬ年齢だろうか。彼と同じ形状の鎧で身を固めながらも、こちらは女性のようだ。少し汚れた薄緑色の髪が一つに結い上げられている。
「そうか……まだ、走れるか? 可能な限り王都から離れておきたい。その子が起きた時に姉君がいないと泣き出すかもしれないし、そうなったら隠れることもできないからな。まあ、アイツの変わりはお前がやるわけだから、問題はないだろうけど」
「あなたねえ……仮にも騎士団長なら、王族に敬語くらい使ったらどうなの? それに、どうして私にばかりそういうことを押し付けるの!?」
周囲への注意を怠ることなく軽口を言う男に、眦を吊り上げて女騎士は抗議するが、声を抑えたままなのでいまいち迫力に欠けていた。
「いいだろ、別に? 陛下からは家族のように接してくれと言われているし、それに今はもう騎士ですらない」
鬱陶しそうに手を振ってから、その元騎士を自称する男は女騎士の背中で眠る幼い少女を優しく一瞥した。
「それに、今日からこの子は俺たちの娘みたいなものだ。十歳しか違わないと言っても、子供の面倒を母親が見るのは当然だろ?」
「誰が母親よ……そういうあなたは何? 父親? 私達〝そんな〟関係じゃないのに?」
「……ああ、はいはい。悪かった」
ジトッとした眼差しで非難するように自分を見る女騎士にうんざりしながら謝罪すると、男の表情は真剣なものへと変わった。
「だが実際のところ、これからはそういう風に偽って暮らしていくのが無難だろうな。陛下の様子が戻るまでは、この子を護っていくことが俺たちの役目だ」
「……それは、わかってるけど」
顔を赤くしながらもいじけたように遠くを見る相棒に笑いかけて、男もまた同じように遠く――彼らが歩いて来た道を振り返った。
「荒廃戦争の最中とはいえ、今の陛下は正気じゃない。事前に用意があったとはいえ、王妃やメイデル卿の手助けがなければ、この子を城から助け出すことができなかった。恐らく、陛下自身が仰っていた呪いが関係しているんだろうとは思うが」
「そうね。だけど、あなたはそれで良かったの? あなたにだって大切な家族が……たった一人の妹がいるでしょう?」
気まずそうな声に頷くと、男は少しぎこちない笑いで答えた。
「あいつは、俺の銃を持たせてロステルに行かせた。今頃は安全な船の上さ……案外、新しい土地に期待を膨らませてるんじゃないか?」
笑いながら陽気を演じているが、その声に寂寥の感情が込められていることに女騎士は気付く。それを知った上で、彼女は相棒の肩を押した。
「わかったわ。……行きましょう。できるだけ離れたいんでしょう?」
これからは、自分がこの男を支えていくのだと自分に言い聞かせる。
――ただ、同じ役割を持つ相棒として。
未だ口にできない淡い想いを胸に押し隠して、彼女は暗い道を再び歩き出した。
● ●
城を発って幾日が過ぎただろう。そんなことを思いながら、男は浅い眠りから目を覚ました。
大した意図もなく、男は周囲を見渡す。
男が眠っていたのは、目的地のない旅路の道中で偶然見つけた廃屋の内の一軒だった。対岸が見通せないほどの湖畔の傍に立つこの廃屋は、元は宿屋だったのだろう。放り捨てられ風化した帳簿が吹き込むすきま風に揺られている。
「……この音、あの二人か」
建物の奥から、連れの二人が騒ぐ声が聞こえる。音の反響具合から、恐らく奇跡的に無事だった風呂にでも入っているのだろう。
やがて聞こえてくる二人の騒ぎ声が弱まると、何の前触れもなく目の前の扉が開いた。
「あ、ロイ起きてる。ロイー!」
「……おい、濡れるだろ。身体はちゃんと拭け。あと、女の子がそんな恰好で走るな。フィーネ」
自分の名前を呼んで駆け寄ってきた少女を抱き留めると、手近な所に置いてあるタオルを頭に被せ、こちらを覗き込んでいる相棒の方へと投げ渡した。
「ぶー。ロイ酷いー」
「フィーネの言う通りね。危ないでしょ! もう少し考えなさいロイ!」
――ロイ、か。
揃って自分を非難する二人の言葉に、しっくりとこないものを感じる。それは、本来の自分の名前ではない。
それでもこの逃避行を続けているうちは――安全な場所に辿り着いたと確信できるまでは、自分たちは偽りの名前で暮らしていかなくてはならないのだ。
――死ぬまでこの名前を名乗ることにならなければいいがな。
悪かった、と二人に謝りながら、ロイと呼ばれた男は心の中で自分たちの人生をそう憂慮した。
「さて、と」
二人が奥の部屋に姿を消した瞬間に気持ちを切り替え、ロイは立ち上がった。無言で壁に立て掛けた剣を取る。
「リーサ」
「……ええ、わかってる。一分待って」
相棒の偽名を呼ぶと、固い響きの声が聞こえる。彼女も今の状況は理解できているようだ。
「……お待たせ。さ、フィーネおいで」
宣言通りに一分後、状況を理解できない少女を連れて出てきたリーサは腰に剣を帯びていた。
「俺が囮になって奴らを引きつける。お前たちは一足先に次の場所に向かってろ」
鞘から剣を抜いてロイは廃屋の窓枠に手をかけた。今の状況では正門から外に出るのは自殺行為だ。
「次の場所……わかってるな?」
「ええ……無事でね」
「お前らもな」
少ない言葉の応酬を終え、ロイは勢いをつけて窓から身を躍らせた。
「六、七人といったところか。貴重な騎士団の人間をこれだけ送ってくるとは、あちらも相当必死だな」
にやりと口許を緩めてロイがかつての部下たちの姿を視界に収めれば、皆一様に驚いたように目を剥いていた。
「遅ぇよ!」
敵の混乱が止まないうちにと、ロイは近くに立っていた騎士の一人を迷いなく斬り捨てる。
「ぐぁ!」
くぐもった断末魔をあげて倒れる騎士をチラリと一瞥すると、ロイは剣を掲げて叫んだ。
「俺はここにいるぞ! 呆けてないでかかってこい!」
その言葉に促されるように剣を構える騎士たちの中心へ、ロイは剣を手に飛び込んだ。
――あの二人は、もう離れたみたいだな。なら、後はこいつらを叩くだけだ!
