後奏の章《明日に続く鎮魂歌》
サーベラスで最も人気のある雑貨喫茶店『セピア』の開店準備を終えて、アルダレスは窓の外を眺めた。
「今日も雨か……」
客のいない店内で一人溜息を漏らすと、アルダレスはカウンターの奥に置かれた椅子に腰かける。
気が付けば、サーベラスを襲った衝撃の事件から既に一週間が過ぎていた。
町に出た被害は死者二名と軽傷者二五人、露店街の店が四店舗潰されただけという、予想を遥かに下回る結果となった。これは、エミリーが自警団を先導して町人を誘導したことが大きいだろう。
もともと機動性が売りの露店商には店舗を破壊されただけでは大した損害もなく、今回の事件で出た大きな被害はミーシャ=アスブロンドとマティアス=ランチェスターの二名が命を落としたということだけである。
しかし、その被害はこの町の人間にとって何より重く大きなことだ。
死者両名の葬儀には町の人間全員が参列した。身寄りのない二名の内、マティアスの葬儀はアルダレスが喪主を務め、ミーシャの葬儀の喪主は彼の雇い主であるマルクが担当した。ミーシャの死を強く悼んだマルクは目に見えて意気消沈し、数日中に店を閉めて故郷の町へ帰ることを決めていた。
彼らの葬儀以来、町は喪に服したように静まり返り、空は人々の想いを代弁するかのように泣き続けている。
「もうずっとこの天気だな。これは今日も客入りの見込みはなさそうだ」
「そうね。今日もお客は店の外にいるその子たちくらいじゃないかしら?」
半ば愚痴である独り言に返ってきたナターシャの言葉に、アルダレスは店の外を一瞥する。店の扉の前に、一組の少年少女が立っていた。
「店ならもう開いてるぞ」
呼びかけた言葉に反応するように扉が開く。乾いたドアベルが閑古鳥の鳴いている店内に木霊した。
「こんにちは。団長、ナターシャさん」
「今日も厄介になってもいいかしら?」
「かまわんさ。どうせ、しばらく客は来ない」
瓜二つの顔で店内に入ってきた姉弟にぞんざいに返すと、二人はカウンター席ではなく店の裏にある店員用の休憩室――といってもアルダレスとナターシャ以外には利用するべき人間がいないが――に入った。
「はい、どうぞ……それで、あの二人の様子は相変わらずなの?」
ナターシャが人数分の紅茶を淹れて問いかけると、ジュリオとエミリーは二人揃って頷いた。
「いただきます……そうですね。特に勇輝の方は大分酷いです。僕以上の大怪我なのに、傘も差さないでずっとマティアスの墓の前に座ったままですよ」
友人の意気阻喪した姿を思い出し、ジュリオは知らず腕を強く握った。
「気持ちはわかるけど、あれじゃ、怪我が治る前に風邪で倒れちゃいますよ。何とかして止めないと」
弟の腕をそっと押さえて彼の自傷行為を止めると、エミリーもまた口を開く。
「アティも、ずっと勇輝のことを隠れて見てるわ。下手をすると、勇輝よりも先に体調を崩すかもしれない」
「そうか……」
二人の話を聞いて、アルダレスは椅子の背もたれに力無く寄り掛かった。
あの日、マティアスの遺体の傍で勇輝を発見した時のことを思い出す。
呆然として空を仰ぎ続けていた勇輝の姿を見た時、アルダレスは勇輝がそのまま消えてしまうような錯覚を覚えた。
それは、アルダレスと共に勇輝を発見したアーティアにとって一際強く印象に残ったのだろう。
「勇輝の気持ちも、アティの気持ちもわかるがな……」
自分の手で親友を殺したという勇輝の苦悩は、昔に同じような経験をしたことのあるアルダレスにも理解できる。それと同時に、大切に思う人間がいなくなってしまう不安に耐えられないアーティアの気持ちも察して余りあるほどだ。
「勇輝の問題は時間が解決するのを待つしかないだろうな。アティの方は……本人次第か。二人とも、これからも注意してあいつらを見守ってやってくれ」
「はい、わかってます」
「何かできることがあったら、いつでも呼んでくださいね」
アルダレスの言葉に頷いて、双子は店の外へと歩いて行った。
「……気付いてる? あなた、すごく老け込んだ顔をしてるわよ」
「ああ。昔の俺たちを見てるみたいだ」
傍からかけられた声に思ったことを言葉にすると、アルダレスは紅茶の入ったカップを手に取った。
「結局、勇輝は割り切るか、変わってしまうか、壊れるか、或いは現実を見ないふりをして生きていくのか、その中から選ぶしかないんだろう。あの日の俺たちがそうだったように、な」
「……そうね」
十年以上の月日をかけて、ようやくかさぶたができた心の傷を思い起こし、アルダレスは肩に添えられたナターシャの手に自分のそれを重ねた。