視界の片隅で二人が静かに廃屋から離れていくところを見送り、ロイはまた一人、騎士を斬った。
「どうした! 仮にも俺の部下だった連中がこの程度か!」
斬り付けた一人が絶命したことを筆舌には尽くせない感情で確認し、ロイはその場の注意を引き続けるために声を張り上げる。
「ぐ……いい気になるな! 〝――〟!」
「それは一体誰のことだ? 俺の名はロイ=マルトー(名無しの剣士)だ。間違えるなよ」
ロイとは別の名を叫ぶ隊長らしき騎士に冷たく笑いかけ、ロイは残る五人の騎士へと突撃していった。
● ●
「……〝――〟」
「お前か……」
戦いが始まってから一時間と少し。それだけの短時間で、ロイは自分に襲い掛かる騎士五人全てを斬り伏せていた。
「お前、いたのか。そういえば、さっきの、隊長みたいなのは、リドレーだったか……」
喋る言葉は弱く、途切れ途切れだった。五人の騎士――それもロイ自身が鍛えた精鋭ぞろい――を相手にしただけに、ロイの身体は満身創痍であり、手にした剣は既に使い物にならないほどに折れ曲がっていた。
そんな状況で、自分たちを追っていた部隊の最後の生き残りが目の前にいる。
――俺は、こいつに殺されるのか……。
自分を殺す。その役目が、自分にとって無二の親友であることに、ロイは人生の理不尽を感じた。
「……お前に、頼みがある。俺を殺したら、あの二人も死んだことにしてくれないか。俺の命だけで、何とか収めてほしい」
「〝――〟……」
折れ曲がった剣を支えに立ちながら、ロイは偽物としてではなく本物の彼として友人の瞳を見つめ返す。
その姿を感情の窺えない瞳で見つめ、騎士は深くため息をついた。
「なあ〝――〟。僕は、やがて君の跡を継ぐよ。あの日立てた誓いを、理想から現実にして見せる」
言って、その騎士はロイの手から剣を奪い取った。
「僕の知っている彼は、共にいた二人と同じ谷に滑落死した。上にはそう報告しておく」
「お前……いいのか?」
そのまま背を向けて去ろうとする親友の姿に、ロイは呆然とした。
「確か今は、ロイ=マルトーだったね? 次に会う時は、本当の君に戻っていてくれることを期待しているよ」
その言葉を最後に残し、その騎士は一人王都への道を引き返して行った。
● ●
傷の応急手当てを終えて目的の場所へと到着した時には既に夜も更け、全ての月が入れ替わっていた。
「リーサ。いるのか、リーサ?」
二人の居場所に見当を付けて呼びかけると、予想通りに茂みが揺れた。
「遅かったわね……ってその傷、大丈夫なの?」
疲労を顔に滲ませながらリーサが驚いた声を上げる。その声に手を振って問題ないことを示し、ロイはリーサの傍らで眠るフィーネの姿を確認した。
「無事で良かった。これから先の道行はこれまでと比べても安全になるはずだ。数日もして確かな安全が確認できたら、どこかの町へ行こう」
「本当に? もしそうなら、この子も窮屈な生活をしなくて済むけど……」
瞳を伏せてフィーネの頭を撫でるリーサにロイは優しく頷いた。
「ああ。次の町に着いたら、この名前ともさよならだ……お前にはまた名前を変えてもらうことになるが……」
「わかってる。心配しないで。そのことについてはもう納得してるから」
ロイの唇に自らの人差し指を当てて黙らせると、リーサは膝の上で眠る少女を揺すって起こした。
「……ん、〝――〟? なぁに?」
フィーネの寝ぼけた言葉に二人は声もなく笑う。これから行く先では、少女が呼んだ自分たちの本当の名前で暮らしていくことになるのだろうか。
「フィーネ。少し先を急ぐわ。眠かったら私の背中で眠りなさい」
「んぅ。わかった」
素直に従って瞼を閉じた少女の頭を撫で、ロイとリーサは道を歩き出した。
「さて、いくか」
「ええ、〝あなた〟」
「よしてくれ。背中が痒くなる」
その道の先に、穏やかな日々があることをただ信じて――。
これは、聖剣の勇者の物語が始まる十年も前の追想である。