「だけど、あの子たちなら、それ以外の答えを見つけるかもしれないわ。きっと、特別な絆を持ったあの二人なら」
「……ああ、そうかもしれない。そうであると、いいな」
長い人生を共に歩んできた相棒の言葉に深く同意しながら、アルダレスは窓の外に広がる空を見上げた。
「勇輝がこれからどうなるかは、アティ次第だな……」
アーティアがどんな選択をしたとしても、勇輝は恐らくアーティアのことを護るために戦う道を選ぶだろう。
その未来の中で、二人が最良の選択をしてくれることをアルダレスは強く、女神リーリアに祈った。
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リーリア教会は、サーベラスの北の外れに存在する。勇輝はこの一週間、そこから歩いて三〇分程度の場所にある霊園に通い続けていた。
ただ何かをするわけではない。一週間前に亡くなった友人の墓の前で、空色のリングペンダントを弄るだけ。そんなことを、この一週間飽きもせずに続けていた。
言葉はない。ただ、地面に落ちて跳ね返る雨音と、手の中で擦れる鎖の音だけが空しく響くだけだ。
そのままどれだけの時間が経っただろうか。自らに降りかかる雨の感触がなくなったことに気付いて、勇輝は力なく面を上げた。
「勇輝さん。風邪をひいてしまいますよ」
「うん……」
傘を持ったアーティアが顔を覗き込みながら言葉をかけてくる。そのいくつかに生返事を返しながらも、勇輝はその場を動くことができなかった。
「アーティア。俺のことは、気にしなくていいよ。気が済んだら戻るから」
「……わかりました。できるだけ早く帰ってきてくださいね」
「……ああ」
後ろ髪を引かれるようにしてアーティアは教会への道を歩いて行く。それを見届け、勇輝はアーティアの渡してくれた傘を傍らに置くと、再び雨に打たれながら座り込む。
その姿は、赦されざる大罪の清算を待つ悲しき咎人のようだった。
「……ん」
心の奥底に何かが触れた感覚に、勇輝は周囲を仰ぎ見た。
「ここは、どこだ?」
勇輝が座っていたのは先程までいた雨が降る霊園ではなかった。遠くに幾つもの軌跡が見える真っ白な空間が目の前に広がっており、身近に触れることができるものは何もない。
絶世の美しさを内包しながらどこか寂しい空間。それでいて温かな温もりに包まれている錯覚すら覚える。
「なんだろう。懐かしい感じがする。この感じは前にも……」
「こんにちは。迷子さん」
追慕の情を感じる原因を思案し始めると聞こえてきたその声に、勇輝はこの場所がどういうものであるのかを理解した。
「君か。ということは、ここは俺の夢の中なんだな」
確信を持って振り返ると、視線の先にはいつか同じように夢で見た銀髪の少女があの時よりも成長した姿で微笑みながら宙に立っていた。
「〝あなたの〟夢の中、というのは少し違うわ。ここは、私とあなたの心が繋がっている境界線。あなたの言うこの〝夢〟が覚めた時に、あなたが私の詳細について覚えていないように、私の意識もあなたのことはよく覚えていない。そういう世界なの」
少女――既に女性と呼ぶべき姿だが――は目に見えない椅子があるかのようにその場に腰かけると、頬杖をついて遠くを見た。
「……といっても、あなたの見ている私は、あなたの為のチュートリアルに過ぎないから、〝現実の私〟とは別の存在。彼女から感情や記憶を読み込んでいるだけの端末でしかないのだけど……彼女にとってのアサナギユウキと似たようなものね」
それは勇輝に向けた言葉ではないのか、彼女が口にした言葉の意味は勇輝にはまったく理解できなかった。
「……それで、俺はどうしてこの境界線なんて場所にいるんだ? それに、実際の俺はどうなってるんだ?」
少女の正面に立って感じた疑問を口にすると、銀髪の少女はその蒼い瞳に慈しみの色を秘めて勇輝を見た。
「あなたがここに来た理由? それはね勇輝。あなたの体と精神が既に限界を超えているからよ。だから、私から〝この世界のあなた〟にお願いして、強制的にあなたの意識をここに呼んだの。ここなら、少しだけあなたの精神を元に戻すことができるから。……あなたにとっての現実ではあなたの身体は雨曝しだけど、そっちの私が何とかしてくれるはずだから安心して」
そう言って微笑む少女の声には、誰よりも勇輝のことを案じ、慈しむ柔らかさがあった。
「……けど、俺は」
「マティアスを殺してしまった罪を忘れないために、苦しまないといけない? ううん、違うよね? そんなことをしてもマティアスは喜ばないし、意味なんてないってあなた自身も気が付いている。ただ、世界が変わっても変わることができない自分を赦せないだけ」
力無い反論を引き継ぐと、すぐさま少女は更なる反論を返してきた。まるで自分の思考が読まれているようで、勇輝は言葉に詰まった。
「どうして、俺の考えていることがわかるんだ?」
気持ちを落ち着かせて問いかけると、少女は人差し指を自らの唇に押し当てた。
「私は、あなたの中にいる〝あの娘〟だから。彼女の中のあなたと同じように、あなたよりも朝凪勇輝という人間を知ってる」
片眼を閉じて、彼女は勇輝の頬に手を当てた。
「だからこそ教えてあげることができるの。あなたの求める答えは、あなた一人では見つけられないって。だから、〝あの娘〟と……あなたの知る私と一緒にあなたの答えを探してみて。それが、あなたから人を恨む感情が消えた理由を知る鍵になるから」
「アー、ティア?」
少女は、自分の知る銀髪の少女と同じ顔を持った彼女はただ頷いて微笑んだ。
そのまま言葉もなく互いを見つめていると、少女は不意に遠くの軌跡の一つを見遣り、勇輝に温かく笑いかけた。
「時間みたい。アーティア(わたし)と仲良くしてあげてね、勇輝。いつか、私たちが越えられなかった未来を迎える、約束の場所に辿り着くまで……」
その言葉を最後に、勇輝の視界は暗い闇へと墜ちる。
暗くても温かい闇の中で、勇輝は自分の中の暗闇が少し晴れたことを感じていた。
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「勇輝さん!」
耳元から聞こえる悲痛な叫び声に、勇輝は失っていた意識を取り戻した。
霞む目を見開くと、視界には雨露に濡れた美しい銀糸の束が広がった。
「ア……ティ、ア?」
「勇輝さん! 大丈夫ですか!? 私の声、聞こえてますか!?」
呼びかけられた声に頷いて肯定する。勇輝の意識が戻ったことに安堵したのか、乱れた銀髪に隠れた蒼い瞳から雨とは違う雫が零れた。
「……うん、聞こえてる。ごめん、心配かけて」
「そうだよ! どうして……どうして、こんな、倒れるまで……」
アーティアの声に嗚咽が混じる。その声は、勇輝が予想していたよりも強く自らの心を抉った。
――ああ、泣かせちゃったな。俺は、やっぱり何もかもが弱い。
数日の間で知ったことだが、この少女は普通の人間よりも遥かに我慢強い。その上、感情を表に出して誰かに迷惑をかけることを良しとしない優しい娘だ。
そんな彼女を泣かせてしまった。そのことに、勇輝はアーティアの好意に甘えていただけの自分を恥じた。
護る為に変わろうと、この少女の心ごと護れるように強くなろうと誓ったはずなのに、自分は一歩も先に進んでいない。
「どうして? なんで、そうやって自分のことばっかり責めるの? あなたは、何も悪いことなんてしてないのに! どうしてそうやって、一人で抱え込んでしまうの!?」
あまりの激情に枷が外れたのか、アーティアの口調から丁寧さが消えている。恐らく、これが本来の彼女なのだろう。
「あなたは、一人じゃない! 私がいる! アルさんやジュリオ、エミリーだっているじゃない! どうして、誰のことも頼ってくれないの? 私のことも頼ってはくれないの?」
「アーティ、ア……」
彼女の頬へと手を伸ばす。夢の中で彼女がしてくれたように優しく。
「勇輝、さん」
それでも、目の前の少女の涙は止まない。その程度では、心から勇輝に向き合おうとしている彼女の想いには到底及ばない。
「ごめん、アーティア。言い訳はできないし、しようとも思わないけど……許されるなら、俺がどんな人間なのかを聞いてほしい。……いい、かな?」
「……話して」
瞳を閉じて頷く彼女の髪を冷え切った腕で撫でると、勇輝はこの一週間胸に抱いていた想いを滔々と語り出した。
「涙が……出ないんだ」
一言。その一言が自らの異常性を再度自覚させ、胸の傷を掻き毟る。
「マティアスの命をこの手で奪って、心に穴が開いたみたいに悲しいのに、それでも俺は涙の一滴も流れないんだ」
空いている右手で顔を覆う、隠した顔はきっと異常なほどに醜悪な表情になっているだろうと、勇輝は思う。
「ははは。笑えるだろ。俺はあの時、ククリを憎いとも思わなかった。親友の仇なのに、憎むことができなかったんだ」
自嘲の声が口から零れる。呪詛にも似たその声をそれでもアーティアは静かに聞いている。
「どうして俺は、あいつらを憎むことができない? 俺はどうして俺以外の人間を憎めない……俺は、一体何なんだ?」
何よりも、誰よりも勇輝は自分自身が憎く、怖い。いつから自分はそんな怪物になってしまったのだろう。
「これが聖剣の勇者? 大切な人間が死んでしまっても涙も流さないような人間が勇者だって? ふざけるなよ!」
顔の皮膚を裂くほどの力を右手に籠める。あまりの力に、耳の奥で骨が軋む音がする。
「俺は……醜い」
「勇輝さん……」
そっとアーティアが右手を顔から離させる。彼女の手に素直に従うと、勇輝は再び相手右手を地面へと叩きつけた。
「くそっ! ……俺なんて、いなくなってしまえばいい……」
ぎり、と噛んだ唇から血が零れる。自分の身体を傷付けないと、心が壊れてしまいそうだった。
「――ありがとう」
ふわり、と。
柔らかく温かい感覚が、勇輝の頭を包み込んだ。その温かさに、勇輝の心は安らぎを感じて声を上げる。
「……え?」
勇輝を包む温もりの正体はアーティアだ。彼女は傷付いた心を癒すように、母親の如き優しさで勇輝のことを抱きしめていた。
「ありがとう。でも、いなくなるなんて言わないで。やっと本当の心を見せてくれたのに。いなくなるなんて、そんな悲しいこと言わないで、勇輝」
勇輝、と。
彼女は出会って初めて敬称をつけることなく自分の名をそう呼んだ。それはアーティアにとっての勇輝が、それまで以上に大切な存在になったことを象徴しているように勇輝は感じた。
「アーティア……」
「アティだよ。私はアティ。いつまでも、勇輝だけが他人行儀のままはイヤだよ……」
アーティアの手が髪を撫でる。それだけの行為が、とても心地よく感じる。
「……アティ」
「……うん」
髪を撫でる手は止まらない。その手を通して、凍った心が溶かされていくような錯覚すら覚える。
「あのね、勇輝。勇輝は醜くなんてないよ。ただ、マティアスが死んでしまった哀しみが大きくて、大きすぎて、身体がうまく応えてくれないだけ」
優しい声もまた止まらない。静かに、慈しむようなその声色は、まるでこの霊園に響く鎮魂歌のように優しく穏やかだった。
「でも、もう大丈夫。あなたは一人じゃない。あなたは一人で悲しまなくていいの。もし悲しいなら、私が一緒に泣いてあげる。それでも足りないなら、きっとジュリオやアルさん、ナターシャさんやエミリーだって一緒に泣いてくれる」
穏やかに、けれど明るく、アーティアは言葉を紡ぎ続ける。
「楽しいなら、一緒に笑って。嬉しいなら、一緒に喜んで。つらいなら、一緒に背負っていこうよ。……私は、いつでもあなたの隣にいるから」
そして、アーティアは勇輝の頭を胸に抱くようにして抱擁した。それまでのような、膝枕の形ではなく、心を溶かしてしまうような温かい抱擁だった。
「だからね、勇輝。……もう、我慢しなくていいんだよ」
「――っ!」
その言葉に、どれほど悩んでも、どれほど己を傷付けても、決して変じることのなかった感情が揺らぎ、黒曜の瞳からは堰を切ったように涙が溢れた。
「初めての、親友だったんだ……」
「うん」
「俺、昔から誰のことも信じられないと思い込んで……だけど、あいつは俺と同じで……」
「うん」
「ぅ、くっ! 俺、は……うああああぁ!」
服が汚れることも気にせず、アーティアは勇輝の背中を撫で続ける。
勇輝の口から零れる嗚咽は、それまでの彼と、マティアスに手向ける鎮魂歌となって霊園に響く。
やがて雲が晴れ、壮麗な星空が二人の姿を照らし出すまで――。
二つの影はその心と同じように一つに寄り添いあっていた。
新社会人として、劇的に変化したライフスタイルに戸惑いを感じながら…・・・
先月より投稿を開始しましたテイルズテイル、その第一幕は以上となります。
今章の終わりまででわかっている方は多いでしょうが、実はこの一章、まるまるプロローグの作りとなっております。
一応完結までの道のりも大まかにできてはいるんですが、これ完結するまでにどれくらいかかるんだろう(汗)な状況ですので気長に接していったいただきたいと思います。
今日までの投稿ペースは2日に一回から二回とかなりのハイペース投稿だったと自負しています。
というのも、大学生活の四年間で書き溜めた僅かな原稿を推敲してお送りしていました。
おかげで第一章の投稿速度の早いこと早いこと…・・・まあ、これからは目に見えて遅くなっていくんですがね(笑)。
ともあれ、シリーズ完結にむけて頑張っていきますので、拙く粗の目立つ作品ではありますが長い目で読んでいってくださると幸いです。
読んでみての感想とかいただけるとさらに頑張れちゃう気がする今日この頃な天雪キョウがお送りしました。ノシ




